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 テレビに出ろと言われれば出るが、好きではない。香月は、仏頂面のまま井戸を睨み据えた。

「なんだか、楽しそうだな?」

「これから仕事の打ち合わせなんだ。では」

 いそいそと着替える井戸の笑顔に、香月が半笑いで毒づく。

「へー? 仕事の打ち合わせって楽しいんだ?」

「追及してやるなよ。この年だぞ」

 童顔に見えても、井戸はアラサー。良光は、いいことだと暖かく見守る気でいた。

「あー、あのですね。ご報告。うちも、冬には子供生まれる。良光のところと同級生かぁ」

 頬杖をついたまま、香月が舌打ちする。照れた笑みの越智にも「めでたいな」と毒づく。

「ホント、あいつらデリカシーねぇな。人のプライベート付け回して、記事にしやがって」

「まぁね。でも、イネちゃんは有名人だしね」

 凌の一言もさらっと流した越智に、良光が心配する。

「もし、なんかあったら、すぐに言えよ」

「イネちゃんは母親が外国人なんだ。みどりさんに色々相談乗ってもらいたいな」

「同級生だから、何かと話もしやすかろうし、そのくらいは。何? 先生」

 小さく挙手をする井戸を指名した良光は、身構える。

「他の仕事引き受けてもいいですか?」

「どんな仕事?」

「教育番組の手伝い。音楽家としての助言が欲しいって」

 気恥ずかしそうにボタンをいじる井戸に、良光は笑いをかみ殺す。

「こ、公私混同かな? やっぱり……」

 皆の反応を見て井戸は、やはり辞めようかと迷う。

「いや、よっぽどうちの夫婦の方がそうだろ」

 二人で作った曲をバンドに持ち込んでいる良光は、言える立場にはない。

「さっさと消えろ」

「まぁまぁ、香月。飲みに行こうか」

 肩を組んできた凌の腕を払いのけ、香月が舌打ちする。

「あ、俺も。今日、お義母さんが来てるから飲みに行ける。車は代行頼むから、飲み行こう」

 飲みに行こうと誘った良光は、やさぐれる香月を引っ張って楽屋を出た。

 廊下を歩く凌は、向こうからやって来る衣装のかかったラックを避けた。その瞬間、腕を掴まれて引っ張られる。

「なんで、あなたがここに!」

「よ、吉村先生? どうかされましたか?」

 衣装ラックを押していたADの渡辺が、後ろの声に足を止める。

「えっと? どちら様ですか?」

 ショートカットにきつい印象を受けるメイク。良光は、女性から凌をかばうように立つ。

「あ、あの……ファッションデザイナーの先生で……」

 彼女は、海外アーティストの衣装や映画衣装を多く手掛ける女性ファッションデザイナーである。今日は、海外タレントに帯同してのテレビ局来訪だった。

「うちのが何か、先生に失礼なことでもしましたか」

「うちの? うちのって、貴方何よ」

「あ、あのお二方はタブラ・ロサというバンドのメンバーさんで……神代凌さんと良光さんっていう」

 横にいた渡辺を睨みつけた吉村が、有名なのかと詰問する。

「え、ええ……結構人気なんですよ。あ、すみません。先生、長らくヨーロッパを拠点とされていたので」

 フォローしようとする若い女性を、良光が軽く制す。結構と枕詞を使った時点で、いいフォローは望むべくもなく。

「吉村先生、どうかされましたか?」

「あ、山本プロデューサー……えっと」

 通りがかったプロデューサーに睨むような視線を送られて、渡辺が慌てふためく。

「すみません。存じあげないのですが……こちらの方は」

吉村輝美(よしむら てるみ)先生です。ご面識は」

 何か失礼があったのかもしれない。危惧して質問した良光は、女性の答えに考え込む。

「あ、あー! 宗重さんの元奥さん! 凌のおばあちゃんか!」

「穢れた血の祖母扱いなんておぞましい!」

 写真でしか見たことのない祖母。なんて言おうかと緊張していた凌はその一言に体が強張る。

