13
子供一人預かる以上は、やはりきちんと話合わねばならない。彩香は、折を見て電話をするつもりでいた。
「よし、行ったか」
流石に、本人へこの話を聞かせるわけにはいかない。彩香は、凌が二階に行くのを確認し、受話器を取った。
「もしもし、神代茂利の妻の彩香ですが……神代常長さんは……は?」
出たくないと言っているという返答に、彩香は受話器を掴む手に力を込めた。
「なん、なんなんですか! その失礼な話? っていうか! そんな大事なことくらい、報告してください!」
電話向こうの女性が、さらっと凌の養母である麻子が危篤であることを告げてくる。遺産の話をし始めた女性に、彩香は怒りで震えた。遺産をもらえるなら、凌を引き取ってもいいという相手に、感情が爆発した。
「なんなんですか! それ! もう結構です! 凌くんは、こちらで引き取りますから! 絶縁上等だこの野郎!」
受話器を叩きつけた彩香が、そのままの勢いで床をバシバシ叩きながら唸り声を上げる。
昔から、どうにも夫の実家とは馬が合わなかったのだ。体面や義理を過度に気にして、使わなくてもいい気まで遣う付き合いには、結局なじめなかった。
怒りは寝れば消えるかと思ったが、目を瞑れば余計膨らんでいく。夜中に目が覚めてしまった彩香は、階下にまだ電気が灯っていることに気づいた。
「あれ? 凌君」
台所の陰に凌が縮こまっていた。呼んだ瞬間、肩をすくめた子に、彩香はその手から酒瓶を取り上げる。
「何をしてるの」
「寝酒を……少し」
「明日も学校でしょう? もう寝なさい」
酒瓶を戸棚に戻した彩香は、部屋へ行くように凌を促した。
感情的に電話を切ってしまった以上、落ち着いて再度先方と話し合う必要がある。だが、いまだに燻る怒りに気持ちの折り合いがつかず、電話できずにいた。
「はい、もしもし」
パートから帰ってくるなり、聞こえてきた電話の着信音に慌てる。リビングから聞こえてくる声に、誰かいるらしい。彩香は、ゆっくりと靴を脱ぐと、玄関を上がった。
「いや、違います。良光じゃないです……あ、おばさん」
「誰から?」
首を横に振る凌から受話器を受け取る。彩香はその声に、受話器に当てている耳とは反対側の耳を抑えた。
「もしもし、お義母さん? え、あぁ凌くんですよ」
電話向こうのキンキン声に、彩香は眉間へしわを寄せた。
「なん、なんですか、それ」
話を全て聞いて分かったことは一つ。義母は、ただただ神代家に対して失礼な言動と取ったことを詰っていた
「守銭奴? ごうつく? は? お義母さんは、向こうの方を信じるわけですね」
昔からそうなのだ。言わなくてもいい、相手が言った悪口まで教えてくれる義母に、彩香はうんざりする。
「いや、結構です!」
謝っていたと、先方に伝えて上げる。無理やり仲直りの仲介をしようとしてくる義母に、彩香はイライラが止まらない。
「もう結構です! えぇ! 子供一人放り出して、知らん顔するような無責任な家と金輪際付き合いたくもありませんから!」
受話器を叩きつけた彩香は、舌打ちすると電話を軽くはたいた。
イライラに更年期が重なったせいか、興奮したまま夜眠れず。彩香は、時計をじっと見て、トイレに起きた。
「また、起きてる」
昨日今日だけのことではない。今までにも、何度か夜中にトイレへ起きると階下に灯りが点っていることがあったのだ。彩香は、足音を立てぬようにゆっくりと階段を降りていく。
台所の陰にしゃがみこんだ凌は、日本酒をグラスに流しいれる。煽るように飲み干そうと、顔を上げて、目の前にいた彩香と視線が合った。驚きのあまり、お酒をつい吹きこぼしてしまう。
「また、飲んでたの?」
「……すみません」
「明日、学校お休みして、おばさんとお出かけしようか」
酒を飲みたくて飲んでいるというよりも、寝られずに飲んでいるようだった。彩香は、先日電話した相手に、明日の朝にでも電話してみようと決めた。