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レイチェルの末裔  作者: 柏木 裕
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Memo.006 花見月へと至る道 その2

2019年11月24日(23:23) 一部、誤字を修正しました。内容に変更はありません。

 天幕(テント)の生活は非常に快適だった。食事は自分たちで作るのが常で、知らない誰かの手によって作られたものが運ばれて来るのは、家族が家に揃って居たあの平和な時代まで遡らなければならない。

 豚人(オーク)の肉の香草煮や焼き肉から解る様に、怪物の肉は基本的に食べられるものであり、それも割と美味だった。

 雫が豚人(オーク)の香草煮に無言の舌鼓を打って居る所に、久瑠実が率直な質問をぶつけて来た。

「それで雫ちゃんは、栄一郎様とはどう言うご関係ですか?」

 間髪入れず雫ちゃん発言に、その場に居合わせた地下組の皆の眼が見開かれた。

「ちょ! おま、ん~~~~~!? ん~ん~~~~~~~~~~!!?」

 怒りを露にし、久瑠実を黙らせんとして、今にも飛び掛かろうと立ち上がったのが十四歳の戸丸さん。

 それを逸早く察知し、ガムテープを精製して口を塞いだのが厳島(いつくしま)さん、二十二歳で奴隷組の指導者(リーダー)の様な役割をしてくれて居る。

 動揺した戸丸を厳島が横に強く押し、倒れそうになるも耐え、振り返った僅かな隙に華麗な足払いをして転倒させたのが、高校で新体操をやって居たと話して居た十九歳の鞍馬(くらま)さん。

 直に床へと叩き付けられない様にと即興で創造した長い座布団をさっと挟んだのが、十歳になったばかりの薬師寺さんだ。

 地下から脱出出来た事で栄一郎への謝意は勿論あるが、奴隷として身を(やつ)し全てを諦めて居た四人の救世主(ヒーロー)は誰が何と言おうと紛れも無く雫だった。

 似た様な境遇とは言え四人各々の意見は散々(ばらばら)で統一感が丸で無く、妥協し擦り合わせる事で方向性を決めるのが日常茶飯事だった。

 それでも唯一、地下で一致する意見と言えばやはり雫の事だった。雫を軽んじる発言は許容出来ない。神など居ないと絶望した本来地獄である筈の地下投獄が、安心して生活出来る環境になったのは全部、雫が戦いを一手に引き受けてくれた恩恵によるものだった。

 本来、闘技場と該当区画は人が正常に住める領域では決して無い。

 法や秩序が歪んで居るのは当然で、奴隷が奴隷の権利を買うとは、迺ち自分の所有物にすると言う事に他ならない。

 その末路は、嬲り殺す玩具にするか、性欲を満たす為の道具にするか、ストレスを発散する為の砂袋(サンドバッグ)ならぬ肉袋にするか。他の区画へと出品したり、交換する事もある。その人道に(もと)る悪虐行為こそが常識だった。

 門番も受付爺も、ずっとその場を受け持って眼を見張って居る訳では無い。数人の交代要員が居る。地下にも一般的な生活を送れるように商店街があり、飲食店が並び、喫茶店も酒場もある。一日の終わりの本の数時間の余暇を、そこで各々が過ごすのだ。

 だが、強い奴隷によって所有された弱い奴隷の扱いの酷さは何時の時代も眼に余るものだ。地面にばら撒かれた食べ物を食べろに始まり、靴を舐めろ、便器を舐めろ、と自身が道具である事をじっくりと時間を掛け、その身に摺り込んで行く。

 一日に与えられた僅かな暇ですら、嫌でも垣間見せられる事になる非道の数々は良い香りのする美味な筈の食べ物の味を容易く拙くし、上質の酒を一瞬で水以下の吐瀉物に変換する。

 それは持ち場に常駐する門番や受付爺だけに留まらない。様々な生活基盤を支える店、宿屋、本屋、武器屋、堅気でないヤクザでさえ、見れたものでは無いと頻繁に揉め事を起こして居た。

 何時死ぬとも解らない強者に従属する事でしか生きられない弱者。それを救済する様な都合の良い体系(システム)はこの地獄には無い。

 無論、12番区画も同様の惨状に見舞われて居た。犠牲者になるか、狂い壊れて強者となるか、その二択の末を止められず見続けなければならない日常に皆、口を開かずとも疲弊し切った心は勝手に眼を背けさせる。

