Memo.006 花見月へと至る道 その4
2019年11月21日(19:02) 誤字を修正しました。内容に変更はありません。
一度、寝入った栄一郎は、この三年間にも及んだ多大なる心労故あってか暫く起きる様子は見られず、雫は暇を持て余して洗馬の行方を探った。
念を入れて栄一郎の部屋の机に書き置きを残して置いた。
改めて客観的に考えると先程の状況は少々厄介だ。年上の兄として、相当恥ずかしい事をしたと考えて悶える、その未来が易々と想像出来たので、雫は取り敢えず栄一郎が自ら会いに来るまで放って置く事にした。親しき仲にも配慮あり、と言う奴である。
とは言え、花見月の屋敷は広い。土地が広い為だろうが、もう少しどうにかならなかったのだろうか。
しかし、贅沢を矢鱈と好む悪代官にも見えない栄一郎がこの広大な面積を最大限に活用したとは考え難く、先代の当主の意向や代々受け継がれて来た領地自体がこの広さなのだとしたら、仕方無いの一言に尽きる。東京ドームでも意識したかの様な無駄なだだっ広さに辟易する。
だが、その目的地不明も【記憶の渠溝】に掛れば解決である。
人の記憶には癖がある。それは単純に人生そのものが違うので、異なる記憶によって成り立って居る存在であり、別人と見分けられる為だ。
そして、【記憶の渠溝】には記憶を見る能力が備わって居り、記憶から指紋照合の様に明確に他人を見分ける事も可能となる。
その記憶を持って居る人は、その人だけなので当然と言えば当然だ。
もしも、他人の記憶を丸々複製して複数保持したり出来るとか、そう言う出鱈目な存在が居なければ基本的に間違える事は起きない。
現状、頂上的現象により怪物が溢れ返る世界に成り果てた為、神や悪魔など空想的存在も実在したりするのでは無いかと雫は疑わしく思って居るが、会った試しは無いし、今は深く考えないでも構わないだろうと高を括って居る。
まあ、会ったら会ったで斬れば良いし、問題は然程無いのだが。
そうこうして居る内に、洗馬の潜伏して居る、基仕事して居るだろう部屋に到着した。
【記憶の渠溝】は非常に便利だが、追跡者に持たせてはならない道具だと嫌な実感が籠る。ああ、でも神様とやらが居たら、こうして常時観察して居るのかもととても納得出来た。神様は生粋の追跡者に違いない。やはり斬り捨てるべきか。
「洗馬さん、頼もう」
ドアノブがあると言うのに、押しても引いても開かない。となればと、消去法でこれは引き戸と解る。
もう一度、頼もうと言う気になれない雫は、口をへの字に軽く歪めて扉を横へスライドさせ、入室してから閉扉する。
「おやおや、隨分とお可愛いらしい道場破りですな。どうぞ此方へ」
そこは執務室と言う印象の部屋だった。窓硝子から射し込む陽光は室内を白く照らし、部屋の中央に伸びた道から、木目の見える立派な二台のテーブルがあり、各々六脚の椅子が設置されて居る。奥には一人用の見栄えの良い机があり、ここが栄一郎の机だろうと推察された。
立ち上がった洗馬は、手前の机の上に山の如くある書類を一人で整理して居た様で、積み重なる違和感を色濃くしながら、雫は屋敷に到着して以来、怪訝に思って居た正直な疑問を漸く口にした。
「洗馬さん、どうして花見月にはこれほど人が少ないのですか?」
屋敷で出迎えてくれた人は、帯刀した家政婦らしき女性たった二人のみ。残りは栄一郎と洗馬、救出された地下組しかこの屋敷には滞在して居ない。
雫は極少人数だったからこそ、碌に捜索する必要すら無く絞り込みが成され、洗馬の許へ一直線に歩みを進める事が出来たのだ。
「かなり特殊と思われるかも知れませんが、栄一郎様のご意向でこの屋敷の警備は基本不要とされて居るのです」
「……ここは都市の中枢では無いのですか?」
洗馬は間を置かずに返答した。
