Memo.006 花見月へと至る道 その9
※少々、不快なシーンがありますので、ご注意して拝読される事を推奨します。
2019年11月25日(08:26) 一部、表現を修正しました。内容に変更はありません。
◇ ◇ ◇ ◇
花見月は先代の当主就任を機に、変化した。
それまでは、手を血腥く汚す暗殺行を生業として居り、地下牢で奴隷まで飼う始末。
性奴隷に寝首を掻かれるのを嫌った歴代当主は、専ら戦闘奴隷を飼育する事に執心し、みすぼらしく無い衣服、食糧、住住と幾らかの給与の保証をする事で、屈強な護衛を何人も侍らせて居た。
当主自身も殺しのプロである中、残りの十数人は地下で無敗の勝率を一定以上維持した兵が常に五、六人は張り付いて警護に当たる。
先代の花見月当主と洗馬は、この現状を逸早く変えなければならない事情があった。
それは着々と差し迫りつつあった【災厄の日】の訪れだ。
腐った旧家は何処も彼処も、自分の身一つさえ守れればそれで良いの一点張り。
備蓄した食糧が三年あったとし、節約して延命が叶った所で、その後の事を何も考えて居ないのだ。
彼らは皆、口を揃えて宣う。自分を守る楯は幾らでも居ると、矛は腐るほどあるのだと。
元の花見月もそれを宣った愚か者の一族で、下剋上を成し遂げようとする花見月先代と洗馬は、そこに取って代わる計画を企てた。
計画と言っても機会を覗って、真正面からの殴り込みを掛ける実力行使だ。愚かな当主と数名の護衛は厄介極まりない奴等だったが、辛くも勝利を捥ぎ取る事が出来た。
その後遺症の所為で、先代は長く生きられないとする理由が次の通りだ。魔法関連にも精通する賢医に太鼓判を押された。
その病名は魔呪哩蚊症候群、自身の持つ魔法が標準状態より強くなり、その魔法を再び放つ為に必要な冷却時間が、極端な例だと三十秒が五秒となるなど大幅の加速を見せたりする。加えて魔法の効果範囲が最大で一哩、詰まり1・6キロメートルにまで膨張した空間への干渉が可能となる。
一見して単に強くなる利点へ注視してしまいがちだが、この病名には呪法の呪の字が入って居り、呪いの側面を併せ持つ。一般的な蚊の印象通りその人の魔法の源、迺ち記憶を徐々に搾り取って行く。現在根本的な治療法が無い事もあり、非常に厄介な死病と認知されて居る。一般的に発病から半年から長くても一年足らずで死に至るとされる。
閑話休題。その日から数日後の事、一人逃亡を図った旧当主の愚息、花見月伸明を屋敷近くの廃屋で発見した。逃げ足の痕跡を全く隠せて居ない事から、掲げて居ただろう教育方針は愚か、危機管理能力も低く見積もらざるを得ず、愚息の能無し具合は噂以上に追隨を許さない段階で悪化の一途を辿って居り、二人の気力を削ぐには十分だった。
とある一室の寝台で、ぶくぶくと肥え太った肢体が覆い被さり、荒い息を吐きながら上下に規則的に揺れ、下に居る小さな何かに掠れた様な喘ぎ声を出させて居た。余りに悍ましい光景に洗馬は絶句したが、花見月の当主は唯冷静に徹して膨れ上がる憎悪を携えた刃に乗せ、剣を降り下ろした。その剣には微塵も迷いが無く、一声も発させる事無く首を切断して見せた。
救出されたその子には見覚えがあった。ある計画の生き証人で、研究に役立つ魔法を幾つも創り出した優秀な子だ。急な施設の襲撃に紛れて命辛々脱出した所、待ち構えて居た伸明に見付かり敢えなく捕まったそうだ。
当然にして、その子は酷く震えて居た。この世界はあと数日で、【災厄の日】に至ると言うにも関わらず、人間の欲求は底を知らぬと言わんばかりに彼の者を遣わしたのだから。
生き残るでも、強くなるでも、逃げるでも無く、唯の精神緊張の捌け口とする為だけに、研究所の近くを見張って待ち続けて居た屑の所為で。その子――栄一郎は、その思考を停止した浅慮な行動に恐れ慄いた。
栄一郎は大粒の涙を流し拭っては、啜り泣いて居た。
『子供だから、男だから、大丈夫。妊娠したりしないから平気。女の人に比べれば辛くない。苦しくない。そう思えば思う程、心の中に澱が溜まり、暗い色素に埋め尽くされて行く自分を止まらない涙で理解してしまう。乱れた服を着たと言うのにまだ寒い。ずっと怖い。誰かに助けて欲しい。助けてくれた? 頭の中がぐちゃぐちゃだ。支離滅裂だ。どうすれば良かった? 僕の生みの親である父も母も死んでしまった。あの物凄く強い人も恐らく瓦礫の下敷きだ。助かっては居ないだろう。もう僕は一人ぼっちじゃないか。いや……まだ家族が居る。たった二人の僕だけしか知らない血を分けた家族が』
決心とも呼べない女々しい動機を糧に縋る事で、ふら付きながら立ち上がると、栄一郎は点で収まる気配の無い震える手の儘に、当主の服の裾を摘まんだ。現状、戦闘力皆無の栄一郎が生きる術は、誰かに代わりに戦って貰う手段しか残されて無いからだ。
当主は栄一郎を花見月に連れて行く事にした。とても捨て置く事の出来ない幼子の姿に、洗馬もこれに異存を唱えなかった。
栄一郎は既に男性恐怖症になって居た。だが、男性が駄目で女性が丸切り平気と言うものでも無いらしく、人の温もりとでも呼ぶべき温かみを直接肌で感じると、途端に嘔吐してしまう様になって居た。下手に近付くと全身から玉の汗が出始め、脱水症状を引き起こしたり、食べ物も喉を通らなくなる事が多々見受けられた。
