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七、借りてきた猫

 「ほら姫様!章家様ですよ!」


 興奮したような淡浪様の声に、はっと現実に引き戻される。

 祭の音楽も、舞も、素朴な物を好む母様の、月波良のお屋敷ではかけら程度しか目に入らないようなきらきらしく素晴らしいものだった。いっそ暴力のようなそれに飲んだことはないけれどお酒に酔ったようなふわふわした興奮に包まれた私は興奮のあまり失神一歩手前であった。


 「にいさま」


 淡浪様が指した方を見遣れば、崇人様と似た、しかしより装飾の豪華な衣を纏った男性が色違いの衣の男性とともに舞台へと上がったところだった。兄様だと言われてもその顔は薄布で隠されているし、御簾越しの遠目ではそうと言われなければ気付かない。


 「月読みと陽読みのそれぞれの頭が舞を奉納するのですよ」


 母様の解説にほぁ、と息を吐く。それと同時に舞台上の彼らが床を踏むだん、という力強い音が響いた。


 「ああ、章家様、ご立派になられて……」

 「淡浪は毎年毎年飽きずにそう言っていますね」

 「仕方ないじゃありませんか。だって、あんなにお小さかったのに……」


 母様の言葉自体は呆れたようだったが、横目で見たそのお顔は淡浪様とさほど変わらない、我が子を見守る優しい母のお顔だった。


 「兄様、素敵ですね」


 私も心からの気持ちを口にする。

 先程現実に引き戻されたばかりの心は三人の織り成す舞に再び囚われ、目が離せなかった。

 

 「次に会ったらその通り言ってあげるときっと喜びますよ。あの子はあなたを随分気にかけているようですから」


 母様の声に、失礼かもと思ったけれど舞台を見つめたまま頷く。すこしも見逃したくはない、まるで神様が舞われているような夢のような光景だった。




 頬が熱く、熱を逃がすように細く息を吐いた。

 これまでを慰めこれからを言祝ぐ帝の言葉を締めとして祭は滞りなく終わり、これからはどうやら宴会がはじまるようで会場はどこもかしこも賑やかである。


 「どう?寧子、疲れているようだけどもう帰る?」

 「いえ、私は大丈夫です」

 「そう。これ以上は、と思ったらすぐにお言いなさいね」


 私達も祭が始まる前に春日居様とお約束したようにこれからお茶をいただくことになっている。母様が言うには女性用に奥の広間が解放されていて、そこでお茶とお菓子がふるまわれているらしかった。


 迷いない足取りで廊下を進む母様について歩いていると、不意に「もし」と呼び止められた。


 「はい……?」

 「突然お呼び止めしてしまい申し訳ありません。わたくしの主から、こちらを貴女様にお渡しするよう申し付けられまして。どうかお受け取りくださりますよう」


 振り向いた先にいたのは元服前の男の子で、その手にした桔梗の花が添えられた文をずいとこちらに差し出していた。物語の中のものでしか知らないとはいえその意味がわからないわけではないので照れと戸惑いに立ち尽くしていると、その脇から別の男の子がひょこりと顔を出し、また別の花が添えられた文を差し出してくる。


 「姫様、こちらもお受け取り下さい!あの、主様はとてもよいお方です!」

 「え、ええ……?」

 「撫子の姫様!こちらを!」

 「あの、お待ちになって……」


 なにが起きたのか気が付けば私の前には何通もの文と、きらきらとした幾対もの瞳。どうしたものかとおろおろしていると、さっと私と男の子たちの前に黒い影が立ちふさがった。


 「失礼。こちらの姫様は大層動揺し困惑されております。文のやり取りは禁止されておりませぬとはいえ儀式が終わったばかりでお疲れでしょうし、また時を改めるか女房様にお渡しくださいますようお願い申し上げます」


 その声は崇人様だった。

 馴染んだ声だからであろう、緊張が一気に解れるような心地がする。崇人様が深く頭を下げれば男の子たちは蜘蛛の子を散らしたように去っていき、私はようやく驚いた自分の心を治める事ができたのだった。


 「崇人様、ありがとうございます。どうしたものかと思っていたので助かりました」

 「いいえ、むしろ勝手な事をして申し訳ありません。どうにも困られていたようだったのでつい差し出がましい真似をしてしまいました」


 「寧子」


 頭を下げたり下げられたりしていると、母様の声がする。


 「大丈夫でした?気が付いたら文使いの子たちに囲まれているものだから驚きました。助けに入ろうと思ったら呼び鈴を落としてしまい、崇人様にもご迷惑をおかけして申し訳ありません。娘を助けてくださりお礼申し上げます」

 「いえ、奥様!間に入りましたのは私の勝手な行いですので、そのような、お止めください!むしろやり取りの機会を潰してしまったようで申し訳ないです」


 今度は母様と崇人様が頭の下げ合いをはじめた。どうやら、ついてこないことに母様たちが気付いた時には私は囲まれておろおろとしていて、助けに行こうとしたところで鈴を落とし、その音に反応してやってきた崇人様が素早く間に入ってくださったようだ。私がどんくさいばかりに迷惑をかけてしまって申し訳ない。もっとスマートにかわせるようにならなければ……。

 