「これは勝手に話してはならない事なのでしょうが、栄一郎様はご自身を大事になさらない方です。御当主に指名されてから自分の代わりが務まる人材を早々に複数人育成し、他の拠点に駐在させる事にしました。それによりこの拠点の重要度をお下げになられたのです。ここにある資料も、拠点毎に略同一の情報を魔法で、逐次伝播しては共有していらっしゃる。ここは栄一郎様にとって何時潰れても困らない場所なのです」
どう言う料簡か隨分と素直に話してくれる。栄一郎の家族だから、特別に情報を共有して置こうと言う配慮故なのかも知れない。でも、勝手に話してはならない、と言う敢えての前置きが雫には余計に気掛かりだった。
雫が顎に手を宛がって沈黙し考察を巡らせて居ると、洗馬がその様を見て頬を緩め、捕捉を再開する。
「語弊がある様に聞こえるかも知れませんが、幼少の頃より過ごされたここは栄一郎様の大切な場所でもあるのです。反面、花見月家は貴女がいらっしゃった地下世界にも精通する裏の顔も合わせ持つ家柄。その広い人脈、物資、人材などの恩恵や、裏取引目的で擦り寄って来る輩は後を絶ちません。ここは常に某かに狙われて居る言わば危険地帯なのです」
その様な場所に地下組を連れて来て良かったのだろうか、と言うのが雫の懸念が湧く。
地下組も中々に強いが、集団戦闘などの経験があるのかは不明瞭だ。奴隷の四人は最低限の自衛が出来る様に、数種類の魔法と護身術を教えて置いたが、暗殺者やその道のプロが相手だと流石に拙い気がする。
「言い忘れましたが、地下の方々はここから離れた別の屋敷に泊まって戴きます。そこは道案内をした護衛や腕っ節の強い探索者が多数配置されて常駐して居りますので、ここよりずっと安全でしょうな」
それなら良しと雫は頷いた。
洗馬は優秀だと栄一郎が言って居た。その言葉を信用しよう。では、次に解消すべき問題点が浮かび上がったので、それについて尋ねて見よう。
「洗馬さんは私がここに留まるべきと考えますか?」
「おや、先ほど栄一郎様と約束されたのではありませんでしたかな?」
「探索者、と言う方々が居るのでしょう? その名から察するに、まだ見て回れて居ない救助を待って居る人が居る、未確認の領域があるのでは無いかと考えますが如何でしょう?」
洗馬は明らかに困った表情をしてから、これは参りましたな、と観念した様に話し出した。
「雫さんのおっしゃる通りで御座います。私個人としては、栄一郎様と同様の考えです。花見月の関係者としては、是非とも探索にご協力戴きたいところ。ですが、やはり貴女をこれ以上戦わせたく無いと言う思いもあり、複雑な心境であります」
ふと、雫の頭に湧き上がった根本的な疑問について問い掛けた。
「洗馬さんから見て私は戦力になるの?」
白黒させた眼を円かにした洗馬は、視線を明後日の彼方へ瞬刻、揺曳させた。
「ええと…………なるほど、大凡承知致しました。確か栄一郎様は戦う姿を見せぬ様にと仰られたのですよね?」
「うん、そうだった」
「それでは、拝見して戴きましょうか」
洗馬がそう言うと、手許の書類を全て重ね合わせた。逐一、眼球運動が観察出来る為、一枚一枚確認して居る様だが、その物凄い速度に急かしてしまったかと雫は反省する。
「今、手掛けて居る書類は良いのですか?」
もう少し時間を掛けても構わないですよ、と言う意図を込めて言った側から、洗馬は眼の前に立体映像の様なものを投影し一纏めにした書類をそこに置いた所、忽ちそれは光の粒子となって消え去り、立体映像も遅れて泡沫の夢の如く透明な空気へと還元された。
「ええ、たった今、完了致しましたので。では、参りましょうぞ」
凄い技術だ。恐らく魔法を用いたもので、花見月はそれを各地に提供して居るのだろう。共有と言うのは、今やって居た塩梅だ。集中力の成せる技であり、栄一郎の右腕の優秀さを垣間見た瞬間だった。
執務室を後にした雫は、洗馬に案内される儘に吹き晒しの渡り廊下へ足を運ぶ事になった。
