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ライブ終了後には、ステージ裏で軽い打ち上げ。
みどりを先に帰すため外へ出ていた良光が戻ってくる。その姿に向かって乾杯と再度叫んだ凌が、ぐいっとお酒を飲み干す。
「また、お前は! 俺、もうお前のこと抱っこしないからな!」
腰を抑えている良光に、グラスを置いた凌はおとなしく炭酸水を飲む。
「痛い?」
自分が刺したあたりを手でそっと触れてくる凌に、その手に自分の手を重ね合わせると良光は強く握りしめた。
「凌はさ、確かに、生まれてこなきゃよかったと言われながらこの世に生を受けたかもしれない。あのクズ女にもひどい目に遭わされもした。でもね? 凌は生まれる家には恵まれなかったかもしれないが、親友だと言えるやつには恵まれたんだよ。あと、そのコケティッシュって言われる綺麗な顔もか」
ただ微笑んだだけでも蠱惑的な笑み、どこかを見ているだけで妖艶なと枕詞を付けられる。それが嫌でたまらないことを知っている良光のからかうようなまなざしに、凌は無言で手をつねった。
「香月っていう、あの何考えているんだかわかんない宇宙人だとか……全然、そう見えないのに先生ぶる先生とかさ?」
「頼れる俺とか、うちの可愛い奥さんとか?」
口ごもる良光に、まぜっ返しながら凌が微笑む。
からかう相手の肩を押した良光は、その柔らかい笑みに眦を下げながらうなずく。
「そういうやつらに会えたんだ。どんなに優れた音楽センスを与えられようとも、どんなにきれいな容姿を与えられようとも……実はそれ以上に、胸を張って親友だって言える友達と出会うことの方が難しくて素晴らしいことなんだよ」
人に恵まれたね。そう言われて、凌は今もって無理やりに手を握って離さずにいてくれている良光に抱擁した。
「みんなが俺になかったはずの人生をくれて、どりちゃんと結婚できた。今じゃ、アルバム作るたびに子供ができて、四人のパパだ。だから、どうか……このケガのことは気に病まないでくれ」
きっと自分は、夢を叶えられなかったと三十代を後悔して過ごし、四十代で現実を見て取り戻せないことに気づきながら、五十六十とみっともなく老いさらばえていくのだ。良光はそう諦めてしまっていた。だが、思いもかけない出会いによって人生が変わり、自分が想像もしていなかったような人生が開けたのだ。それだけで、もう十分だった。
「あと、何年やれるのかは正直わからない。でもさ、みんなと一緒にやれるのは楽しいね。続けよう、何が何でも。あんなに大勢のファンに支えられている。仲間もいる。凌はもう一人じゃない。生まれてきたことを後悔する必要なんかないんだ。宇宙人だって、凌のこと大切に思ってくれているはずだ」
そばにあったピックを良光に向かって投げつける。そのまま近づいた香月は、良光の腹の上にあった凌の手を掴んだ。
「さっきから、いい話しているから黙って聞いてりゃ……誰が宇宙人だ」
「まぁまぁ、飲もう飲もう。ほらほら、凌くんも」
井戸がワインを凌のグラスへと注いでいく。
瓶ビールを思いっきり振った香月が、その栓を勢いよく抜きながら振り回した。
「うわ! ふざけんな」
気づけば、スタッフも巻き込んでのビールかけが始まっていた。
酒の匂いが充満した部屋は、賑やか。笑いながらビールをもって追いかけっこしている人たちに、凌はこれからも生きていける気がした。
一瞬動きが止まった凌が、襟首をつかんで背中にビールを流し込んでいるスタッフを振り返る。その姿を笑っていた良光は、頭から被ったワインに、服を見下ろす。大の大人が、後のことなんか何も考えずに酒をかけあって騒いでいるのだ。今日だけはとにかく楽しもうと、良光はオレンジジュースの瓶を掴んで、ワインをぶっかけてきた児玉に仕返しをする。
あと何年、何十年続けられるかわからない。だが、それでも、このメンバーでずっと音を出していきたいと願った。良光は、そんなメンバーと出会えたことで自分の夢はもう叶っていたかもしれないと思い始めていた。そのためには自分も頑張らねばならないと、意志を強くする。
こんな光景がずっと続けばいい。凌は、酔った頭で甘い夢を思い描きながら、自分を受け入れてくれた人たちの輪に飛び込んだ。
今日のライブはゴールではなく、スタートなのだ。
<了>