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レイチェルの末裔  作者: 柏木 裕
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Memo.002 姉に憧れて居ただけの努力家で否定的な妹

2019年11月13日 ルビの誤字を修正しました。内容に変化はありません。

 私の感情は憧れから始まった。

 それは物心付いた頃の事、自分と瓜二つの姉は私より歩ける様になるのが早く、理解して卒無く話せる様になり、何より頭が良く同い年に負けた事も無く、悪戯を(けしか)けて来る意地の悪い少数の年長組にさえも、出し抜かれた事を終ぞ見た事が無かった。

 幼稚園に預けられた皆が賢しいのだと直ぐに肌で感じ取り寄り付くけれど、離れて行くのもあっと言う間の出来事だった。

 聡明な私の姉は、ただの『天才』では無く、『稀代の天才』に他ならないからだ。

 物事を憶えるには、何かしらの手続きを踏む。それは凡人の私の理解する通常の解だったが、姉は既に知っていた。

 何かしらの凄まじい洞察力ゆえあって云々であるとか、偶然どこかで眼にしたからであるとか、そう言う偶然の積み重ねでは片付けられない。

 話す前に、()うに知り得て居るのだ。これは頭が良いとか悪いとか、そう言う次元の話では無い。最早、頂上的で得体の知れない第六感の様な能力が働いて居る状態に見えた。それが周囲に畏怖を(もたら)し、同時に眼には見えない透明な壁をも築いてしまう。

 普通はこの時点で気味悪がるのかも知れないが、私はこの『凄い』姉が大好きで仕方無かった。両親も私から見る限りでは、だだ甘な愛情を私たち二人に注いで育ててくれた様に思えた。これ(まさ)しく順風満帆、穏やかな家庭環境は、後に感謝出来る程に恵まれて居たのだと実感するものだった。

 閑話休題。寡黙(かもく)では無く、自身の考えを表に出して話すなどし、言葉で表現する事が割合下手な私は、種種多様な感情が羽虫の如く腹の中で(すだ)(うごめ)いて居た。だから口から出るあらゆる言葉と言う言葉は、何時も大雑把で舌足らずになってしまう。

 姉の才幹は留まる事を知らない。敗北を知れないと言う意味では可哀想なのだそうだが、当時の私にはそれを感覚で捉える事が出来ず『お姉ちゃんカッコい!』だったし、姉が他の園児の纏まりから離れて一人で居る様も、そこから一人私に手を振ってくれる様も『お姉ちゃんカッコい!』だった。所謂(いわゆる)、莫迦な子だったのだ。

 私にとって姉は最も素晴らしい存在だったし、越えられない理想そのものだった。全ては姉と言う基準に準拠していた。生まれて意識を持ったその時から、ずっと無意識に依存して居たのだ。

 だから、あの時手を離して一人で逃げるようにと言い包めた姉の判断に、私は疑問一つ無く委ねてしまった。姉だって間違える、そう言う認識は微塵も無かったのだから。

 気が付けば私はどさくさに紛れて、数人の巨漢に(かどわ)かされて居た。人生の崩れ始める音が、聞こえた様な気がした。

 男達は四人、差はあれど自身の持つ胴体並の二の腕の太さをして居る。私はどう考えても振り解けない男の二の腕をペチペチと叩き「筋肉カッコいいな!」と空気も読まずに称賛を送った。我ながら莫迦である。姉に及ばずとも、強いは正義なので仕方無い。

 男は暫く凄く困った顔をしながら、「お、おう! ありがとな!」とマッスルポーズを決め、揃って笑い合った。

 到着したのは地下の何処かよく解らない場所で、元々行動範囲が近所と幼稚園と公園が精々だった私は場所の特定など出来る筈が無かった。更には所持金が無い。詰まり、帰る術が無いのである。困った。

 ここは大人の出番であると導かれる。この際、親切かそうでないかは問わず、お金を貸してくれそうな人を探して借りるのだ。

 私は男達に何やら中身が入って居る木の箱を持たされ、受付と言う所で引き渡された。そこでお別れらしく、最後に「生きてたら運び屋、蘭蘭(ランラン)まで訪ねてくれや嬢ちゃん!」と言って別れた。筋肉とランランと言う組み合わせが壺に嵌まる。頬をぴくぴくさせながら下手糞な笑顔を作ってさよならした。