辺りはすっかり夜の帳に包まれて、ビー玉台の球状の発光体が天井付近を幾つも漂い屋敷内の通路を照らし出す光景は、闘技場の照明に酷似して見え割合驚かされた。
少しばかり前から、先刻見た道場前に結構な人数の人の気配を感じ取って居た為、ここを再訪する意味も、雫は何と無しに察して居た。
「これから花見月の夜稽古が始まりますので、詰まらないものかも知れませんがご覧下さいませ」
全く関係ないが、唐突にそう言えば今日は何月何日なのだろう、と考えさせられた。地下入りしたのが四月初めで、三年と少し経過して居るのは知って居る訳だが、曜日感覚など最初の一月で見事に手放してしまった。暑さにも寒さにも耐えられる身体になって以来、どうも季節を感じ取る回路が鈍感になってしまった所為もある。五月になるかならないか、その程度の認識しか雫は持ち合わせて無かった。蚊が飛んで居ない所を見るに、夏では無さそうだ。大雑把ながらその様に判断した。
「雫さん此方へ」
無意識に廊下から裸足で降り、人集りのある道場へ視線を彷徨わせて居た雫へ、後ろから洗馬が声を掛けた。
振り返るとそこには何処から持って来たのか、丸い食台と椅子が一脚用意されて居た。
使用人である洗馬は、立場を弁えて座る事なく側に侍る積もりの様で、何時の間にかティーポットを片手に携えて佇んで居る。
視線を食台に戻すと、紅茶茶碗と受け皿が既に準備済みで、昔TVで視聴した手品を見た時に感じた高揚感を思い出した。
「御々足は大丈夫ですか?」
裸足慣れし過ぎて居て、一瞬何を言われて居るのか解らなかった。私の駄目な所は、正にこう言う所なのだ。硝子の破片を踏んだら普通は痛がるものだし、骨折すれば顔を顰める。その部分を耐え忍べる、と言うより何も無かったと言わんばかりの無反応が出て、皆を常々、心配させて来てしまって居た。
雫は【負情堆積】により痛覚耐性が付き強くなった反面、刺激に常識的な反応を返す事が出来ない事が増えた。多くの記憶を蓄積して居る為、その時に必要な常識を特定する事こそ出来るが、雫当人が根本的に理解して居ないのでやや反射が遅れてしまう嫌いがあった。
「これで平気です」
黒い足袋に似た何かを作り足周りを覆って見せた。自分でも胡散臭いと解る問題無いと言う主張は、洗馬の年季の入った慈悲によって水に流された。
着用して居る三城学園初等部制服Version.黒と同じ素材で出来て居り、標準的な男性の腕力で引き千切る事は難しい。きっちりと痛みは残るが防弾性にも優れて居る。足技は余り使わないので、雫にしては珍しい装備だと言えた。
「お見事ですな」と無垢なる称賛を口にした洗馬は、空いたカップに湯気立つ紅茶を注いでくれた。椅子を引かれ「紅茶はお嫌いですかな雫さん?」と言われて、堪らずに腰掛ける。
足が宙ぶらりんで届かないと思って居たら、食台と椅子が丁度良い大きさに縮小された。
何だこれ、丸で魔法の様だ。雫は面白い魔法に兎に角眼が無く、興味深そうに食台や椅子に触れたり、撫でて見たりした。これも紙片を使ったものだろうか。
魔法付加紙片食台とか? そう言うものだろうか。構造が気になり、ついつい昂ってしまう自分を隠せない。ちょっと斬り裂いて中身を確認しても良いだろうか。分断し分析したい欲求に自制心で抗う。
実力の露呈を避けるなら、刀は当然出してはならない。我慢は必定である。それらしい適当な言葉を並べて、お茶を濁すのだ。ここに来てからと言うものお茶を濁してばかり、それはもうお茶を搔き混ぜ過ぎて濁々として居るに違いない。
「これは凄い。持ち主に最適化する武器に似て居る。見学に来て良かった」
雫の興奮冷めやらぬ顔を覗い、微笑を湛えて居た洗馬が破顔した。
「ははっ、雫さんは魔法がお好きなのですね」
好き? 嗜好と言う事? 私は魔法が好きだったのか?
