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十、逆由良崇人は思い悩む


 逆由良さかゆら 崇人たかひとは思い悩んでいた。


 時は数日前に遡る。




陽月の節から数日、宮中の庭の木から貴族の子女とはとても思えない身のこなしで飛び降りた月波良の養女 寧子の身を案じて屋敷に訪問した時のことだ。

私は、彼女に求婚しそれはもう見事なまでに断られた。


 私は、彼女の事が好きだった。最初にこの屋敷の桜の木の上に座る彼女の可憐さは今でも思い出せる。思わず桜の精かと思い調伏すべきか悩んだと言ってしまい怒らせたのもまた大事な思い出のひとつである。


 まあ、あの頃は彼女もまだ裳着を済ませてさほど経っていない時であったし、上司の妹ということで私自身も彼女を妹のように思っていたのだけれど。

 

しかし、使いで屋敷に行くたびになにかと多忙な月波良の奥様の代わりとして対応を受けていればなにかと話すようになり、駆け上るように私は彼女に惹かれるようになったのだった。

 今日もあれそれができなくて叱られたと落ち込む声、今日は褒められたと喜び跳ねる声、客観的な意見を聞きたいと聴かされた箏のほんの少し不器用な音色、菓子を握らせてきた手の小ささ柔らかさ、それらすべてが好きでたまらなかった。


 彼女は外に出ないにもかかわらず、いつからかどこからか噂が漏れ彼女を一目垣間見ようとする男が増えてきたときは上司であり彼女の兄である章家様とともに憤慨したものである。陽月の節で多数の文使いに囲まれていた時など、頭に血が上る思いであった。

 そんな関係でもないのに、あの子は私のものだと言って回りたかった。


 決定打は、あの日枝を掴み損ねた彼女を見てしまったことだ。

 結局彼女は一人で無事地に降りたわけだが、もしもを見てしまった胸の内をどう言えばいいだろうか。とにかく、私の胸に最後に残ったのはこの子は私が命を賭して守るべき、かけがえのない存在であるということだった。


 だから、求婚した。


 「そして、断られた……」


 とん、と力なく小皿を机に置いた。その拍子にまた誰ぞから酒が注がれる。


 「まあ、なんだ。頑張れ……」

 「そうだよ、一度でだめでも三度目くらいで頷いてくれることもあるし」

 「そうそう!」


 同僚による励ましの言葉が渇いた心を素通りしていく。求婚を断られてからと言うもの情けなくも仕事にならない私を心配して彼らが励ましの宴を開いてくれたが、いくら酒を入れようと私の心は満たされないままだ。

 

 「たしかに、彼女は俗世に疎い所があるから一度で頷いてくれるとは思ってなかったが、それでもあんな瞬時に、少しも悩むことなく断られるとは……」


 あなたが好きだ、私の妻となってほしいと言い切った余韻も味わうことなく「ごめんなさいお断りいたします」と返された時の気持ちはまだ腹の底に残っている。「ええと、あの、」と困ったように言いよどむことすらされなかったのだ。


 「私はただの兄の部下でただの話相手の一人にすぎなかったのだろうか……」


 じめじめとしながら酒をあおる私を同僚たちが哀れなものを見る。ああ、こんなところで酒を交わすより寧子さんと他愛もない話がしたい。


 一度振られたにも関わらず、やはりどうしても私は彼女が好きであった。



 「で、でも帰ってから文が届いたんだろ?」

 「ああ、驚いてつれないことを言ってしまったがまた会いに来てくれるか、と……」

 「いやいやそれ脈ありじゃないか!」

 「いや……しかしあれはきっと女房達に言われて書いたにすぎない……彼女はあんな気の利いたもの書けない……もっと素朴な野に咲く花のような、幼い猫のような方なんだ……」

 「崇人、お前お相手の事けなしてるのか褒めてるのかどっちなの……」


 「寧子が、どうかしたのか」


 ぷつぷつと泣き言のようなものを吐き出していると、頭上から硬い声が落ちてきた。


 「章家様!」

 「お、お疲れ様です!まだ残られていたのですね!」


 同僚たちが慌てて立ち上がり頭を下げ、私もまた酔ってふらつく足でそれに倣う。


 「いい、就業時間後だ。私は、つい長く月読みをしてしまってな。それより崇人、妹がなにか」

 「え、あの、……」

 「こいつ、そちらの姫様に求婚してためらいなく断られてしまって」

 「……なるほど」


 言いよどむ私の代わりに同僚の一人がそう説明すると、章家様は顔色も表情も変えないまま合点がいったように頷いた。わりと長くこのお人の下で働いているが、それでも今何を考えているのかわからず一気に酔いがさめる思いだった。


 「……たしかに、文は女房達に急かされて書いたようだが」

 「や、やはり……」

 「妹は母の死に水を取るために迎え、彼女もそれをわかっている。そのつもりだけで生きてきたのだから、色恋に意識が向かないのも仕方ないだろう」


 淡々とした言葉に思わず頭が垂れていってしまう。やはりこれは叶わぬ恋なのだろうか。諦めたほうが、よいのだろうか。


 「しかし、妹がお前の訪問を楽しみにしているのは、確かだと思う」


 はっと顔を上げた時には、章家様はもう踵を返していた。あまり遅くならないようにとの言葉に同僚たちは口々にお疲れ様ですと返している。しかし私の口から出たのは違う言葉で。


