Memo.007 一尺にも満たない間隙の中で
0時に待って下さって居た方、遅れましてすみません。
小分けのMemo.006と比べると少し長いですが、その前と比べると短いかも知れません。
花見月の屋敷を出てから僅か数分、特に目的地を定めずに気の向く儘、散歩して居た雫は、侵入防止魔法の正六面体外に足を踏み出すや否や、地表を揺らしながら唸り声を上げ近付く豚人や遠吠えで結集する狼の集団に出迎えられた。
「何だ。今日は隨分、手厚い歓迎だな」
見計らったかの様に待ち構えて居た魔物の歓待を不思議がりながらも、雫は創造した黒刀で無造作に横薙ぎをお見舞いした。
黒刀から発せられた黒い靄の線が弧を描くと、雫を取り囲んで居た豚人の身体が上下に分断され、隙間に顔を出して様子を覗って居た狼はその首を地面へと落下させた。
「豚人と狼の混成群? 今まで見た事無い組み合わせだ」
二度三度と黒刀を振るい、外敵の隙間を眼にも留まらぬ速度で駆け抜ける。
敢えて骸と化した魔物の下敷きになる事で生き延びた個体を叩き斬ると、仕舞いには真っ赤に染め上げられた地獄絵図が出来上がって居た。
何か可笑しいとは感じるも、何に違和感を抱いて居るのか言語化出来ない感覚が付き纏う。
ふと、来た道を振り返ると、魔物の死骸が地表の面積の大半を占めて居る事に気付かされた。
流石に多過ぎないかこれは? と違和感の正体に辿り着いた雫は、【情報神の巻物】のある機能を思い出した。
「ええと、本日、は言わなくても良いのだったか……討伐数を開示? お、おお、出た……何々472体か。経過時間はまだ三十分程度。最近の同業者組合、一日当たりの平均が……豚人で100、狼で60? 大体80体? …………………………誤表示だなこれは。苦情報告を入れて置こう」
地下での努力が報われたのだろう。それでも、精々一・五倍くらいの開きしか無い筈だ。奈央には遠く及ばないだろうが、多少、出来る子になれたと言う点では誇って良い所に違いない。良く頑張って居るな私。
討伐数に多少のずれこそ生じてしまったが、多く仕事が出来る事は大概良い事に繫がる。等と半ば自身を無理矢理納得させた雫は、歩きながら眼に付いた敵を次々と屠って行った。
周囲に魔物の影が見えなくなるや、視界に重なった【情報神の巻物】の表示が、周辺地図を拡大したものへと瞬時に切り替わった。
丁度、他の魔物の位置を知りたいと考えた矢先の事だ。好都合ではあるのだが、一体どう言う原理なのだろうか。【記憶の渠溝】能力者を束ねて一括管理でもして居るのだろうか。謎である。
片っ端から魔物を討伐して居り、逐一天鳥船へ向けて食糧回収依頼を出して居るのを、少しだけ申し訳なく思う。
でも、こうして貴重な食糧源を提供して居る訳で、同業者組合の食糧庫には長期保存を可能とする特殊な冷蔵庫があると伝え聞いて居た。
それに、仮に魔物の死骸をその場に放置しても、何でも食べる事で有名な豚人はそれすらも食すると聞き及んで居る。
過去に鉢合わせになった実例もあり、回収依頼も安全とは言い難いが、どうか無事に職務を全うして欲しいものだ、と雫は心の裡で独り言ちる。
『貴女は何時も誰かを心配してますのね』
突然、頭の上で寛いで居る黒い蜘蛛にそう指摘された。
「別に心配して居る訳では……面倒を掛けて悪いなと思って」
『雫の悪い癖よ、それ』
シュピンネの尖った足先で頭部を軽く刺される。
「え……? どれ?」
ぱっと思い当たる節が無い雫は、抗議の意思を乗せた人差し指でシュピンネの身体に触る。
『心配して居るって事を、して居なかった事にする事よ。心配なら心配で良いじゃない? どうして誤魔化すの?』
「……私、そんなに心配して居る?」
『やっぱり無自覚なのね。心配も気遣いも思い遣りも、言葉は違えど元は全部同じ他人への配慮。貴女は何時だって自分より他人の事ばかり考えて居るわよ。でも、自分が全部の責任を負える様に、一人で抱えて持って行ってしまって居る様に見えるわ』
「その方が後々、楽だと思うけど?」