好きと言う言葉は、雫にとって奈央の形容だった。
好き嫌いは食事でも意識した経験があったかどうか怪しく、洗馬の思いも寄らない指摘は、曾て心臓へと突き刺さった鉄柱の冷えた感触を頭に過らせる程の衝撃を走らせた。
「雫さん? どうなさいましたかな?」
「……いえ、この紅茶とても美味しくて、飲み過ぎてしまいそうです」
「それは何よりです」と優しく微笑む洗馬の傍ら、雫はこれまでの生活を振り返って居た。
殺伐として居た。常に資金繰りを意識して、相手の情報を集められるだけ集めた。戦い方も工夫を凝らした。何より人を殺せる様に尽力する毎日だった。
壊しやすい身体の部分の把握、致命傷の把握、攻撃した時の反応、此方が攻撃を受けた時の反応、目線の動き、作戦の種類、多様な魔法使いの導入とそれに対応する手段の確立、誰にも知られない様に行った痛覚を無視する自傷訓練、脳や心臓を損傷しても蘇生する治癒行程の作成と実行、視力を奪われた時の戦闘対策、蜘蛛毒を敢えて発生させて強力な毒に対する耐性を身に着ける特訓。数え切れない無謀を企て、そして、どうにかやり遂げてここまで来た。
好物を考える余裕すら無かったのだと今更、気付く有り様だ。さぞ、皆には異質に映って居た事だろう。これからはもう少し肩の力を抜ける様に努力……では無く脱力? を心掛けて行こう。顔馴染みに嫌悪感を抱かれるのは流石に堪えそうだ。
ここから見渡せる床は砂地の筈だが、星空の如く砂塵が輝きを放ち始め、何処か幻想的で訓練とは名ばかりの天体観測を予感させる。
道場の前の人集りは、道中に見た陣形とはまた異なる扇型に整列し待機して居た。
そこにはあの雫が煙に巻き続けた久瑠実の姿も見付けられた。幸い全員、奥の道場を射抜き此方側に背を向けて居るので、四六時中雫を凝視して来る事は無いが、先ほどからちらりちらりと悩ましい視線を送って来る。その度、雫は絶妙な時期を見計らい視線を逸らす事に成功して居た。恰もそれは間隔の短い達磨さんが転んだを繰り広げて居る様で、洗馬がそれを見るや「ふふ、これは失礼」と愉快そうに上品な笑みを溢した。
漠然と茶葉の種類は何だろうと考えて居ると、眼前に意思を持つ様な軌道を描き、統一感の無い様々な色合いの光源が飛び交い、最後には一点に収束して人ならざるものの形状を成して行く。
「おや、始まりましたな」
洗馬の言葉を皮切りに集合した光が弾け飛び、そこに三頭の頭を持つ全長十メートルは優にありそうな四足歩行の獣が姿を現した。
「怪物?」
一見して声だけ出し、運よくぱっと約束を思い出した雫は何とか立ち上がるのを押し止まった。だが、本の束の間、完全な無意識下で左手に黒い靄を集め掛けて居たのを察知し慌てて解いた。この辺りは比較的暗いし、他の人は訓練中で道場の方へ釘付けだろう。勘の鋭そうな洗馬も気付いて居ない様子だ。危なかったが、限り限り安全と言う奴だ。
視線を元に戻すと久瑠実が、それに合わせて前へと向き直した。されど、彼女の性格上、此方を見続け剰え駆け寄ってきそうなもので、見間違いだろうと指して気に留めなかった。
もしもの場合は、口封じをすれば良いと具体的な方法を思い浮かべた所で、「どうかなさいましたかな?」と八の字に眉を傾けた心配を顔に張り付けた様な洗馬が此方を覗い見て居た。
悪い癖だった。つい、始末する方向性を考えてしまう。もう少し、いや、かなり他人に優しくならなければならない、と雫は額の横に指先をこんこんと宛て猛省する。
「本当に御二方はよく似ていらっしゃいますね」
今度の洗馬は眼を細め慈愛に溢れる様な朗らで何処か温かい表情をして居た。
「私と栄一郎が似て居る?」
「はい、とても」と言った洗馬は、額の横に指先を宛がって見せた。
「おお」
自分の左手を額の横に宛てて居た雫は、自分の声音とは裏腹に狼狽した。これまで、この様な癖があるとは知らなかった。誰か言ってくれれば良いのにから、嫌われて居たから指摘されなかったのか、と虚しい愚考を連鎖させた。
「何かを失敗した時、反省なさる栄一郎様の仕草と瓜二つでしたよ」
