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レイチェルの末裔  作者: 柏木 裕
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Memo.006 花見月へと至る道 その12

2019年11月24日(20:37) 一部、表現をを修正しました。内容に変更はありません。

 その間、頻りに此方を振り向いては、栄一郎の隣に残った雫を執拗に見て居た。

「行かなくていいのか?」と栄一郎が尋ねた。

「あの手の人間は面倒だ。見るからに面倒そうだが、想像を絶する面倒な部類(タイプ)だろう。それに今は無事に帰る事が大切なのだろう?」

「ああ、全くその通りだ。にしても、隨分と好かれたものだな。会って何回か会話した程度だろう?」

「あの女、ええと――」

「橘久瑠実分隊長だな」

「そうそう久瑠実だった。久瑠実はもう少しで()を手に入れそうだ」

「……それは本当か?」

「荒削りで、制御に時間が掛かるだろうが、今日地上へ初めて出た瞬間、一瞬だが何かを見られたよ。あれはかなり広範囲の部類(タイプ)だ。純粋な自然進化で彼処(あそこ)まで行けるとなれば、この暗澹(あんたん)とした世界でも幾らか士気が上がるだろう」

「見れるだけで戦況が大分変えられるからな。ボキが直接指導した方が良いのか、洗馬に任せても良いし、もしもの時は雫からも洗馬を仲介してアドバイスして貰えないか?」

「それは構わないが……」

 誰がどのアドバイスをして居るか把握されたら、謎の指導員(アドバイザー)として久瑠実に追い回される事にならなければ良いけど。

「所で雫は何処で寝る?」

 栄一郎のがよく解らない事を尋ねて来た。

「寝たら危険では?」

「寝ないと明日持たないだろう?」と栄一郎様は当然の疑問を突く。

「ああ……栄一郎には言って置くか。私には寝る必要が無いんだ。疲れないし、眠くもならない。最初に戦って以来、睡眠は不必要になった。寝ようと思えば寝られるが、体力を回復させるとか、怪我を治癒するとか、頭をすっきりさせる必要すらも無くなった。私はもう人間では無いのだと思う。だから私に気を遣う必要は――」

「解った。今日はボキの居るテントに来ると良い。どうせ一晩中書類仕事をして、明日此処(ここ)を立つんだ。集中力が切れた時、話し相手になってくれないか?」

「了解した。個人的には栄一郎は寝た方が良いと思うが、何か話して見たい気もして居た。具体的にはばっと浮かばないけどな」

 (おもむろ)に栄一郎は雫の頭を撫で始めた。

「栄一郎は撫でるのが上手いな。それとも兄セボ効果か? 世界中の兄が凄いのか、それとも栄一郎だからなのか……あと栄一郎一つどうしても言いたい事があった」

「何だ?」

「少し痩せた方が良いぞ、栄一郎には長生きして欲しいからな」

「あー、うん。痩せないとなぁ」

 栄一郎は撫でるのを切り上げると、まじまじと自分の掌を見た。普段なら少し震えて居る筈なのだが、雫を撫でた後は平気の様だった。

 トラウマ克服に使われて居ると知られたら、怒るか或いは呆れるか、もっと早く言えと溜め息混じりに言われそうでもある。栄一郎は体の良い言い訳を考えて置く事にした。

 何時(いつ)になるかは解らないが、本物の手で雫の頭を撫でてやろう。その頃は、成長して背が高くなって居るか。栄一郎は結構な低身長だったから、今の自分の持つ本当の身体の身長が解らなかったりする。

 握り締められた栄一郎の拳はまだ微かに震え出したが、それでも構うものかと意志を以前より固く持てた。これではどちらが偽薬(プラセボ)効果か解らないな、と独りでに苦笑したのだった。



 自分を害そうとする相手の対処法は簡単だ。生物は首を切り取るか、心臓を貫けば良い。だが、それは極論であり、本来はもう少しだけ穏便に事を済ませた方が、将来的に追跡して来る人数が減って、楽をする事が出来る。判断する人が賢いならとっくに正答を導いて居る事だろう。

 友人の糸作りが大変素晴らしい事も相俟って、捕縛する事により無力化を可能とする。或いは誰にも気付かれない様に始末を付けるか。殺しは巡り巡って自分に降り掛かる。例えば年老いた時、一瞬の虚を突いて刺される何て事は、平和と(うそぶ)かれた旧日本でも良くある出来事だった。人は知らされて居ないだけで、毎日結構死んで居たのだが、今はそれよりもこの侵入者の方が厄介である。

 ここは花見月家に逗留する様になってから与えられた雫の自室である。

 そして、部屋の寝台(ベッド)に眠る雫の前に立つ影が一つ、しゅっと音がして(みの)(むし)に早変わりした侵入者は声一つ出す事が叶わない。

 実際は狸寝入りだったが、態々寝て居ると踏んで侵入して来たのだから、最後まで付き合って上げた方が良心的なのか、それとも解放してさっさと言い訳を聞いてしまうのが正しい選択なのか、雫には判断が付かなかった。

 判断云々より何より、この女物凄く見覚えがあるので、十中八九、否それ以上の確率であの人物である。

 お解り戴けただろうか。橘久瑠実元分隊長、現雫の側仕えなる役職となった言わば家政である。家政である為、家政婦の服を身に纏い、この様な時間、午前三時に主人である雫の部屋に忍び込み、恒例の西瓜割りでもしようと言うのか、床に転がった木刀が物悲しさを醸し出して居た。

