Memo.006 花見月へと至る道 その5
2019年11月17日(0:50) 一部、誤字を修正、ルビのズレを修正しました。内容に変更はありません。
□ □ □ □
ある日、唐突に世界は変わった。
豚の顔の変な見た目の変な生物で道が一杯になって居た。然も、あの豚、人を食べるのだ。
これは拙いとわたし殊、橘久瑠実は一目散に逃げ出した。高校入学からの一年間、陸上で只管、長距離の走り込みをして居たのが幸いして助かったけど、殆どの人は助けを求めながら直ぐに死んでしまった。
逃げ惑う久瑠実たちには戦う力がこれっぽっちも無かった。でも、逃げて居る間に矢鱈と早く走れる様になって居る感覚に勘付いた。何時も走って居たから微妙な違いから違和を感じて、それから一時間もしたら明らかに体感した事の無い速度で駆け抜けて居た。
あの時、雪が降って居て、それが引き金だったらしい。魔法と言うものを無意識下に身体へと定着させられ、逃げると言う意思が身体強化を選んだのだ。久瑠実の他にもそう言う覚醒出来た人は沢山居たそうだけど、混乱して逃走を選択出来た人は少なかったと後から聞かされた。
その話をしてくれたのは、花見月と言う家のご当主である栄一郎様だった。
日本全土、各地に巨大な侵入防止魔法を確認する事が出来た。そこは遠方から見ると四角い正方形が微か白く輝いて居り、何処へ逃げれば良いか解らない多くの避難者の目印となった。
勿論、ど素人である久瑠実たちは豚の魔物である豚人も引き連れて行ってしまったけど、箱に近付けば近付く程、魔物が追って来なくなる不思議な後景を見て、逃げ延びた見知らぬ隣人と眼を見合わせ抱き合って莫迦みたいに泣き叫んだ。あんなに泣いたのは、赤ちゃんの時、以来無かったかも知れない。
何故、生きたいのか。その理由は、と問われると今でも誰もが納得行くものを即座に答えられ無い。唯、久瑠実たちはそれだけ生きるのに必死になって居た。眼の前に差し迫った死に抗おうと身体が勝手に動いて居た。そうとしか言い様が無い。
栄一郎様は少し見た目があれだったが、見てくれで判断してはならないと自省する程、気の良い人だった。立場的に無垢な善人では無いだろうと想像出来たけれど、決して弱き他人を見捨てない、偉い人の中でも珍しい部類の人だ。
出来れば役に立ちたいと奮起し、久瑠実と似た志を持つ者同士が集って、魔物と戦える集団を根性で起ち上げた。
一寸した実力を持った集団は、以前より栄一郎様の思い描いて居た同業者組合と言って、魔法をまだ上手く扱えない人や戦闘向けでない人の代わりに仕事を請け負う、その役割を熟す事にも繫がった。
久瑠実たちの場合は花見月だったが、各地ではまた別の偉い人が人々を保護し、希望があれば同業者組合に所属させて仕事を依頼、斡旋したりして居るそうだ。他の同業者組合の実態は、そこに赴いて見ない事には何とも言えないけど、そう報告されて居る。
こうして、同業者組合――天鳥船は産声を上げた。
衣、食、住を最低限確保する事こそが、久瑠実たちの最初の取り組みだった。
衣類は綿やコットンなどの生地を精製出来る人、住居は建築材料を石材、土を使用するもの、煉瓦から木材、その他諸々を想像出来なければならず、基本的に補強以外は管轄外とされる。
なので、久瑠実たちの仕事は専ら食の充実、食糧の確保にある。
基本的には非戦闘を推奨し、緑の島化した事で新たに息づいた食用植物の見分け図鑑を更新し実際に採集する。明らかに怪しい茸も試食する。山に登って山菜も定期的に確認する。その有毒性の確認、治癒の方法の確立の為、治癒魔法使いが同行する決まりだ。
そして、運の悪く略確実に魔物に遭遇するので、それを倒す事、解体する事、可食部を調べ上げる事も、食を充実させる上で誠に遺憾ながら必要な事だ。断じて態と敵に突っ込んで行って居る訳では無いのだと主張して居るのに、誰も信じてくれないのが解せない。
そう言う経緯があるので、久瑠実たちは死んではならない。強くなければならない。
日々、走り込み、修行に次ぐ修行。採集へ行き、討伐、討伐、討伐、討伐、討伐の日々。討伐が多い? これが昨今の暫定的な遭遇率だ。運が良ければ団体様と日に三回、悪ければ七回は見える。その間隔も久瑠実たちの都合に合わせてはくれない。連戦七回なんてよくある事だ。
そんな中、天鳥船は死傷者が少ない。もう少しで二年が経つけど、まだ五人だけ。久瑠実からしたら五人も死んでしまったと悲観してしまうけど、他の同業者組合だと最低でも二十人は出て居る。酷い所はそれこそ全滅。その時の被害は七十八人にも及んだ。それを聞いた所為か、もう、感受性が麻痺して来て居るのだと思う。
久瑠実は身体強化が得意だ。大火力の魔法も放てる。その上、治癒魔法まで出来る様になってしまった。
治癒魔法は同業者組合に付き、未だに二人しか居ない。稀少であり、要でもある。
本当に最悪の場合、治癒魔法使いが生き残れば、死ぬ寸前の人も蘇生出来るので、余計に死ぬ訳には行かなくなった。
死なない為には、仲間を楯とし犠牲にする様な戦い方を強いる事となる。久瑠実を取り囲み守護する陣形を見るのは、何時だって憂鬱だ。
もっと強くなりたい。魔法を強くするには、確固たる想いが必要だ。想いを形作るのは記憶であり、魔法は辛い想いを沢山して来た人の方が強い。間近な人の死を心の底から悲しんだりするのが、良いらしい。斯く言う久瑠実も、なんだそれ、と思って莫迦にして居た口だ。
でも、天鳥船の一人目の犠牲者が出て、それが久瑠実を庇った幼馴染だった。久瑠実は明らかに強い魔法が使える様になり、治癒も扱える様になった。
多くの人の死を見届けられる者が強くなるのは、どうやら自然の摂理と言っていいらしい。
魔法の威力は想いが決めて、それを及ぼす範囲は記憶が決めるのだとか。栄一郎様も全てを把握して居る訳では無いと言って居た。
この酷く苦しい想いを繰り返した人が強いと言うなら、栄一郎様の側に居る洗馬さんはどれだけ辛い想いを経験して来たのか想像するのも恐ろしい。
たった一年でずぶの素人である久瑠実たちを、魔物と戦える所まで鍛え上げたのだから、底が知れない。どんな人生を送って来たらあんな五十代になれるのか。
何時も修行を着けてくれる鬼教官の洗馬さんが、ここ一ヶ月くらい各自励む様にと宣言しとても奇妙だった。発端は栄一郎様だろうか? なんだかそわそわして居る様に久瑠実には感じられた。最近、良くあるのだ、変に直感が鋭くなる瞬間が。見えて居ない筈の魔物が潜伏して居る場所が何となく解ったり、敵の攻撃の方法が何となく解ったりする。噂で聞く予知とは違う気がするも、表現出来ない曖昧な感覚なので、ずるずると報告出来ず仕舞いだった。
そして、ある日の早朝、久瑠実たち天鳥船の主な戦闘要員が花見月の屋敷へと招集されたのだ。




