Memo.006 花見月へと至る道 その8
2019年11月21日(19:04) 誤字を修正しました。内容に変更はありません。
番犬たるケルベロスが守って居たとされる背後の空間は、閑散とした開けた空間だった。
等間隔では無かったものの、亀裂の入った建物や大破した住居が草に埋め尽くされて居る、何とか道と呼べなくも無い通路を移動して来たが、そこにはここ最近見る事の無かった灰黒色の混凝土が不自然極まりない円形を成し、一メートル程の高さまで盛り上がって居た。
それを取り囲む様に、薬草や珍しい花々、植物の蔓が地を這い緑の島化の影響を受けて居るのが瞭然で、余計に浮いて見える。
ここを探索した報告は過去に二度あったが、これは流石に一般人でも怪しいと思う段階に達して居ると言わざるを得ない。
何しろその盛り上がった円の台に栄一郎が近付くと、ゴゴゴと轟音を響かせ、誂えた様な石の段差が何処から途も無く出現し始めたのだ。
これには、久瑠実は愚かさしもの洗馬さえ、この現象に己が眼を疑った。
何時からあったのだろうか。どうして今まで発見されなかったのか。ここまで明ら様な外観と仕掛けなら誰でも気に留める筈。
それぞれが似た様な事を考え倦む中、意に介さず栄一郎がその階段を単身で登り始めた。
「え、ちょっと」と久瑠実が声に出してしまった事を失敗に思いつつ、洗馬に視線を送る。
えっさよっこらさと円の台まで登ると、栄一郎の眼前に奥が暗くて見通せない石段と同様の見た目の無骨な入り口が出現した。栄一郎は振り返る事無く、その入り口へと足を踏み入れた。
行っちゃうよアレ? いいんですか教官!?
久瑠実の他、天鳥船の一同が、栄一郎の入った明らかに怪しい入り口と、それを見守る様に台の近くに立つ洗馬の背を交互に見て、どうして良いか判断が付かず困惑の表情を露わにした。
数秒で栄一郎の背は見えなくなり、堪らず久瑠実は手を挙げる。
「宜しいでしょうか。教官殿!」
声に答えんとばかりに謎の入り口を背後に立ち、分隊の一人一人へ注がれるどこか悲痛な洗馬の視線に、ある程度の答えを予見する事が出来た。これは良くない話だと、胸に溜まる澱をひしひしと感じる。
「皆の聞きたい事は、承知して居りますよ……この時より二時間、遅くとも三時間、陽が沈む迄それが目安となりましょうな。栄一郎様がその時までに戻られない場合は、我々だけで花見月へと帰還するのです」
未知の魔物であるケルベロスとの遭遇や戦闘が、冗談や不意打ち企画と言う邪推を打ち消す働きをした。たった今、洗馬が放った言葉は虚言でも戯言でも無く、遵守するべき命令と言う事になる。迺ち、それは花見月の最高の決定権を持つ栄一郎の意思によるものと言う事だ。
「栄一郎様は、お一人で危険は無いのですか?」
「極めて危険でしょう」しれっと洗馬が答えた。
「なっ!?」と分隊の多くの者が動揺を抑えられなかった。
何故? 栄一郎様を見捨てるお積もりなのか? まさか、洗馬さんが裏切ったのか?
これまでの栄一郎や洗馬の親愛の情とでも呼ぶべきものを、手を伸ばせば触れられる程の距離で見て肌で感じて来たのだ。ここに佇む誰しもが、直ぐ様その場で自身の首を振って否定する頃には、周囲はしんとした静寂に包まれた。堂々巡りに陥って居る。
洗馬は先代から花見月の当主の右腕だった。先代と旧知の仲だった事もあるが、洗馬の栄一郎に対する忠義とは別に、親心に近い慈しむ心遣いを屋敷で良く見る機会があった。
栄一郎は不眠不休で何日も執務室の机に張り付いて勤しんでは、気分転換と言って渡り廊下の柱を背にし、分隊の稽古をぼけっと眺めて居る姿を結構な頻度で見掛けた。その都度、洗馬に発見されては、やんわりと叱られて力無く弱々しい反論を口にする栄一郎の姿は、丸で身体だけ大きくなった子供の様なちぐはぐな印象を与えた。
今や不思議な日常の風物詩だが、『また栄一郎様が仕事のし過ぎで怒られてるぞ』と誰かが傍目に言い、『何であれだけやつれるほど働いて痩せないんだろうな?』と迷宮入りの謎を問う。これを見るとどう言う訳か、苛酷で殺伐とした実践さながらの稽古の中であっても仄温かいものを手放さずに済んだ。
曾て当たり前に持って居た家族と言う概念を懐かしみ、何時しか取り戻してやろうと不滅のやる気を振り絞らせる。そう思わせる程には、栄一郎と洗馬は家族の枠組みに当て嵌まる様に見えて居たのだ。
分隊の皆が理解に苦しみ、難題により押し黙って居ると、徐に洗馬が喋り始めた。
「私個人としては栄一郎様に付いて行きたかったのですが、今の私では足手纏いにしかなりません。それ程に危険な相手が栄一郎様を待ち受けて居るのです」
は…………? 洗馬さんが足手纏い?
聞き取れた欺瞞とも取れる言葉の意味を俄には信じられない。幻聴魔法を掛けられたと言われた方が、まだ幾らか説得力があるとさえ感じられる。
背景が解らない為、栄一郎を窮地に立たせる洗馬、その気味の悪い構図が、正体不明な恐怖を齎すだけで、不快感ばかりが胸に募って行く。
「なら、尚更私たちが付いて行くべきなのではないでしょうか?」
隊長として、個人として、恩義に報いようと切磋琢磨して己を鍛えて来た久瑠実は、差し出がましいとは思いつつも、口を挟まずには居られなかった。
分隊全員から注がれる煌々と滾る眼力は、有無を言わせぬ気迫に満ち、洗馬に次なる説明を促して居る様だった。
沈痛さを滲ませてこそ居るが、怯えの色の覗えない凛とした分隊の面構えを見遣り、『成らず者共が、よくぞここまで強くなったものだ』と感慨に浸りながら、ならば此方も誠実さを示そうと方針を変え、未来への投資をして置く事にした洗馬は、懐からある封筒を取り出した。
常日頃から胸許に忍ばせて居た辞表と書かれたそれを【情報神の巻物】に写し出し、この場の集う仲間たちへ重要案件として配信する。
後方に並び字を判別出来ない者は、独りでに立ち上がった【情報神の巻物】が眼前に広がり、洗馬の手にする封筒の意味を知って絶句した。
久瑠実や一部の察しの良い者はもう勘付いて居た。先ほど洗馬の言った同行の意思と足手纏いの発言は、本来伝えずに伏せて然るべき情報だった事を。これから語られるだろう言葉もまた、自身の花見月での立場を危うくする程の秘密である事を。
そして、それを聞くからにはここで踏み止まる事を肯定して貰う。例え、ここに居る分隊全員と剣を交えてでも栄一郎の後を追わせてなるものかと言う不退転の決意は、会する一同の心胆を寒からしめた。
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