Memo.006 花見月へと至る道 その7
2019年11月25日(08:24) 一部、表現を修正しました。内容に変更はありません。
護衛対象が栄一郎だけである行きは、異常と言える程、順調に進んだ。
出発から丁度三十分と言う所で、子鬼三匹と遭遇するも、呆気無く討伐出来た。
子鬼は自身の糞尿を混ぜた特有の毒を用いたみすぼらしい武器を使うが、集団且つ巣穴に下準備無く飛び込まない限り、それ程危険度は高く無い手合いだ。中には魔法を扱う個体や腕力に秀でた個体も出るが、二年と言う下地のある天鳥船の一員が遅れを取る事は無い。
それから一度も魔物と遭遇せず、嫌な静けさの中を慎重に進むと、あと僅かまで迫った目的地への道をその巨体で塞ぐ敵の全貌を捉えた。
三つの頭を持つ狼では無い四足歩行の獣。見た事は無い。同業者組合の魔物情報を共有する【情報神の巻物】を開いても、その魔物の情報は未確認だった。あの顔の大きさだと、人の頭を嚙み砕くのも訳無いだろう。鋭い爪の尖った前足で払われただけで人は致命傷を負い、空を舞っては地面を転がるだろう。下手すれば一撃で死に至る可能性も有り得る。
この魔物がここに陣取った所為で、他の魔物が寄り付かず会敵しなかったのだ。脅威度の跳ね上がる高位の魔物が、近くに潜んで居た報告例は過去に何件かあった。それでも、運良くこれまで眼する機会が無かったので、迂闊にもその考え自体除外して居た事が悔やまれた。
しかし、久瑠実は今回の依頼に関しては心配して居なかった。あの鬼教官である洗馬が同行して居るからだ。一方的に助けて貰う積もりは毛頭無いが、側に居てくれるだけで非常に心強い存在である。
唯、この状況は異質だ。栄一郎が態々、天鳥船の精鋭を呼び寄せてまでした極秘の依頼。それもその時点からの強行軍と来て、高位の魔物の出現。出来過ぎて居る。
何者かが、意図的にこの場所へと魔物を誘導し配置したのでは無いか、久瑠実はその深読みが当たって居る気がして不安に駆られた。最近、不幸寄りの勘が良く当たるので、増々恐ろしくなる。
「兵に守護を与え給え。神聖なる楯」
久瑠実が分隊の防御力を一時的に上げる魔法を掛け終えると、視界に重なって見える【情報神の巻物】の情報が更新され、魔物の名称が再表示された。
対象の魔物名はケルベロス。備考が冥界の番犬、と異様に怖い追加情報だ。番犬と言うからには、何か大事な物や人や場所を守って居そうである。目的地で加わるとされる救助者御一行は、余程、重要な何かを持って居るのだろうか。
四足歩行の魔物は大体、素早い動きをする魔物が多い。その為、第一に一瞬だけ動きを封じる事、第二に機動力を削ぐ事、この時出来れば致命傷を与えたいが、深追いはせずその行程を二度三度と繰り返し、着実に弱らせて行く事が肝要とされる。
先ず初めに着手すべきは、俊敏な動きを止める事だ。
前衛部隊の八人は、前、後列に四人ずつ肩を寄せ合い横並びになると、魔法の輝きを帯びた一回り大きく、分厚く、頑丈になった楯を構える。
後列は各々前列の背中に楯を当て、吸着の魔法を掛けた。普段は狼に押し負けない目的のものだが、今回は前列への攻撃を上手く受け流す役割になるだろうと、後列四人は足許の重心を意識した。
本能の儘、駆け出したケルベロスは、前衛まで距離を詰めると、楯ごと噛み砕かんと獰猛な犬歯を縦横無尽に覗かせる。
喰らい付いた楯は頑強で、傷付いた側から星の如く瞬いては綺麗に修復された。
幾度か試みた様だが、三頭とも噛み砕く事は諦め、突進しながら首を下から上へ振り上げた。
「彼の者らを大地へ伏せ、万有引力」
最前列が吹き飛ばされ掛けるも、久瑠実が後列を重くする魔法を施し、直ぐに無事着させる。