『責任の所在はね。それでも、仲間は一緒に分かち合いたいって考えるものでしょう。辛い事とか悲しい事とか、一人でどうにも出来ない事を解決してくれた貴女に対しては、特にそう思って当然じゃないかしら?』
そうなの? 当然の事なのだから、終わったら終わったで何も無いと思って居た。それに、誰でも奴隷を解放する事に対して一考すると思うし、12番区画の住人は良い人ばかりだった。私が敵を倒したのは適材適所だったからで、それを可能とする能力に恵まれて居たからで……この考え方がもう駄目なのだとしたら? いや、いやいや、その様な事こそ無いでしょう。私の場合は、その先を考えれば良いんだ。
当たり前の事をしたから、何でも無いから、平気だったから、大丈夫だよ、と言ったのがそもそもの間違いだったのか。何か違う。引っ掛かる部分がある。
考えがぐるぐると同じ場所を巡って居る。解らなくなったら初めから考え直しだ。
「シュピンネ。私は強くなったよね?」
『勿論よ雫。貴女は強いわ。人間の括りに入れればトップよ。ナンバーワンで、オンリーワンよ。貴女は人間の中に於いて極めて特異な最強種族。魔物が怯える唯一無二の存在なのよ。自覚はあって?』
「私が強くなれたのは、誰かが【負情之珠玉】を用意したから。私がそれに適応出来たから。でも、それは私では無い可能性もあった。私でなくとも何とか出来たかも知れない。私以外が私と同じ事をして居れば、結局は地上まで出られたし、新しい働き口も斡旋してもらえた訳で、やはり、私である必然性は無かったと思う」
『偶然に幸福がやって来て、それを運んだのはこれまた偶然雫だったって事? 自身を代替可能な人材だったと言いたいの?』
「その通り。もっと言えば、より犠牲を出さずに地上へと帰還して居た可能性もあった」
『結果論としては、相当に良い成果だったと思うけど?』
「……そうだね。成果だけ見れば上等だったけど、やはり完璧とは言えないよ」
『どうしてそう思うの?』
雫は罅割れ崩れ落ちた元住居であった壁面を、草花が生命力の儘に地を這い生い茂る景色を胸の奥に収め、元の世界との乖離を実感する。
「この辺りを見るだけで、今がこうなって居るだけで、もっとやり様はあったと考えてしまうから」
『それは傲慢が過ぎると言うものでしょう?』
「人間は欲深い生き物だから正解だよ。私が直ぐに魔法を熟知して居たら、もっと早くシュピンネを解放出来ていたなら、地上に出るのは容易だった。今の地上の甚大な被害を、より抑える事も出来た可能性は否定出来ない」
シュピンネの身体は固まり、心の有り様を表す様に縮こまった。
『雫は自分に足りない部分を直視し過ぎて居るわ。誇っても良いくらいなのに……』
自分でも過小評価が過ぎる、その嫌いがあるのは知って居る。多分、皆も口にしないが解って居る。
「これが私だから仕方が無いよ。私の思い描く英雄は何時だって判断を間違えない完璧な存在で、私は地下で皆の勇者にはなれたかも知れないけれど、英雄にはなれなかった。私は判断を間違え続けるから、これで良いんだ」
雫は頭の横に掌を掲げ、シュピンネを手中に降ろした。
その時の表情は喜びも悲しみも無く何とも形容し難いもので、どこか焦燥感を感じたシュピンネは雫の手の甲の模様と化した。
『雫、死なないでね。私、結構貴女の事、気に入って居るのよ?』
「解って居る。シュピンネは絶対に死なせないよ」
『もう!! 全然、解ってないわねっ!?』
「解って居る。二人で――あわよくば三人で屋敷に帰るんだ。それで良いだろう?」
雫は手の甲を一度だけ撫でる様に擦った。
俄に一陣の烈風が吹き遊び、四方八方から身体を揺さぶる。
収まり次第、顔を上げると、遥か彼方、建造物の上に酷く懐かしい顔を発見する事が出来た。
雫と瓜二つの外見、肩を越す程の長さで切り揃えられた髪、あの日別れた奈央で間違いない。
けれど、視線が交錯し、相手が姉では無い事実を一眼で理解させられた。
それは魔法使いの心の色を映し出すと言われる【心象色】が、記憶にある鮮やかな桜色を宿して居なかったからだ。
これまで燻り続けた感情の昂りが、胸の奥底に溜まった黒い澱を舞い上げ始めた。