啞然とはこの事だろう。口を開けて何を思うでも無く思考が停滞し、何故か少し嬉しいと感じられた。
併せて去来したむず痒い感覚から逃げ果せんとして、「ところで、あの怪物は大丈夫なんですか?」と解り易く話題変更を目論んだ。
この程よい羞恥心は、皆に隠れて密かに作って居た蝗の佃煮が寸での所で発見されてしまった時と近しいものがある。三人目の解放記念に不意打ち企画として周到に準備して居たのに、どうして露呈したのか未だに迷宮入りの謎だ。あの時は、皆箸を持つ手が感動に震え涙を流して喜んでくれた。不器用な私としては味付けも上々で、良くやったと久々に自分を褒められた。地上へ無事帰還を果たした事だし、近い内にまた用意するのも一興かも知れない。この辺りに蝗が居ない場合は、何で代用しようか。数少ない私の出来る事、腕の見せ所だ。
ドォン、と鈍く強烈な発破音が耳に入り地を揺るがす衝撃が足許に伝わると、雫の意識を現実へ引き戻した。
「はい、問題ありませんよ。あれは言わば追体験でありまして、これまで実際に何処かで出現し討伐された怪物の情報を本に作成された触れられる立体映像です。詳細を省けば、過去に戦った怪物――我々は魔法と共に出でた怪物から魔物と呼んでおりますが、それらと現実に基づいた戦闘訓練をする事が出来ます」
「凄い技術ですね。投影して居るものに実際に触れられるとは……ん? 栄一郎の擬態に良く似て居ますね?」
「はい、栄一郎様がある研究者の方と意見を交換し、ご創造なされました。何度見ても肌で感じる現実感があります。傷付ければ血流も流れますし、体内にはきちんと内臓もあるのですよ」
何故あの様な姿をして居るかは解らないが、栄一郎の手は温かく見た儘の重みがあった筈だ。
「ふむふむ、触れる、となると、向こうからも接触が可能である?」
「左様で御座いますね」
「ん? それは……致命傷を負ったら死人が出るのでは?」
「それは出るでしょう。本番であれば死んでしまう状況、限り無く忠実に再現された躍動する魔物に勝てなければ実践では死あるのみ。雫さんならご理解戴けるかと存じ上げます」
ここに来て洗馬は珍しく険しい表情を覗かせた。その眼光は現役の歴戦の猛者である事を疑わせない猛々しさがあった。
「因みにあの人たち確か分隊の、いやそれより多いけど、あそこに居る皆が全滅したらあの魔物擬きはどうなるの?」
「その場合は魔法が解け立体映像が消滅します。先ず戦闘に参加する人の登録から始めまして、領域を定め、魔物を選択するのです。今宵の様な大型の魔物だと、一日一回程しか再現出来ませんが、小さな魔物の大群などであれば日に十数回も再現出来るのですよ」
一日に十数回魔物の群れと戦わなければならないとは、隨分、厳格な指導方針だ。でも、雫自身、訓練に次ぐ訓練に明け暮れて居た記憶がまだ新しい。その点、似た様なものだった。
「一見苛酷だけど、とても良い訓練になると思う。私はあのやり方、素晴らしいと方法だと推せる。だけど、先ほどから前衛の楯持ちの人、かなり空へ飛ばされて居るけど、あれで良いの?」
荒ぶる三頭の獣の前足で払われ、予期せぬ突進を無理に防ごうとした為、何時かの奈央が別れ際にやって見せた、豚人の空中舞踏会を想起させる奇異的珍景が視界一杯に広がって目視出来た。
それとなく少し大きめの動物との触れ合いに見えなくも無いが、あれは魔物である為、危険を孕んで居るのは明白と言える。
雫の好評を博し一時の愉悦に浸るも、続いた言葉と現実を比較した洗馬は、表情を変えず溢れ出る怒気を押し殺す様に一言漏らした。
「おや、まだ扱きが足りなかった様ですな」
続けて聞かれ無い様に囁かれたと思われる、一日に二体再現出来れば、云々は彼らにとって末恐ろしい青写真であるに違いあるまい。雫は心中に渦巻いた申し訳無さと同居する仕方無さに、これ以上、下手に藪を突く事は止め口を固く噤んだ。
目撃されてしまったこの体たらく、明日以降に組まれるだろう修行の内容が、苛烈を極める惨状は容易に想像出来ると言うものだ。
雫は領域の透明な壁に阻まれ、悲鳴を上げて落下する憐れな前衛を胸に収めながら人知れず合掌した。