 別れ際に耳許で囁かれたちょっとしたお負け情報からすると、誘拐は計画的なもので正規に依頼されたものらしく、同時に指定された木箱と共に届ける事で依頼達成なのだそうだ。だからか私は木箱を抱えて居ても取り上げられる様子が無い。これはどうやら私のものらしく、奪う様な素振りは誰にも見られなかった。

 顔には大きな黒子の斑点が幾つも広がって居て、薄暗さ残る消えかけの電灯の中、時折見せる黄ばんだがたがたの歯と黒い虫歯、如何(いか)にも老獪(ろうかい)そうな爺が言うには、ここは闘技場だそうだ。

 連れて来られた私はその時点で奴隷となり、武芸を見せる『戦闘奴隷』となったのだと言われた。

 辟易する私は、脱出方法を素直に尋ねると、受付爺はにやりと笑った。背中がぞわぞわする。

 端的に言うと勝てば出れるらしい。勝つと戦闘奴隷には基本給が出る、加えて二人を殺し会わせる性質上、賭け事になって居るらしく、微々たる額だが掛け金の一部が勝利者に送られる。そして、脱出するには『自由の権利』なるものを買い取らなければならず、それはざっくり計算して一〇〇〇万円らしいのだ。「ざっと連続勝利回数百回分だよ。死にたくなけりゃ頑張りな、ふえっふぇっふぇ」と教えてくれた。

 死闘一回勝ち抜くと少なくとも大体十五万は稼げる。生活費などを差し引き、それを百回、百連勝しなければならないのだと言う。なぜ連勝か、等と当たり前の事は聞かなかった。独特の笑い方をしながら教えてくれた受付爺は何だかんだ優しい。普通ならいきなり戦えとか言われ兼ねない。私の知る闘技場(コロッセオ)の出て来る映画は(あらかじ)めの断りなど無かった。情報など貰えず代わりに剣を持たされるのだ。

 有り難う、と受付爺にお辞儀して私は躊躇わず奥に進んだ。

 上昇して開門する鉄の入場門の両脇には、場違いな清潔感のあるスーツを着込んだ筋肉質の屈強そうな門番が立ち並び、私を見て一瞬だけ眼を見張った。

「お前は奴隷……なのか?」右側の門番が問い掛けた。

 ここは地下の奥深くで、道順を間違えると何ヶ月も脱出する事が叶わない迷路となって居り、幼子が迷い混むような場所では無いのだと言う。しかし、蘭々の筋肉達は一度も迷わなかった、結構凄い人達なのかも知れない、等と思って居ると、左側の門番も同様の疑問を抱いて居るのか、少しだけ身を乗り出して近寄る。

 ここへ送り出されるのは、両親に不必要と判断された出来の悪い子供や、親不孝を働く無職の再利用場であり、義務教育さえ始まって居ない五才児が送り込まれるのは初なのだそうだ。

 だが、実情を聞いた私は少しだけ納得し、また少し疑問が増えた。

 頭の出来は確かに悪かったかも知れないが、それはあの姉と比較した場合の話だし、今の話を聞く限り要は両親に疎まれて居た子が訪れる場所となる認識で、辿々しい言葉で一つ一つ確認すると「驚いた。その通りだが、頭がいい君のような子が何でここに居るんだ?」と逆に質問される始末だった。(ほぼ)、同じ話題に戻った。

 要らない子として処理される子供にしては珍しく騒がず物静かで、言葉を正確に理解して受け答えして居るし、教養の高さが覗える。とてもでは無いが、ここに捨てられる子供には見えない、との事だ。

 買い被りが過ぎる。私は凡人である。規格外の姉に少しでも追い付きたいが為、勉強を始めたのが、余所と比べて僅かに早かっただけなのだ。まだ漢検2級までの範囲しかきちんと読み書きが出来ないし、日課のランニングはやり過ぎ注意と口酸っぱく言われ三キロ迄に留めて居る。その程度の私は神童である姉と比べるのも烏滸(おこ)がましい。

 もし姉と私の何方(どちら)かを切り捨てるならば、間違い無く私は私自身を切り捨てる選択をする事だろう、それだけは自信を持って言えた。

「地上の……情報、知らないの?」と首を傾げた私の表情に、門番は神妙な顔を突き合わせた。

「何があったんだ?」と門番は尋ねて来る。心配と興味本位の半々だと思われる。

「げーむ? みたいになってた」

 私は遊戯よりも勉学に重きを置いて居た一風変わった児童故に、TV遊戯(ゲーム)PC遊戯(ゲーム)の存在自体を知って居ても、具体的にどう言うものかなど指して興味が湧かなかった。けれど、同い歳の子の中にはそれを持って居る子が居て、何度となく自慢話を隣で聞かされて居た。