「魔法部隊、氷槍準備、狙うは眼球」
杖を天へ掲げた久瑠実の指示に従って詠唱が開始される。
復帰した前衛が楯で、ケルベロスの顔を殴り付け、その儘、押し返す事に成功した。
その間隙を久瑠実は逃さず、容赦無く杖を降り下ろした。
「放て!」
ケルベロスに殺到する氷の尖端は、左、真ん中の二頭の眼球に突き刺さり、全てでは無いものの目論見通り視界を奪い去る。
地面や建物に構う事なく頭を我武者羅に振り回し、前足で無理矢理、露出部を折った模様だが、この氷槍は反しが付いて居る特別製で抜ける事は無かった。
幾ら自己再生を試みても顔の表面が治るだけで、氷槍の刺さった状態では、無形の粘液生物でもなければ不可能だった。
低い唸り声を上げ、此方を捉える双貌は最早、右頭のみとなった。他の二頭も咆哮を上げるが、視界を奪われ頭に血が登って居るのか、部隊の居場所とは微妙にずれた位置を向いて居た。
「前衛部隊、楯を右頭に貼り付けて一時後退。剣槍部隊は左側面で待機、常に死角に回り込んで。私が加護を付加する」
最前列の四人は楯で猛攻を防ぎ付けながら、間を見て右頭へと体当たりし楯を離した。
刹那、足音と嗅覚、ぶつかった位置から、失明した二頭の空を噛み締める咀嚼音が前衛たち四人の耳に届いた。
吸着の魔法を行使して居た後ろの四人が、一気に後方へ引っ張られ、寸での所で最前衛の四人も能動的にそれに牽引された形だ。
久瑠実が魔法部隊に追加の攻撃魔法の詠唱を中断させ、代わりに引力の魔法を唱えさせる。綱引きの要領で引き寄せられ、それが辛くも間に合ったのを見計らい、久瑠実自ら詠唱する。
「聖なる楯よ、その務めを果たし無に帰さん、大爆発!!」
ケルベロスがどれだけ牙を突き立てても砕けなかった楯は、忽ち砂の如く崩れ出し一際煌めくと、辺り一面を砂埃で覆い隠す規模の爆撃を引き起こした。
一斉に地面に膝を付けて屈み、各自吸着を使い爆風に備える。
凌ぎ切って顔を上げると、久瑠実は手慣れた動作で視界一杯に【情報神の巻物】を広げ、まだ回復し切らない視界の先にケルベロスと覚しき巨大な影を収める。
緑色の発光枠が、視界の端から中心へと狭まり獣の形を象った。瞬きも忘れ情報の更新を待つ。
対象、ケルベロスの生命活動停止が確認された。
久瑠実は念の為、慎重に立ち上がり、構えを解かずに視界の確保を優先する。【情報神の巻物】の前で、死んだ振りは出来ないかも知れないが、相手は未確認の個体、努々油断してはならない魔物だ。
砂埃の中で捉えた影へ向け、魔法で総攻撃を加える事も一考したが、消耗戦になった時、取り返しが付かなくなる事を懸念すると無駄打ちは却下だ。魔法は有限でも、敵は無限と言える程に湧く。
ここは目的地だが、無事帰還するまで護衛し続けなければならない。もしも、何らかの蘇生魔法を使える特殊個体であれば、一時撤退も已む無しだ。そう言う判断を下さなければならない事も久瑠実は視野に入れて居た。
宙に舞う遮蔽物はもう落ち切った。
魔物は首許までごっそりと無くなって居り、身体の表面や首の繫がって居た三つ又の首の断面は黒ずんで焼け爛れ、今も尚、大量に零れ落ちる血が溜まり場を広げて居た。三頭あった頭は見る影も無く、胴体だけが地面に崩れ落ちて居る。天鳥船の一員は掠り傷を負った程度、十分に勝利と言える。
細かい事を挙げれば、楯を犠牲にした大爆発であっても、全身を破砕させるには威力が足りなかったと言う事でもある。
毛皮による魔法耐性か、単純な防御力が高いのだろう。その辺りは得意分野の人に任せて調べて貰うしか無い。