兎にも角にも、普通の生活が送れる程度まで快癒させない事には、危なっかしくて眼も離せないと考え、当主はある一計を案じた。
栄一郎の魔法の性質は緻密な制御を容易とするものだ。生まれが特殊故に独特の感覚があるのだろう。身体に接触した部分であれば、相当難易度の高い精製魔法を纏う事が出来た。火、水、風、雷、土、あらゆる魔法の制御もごく至近距離であれば息をする様に熟して見せた。
その為、当主はこの精製魔法を二十四時間寝て居る間も継続して身体中に張り巡らせる様に訓練させ、二週間ほどの短期間で達成させた。
そして、栄一郎は新たなる身体を構築した。彼が最も忌むべき存在の顔と身体を継承したそれは、質量を持つ現実と変わらない幻覚として、実際に触れ話す事が出来、その重量を感じ、剰え見た目通りの歩き辛さ迄さえも忠実に再現して見せた。
伸明と言う隠れ蓑の存在は、栄一郎にとって非常に有り難いものだった。直に触って居ないと言う圧倒的な安心感から、これで同性異性への接触が叶い、吐く事も無くなったからだ。
元とは比較にならない形へ変質させる。体形変化の擬態能力は、未だに命を狙われる花見月にとって得難い長物だった。多少、素行が変わり怪しまれてしまうが、逃げなければならない時は元に戻れば別人として誰の眼にも留まらない事だろう。
それに見た目が兎に角、醜悪なのだ。豚人と言うか何と言うか、こう昔ながらの権力を笠に着た女と金に汚い貴族の印象が最悪で、それが栄一郎にはとても魅力的に映った。これで好んで誰も近寄って来ないと思われ、心理的な距離感に歪ながら安堵を取り戻す事が出来た。
同時に、花見月家の先代当主は、時が来れば栄一郎に当主の座を譲り渡す積もりだと、洗馬だけに語って居た。洗馬自身、従者の方が身の丈に合って居ると考えて居た為、親友のその意向を推した。
それは少なくとも数年後の話になる予定だった。だが、歴史の転換期とでも言うべき、その時は唐突に訪れた。豚の大群を率いて敵はやって来たのだ。
過ぎて見ればこの三年間と言う歳月はあっと言う間だった。故に、三年間過ぎても尚、何処かで栄一郎の家族が平穏に生きて居る可能性は、皆無とも言い換えられる低確率だ。
そこに洗馬がお歴々の邸宅を食糧事情の監査で巡って居る最中に、小耳に挟んだ噂話から探り、地下闘技場の尋常では無い情報を齎した。
赤子の時、以来見て居なかったが、闘技場で鮮やかに戦うその容姿は、今は亡き母の俤を色濃く受け継いで居る様に栄一郎には感じられた。
そして、海の底の群青を想わせる蒼の瞳の煌めきに眼を奪われる。恐らくは【記憶の渠溝】に目覚めて居る証左だ。それが目下の一番の問題だった。記憶を読める可能性がある。それがどう言う事かを説明するのは至難の技だ。精密な魔法操作を得意とする栄一郎でさえ、自身の周囲一メートルの範囲内で無ければ相手の考えを読み取れないのだから。
だが、考えて見て欲しい。自分の周囲十メートルだけでもそれが出来たらどうなるのか。仮に飛び道具を封じた近距離戦闘だと、その優位は不動のものとなるだろう。その範囲がもっと広ければ? 真正面や両側と言った視界だけでなく、後方も含む全方位の攻撃を見切る事が出来るなら?
それだけでも十分過ぎる程の脅威なのに、治癒魔法の類いまで独力で習得して居り、一時に使える治癒範囲や治癒力は未知数。少なくとも主要な血管に深刻な損害が出ても、走り回りながら治癒する事が出来るのは確認済み。剰え神懸った戦闘感覚まで有して居る。
その動画を初めて眼の当たりにした洗馬は、この栄一郎と連なる姉妹の片割れだと覚しき少女が敵に回る可能性を考慮し、懐古の念すら抱けぬほど昔の戦いに身を震わせて居た怯懦だった性格を顕著に思い起こさせた。
人には絶対に超えられない壁がある。その壁を取り払ったかの様な暴力。勝負を挑もうなど死にに行くに等しき愚行だ。
唯、一つ活路があるとするならば、力に飲み込まれず未だに理性を保って居る事だろうか。
栄一郎は必ず彼女を救助すべく動き出すだろう。その時に至らずとも解る。十中八九、誰も彼も役に立たないのだと。そして、栄一郎たった一人がその場に足を運ぶ事こそ、最も危険度が低く成功率が高い作戦になるだろう事を。
本来、慈しむべき我が子の様に、手塩に掛けて育てて来た栄一郎を、見す見す死なせたくなど無い。
しかし、本当の繫がりを持つ家族が見つかる奇跡は、魔物の蔓延るこの世界でそうあるものでも無い事も承知して居た。
諦め受け入れるしか選べなかったものが、選べる様になる。
一心不乱に仕事へと傾倒し、日に日に窶れて行く栄一郎が、自身を常に切迫した状態に置く様は不憫で見て居られなかった。
これ程、他者の持つ才能に羨望した事が過去にあっただろうか、と洗馬は年甲斐なさを嘆きながら、栄一郎へと連絡を入れる事にした。
既に四月中旬だと言うのに、まだ肌寒さを感じる今日この瞬間の選択が間違って無ければ、何れ心温まる昔話になるだろうと信じ、視界に映し出された電話の図記号へ指先を伸ばした。
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