 それが、凡そ三年前を境に全てが変わった。

 ふと気付けば、悲鳴を上げる奴隷の姿が一人も居なくなって居た。

 代わりに居たのは誰よりも小さな表情の変化が乏しい女の子。そこに楽しそう微笑み並んで歩く奴隷が一人、また一人と増えて行くと言う見た事も無い平穏な空気を肌で感じる。

 最初は全く信じられなかったが、勝ち上がって居る奴隷の情報は顔写真付きで、区画の全員の端末へと通達される仕組みになって居る。

 彼女の名前は雫。誰よりも幼く聡明で、尋常ならざる力をその身に宿し、何よりも優しい女の子だ。

 雫は所有権を手に入れる事はせず、自由の権利をあっさりと仲間へと譲渡した。それも三人分もだ。

 日の届かぬ地下の牢獄でありながら、日に日に眼に力を取り戻す人が増え、活気付いて行く12番区画に、恐らく彼女は最後まで気付いて居なかった事だろう。

 12番区画に住まう総勢九十六名が欠かす事無く、雫が地上へ行くのならその道の行く末を見届けたいと栄一郎の救助を受け入れた。問題は雫が律儀に最後の一人まで『自由の権利』獲得を目指し地下へ留まる可能性で、皆それにやきもきさせられた。

 皆、雫を尊敬し、彼女が報われる事を願い、こうして付いて来たのである。

 戸丸の行動は唯の気の短さから来る浅慮なものだったが、その意思自体は地下組全員の総意と言って過言でないものだった。

 夕餉(ゆうげ)、魔法で構築された簡易の椅子に腰掛けて静かに地上の微風を感じながら食事を楽しむ一同。ここは開けた場所で、夜空の中、細やかな光が食台を照らし、外では警戒態勢の哨が周囲を見張って居る状況にあった。その為、久瑠実の全く抑えない声は殊の外、良く響いてしまった。

 雫に気安く話し掛けた事実が、地下組の少々歪んだ琴線に触れる。

 何時も朗らかな笑みを浮かべ新鮮な野菜を勧めて来る八百屋のおっちゃんが見た事も無い怖い顔で、久瑠実に睨みを利かせて居た。

「おい、そこの確か分隊長つったか? 今、何つったよ? ああ゛!」

 坊主頭に剃り込みを入れた地下組の中で一際厳ついスーツを着込んだ男が、久瑠実に圧力を掛けた。

 地下組ヤクザの頭目である抹茶(まつさ)(ばい)()だ。雫は未だに氏名読みを、抹茶梅侍(まっちゃうめざむらい)だと勘違いして居り、出会い頭に一波乱あったが、拳一つで解決したと言う過去がある。

 拳を交えた後は仲間になると言うお約束は成立せず、梅侍は幾度と無く真正面から勝負を挑んだが、雫が手加減した攻撃で全身を三十回以上複雑骨折にされて居る非常に諦めの悪い男である。

 だが、その全く及ばない力量の差を認め、一転して雫を姐御と敬う様になり、護衛の如く追従する梅侍の功労あってか、表向きは雫ちゃん呼びが廃止された。

 そうして、雫は呼び捨てか、さん付けが基本形、姐御はヤクザ集のみが使う様になった。

 何処までも後ろに付いて来る梅侍の追跡(ストーキング)が鬱陶しくなり、再び全身の骨を砕かれたのは言う迄も無い。

 されど、そう言う事情を露ほども知らない久瑠実は、当然の反応を示す。

「えっと、雫ちゃん、あのおじさんは知り合い?」

 その時、専ら雫の頭を占めて居たのは、認証紙片を安全に引き剝がして見せた未知なる魔法だった。

 あの認証紙片は、鋼糸を射出する小型の猛毒蜘蛛と魔法を紙に封じ込める加工を施した積層紙片――魔法によりラミネート加工された紙から通称マラミ、或いはマラミペにより、生きた儘の蜘蛛を紙片と同化させて老化を防止する方法で、元々は生命維持と老化防止を目的とするもので、冷凍睡眠(コールドスリープ)の様に身体の長期に亘る保存法の一つとして創られた技術だと栄一郎は話してくれた。