 まだやり込んで居らず、あまり得意では無いらしい友人の友人の友人は、始まりの街付近で立ち往生して居る状態なのだと言う。その為、あまり強い怪物は知らず、専ら粘液生物(スライム)子鬼(ゴブリン)豚人(オーク)の話になった。

 そこに登場する一番想像し易い豚顔の化け物を、同い年の友達に伝え聞き、せがまれるが儘にノートへ描き起こて置いた。今日の入学式後に、密かに見せる約束をして居たのだ。

 その(ページ)を綺麗に切り取り、ポケットへ折り畳んで居た事を完全に失念して居た。

「えと、こんなのが、視界を埋め尽くすように、沢山居た」と私は絵を広げて見せる。

 薄ぼんやりとした褐色混じりの斑模様の様な肌色、二メートルを裕に越えていそうな巨体、膨れっ面の様に丸々と肥えた豚の顔、その鼻の両脇から生える尖った角、風体は尊厳を守る役割を果たさないだろう草臥(くたび)れた布切れを腰に巻き付けてある。

「おぉ……上手い!」

 右側の門番が感嘆し「ちょいと借りるぞ」と一応の断りを入れて、絵を取り上げる。

「ほほう……上手い。確かに上手いが…………こんなのが地上で跋扈(ばっこ)して居るとしたら、地下もその内、(まず)いんじゃないか?」

 頷いて称賛した左側の門番は、極めて冷静な意見を述べた。

「……信じるの?」

 私は一時、眼を丸くした。顔付きは変わらないらしいが、本質的には解り易いらしいので、動揺は隠せて居ないと友人の友人が教えてくれた。詰まりは他人から見ても解ると言う事に他ならない。

「そりゃ、お前さん。ここで嘘つく意味無いからだよ」と左の門番が得意気に言い放つ。

「でも、嘘付く可能性は否定できない、違う?」と私は覗き混むように尋ねた。

 出会ったばかりの幼子に、信用を置く理由が解らない。

 信用を得て働き掛けるとしても、死ぬかも知れず、それで居て死ぬ可能性は中々に高く、一度(ひとたび)門を潜れば門番との接触も殆ど望めない事は想像に難くない。転じてそれは利用価値が無いと換言出来る。

 目的も利用価値も無く、私の言葉を鵜呑みにした真意が一塵たりとも理解出来ない。私こそが可笑しいのだろうか、不安になる。

 左側の門番は巫山戯(ふざけ)る事も無く、目線が合う様に片膝を床に突いた。真っ直ぐに此方の瞳を捉え、肩に手を乗せた。

「……大変な目に遭って来たんだろうな。聞こうとも思わねぇし解らねぇが、人生の先輩からの鬱陶しい助言(アドバイス)って奴をくれてやる。先ずは信じてみろ、警戒するだの排斥(はいせき)するだのは裏切られてからでいい。何度も何度も人を信じるか否かの瀬戸際で揺れるだろう事が人生よ。繰り返せば何だってそれなりにゃあ上手くなるもんさ。信じちゃいけねぇ奴がどんな奴なのか、逆に信じていい奴がどれだけ居るのか、或いは今までに出会えて居るのか、それがはっきり解るようになるまでは、先ず信じる所から始めてもいいんじゃねぇかな? 俺はそうしてるぜ?」

 驚きと混乱で放心した様に私はその場で硬直した。この様な場所に正論を持ち込む輩が居る事実と恐らくは正鵠を射て居るだろう発言が、頭の中で交互に正義を主張しては暴れ回る。

 模範解答が眼の前に配られても、それは自身で獲得した解答では無い。その為、(わだかま)りは消えず衰えず、不快感を持て余してしまう。

 然るに、私は本心から他人を信じられて居ないのだ。姉は絶対であり論ずる迄も無く、両親は親であるから子を導く立場にある事で、信じると言う枠組みとは掛け離れて居る。身内だから裏切らないだろう、と言う無責任な信頼が働いて、客観的に捉える事そのものが困難なのだ。

