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足手まといにならないだろうかと心配していた茂利は、よく働いている様子の凌に扱われ方に問題なさそうだとうなずく。
「で? 今日は千秋楽だから気を抜いてケガしないようにって、言われて十分でケガしちゃうかね」
ちょっとおっちょこっちょいなところがあるとは見ていて思いはした。だが、機材を落としかけて顔面でキャッチする器用さに、さすがの茂利も呆れてしまう。
「ああ、もうこんなところに傷作って。衣装部の女の子から絆創膏もらったから、ほら」
水にぬらしたティッシュで汚れをふき取り、顔の頬にできた傷へと絆創膏を貼り付ける。じっと腕を見つめる凌の姿に、茂利はふっと微笑む。
「そういや、小さい頃、子供たちも些細なケガで絆創膏貼って欲しがったっけ。なんで、小さい子って絆創膏貼りたがるんだろうね? ほれほれ、貼ってやるから、どこがいい」
ニヤニヤ笑いながら、からかう気満々で近寄ってくる姿は、良光そっくりで。改めて、遺伝子のつながりを感じずにはいられない。だからこそ、凌は断るより貼ってもらった方がめんどくさくないだろうと思ってしまったのだ。
女の子に人気の可愛いキャラクターが描かれた絆創膏を頬に二枚、腕に二枚貼り付けられ、断ればよかったと後悔する。変に目立つ絆創膏に、凌はちょっと人目が気になる。
「おじさんって、良光にそっくりですね」
「えー? そうかな?」
「どっこがだ!」
後ろから棒で小突かれた凌は、振り返って良光の姿に目を見開く。
「なんで、いんの」
「今日、千秋楽なんだろ? せっかくだからと思ったが……なんだ、その顔」
「ぶつけた。席まで案内する?」
「いや、大丈夫だ。ほれ、きびきび働け」
車いすを使っている良光が席までたどり着けるだろうかと不安はあった。だが、尻をひっぱたかれたこともあって、凌は言われたとおりにきびきび働くことにする。
照明の手伝いをしていた凌は、開場前のあわただしい様子を見渡す。
「凌くん、わかるかい? こんな小さな舞台ですら、あんなにたくさんのスタッフがいる。君は君だけを生きてちゃダメなんだよ。君が何かをやらかせば、そこにかかわる大勢のスタッフ、ひいてはその家族が困ることになる。君は大勢の人の人生背負ってるんだよ」
さほど大きな公演ではないにも関わらず、かなりの人数、スタッフがかかわっている。それを見渡した凌は、みたび自分がしでかしたことを反省させられる。
「俺なんかに屋台骨がつとまるんでしょうか」
「君は望まれずに生まれ、愛されずに育ったと聞いている。でもね、君を心配して引き取った良光や、それにこたえて支える覚悟をした人がいる。自分を愛せないのはわかるが、君は今大勢の人に愛されてもいる。一人じゃない。君に何かあれば、誰かが悲しむことだけは自覚してほしい」
何も言わず下を見つめる凌の背中を、なでるように茂利が叩く。
「いつかわかるよ。ママ、彩香も良光も覚悟を決めて君から逃げず、向き合い続ける道を選んだ。ぼくも、その二人の覚悟を知るから、君をずっと支えていく覚悟をしている。焦るな。立ち直るまで、ちゃんと待っててあげるから」
あんなことがあって、一緒にいても大丈夫なんだろうかと心配もしていた。だが、彩香と良光は家族だから逃げないと決めたという。それを聞かされた茂利は、自分がそれに協力してもいい立場にあるのだろうかと悩みながらも、そんな二人を支えていくと腹を決めていた。
頭を撫でられた凌はうつむきながら無言で何度も何度もうなずいていた。
千秋楽を迎え、公演後には打ち上げ。酒を飲まずにいた凌は、横を見て、二度見する。
「は? え? なんで、香月がいる!」
「先生もおっちゃんもいる。見に来た。なんだ、その顔」
端的にぽんぽん聞かれそうなことに答えて、香月が業務終了とばかりに酒を飲む。
「あれ、なんだ良光、お友達も誘ったのか?」
「友達? まぁ……それでもいいけど」
無意識に自分が好きなものを皿にのせてくれている父親に、苦笑しながら良光がそれを受け取った。
「小松原さん! 息子の良光と凌とその友達」
「ああ、どうだった? 舞台」
当たり障りのないコメントをしている良光に、越智が小声で凌に「寝ていた」と耳打ちする。
「舞台用に音楽作ってくれないかな」
「いいですよ。な、香月。どうせ、今何もしてないだろ」
面倒くさそうな顔をしながら香月が適当にうなずく。
「どうせなら、彼にも出てほしいけど?」
大好物である唐揚げを良光に取ってもらっていた凌が、小松原の視線に小首をかしげる。
「なんだ、唐揚げ好きか? ほれほれ、食べなさい」
色んな種類の唐揚げを茂利からもらってニコニコ微笑む凌に、良光が手を伸ばして皿を手繰り寄せた。
「焼き鳥も好きだろ。鶏肉料理好きだよなぁ。ほれ……あ、そうそう! 後で連絡しようとは思ったけど、いいや、全員いるし。来週コンソノで打ち合わせな」
露骨に嫌そうな顔をして寝たふりをする香月に、呆れて良光が箸で小突く。
「また締め切りがやってくるぞー、起きろっての」
ため息をついた香月が、わかったを投げて、あとは無視を決め込む。
「あはは、大変そうだな。まさか、夏休みの宿題を泣きながらやっていたお前が、そんなこという日が来ようとは」
うるせ。そう返した良光を、からかいたそうにしている茂利。その二人を見ていて凌は笑ってしまった。
「やっぱり、二人は似てるよ。なんていうか性格が」
「はぁ? どこがだ! なんで、こいつと似てんだ!」
抗弁する良光に、茂利がニヤニヤ笑いながら息子の横に顔を並べてみせた。
「そういう凌も、似てる。段々、良光の面倒くさい性格の部分が似てきているぞ」
「どこがだ! 似てないだろ!」
香月に言い返した凌は、笑っている井戸を睨む。
「おんなじこと言ってるし! 顔も似ているときあるけど、性格もだよ」
額をぺしっと叩かれた凌が、笑っている良光に拗ねた。
「露骨に嫌そうな顔すんなよ」
ぷいっと顔を背けた凌に、良光がからかいながらほっぺをつつく。
「お前って、ほんとに神代家の人間なんだな」
何気ない香月の言葉に、凌は二人を見る。ギャーギャー言い合う良光と茂利は、やはり互いに似ている気がする。絶対言ってやらないが、そんな二人と似ているのが少しうれしく。自分にもそんな神代家のDNAが息づいているのかと思えば、大嫌いな自分の顔や雰囲気が少しだけ……ほんの少しだけ好きになれた。
「俺、香月のこと大好きだよ。ありがとう」
「気持ち悪」
「お前、失礼だな!」
「ば、やめろ! 唐揚げ食べた口を洋服につけんな」
香月を羽交い絞めにしている凌を、周りでほかの三人が押し倒せとはやし立てる。
相変わらず賑やかな息子とその友人たちに、杞憂も消え、茂利は大丈夫だろうと安堵した。