すると、現実に黒色の小さな粒となり、それに混じって灰色の粒子が、雪の如く天から降り注ぎ出したのを瞳で捉えた。
黒い粒子が身体に当たると、黒刀を持つ腕に力が漲り、身体が羽の様に軽く感じられる。
この分なら、黒い靄の斬撃を幾らでも放てそうだ。人に使った事は無かったが、相手は奈央の身体を乗っ取る程の脅威的な存在だ。手加減出来る相手では無いだろう。
何よりも速く走りたいと願った雫の感情に呼応した黒い靄が、脚を靴下の様に包み込み、次の瞬間、視界が歪んだ。
足許に水面の様に黒い霧が波紋を広げ、気付けば空を駆けて居た。
激痛が生じて左足が捥げるかと思い、慌てて黒い靄を纏わせる。
一キロはあった距離が瞬く間に詰められ、漸く黒い刃が敵に到達した。
その刹那、袈裟切りする筈だった黒刀は、灰の粒子が物凄い速度で集合して形作られた一挺の大鎌に阻まれ宙で止められた。
双方に黒と灰の粒子が飛び散り、身動ぎ一つせず奈央の顔をした何者かが話し掛けて来た。
「お前が、日下部雫だな?」
雫は睨み黒刀を押し込もうと力を入れるが、微動だにしない。一旦、諦めて振り被り、縦、横、斜めと振うが、自動的に回転して斬撃を受け止める大鎌を斬り裂く事は叶わない。
真正面から受け止められたのは、人も魔物も含めこれが初めての事だった。雫は内心、驚愕し、高鳴る自分の心臓の鼓動を耳で拾った。
「正直に答えろ。お前が雫で間違いないな?」
単に距離が近い所為か、感覚が研ぎ澄まされて居る所為か、矢鱈と声が耳の奥に響き渡る。
敵の言葉に妙に惹き込まれる何かを感じ、その虚を突かれて黒刀が大鎌に弾き返される。後退った雫は、後回しにして居た質問をする。
「奈央は死んだのか?」
尋常では無い速度で黒刀を振り下ろす度、大鎌が柄の部分でそれを防いで行く。
「ああ。死んだ」
大鎌が二挺、三挺とその数を増やして行き、上から、下から、真横から、絶妙な角度の一閃を放って来る。その連撃を雫は去し、受け止め、腰を落として黒刀を振り上げ弾き上げた。
「お前が殺したのか?」
右手にも黒刀を創造して持ち、斬り掛かる。敵を守る大鎌は更に一挺、増えて居た。
「それは正解でもあり、不正解でもある」
四挺の大鎌が縦横無尽に各々の意思を持つ様に回転し、斬撃を受け止め、返しの一撃をお見舞いして来る。雫はその斬撃を、黒刀を交差させて防ぎ、無理矢理押し出して薙ぎ払う。僅かに隙が出来たその瞬間を、黒刀一本で去した大鎌に的を絞り渾身の斬撃を加えた。
一挺の大鎌が敵の方へと勢い良く吹っ飛び、眼前に迫ったそれを摑み取った。
「今度は貴女が答える番だ」
雫は宙に浮く大鎌を最低限の動きで避け、己が仇敵の許へひた走る。
「答えられる事は全部答えよう」
手許に戻って来た一挺の大鎌を両腕で胴前に斜に構えると、首を狙った突きを柄で上方に逸らし、黒刀の引き際を見て、二挺目、三挺目の大鎌の刃線を虚空から振り下ろす。
雫は半身になって二挺目を横薙ぎにし、三挺目の斬撃を空中に飛んで加速する事で避けて見せた。
「貴女は何をしにここに来た?」
四挺目の大鎌を見失い、焦りながら尋ねる。
「雫に会いに」
「何の為に?」
「日下部奈央は生きて居る、と伝え――」
「嘘を言うな!!」
自分から出た事の無い刺々しい叱声に雫が硬直し、敵対する相手も驚きで二の句を継げられなかった。
「奈央は死んだ! だから、あんたがここに居るんだろうが!!」
これが嘘偽り無い、本当の雫の感情が溢れ出した瞬間だったのかも知れない。
怨嗟の籠った眼差しは、敵を殺してやろうと言う不倶戴天の意志を表して居る様だった。
頭から作戦が消し飛んだ雫は、敵前に展開される大鎌の障害を叩き斬らんと遮二無二に黒刀を振う。
「はぁああああああああああああああ!!!」
攻撃に迷いは無くなった。相手の大鎌の迎撃も最低限の回避に留める。致命傷以外は無視して先へ、ひたすら怨敵の許へと駆け抜ける。
「邪魔するなっ!!」
黒刀で斬り伏せ、拳で殴り付け、足で蹴り飛ばす。逃げ道が無くなったら空を駆け、黒い靄を唯の足場にして躱し、地上の敵へ向けて突貫する。今まで培った全ての戦闘経験を生かし、大鎌を四方八方へと飛ばす。