 門番が折り畳んで紙を返してくれる。それを受け取りながら「信じるって……どうやるの」と口から零れた独り言に、門番は二人して眉を潜める。

「そうだな……先ずはよく話して見る事だ」

 苦手分野、驀地(まっしぐら)だった。実現出来そうに無い為、先を聞きたくないが、知らないよりは知って居た方が増しだろうと、躊躇いながらも相槌(あいづち)を打つ。

「それから?」

「う~ん……掛けられる時間にも寄るがよく話す事、これは譲ちゃならない。為人(ひととなり)を知る事。身も蓋もない言い方をすると此奴になら騙されても構わないって相手を見つける事だな。ちと……難しいか?」

 対して右側の門番は『大人でも難しい事を、子供にさらっと言いやがったな』と非難の眼差しを向けた。

 言葉にすると確かに難解な様に聞こえるが、私は騙されても良い相手に心当たりがあった。姉である。最早、全能神の様な扱いだ。

「……お姉ちゃん、みたいな感じ?」と私は眼を輝かせた。

「お姉ちゃん?」

 直ぐに答えが返って来ると思って居なかったのだろう、二人の門番が声を重ねる。

「お姉ちゃんは凄い。私よりずっとずっと頭が良くて、足も速くて、さっき知ったけど多分大人より強くて、正直どうなってるのか解らないけど凄い、凄く強いの!」燦々と瞳を輝かせて、欣喜雀躍と跳ねる様に私は語る。

 姉自慢で私の右に出るものは居ない。この年齢で友人に引かれた経験のある私が、言うのだから相当なものである筈だ。

「お、おう……」右の門番は一歩幅分、距離を空けた。大人でも引いてしまう変化らしい。確かに少しだけ饒舌になった様な気がしないでもない。

 しかし、どうして優れた人類の至宝たる姉を褒め称えないのか、私には一瓱(イチミリグラム)も理解出来ない。他宗教に入教して居るのだろうか。摩訶不思議である。

「お姉ちゃんが好きなんだな?」と左の門番は淡々として居る。

 こくりと大きく頷き「騙されても良い、合ってる?」と答え合わせを希望する。

「う~ん、そうだな。間違ってないけど、何か微妙に違うような。家族は信じるに入るのかどうか……でも、まあ、こんな所に送られてもそう思えるって事は、紛れもない信念だから、それを他人にも当て嵌められたらそれが信じてるって事なんじゃねぇかな?」

 なるほど解りやすい。姉と同等かそれ以上に私が憧憬出来る人物を探せば良い、と言う事が解った。

 ふと、最後に姉を見た光景が蘇る。空を舞う豚、飛べない筈の豚が次々に天空へ投げ出され乱回転する映像はこの世のものとは想えない、中には中身が出て居るのもあったので地獄へ片足を踏み入れたのでは無いかと錯覚した程だ。

 然りとて、あの豚怪物を拳で殴り飛ばせる(つわもの)など、凡そ人類には居ないのでは無いだろうか。

 とどの詰まり誰も信じてはならない、に帰結する。これが絶望の味に違いない。現実の過酷さを思い知り、私は一歩大人に近付いた。何故か何処と無く心悲(うらかな)しい気分になり、首を捻る。

「解った。ありがと」とお礼を述べ、何時までもこうして話して居て良いのか、と本題に入る。

「ああ、そりゃまだ相手が居ないんだ。そこのランプが点灯してないからな。一つだけ12番のランプが点灯して居るだろ? それがお前さんの所属先、ここの番号になる。闘技場に入る時はランプの下にあるボタンを押すと認証紙片が発行されるから試して見るといい」

 門の右横、右側の門番がいそいそと退くと隠れて居た何かが見えた。

 そこには01から12までのアラビア数字が横並びに宙に浮き上がり、その下には説明にあった通りの点灯するボタンが一つあった。12番だ。薄っすらとした今にも消え入りそうな輝きが見える。

 これが私の残る命の(ともしび)であるなら、死する直前を如実に表して居るので、適切な照度だと自分の事ながら感心した。

 頭を切り替え、聞き慣れない熟語に急ぎ漢字を当て嵌め、理解に努める。

「認証、紙片?」

 字面からは、個人認証が出来てしまう類いの特殊な紙、で合って居ると思われる。

 しかし、その様なものを私は(かね)てより知らない。

 指紋を紙に付着させて照合する、とかなら機械を直に触る方が手っ取り早いのでは無いだろうか。勿論、その紙に何かしらする手順を、私は何一つ知らない訳だから、何かを考えるより先に先ずは実践して然るべきなのだろうけど。