結局、待機させた儘になった剣槍組を、ケルベロスの剝ぎ取りに向かわせる。あれで魔物が根性を見せ立ち上がった場合は、刺して斬って貫いての原始的な戦いへ移行しただろうが、安全第一で前線に出さなかった事に対し陰口を言われるかも知れない、と久瑠実は嘆息を吐いた。
今回の戦闘は物凄く円滑だった。酷い怪我をした者は誰も居らず、あっても唾を付けて置けば治る段階の掠り傷、擦り傷だ。魔法の使い方も悪く無かったと言えるし、全体の連携もどんどん良くなったと感じられる。
創設当初からの組合員は今回の戦闘過程に不満を持つ者は居ないだろう。だが、先月に加入した新規の分隊員で、特に自分と同じか少し下の年齢の男性からしたら、久瑠実は眼の上の瘤でしかない。
久瑠実は、普段、後ろから指示する人で、最後に止めを刺して、一番美味しい所を持って役柄だ。分隊には年功序列を掲げる青年や中年の隊員も少なからず居て、言いたい事が無い訳では無いが、実力があり実際に統率する能力も持ち合わせて居るので、今更物申したりしない。魔物対策で、ここはこうした方が良い、悪いなどの意見交換も頻繁に行われて居り、何度も改善させて来た。適当に誤魔化す事なく取り組む久瑠実の態度を見て、皆納得したのだ。
此奴は若いのにしっかりして居るから、俺たちが支えてやらねえとな、と。
とは言え、新参者はその諸事情を知らない。
この旧東京では、管轄の洗馬の苛酷なる試練を達成した者のみが、同業者組合の有資格者だと認められる。念願、叶って同業者組合――天鳥船に入って見れば、一番危険且つ重要と教わって居た役職に、年端も行かない小娘が就いて居るのだから、巫山戯るなと言いたくなる気持ちも解るのだ。
現に久瑠実は魔物の解体や剝ぎ取りを剣槍部隊に任せて、【情報神の巻物】で魔物の詳細情報の解析や共有を魔法部隊にして貰い、解体して塊状にした肉を前衛部隊に運ばせて居る。
何もやって居ない訳では無いが、戦闘を見守って居た洗馬と今回の反省点を洗い出して居る最中だった。
基本的に問題は見られない。安全面も考慮した戦い方で、完璧でこそ無かったが、未知の魔物の対処としては八十点を付けたいと、予想して居たより隨分とご機嫌な評価に「ありがとう御座います」と久瑠実は頭を下げた。
ここに来て洗馬が、目立った疑問点を追及する。
「此度、剣槍部隊を出さなかったのは、どうしてでしょうか?」
「皮膚や毛皮、全身の魔法防御力が高く、刃が通らない事を懸念しての事です」
「多少、傷付いても貴女が居るのだから、致命傷だけ避けて戦う事も可能でした。本音を隠さず、伺わせて戴いても宜しいですかな?」
真相は碌でも無いが、今後に関わる重大な案件だ。ここは嘘を見抜ける様に、敢えて当たり前の主張をして置いた。実際にやれば剣や槍の攻撃は通っただろう。もっと楽に倒せた可能性もある。
「……先月、加入した新人の三名の剣槍部隊員。素養は高く、身体強化なども先ず先ず、自己治癒も十針程度の怪我なら時間を掛ければ治せるので、優秀と言って良いでしょう。ですが、その……連携が下手と申しましょうか。一寸した依頼の時は何事も無いのですが、今回の様な珍しい魔物や特殊個体などが出ると、単身で突っ走ったり……指示した場所に居なかったり……そもそも指示に従わなかったり……と言う有り様でして、それに巻き込まれた隊員は死に目に遭って居るのです。もう、彼此二十回程になります」
「そうでしたか。何かあってからでは遅いですからね。どうしたものでしょう。因みにお名前を伺っても良いですかな?」
同姓同名の文字違いがあるかもと考えた久瑠実は、眼下に表示された触れられる【情報神の巻物】に書き込み、洗馬に手渡した。
「此方に記入しました。須藤ジュライ、天ヶ崎芽依子、千代田正和の三名です」