 「崇人様、母様、私が隙だらけだったばかりにご迷惑をおかけしました。私、もっと精進します!」


 気持ちを引き締めるようにむんと胸を張ると、なぜか笑われてしまったのは釈然としなかった。






 「あらー!あなたが月波良様の!」

 「まあまあお可愛らしいお嬢さんだこと!」

 「尼寺でお育ちになったとか。なら色々と慣れなくて大変でしょうに」

 「先程文使いに囲まれておりましたでしょう?大丈夫でした?」

 「あの中に榛原様のとこの子がおりましたけど気を付けて、彼女好きで有名ですのよ」

 「なんてお名前?お菓子はなにがお好き?」


 お仕事に戻られた崇人様と別れ、女性用休憩室に行くとまるで雨あられのような言葉が私に降りかかってくる。きちんと高貴な方の養女として恥ずかしくない受け答えをしようと心に決めて挑んだはずが、恥ずかしいことにまたしても私の体と頭は思ったように動いてはくれず、曖昧な笑顔をなんとか貼り付けて曖昧な返事をするしかできなかった。

 値踏みしてくるようなたくさんの視線が体中に刺さる。


 「貴女方、そんな大勢で一度にお話しされても困ります。寧子が今日はじめて屋敷の外に出たくらいなのですから、もう少し手心を加えていただけると」


 お屋敷での物静かな様子とは一変、よく通る声を響かせ母様が凛と言うと、それまで騒がしかった部屋が一瞬で静かになる。


 「月波良様のそのお声、懐かしいわ。ごめんなさいね寧子さん。私達ついはしゃいでしまって」


 ぴしりと固まった空気を解したのは春日居様だった。


 「いえ!そんな、私こそすみません。すこし、驚いてしまって……」

 「みんなとても気になっていたのよ。鬼の典侍様が、あの月波良家が養女を迎えられたんですもの、果たしてどんな子かしらって」

 

 お、鬼……?思わず母様の顔を窺ってみると、お嫌いな茄子を口にした時よりもっと難しいお顔をされていた。


 「……昔の話はよしてくださいませ」

 「あら、いいではありませんか。貴女様のことですし、きっと寧子さんにご自分のことなどちっともお話されてないでしょう?寧子さんも気になると思うわ」


 ねえ?と同意を求められ、思わず頷いてしまった。実際のところ母様はご自分のことはあまりお話されないし、淡浪様やほかの女房様方にわざわざ聞くようなことでもない。まして宮中でお勤めされていた頃の話などは女房様に聞いてもわかることではないだろう。母様の顔色的に聞かれるのはお嫌かも、と思うが、好奇心と春日居様の言葉に私は打ち負けてしまったのだった。


 「私の昔の話など聞いてもおもしろくはありませんよ」

 「そうかしら?寧子さんが宮仕えをなさることがあれば参考になったりすると思うし、いいじゃない。それに大納言簀巻き事件なんかは下手な物語よりどきどきするわ」

 「す、簀巻き……?」

 「そうなの。随分前だけれど、やたらと注文の多くてさらに直前に思い付きでぽんぽん修正を求めてくる大納言がいてね、このお方ったらあんまりうるさいからって簀巻きにして物置に……」

 「春日居様。わかりました。わかりましたから、そういう話はちょっと」


 うきうきと話し始めた春日居様の口を素早い動きで抑える母様はこれまで見た事ないくらい慌てていて、これまで見た事ないくらい渋い顔をなさっていた。

 母様はいつも落ち着いていて物腰柔らかでそれでいて氷のような凛とした素敵な女性だと思っていたけれど、まだ私の知らない一面があるらしい。


 「そもそも、寧子は私の死に水を取ってもらうために迎えた子です。宮仕えには出しませんよ」

 「あら勿体ない事。まあでもねえ、宮仕えしてしまえばなかなか帰れなくもなりますからね」


 今外面を保つだけで精一杯なのに宮仕えなどとんでもないと思っていたので母様がきっぱりと否定してくれてほっとしていると、先程質問攻めにしてきた集団の中の数人がそっと近寄ってきた。

 

 「先程は急にごめんなさいね。気を付けるから、一緒にお話してくださらないかしら」

 

 まるで警戒する猫に近寄るように慎重に優しく声をかけてくださる。先程は急なことで驚いて固まってしまっただけなので、幾分緊張の解れた今は素直にそれに頷く事ができた。


 「はい、ぜひ。私もお話させていただきたいです」

 「よかった!うちにもあなたくらいの娘がいてね、つい気になってしまって。……その、大きな声では言えないのですけれど、大丈夫?月波良のお家は少し、特殊だから……」

 「……?ええと、何のことでしょうか。何不自由ない生活をさせていただいておりますが……」

 「そう?それなら、いいのだけれど」


 周りを、母様を窺いながらほんの小さな声で尋ねられたことに首を傾げる。特殊、とはどういうことだろうか。あまりにも心当たりがないのでそのように返せば、尋ねてきた女性はなにか言いたげではあるもののそれきりその話には触れなかった。

 気にはなったものの、話はもう別の話題へと変わっていたのでわざわざ掘り返すことではないだろうと私も一時忘れることとしたのだった。

 


 その後はこれといったことはなく平穏に時が過ぎていった。

頑張ってはみたもののやっぱり上手とは言えないような振る舞いだったと思うが、それでも皆さんはとても優しくて。ほんの数年前はこのくらいの年頃の女性には叱られてばかりいたのが少し信じられない。私もついに山寺の薄汚い少女から進化できたかも、と内心思うのだった。





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