 認証紙片は言わば鍵穴で、一致する鍵でなければ解除する事は出来ない。手の甲に蜘蛛が潜んだ儘になる筈だった。

 それを似た様な紙を手に当てるだけで、手の甲に蜘蛛が現れ、紙が床に落ちたのだ。

 安全に蜘蛛を手の甲から引き剝がせないか、雫はこれを何度も魔法を組み直し実行して居た。その悉くが失敗に終わり、その回数の分、腕を再生する破目になった。

 あの掌台の紙切れに一〇〇〇万もの価値があるとは思えない。ならば、その中に封じられて居た魔法にこそ其の価値が宿って居る。

 同じくマラミを用いたとは言え、(もと)になった魔法が必ずある。迺ち、それは誰かが理論を考え創造した事に他ならない。

 初歩の解析魔法を覚えたが、腕の部分と蜘蛛の部分が何処なのか正確に把握する事が出来ず、分離する事は叶わなかった。

 雫がやると決まって蜘蛛毒が巡り、腕を斬り落とさなければならなかった。治癒した新しい腕にも蜘蛛の紋様は浮かぶので、仕切り直しとなる。

 他には紙状の蜘蛛が手の甲に現われ初めるのだが、何百と引き剝がしても蜘蛛が微粒子の様に手の中に残り、その微かに残る蜘蛛の状態でも毒は有効に働き、腕が斬り落とされた。

 現状、考え得た雫の解析と魔法の技術では対処不可能だった訳だ。その為、それを実現して見せた魔法を創った人物に興味が湧くのは至極当然と言えた。

 その人物は、認証ランプの偽装も合わせて行って居たと聞いた。実際に戦わない栄一郎の【心象色(ヘルツファルベ)】を認証ランプに映して見せる。それも12番区画のみに留める。

 攻撃系や防御系とはまた別のより難解で高度な魔法を現地に居ない儘、行使して見せた。

 行程が複数回必要となる私の単純治癒と【設計図】からの完全再生の分岐に少しだけ似て居るが、鍵穴の違う複数のマラミを解除した為、最低でも数十種類の蜘蛛に対応して居たのではないかと考えられる。

 凄い人物が居たものだと感心すると同時にそれは脅威でもある。治癒や再生の限りなく零に近い僅かな時間にその行程を停止する事や、書き換えられる可能性を感じた。総意工夫で対処出来ない事も考えられる。

 それでも、会って魔法構築の談義に花を咲かせて見たい。雫は、花見月の謎の協力者に興味津々だった。上手く行けば会えるかも知れない。謎の協力者は奈央の次に優先度が高かった。

「んぁ?」

 そこに声を掛けられた雫は、久々に気の抜けた生返事をした。

 この人は確か分隊長の…………誰だったかな? ああ、名前聞いて無かったな、うん。

 解らないものは仕方無いので、【記憶の渠溝(メモリスロット)】を用いて、名前の取得を試みる。橘久瑠実。十九歳、これは読み通り。無駄な部分まで読まない様に気を付けて、最も新しい記憶の部分を発見した。興味を惹かれて居る時、その円環は輝きを増すのだ。殊、久瑠実は非常に解り易い部類だった。

 ええと何々、おじさん誰? ああ、(うめ)さんか。状況が解り辛い。梅さん何で睨んでるの? 食(あた)りかな? いや、待て、それ以前に皆、殺気立ってるのだがこれ如何(いか)に? あと、栄一郎の事を聞いたのか。むぅ、兄妹(これ)は多分、屋敷に着いてから開示する情報だよな。混乱状態は魔法発動を阻碍する訳だし、万が一の事態は避けるべき。話すなら久瑠実さん一人だけにした方が良いだろう。ここは無難に黙秘、適当に話題を逸らしてお茶を濁すとしよう。

「久瑠実さん。私、ご飯は黙って食べたい派なんだ。話は後でも構わないでしょう」

「あ……はい。済みません」

 子供から出る子供らしからぬ言動に、素で謝罪を口にした久瑠実は、雫を誤解して居た事に漸く気付いた。

 あの地下で暮らして来た子供が普通で居られないのも無理は無い。地下施設の説明は受けた。想像を絶する苛酷な状況が、彼女を隙の無い合理的一辺倒な子供に強制してしまったのかもと思うと胸が苦しい。私が嬉しい事や楽しい事を教え、正しい道へと戻してあげないと、等と燃え(たぎ)る熱い想いを胸に、久瑠実は決意を改めた。

 その面倒極まりない妄想を真横で感じ取った雫は、やはり栄一郎の事を話すのは止めて置こうと考えを改めた。

「あと、皆。呼び方は好きに呼んで構わないよ?」

 それだけ言うと雫は食事を再開した。

「姐御! そないな殺生な事、言わんといて下さい!」

 梅侍が情けない声を上げると、張り詰めていた緊張感が一気に緩み、夕餉の細やかな賑わいが蘇った。


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