「この光は次の戦闘に12番目のこの施設が選ばれたって合図を示して居る。現在、この施設は定員が居なかったから実質お前が闘う事が義務付けられて、待機状態って事になる」

「……人以外にも、反応するの?」

「ん、んー? 詳しい事は解らん。が、前に鼠が一匹侵入して勝手に闘技場に入ったら、血の沼になってたが、確かあの時は光らなかった。人並みの体積がないと光らないのか、或いは人間を識別する何かが備わってるのか。俺の記憶じゃここを訪れたのは老若男女の差はあれど人だけだったしな」

 あの豚怪物の侵入を防げるなら途轍も無い技術だが、不便な側面があっても不思議は無い。

 唯々、一般的で汎用性が高く設備的費用が安価なら、疾うに地上へと配備されて居る筈。

 残念ながら現場は闘技場であり、奴隷を殺し合わせる事が目的、更にはそれによる賭博を行う。敗者が生き残る事は無く、死んでも墓標どころか骨も塵の如く処理され、何一つ残る事は無いだろう。

 何をどう取り繕っても非常識な反社会的魔窟が、比べてまだ正常な地上へこの技術を提供する事はあり得ない。

 大量殺人者が自首し、無罪にしてくれと(のたま)う程に愚かな行為は無い。

 生き残れば生き残るほど、大罪人にされるとは世知辛い世の中だ。

 何はともあれ、ここの安全性は保証されて居る。安心して殺し合え、とせせら笑いを上げる受付爺の膠着(こびりつ)く様な声音が、脳内で繰り返し再生された。

 あの人は世紀末でも怪物に殺されても最期まで愉快に笑って過ごす、そんな気にさせられる。

 自分の規律(ルール)を持つ人は強い、姉が何時しか言って居た言葉の意味が、少しばかり理解出来た。

 色々考えを巡らせる悪癖は直しようが無いらしい。諦めよう。

 されど私の抱える問題は、結局のところ一つの小綺麗な木箱に纏められる。

 手札が二枚与えられて居り、勝てるか否か、を問われるのだ。身も蓋も無い言い方だと、殺せるか殺せないかの二択だ。

 私は言わばあの豚怪物の様な人で無しにならなければならない。なれるだろうか。他人の尊厳を踏み躙り、命を摘み取る事が、本当に凡人(わたし)に出来るのだろうか。

 一番怪しいのは、心境より何よりこの非力な身体である。武器になりそうなものと言えばこの木箱だが、投げたらそれでお仕舞いでは無いだろうか。

 それにこの木箱意外と重いのだ。両手で引き寄せる様に抱えて居るのに、指が痛くなり、先程から腕は小刻みに震えて居る。現在の私では到底扱い切れない重量で、全力で投げた所で飛距離も期待出来るものでは無さそうだ。 

 残る素手は予め選択不可である。勘違いしようも無く私は凡人だ。姉の様に豚怪物を縦回転させ、二撃、三撃と空中で連撃を加えるなど不可能。

 どうしよう……勝てる要素が一つたりとも見当たらない。当たり前だけど私は普通の子供だ。

 幸いな事に私には時間がある。作戦を考えられるだけの時間はまだある、等と自分を慰め、作戦について考えて居る内に、右の門番の「……ぁ?」と言う間延びした声を捉える。

 私は何と無く無意識に、朝起きたら歯磨きをする様に、顔を洗う様に、挨拶でもするかの様に、唯々自然にランプを視線の先で追い掛け確認してしまった。

 先程まで透けて見えて居た3番のランプが点灯して居る。誰かが認証登録を済ませたのである。

 真っ黒で纏わり付く様な輝きを放ち、その存在感を偽らざるものであると主張して止まない。

 その輝きは多様な夥しい色が重なり合って出来たもので、私の中では絵の具のあらゆる色を混ぜ合わせ、最後に行き着く濁った綺麗では無い何かの様に感じ取れた。

 そして、何故だか醜いと理解出来るそれから眼が離せなくなった。

 心做しか瞳が熱を帯びて居ると思ったのも束の間、両眼に曾て感じた事の無い激痛が留まり、けたたましくなる鼓動と共に身体の至る所へと伝播して駆け巡った。

「あ、おい、どうした大丈夫か!?」

 門番の心配を余所に私はその場で(うずくま)り、余りの激痛に声も嗚咽も捻り出せず、意識を本当の暗闇の中へと落として行くのだった。


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