 「また!姫様のもとにお伺いします!」


 諦めてなるものかという決意を込めた声は思ったよりも大きくなってしまって驚いた同僚たちが黙り込む。振り返る事なく歩き続ける章家様に深く頭をさげる直前、ひらりと手を振られたのが見えた気がした。





 「ご機嫌よう寧子さん。きょうもお可愛らしい」

 「た、崇人様……?」

 「御簾越しにしか見れないのが残念です」


 寧子さんの動揺が御簾越しでもわかる。とりあえず意識してもらえるよう下地をつくっていくことにした。そのためにはまず好意を口に出すようにしてみたのだが、私自身このようなことを言うのに慣れていないのでなんとも気恥ずかしく正直御簾で隔てられていてよかったとすら思う。


 「どうしたの崇人様、暑さで頭がゆだってしまわれたのですか?水でも持ってきてもらいます?」


 やはりと言うべきか、まったく真に受けてはもらえない上に頭がおかしくなったと思われている。先は長そうだと頭が痛くなるが、一応想定内であるのでここで諦めるつもりはなく内心で己を鼓舞した。


 「ご心配のようなことはありません。ただ、寧子さんに少しでも私の想いを知ってもらいたくて」

 「はあ……、あの、私は」

 「寧子さんのお気持ちはわかっています。私が勝手にやっていることですから、お気になさらず」


 いや、少しは気にしてほしい。が、その気持ちはぐっと胸に押し込めてなんでもないように振舞う。そっと寧子さんの様子を窺ってみれば、なんとなく居心地悪そうにもぞもぞと袖をいじってみたりその長い髪を指に取ってみたりしているようだった。


 「まあ、急にこのような振る舞いをされても困るのは当然ですし、このような話はここまでにしましょうか」


 それにあからさまにほっとしたように息を吐かれ、なんとも複雑な気持ちでいっぱいになる。


 「そういえば、陽月の節で知り合われたご令嬢とはどうなされました?」

 「あ、はい!文のやり取りを続けさせていただいています。私、崇人様もお思いでしょうがまだまだ未熟なところばかりなのでとても勉強になってます!」


 同じ年頃の少女との文のやり取りは本当に楽しいのだろう。ぱっと花が咲くように明るくなった声に苦笑しつつ「それは良いことですね」と頷けば嬉しそうな返事が返ってくる。ずっとこの屋敷の中、限られた人間のみと付き合ってきた彼女の世界が広がるのはやや心配でもあるが歓迎すべきことだと思われた。


 「文……、そうだ、寧子さん。」

 「はい?」

 「私とも、文のやり取りをしてはいただけませんか?あの、深く考えず、手習いの相手とでも思ってくださればいいのです」


 その提案に彼女はやや身構えたようだったが、続く言葉に緊張を和らげてくれたようだ。こちらとしてもそれは喜ばしいことだが、もう少し警戒心を持つべきではと勝手な気持ちが湧いてくる。


 「それなら、ぜひ。男性とのやり取りも覚えなきゃって女房様にも言われているのでむしろお願いしたいくらいです」

 「だ、男性と……」

 「この間からたまにあるのです。だから、気を持たせないお断りのしかたとかを習っているのですがなかなか難しくて……」

 「なるほど。それは大事なことですね」


 つい食い気味に返してしまった。

 陽月の節で文を渡そうとしたような輩は、元典侍の養女という肩書のみに興味を持ち試しに一通くらいの軽い気持ちの者が多そうであったが、中にはそのつれない態度に興味を深めた者がいるようだった。つい腹の底が煮え立つような気持ちが湧き起こるが、姿も垣間見えず返ってくる文も冷たいものとなればきっとじきに諦めるだろうと息を吐く。そしてここは元典侍が主人で陰陽寮の月読みの家でもある。わざわざ押し入ってくるような命知らずはいないだろう。



 「逆由良様、荷物の支度ができました。こちらお願いいたします」


 腰を下ろしていた廊下の端から小さな衣擦れの音とともに声を掛けられた。この家の女房のひとりが手にした包みを差し出してくる。

 

 「ああ、ありがとうございます」


 それを受け取ると、女房は一礼とともに踵を返して行った。

 そうだ、つい寧子さんとの話に夢中になってしまったが、今日もまた章家様の使いとしてここへ来ていたのだった。この屋敷に訪問する口実として半ば無理矢理章家様に「なにか使いはありませんか」と詰め寄って同僚に笑われたのはとても寧子さんには言えない。

 しかしその甲斐あって文のやり取りをする約束を取り付ける事に成功したので笑われたくらいなんのそのである。


 「では、私はこれで失礼します」

 「お疲れ様です。兄様にもよろしくお伝えくださいね」

 「はい。……文、送りますね」

 「待ってます。あの、私字も文も下手ですけど笑わないでくださいね」


 「待ってます」の言葉に、彼女にそんなつもりはないとわかってはいても胸がふるえた。そんな短い言葉ひとつに湧き立つ自分の単純さに我がことながら呆れてしまう。

 しかしこれで一歩前進と思うとついつい帰る足取りも軽くなってしまうのも無理のないことだとわかってもらいたいものだ。



 「さて、何を書こうか……」



 ぽつりと呟いた声は夏空に浮かんで消えていった。





急に恋愛色出してくるじゃん


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