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離婚という事実が重くのしかかってくる。目を開けて、誰もそばにいないことがたまらなく怖い。凌は、いっそこのまま消えてしまいたいとすら思った。
「凌、眠れないか?」
「俺なんか、死んでしまえばいいのに」
「少し気分が落ち着く薬貰ったから飲め」
水で薬を飲みくだす凌に、良光は毛布を掛け、ゆっくり背中を摩った。
眠りに落ちていた凌は、ドアが開く音で目が覚めた。
「誰かいないの?」
誰もいない。置いていかれる恐怖に、裸足で玄関から外に飛び出そうとした。玄関わきにある駐車スペースから人の話し声が気聞こえてくる。凌は物陰に隠れると、息をひそめた。
「いつ帰って来てくれるの?」
「もう少し、落ち着いたらな」
「そう言って、全然帰って来てくれないじゃないの!」
こっそりのぞき見れば、みどりがいた。どうやら、さっきの音は二人が出て行った音だったようである。
「お義母さんには負担かけるけど、今まだ凌を一人にできる状況じゃないんだ」
「昔っからそう! 凌くん、引き取った時だって、そうじゃないの! 本当は、あの時、就職して私と同棲する予定だったのに! いきなり、子供引き取ったから無理って言いだして! 私と凌くん、どっちが大事なのよ!」
驚きで、凌は言葉を失う。あの頃、みどりの自分に対してのあたりが強かった意味もわかって、申し訳なくなる。
「どっちも。あの時、数年予定をずらすことになっても、引き取らなきゃ、あの子は一人ぼっちになってしまうと思ったんだ」
「私を一人ぼっちにしてもいいっていうの? なんで、私、一人で子供二人の面倒見なきゃいけないの? 凌くんが大事なら、私と離婚して、ここに帰ってくればいいじゃないの!」
「どりちゃんが本心からそうしたいなら、俺は引く。でもね、これだけはわかってくれ。俺は、あの子を引き取った時から、あの子の人生に責任がある。しかも、あんな状況にしてしまったのは俺なわけだし。あれが美人だとは思わないが……どりちゃんの方が可愛いもんね? どりちゃんが好きでいてくれる俺でいるためにも、どうか無責任なことはさせないでほしい」
泣きながら胸にすがるみどりに、良光が背中をずっと摩っていた。
「わかってるの。わかってるけど……凌くんが大変なのは」
「本音は?」
「寂しい。抱っこ」
「俺だって寂しい。もう少し落ち着いたら、帰るよ。愛してる」
みどりを抱え上げた良光は、ぎゅっと抱きしめていた。
「わかってる。待つって決めたもんね」
「さすがに、あの状況では目が離せんだろ?」
みどりのおでこに自分の額をつけた良光は、みどりの鼻にキスをした。
小鳥がついばむようなキスを見ていた凌は、流石に止めるべきか悩む。遠くから、自転車のベルに、女性の大声が重なって聴こえてきて、何事かと身を乗り出した。
「こんの! バカ息子! あんたら、庭先で何をしてるんだね!」
「げ、おふくろ」
「高校生じゃないんだから、そんなところで恥ずかしくないの?」
「恥ずかしくないよ。なぁ? みどり」
みぞおちを膝蹴りされた良光は、みどりを地面におろして、蹲った。
「すみません。いきなり良光さんに抱っこされて、嫌だって言ったんですけどね」
「はぁ? どりちゃんが抱っこって言ったんじゃんか!」
今度は肩を殴られた良光が、みどりの笑顔に顔を強張らせた。
二人のやり取りを見ていた凌は、自分ができていなかったことを考えさせられた。何がよくなかったのか。自分でも、まだわからずにいた。
「……歌詞書けたか?」
いつものように、フラッと立ち寄った香月が、横でギターを弾いている。
「香月」
「なんだ?」
「……愛してる」
ギターを落とした香月が、目を泳がせた後、頷いた。
「俺も」
自分と同じように不愛想で人付き合いが苦手にも関わらず、なんで香月の方にだけ友達が多いのか分かった気がした。臆面も言ってのけてくれた人に、凌の肩からふっと力が抜けた。