現状、戦闘中にあの自律挙動を抑え付ける事は雫には出来ず、シュピンネが銀糸で拘束し、一時の時間稼ぎとして居た。
一見、冷静さを欠いた猪突猛進な暴力に過ぎないが、移動速度と攻撃の重さが尋常ならざるものの為、徐々に押し切られつつある敵の姿を捉え、雫は魔物を斬り裂いたあの斬撃を放った。
シュピンネの助力により、残り二挺となった大鎌に黒い斬撃が走り、僅かに亀裂が入る。
それを見て直感した雫は、黒刀に靄を纏わせた儘の状態で、大鎌を全力で斬り付けた。
すると、大鎌はその形状を保てなくなり、元の灰の粒子へと分解され、空気へと還元された。
これなら勝てる、その意気を削ぐ時期を見計らったのだろう小さい何かが一直線に接近し、雫の大腿を撃ち抜いた。無意識に右手の黒刀を手離してしまう。
それは本当に小さな弾丸だった。敵の手を離れた事で円環を捉える事が出来た。魔法により生成されたものだと、茫然とした頭で理解した。
世界が静止した様な感覚の中、その弾丸だけが動く事を許容されて居る様に雫には見えた。
股関節より膝寄りの部分、歩こうと力を入れるだけで激痛が走った。血液がどろどろと足を伝う温い感触がある。
痛みを我慢して、落ちた視線を直ぐに上げる。敵の手には、魔法で創造しただろう拳銃が握られて居た。見た所、セミオートタイプのもの、あと何発弾丸が残って居るのか。一つの弾倉にたった一発だけしか装塡されて居ないなど望むのも虚しいだろうと、冷や汗を搔きながら距離を取る。
何故かは解らないが、追って来なかった。黒刀を構えて思考する。
拙い拙い拙い拙い。何時、あの拳銃を創った? あと何発、撃てる?
黒刀を振り回した所為も多少あるが、ここは元から開けた逃げ場の無い場所だ。
その速度から軌道を読んでも反応出来ないのは仕方無いが、あの弾丸を喰らった大腿に治る気配が見られない。【設計図】を使った蘇生も駄目で、零れ落ちる血液が止まらない。
足を切り落として再度蘇生を試みるか、或いは敵を倒したら治癒を阻碍して居る効力が消える可能性に賭けるしかなさそうだ。
黒い靄を纏った足諸共貫通せしめたあの弾丸。何発も撃てるものでは無いと禱りたいが、逆に言えば何発も撃たれると、それだけで詰みになり兼ねない威力を孕んで居る。
魔法で強化されて居る防御を突破され、特異な再生能力を無効化されたら、こうも手詰まりになるのかと学習させられる。
短期決戦を余儀無くさせられて居る様で気は進まないが、やるしか活路は見出だせそうに無かった。
『結局、私も賭博師なのか』と呆れ顔になりつつ、今尚滴り落ちる血の繋がりに不謹慎だと解りながらも安堵する。
三十秒は経過して居ると言うのに、敵は此方を見るだけで向かって来ない。
何か動けない理由があるのだろうか。それとも余裕の表れか。
どの様な理由であっても、命ある限り戦い抜き倒すだけだ。愛すべき姉の仇なのだから、殺さないで逃げ帰る選択は選べない。
「お前の力はこの程度か?」
血液が減って居るお陰か、投げ掛けられた奈央の声音に、逆上して飛び掛かる失態は犯さなかった。
轟音を拾える程の突風が砂嵐の様に吹き荒れ、舞い上がった煤の様な黒と灰を運ぶ。
風に流されて視界を横切った小さな灰の形が、灰色に着色された桜の花弁に見えて、徐に空の右手を伸ばして居た。
摑んだ手を恐る恐る広げると、やはり春に舞い散る桜の花弁の形をして居り、微かに桜色の輝きを放った後、唯の灰と同じく崩れ落ち風に攫われた。
そして、あの日の姉の勇敢な背中を思い出して居た。
豚人を殴り飛ばして居たその手や周囲には、桜の花弁が大量に舞い上がって見えた。
それは春と言う季節だけが理由では無く、奈央であってこその魔法に由来するものだったのでは無いか。その閃きが雫の許に新たなる可能性を齎した。
端から諦めを滲ませ半ば決め付けて、ここに来た。希望が残って居るなら、生き残らなければならない。刺し違える選択は無しだ。
雫の黒刀を握り締める手に、力が湧き上がる。
「奈央はまだ生きて居る!」
その言葉を放った時機で、荒れ狂って居た風が凪いだ。