 雫は力をひけらかして居ない。だと言うのに、初対面の時の一瞬、久瑠実の不完全な【記憶の渠溝】が、雫の中にある膨大な負の感情を視覚的に捉えてしまったのが問題だった。

 最初の頃は、久瑠実もあれは何かの見間違いだと思って過ごして居たが、走って捕まえ様にも悉く逃げ果せる雫の瞬発力が、とてもでは無いが常人のそれとは考えられず、疑心の種はすくすくと育って行った。

 勿論、栄一郎も洗馬も厳重注意をした。が、久瑠実は理解不能な謎理論を掲げ、『雫ちゃんは絶対強いんです! 信じて下さい!』と締め括っては痛み分け、何方(どちら)かと言うと久瑠実の一人勝ち状態となり、こうして夜に強襲を仕掛けて来る迄になった。

 だが、今一度、冷静に考えて見て欲しい。ぐっすりと寝て居る自分より年下の女の子の頭に木刀を振り下ろしたらどうなるのか。正解は蕃茄(トマト)事件だ。半透明の薄膜(オブラート)に包むのを止めれば、普通に殺人未遂か殺人事件だ。

 無論、雫の防御力は木刀に負けないだろう。蚊に刺された(あと)程度には腫れるかも知れないが、所詮その位だ。

 だからこそ、解せないものがある。久瑠実は雫を強者だと半ば断定して居る。それを証明する為とは言え、ここまで常識外れな行動を起こすだろうか。久瑠実の行動は突飛過ぎて、目的が見えて来ないのだ。

 埒が明かない。こうなったら行程(アプローチ)を変えよう。雫は友人ならぬ友蜘蛛のシュピンネにある思念を送る。

『利尿作用のある一過性の毒を彼女に。後遺症残らない程度で作れる?』

『悪趣味が過ぎますわよ、雫。でも、言う事聞いちゃうわ。何たって貴女の頼みですもの』

『【情報神の巻物】で一部始終の撮影も頼みたいな。揺すりのネタにしたいんだ』

『最近、増々磨きが掛ってますわね。素晴らしきサディスト振りですわ。最高よ。何時かとことん虐め抜いて貰いたいわ。予約の席、空けて置いてね』

『……機会があればな』

『んーもう、最高ね雫は。やるわ。完璧にやって。完璧に虐められて見せるわ!』

『では、頼んだ』

 掌台の黒蜘蛛は曾て雫を地下闘技場に縛り付けて居た存在であり、人間の話して居る言葉を理解出来る極めて高い知性を持つ蜘蛛でもある。

 幾度となく人間の身体に寄生させられたお陰で、どの脳波がどの言葉に当たるかを特定する暇潰しを繰り返した経緯があり、日本語が流暢だ。その過程で【心象色(ヘルツファルベ)】と糸などで直に接触しなければならないが、【記憶の渠溝(メモリスロット)】も獲得して居る割と危険度の高い蜘蛛だったりもする。

 だが、元々野生の生物である為、シュピンネ自身の及ぶ相手かどうかの見分けは付くのだ。雫はヤバい、と言う言葉を体現するに相応しい超危険人物だった。

 動きが早すぎて特異な蜘蛛に進化したと自負のあるシュピンネでも、即死を覚悟する相手だ。体面積が小さいから攻撃が当たり辛いと言うのは、速度が同程度の場合のみ通用する規則(ルール)だ。雫には適用されない。加えて自慢の毒も、通用しないと言う反則な一面もある。

 紙と分離された直後、初めは雫が怖くて震え縮こまって居たが、『今日まで共に戦って来たんだ。一緒に行かないか』と手を差し伸べて来た事に衝撃を受けた。

 知性があるとは言え、魔物に優しい言葉を掛けて貰えるなど、想像だにして居なかったが、シュピンネは故郷にはどうせ帰れないのだから、と雫の手に乗った。

『不束者ですが宜しくお願いね。私はシュピンネって言うの。名付け親はとっくの昔に死んじゃったけど。気に入っているからこの名前で呼んで下さいまし』

 まだ余り経って居ないシュピンネとの出会いに思いを馳せ、雫は寝台から起き上がり、窓硝子を滑らして寒気を室内に取り込む事にした。

 口許をぐるぐる巻きに、身体を逆さに吊るされた久瑠実は唸り声を上げるのが精々で、突然起き上がった雫に眼を剝いた。当の雫は久瑠実を見る事なく、どう言う訳か部屋の換気を始めた。まだ外気温は結構寒いのにも関わらずだ。

「おやおや、久瑠実さん。ここの寝台(ベッド)それ程気に入って居たのですか。お譲り致しますよ。私は来客室を使っても良いと言われて居ります故、ご心配なさらず」

 白々しい棒読みを完遂させ、天井に伸びる糸を緩め、蓑虫となった久瑠実を両腕でひょいと横抱きにすると寝台に寝かし、何か言って居る様だったが気にせず自室を後にした。

 朝が待ち遠しい気分になるのは久方ぶりだ。陽光が射し込むからかも知れない。事が済み次第、シュピンネに精神感応(テレパシー)で知らせて貰う約束をして、来客室へと直行した。


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