「先生、ここではなんですから。彼も有名人ですし……色々と問題が」

 気を遣う山本に、吉村が露骨に嫌悪の表情をむき出しにする。

「この呪われた子が有名人! お前のような人間が表舞台に立つ資格があると思ってるのか! 人殺しが」

「人殺し」

「お前が、皆の人生滅茶苦茶に壊したのに、のうのうと生きてるなんて恥知らずね」

 ぽつりとつぶやく凌に、吉村が虫けらを見るような軽蔑の眼差しを向ける。

「あんたら夫婦のせいで、こいつが生まれて来たのに……人に責任転嫁するか! このクズ女が!」

「貴方になんの資格があって――」

「俺はあんたの元旦那のイトコの息子だ! 身寄りを失くした、こいつの保護者になった人間だよ! 資格あんだろうが!」

 ブチ切れている良光に、無駄だとは思いながらも香月は一応洋服の裾を引っ張って止めるくらいのことはしておく。

「この子は、私の大事な息子を見殺しにしたのよ」

「はぁ? 大事な! 笑わせんな! 二十四時間三六五日、目が離せなかった良克さんの面倒を最後まで見続けたのはこいつだぞ! まだ子供だったこいつに、全責任負わせた側のあんたが何か言えた義理か! くそババア!」

「誰のせいで、そんなことになったとでも? この呪われた子が悪いのよ」

 祖母の一言に、床がふわふわと揺れるような頼りなさを覚える。凌は、吐き気に床へとへたり込む。

 言い返そうとした良光は、横で座り込んだ凌にそれどころではない。抗議しようにも、吉村は舌打ちを残して行ってしまった。

「気持ち悪い」

「わ、わかった。ここで吐くなよ。我慢できるか? 立てるか?」

 首を横に振る凌に、良光は荷物を香月に預けて、抱え上げた。

 トイレの床にへたり込み、凌がえずく。良光は、その背中を摩りながら声をかけ続けていた。

「俺は人殺しなんだ」

「そんなことない」

「あるんだよ。父親が風邪引いたら、俺も休まなきゃいけないのに……無視したんだ。ごはんまでに帰れって言われたのに、先生に説教されてて帰れなかった……親父は、その間に死んだんだ」

 風邪を引くと、良克はいつも以上に制御不能となる。老婆一人では対応しきれないものがあった。それもあって、凌は父親が体調を崩すたびに、学校を休まなければいけなかったのだ。

 だが、父親は後遺症で年に何回も体調を崩してしまう。幼い頃より、何度も何度も学校を休まされて看病させられ、嫌気がさしていた凌は、初めて無視をした。

 早く帰ってきてほしいと言う連絡には応じて、すぐ帰るつもりだったのだ。なのに、日ごろの態度をとがめた生活指導に捕まってしまった。親が風邪だから帰してほしい――その願いは、嘘だと断じられ、余計説教は伸びた。

 父親には時間の概念があまりない。朝昼晩のご飯と就業時刻と終業時刻を覚えられだけ、すごいこと。食事の時刻を遅らせることが理解できなかった。ごねる良克に、しかたなく麻子が一人で食事を与えていた。そうして風邪を引いていた父親は、おかゆを嘔吐し、咽喉へ詰まらせてしまった。嚥下能力が落ちた良克が咽喉にものをよく詰まらせていたこともあって、除去に慣れた凌ならどうにかなっただろう。だが、非力な老婆では、どうにもならなかった。もしかしたら、凌が休んでいたならば良克が死ぬことはなかったかもしれない。

「落ち着いて、深呼吸」

「気持ち悪い」

「家に帰って、少し休もう」

 立ち上がった凌の背中を摩りながら、腕をつかんでいた良光は崩れ落ちた体に慌てて腰に手を回す。

「水。遅かったか」

 水を買いに走っていた香月は、生きているかと凌の首を触った。

「いや、ありがとう。車まで連れて行くから、鍵開けてくれ」

 凌を抱え上げた良光は、自分の乗ってきた車の後部座席に寝かせた。


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