声が敵まで届いたのか、挑発するかの様に微笑を湛えて居る。掛かって来い、奈央の顔と声でそう言って居る幻聴を拾った気がした。
再び風が荒れ出し、雫は駆け出した。
シュピンネの銀糸が優秀なのか、二挺残っている筈の大鎌は一挺たりとも地に縛り付けられ迫って来ない。
あとは心臓と頭を守り抜いて、一太刀を当てて見せる。
他の手を封じた絶好の機会、この機を逸して未来は望めないだろう。
「奈央を返して貰う」
あと五歩の距離で、銃弾が放たれた。
機動力を削ぐか、攻撃力を削ぐか、生命力を削ぐか。雫は一瞬、姿勢を大袈裟に下げて、黒刀を敵に向けて投げ付ける。
左腕が撃ち抜かれ、喘ぎ倒れそうになって尚も加速を緩めない。
敵は直線に飛んで来る黒刀を、右手を添えた拳銃の側面で上方に逸らす様に弾いた。
すると、敵は両腕を上げた不自然な姿勢で硬直する。
腕に巻き付いたシュピンネの銀糸が光って見えた。
その間隙を縫う様に近接し、右手に黒小太刀を創り出し、敵の懐に潜り込む。
首回りを斬り付けようにも、灰の桜が集まり瞬き出して刃を阻碍する。見てくれとは裏腹の堅牢な防壁を展開する。
斬首は諦めて、その儘、黒い奔流を掻き集め、黒小太刀を心臓の位置に突き立てた。
「やあぁああああああああああああ!! 奈央を返せぇええええええええええええええええ!!!」
誠二の思惑により身体を切断された、ある日あの時の痛み全てを思い返す追体験の激痛に苛まされる中、集結する怨嗟の濃縮された漆黒を刃に携えた雫は、桜色に輝く怨敵の防壁を幾度も砕いては穿ち、万感の想いを本源とし我武者羅に灰の桜を突き崩し、じりじりと削って行き、最後の一片を穿つとその勢いを殺さず刺し貫いた。
敵の胸から背後を抜け一筋の闇黒が迸り、酷い疲労感と倦怠感に襲われた雫は力尽き、膝を折ってその場に倒れ込んだ。
三年前の雫は身体の激痛から自身を解放させる為、全身を肉片に切り裂いてしまう逃げに転じてしまったが、今回は最後まで持ち堪える事が出来た。
「はぁ、はあ……はぁ、ん、ぁ……やった……あとは……【設計図】で…………ぁ?」
未だに佇立する奈央の両足が見え、背中まで突き刺した筈の黒小太刀が眼の前に落ちて来るのをぼやける眼で見た。
あの儘、気絶したのかと不穏に感じながらも雫は呼吸を整え、肘を突き立てながら天を見上げると、そこには奈央とは異なる灰の瞳を宿した敵の息災な姿が映った。
「なん、で……?」
それは状況を飲み込めない雫が辛うじて出せた言葉だった。
左胸の位置の衣服には、ぽっかりと大穴が空いて居り、血流を思わせる赤黒い染みが白い服に滲んで見えた。
しかし、致命傷を受けたばかりだと言うのに、その位置には血痕や傷痕が無く綺麗な肌色を覗かせて居る。
「何を言ってる? 【設計図】だろう?」
【設計図】を使える…………?
雫の頭は完全に真っ白になり、稍あって顔色は見る見る内に蒼白へと変わった。遂には見上げる余力も湧かず、身体は地に引き寄せられた。
此方は満身創痍。【設計図】は未だに阻碍された状態が続き、撃ち抜かれた大腿から少なくない血液を失い、意識も大分曖昧になりつつあり、【負情堆積】の多用で身体はもう動かせない。
片や敵は全快で、【設計図】すらも使う事が出来て、銀糸の拘束も持たず、シュピンネを無力化したのか、先程から思念による干渉も点で無くなった。
最初から勝ち目は無かったのか。一矢報いる事は出来なかったのか。
雫は深い悔恨の念に歯噛みし、どう上手く立ち回っても、ここからでは挽回の余地が残されて居ないとの帰結に至る。
身体を動かす事は叶わず、敵の顔はもう拝めないが、雫は最期まで不退の意思を曲げなかった。
「殺せば良い……」
伏せた儘、雫が死を覚悟して発しただろう潔い武士の様な物言いに、敵ながら天晴れとでも感じたのか、もう顔を上げる余力すら無くとも、圧倒的な高みに聳え立つ巖山の如き不動の仇敵は、その姿勢を正して拳銃を何時もより丁寧に構えた。
「見事な戦い振りだった」
姉の声で最後にそう締め括り、引き金を引いた。
その弾丸の残響は、風に紛れて尚も良く響き渡るものだった。