久瑠実の声に耳を傾けながら、洗馬は渡された【情報神の巻物】を凝視した。普段ならもう返事が返って来て居る。沈黙の時間が自棄に長く感じられた。
「はて……どちら様でしょうか?」
洗馬は知らないと言って居る様に、久瑠実には聞こえた。かと言って、仕事の真っ最中、巫山戯て居る場合でも無い。
「三名の合格証は確かに確認しましたよ? ……まさか、偽装? いや、その様な事が可能なら他の事に使う筈、態々前線に立つ必要が何処に?」
久瑠実は考えられる様々な利益を想像するも、解らず仕舞いでうんうんと唸って居る。
「参りましたな。私も狙いの見当が付きませんな。仮に諜報目的だとして、彼らにその素養がある様にも見えません。単純な利益ならば、同業者組合の事務職に就いた方が安全面は確実に上ですからね。既に二十回は実践に出て居るのなら、勘違いしてと言う線も無さそうです。久瑠実さん個人として、彼らに頭が回る印象はありますか?」
「いいえ、筆記が襤褸襤褸で赤点と言うか、それ以下と言いましょうか、半ば実技で採用した様なものです。例えばの話ですが、他の場所で合格証を獲得したなら、どうなるのでしょうか?」
「その情報が【情報神の巻物】に共有され、各同業者組合間で一定の権限を持つ者が閲覧出来る様になります。ですので、資格の取得場所が旧東京ならその様に表示されるのです。この事、栄一郎様には、もうお尋ねになられましたか?」
「三名の態度と言いますか、近況は報告して居ります。栄一郎様曰く『続けて居れば義務感が生まれて、最低限の規則は守る様になるだろう。もう少し見守ってやって欲しい』と仰られまして、そう言われてはどうにもなりませんので、今日、辞任を覚悟の上で同伴させて戴きました」と久瑠実は偽り無い真摯な眼差しを真っ直ぐ向けた。
洗馬は漸く久瑠実の行動に得心が行った。言って駄目なら見させて仰げ、と実に直線的で解り易い人だと感心させられる。暗にあの三人を分隊から外したいと、手順を踏んで言って居る過ぎないが、指揮者を無視する行動は当然にして戴けないものだ。加えて、責任を取る意思もここに示した。ここまでされては何もしない訳には行かない。
久々に返答を窮する問題が発生した事で、洗馬は苦笑いすら覚え、口許を隠した。
「この件は私が処理致しましょう。栄一郎様には私から口添えして置きます故、ご心配なさらぬ様に。久瑠実さんはこの依頼を終えて、一時療養。花見月預かりとさせて戴きます。貴女は少し働き過ぎですから、丁度、良い休暇となる事でしょう」
洗馬は淡々とではあるが、微笑を湛えてそう語った。稽古とは違い語調が優しく、今は亡き孫を甘やかす祖父の立ち居振る舞いを懐古させるものだった。
私利私欲の為に分隊を危険に晒したのだから、最低でも遠方への左遷が常套と言うもの。本当に最悪の事例だと、同業者組合の組合員資格の剝奪も十二分に有り得た事だ。花見月預かりと言う事は、頃合いを見て復帰させる可能性を僅かだが残して居る。自分なりに頑張ってやって来たが、久瑠実は正直ここまで厚遇して貰えるとは想像だにして居なかった。
「いいえ……寛大なご配慮、感謝致します。最後まで誠心誠意務めさせて戴きます!」
言葉を正しく言えたか解らない。眼尻が急に熱くなるのを感じ、久瑠実は頭を深く深く下げ続けた。
忙しなかった足音が鳴りを潜め、分隊の皆が注目して居るのが何となく解り、情けない泣きっ面を見せるのは躊躇われた。それでも、共に苦楽を分かち合って来た大切な仲間たちへ、これ以上余計な心配を掛けまいと姿勢を正し、晴れ晴れとした気分をその儘に、眼尻に涙を溜めながら笑顔に変えて見せた。




