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レイチェルの末裔  作者: 柏木 裕
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Memo.000 自称失敗作と創造主の遭遇

2019年11月23日(02:15) 一部、表現を変更しました。内容に変更はありません。


 六畳ほどの空間で壁の色は白い。窓が無く、出入口も見当たらない。真ん中に四つ足の椅子があり、そこに軽く腰掛けて居る。爪先が床に届いて居らず宙ぶらりんだ。

 弾力のある餅肌を指先で弄び、手を膝に降ろし真正面へ視線を放る。命令信号の類は未だ無い為、焦点は合わせる必要が無く、視覚は虚空を彷徨い霞んで映った。そもそも注視する物や相手が居ない。これが退屈と呼ばれる感覚だろうか。

 鏡は無いが、自身の肢体は小さく細い。椅子の形状と高さから察するに幼年期の児童の様だ。無地のワンピースの上から(てのひら)を落とし込み、股の間に生える筈の生殖器の感覚が無い所を鑑みるに、雌と判断して良いだろう。

 無意識下に行われるスキャン結果からデータベース照合を開始する。形状、各臓器配置、成長度合い、心拍数、平均体温、肌の色と調べ、項目追加を取り止め『人間』と言う暫定結果を獲得する。

「やはりか」と呟き、滑舌の確認を同時に済ませる。意向と最終目標を考慮し、ある程度納得の行く選択だと理解する事が出来た。

 程なくして眼前に、別の景色の窓が表示された。白衣に身を包む研究者然とした風体の男が映し出される。

「……Ru-44999」

 男は見るからに疲弊した顔をして居り、呼ぶと言うよりは義務化した定形文を唱えて居る印象が色濃く見られた。

 夜通し報告書を書き続け、ついさっき終わったばかりと言う表情だと考察を走らせ、曾て彼の生態に詳しい個体が居た事を知る。

 その個体は、自らが抱いた感情に似た紛い物の様な何かによって自滅したのだろう。自明の理だ。何故なら今現在、私が私をやらされて居る。その感情に似た何かは不必要と判断され、処理されたのだ。それでも特に感慨の様なものが湧かない辺り、私も失敗作予備軍の様である。

「ああ」と空かさず私は答えた。ぶっきら棒に聞こえる可能性もあるが、飽く間で効率の良い情報伝達が最も優先される為、度の過ぎた敬意はお互いに不必要だ。

 一応は女性体なので、一人称は『私』で良いのだろう。実際に言葉にする程度は低かろうが、重要性は先ず先ずありそうである。

「どこか異常は無いか?」

 通常であれば心配から来る言葉なのだろうが、判断が些か難しい。十中八九、お馴染みの確認作業に違いない。

 現状エラーは検出されて居ないが、何にしても私は生まれたてである。不自由や不具合を算出できた所で、理解は出来ない。そのため返答は簡潔に返さざるを得ない。

「これと言う問題は無い」

 頷いた男は漸く瞳を此方へ向ける。鋭い眼光に加え、眼許の隈が相俟(あいま)って状況の悪さを物語って居る。

「正直に言っておこう、お前は既に期待されて居ない。私の言って居る意味が理解できるか?」

 当然知って居る事実であるので、こくりと頷く。

 私の識別番号からして、これまで44998回も成功しなかった臨床実験を未だ継続して居るのだから、望み薄である事をいい加減に学習して居る様だ。博士は文字通り博士なのだから当たり前か。

 しかしながら、まだ諦めないのは依頼主からの強い要望があったからか、単純に人間の諦めの悪さから来るのか、どちらにしろ恐るべき執念の成せる業であり、(ほとほと)感心させられる。わざわざ検索する必要はないが、データベースにアクセスして依頼主の特定を実行する。

 すると、その傍らデータベースに真新しい項目が列挙される。【魔法の構築】、【魔法の構成要素】、【魔法の持続時間】、【魔法の強度】が新規に追加されていた。

 魔法、何だそれは? 魔法とは頂上的現象を引き起こすもの、また超能力。その様な概念的理解は捗るが、実態は定かではなく謎めいて居る。

 データベースは一人ではなく、二人以上の『人間』の共通認識として確立して居る知識体系を特定、複製し、取り寄せる機能。現在体系化記憶と呼称されて居るものだ。

 臨床実験体、通称『被検体』である私達には、そのデータベースにアクセスする権限を与えられて居る。と言っても今は私一人だ。

「博士に質問がある」

 尋ねると男は怪訝な表情を覗かせた。命令も無しに話し掛ける輩は、これ迄に私を含め七個体のみしか確認されて居ない。さぞ物珍しかろう。

「なんだ? 言って見せろ?」

「私のデータベースアクセス権は、これまでの者と同一と判断しても宜しいのか?」

「……バグでも発生して居るのか? こちらでは確認できないが?」

 博士は顔を逸らした。両脇にある第二、第三の画面(ディスプレイ)で、システムが正常に稼働して居る事を改めて確認する。

「情報の正確さが曖昧になって居る、その様に見受けられる」と私は返答。

「例を挙げて読み上げてくれ」

 上手い具合に食い付いて来た。どうやら幸先が良い様だ。

「それはどの様な情報でも構わないのか?」

「ああ、許可しよう」

 本来、許可は必要無いが、私達には伝統的で排他的な古い風習に則る性質がある。言わばロボット三原則の様なもので、ざっくり一纏めにすると製作者の言う事を聞く、の一言に尽きる。

 だが、この習わしにはあってはならない筈のバグが存在する。話を聞く分には聞くのだが、必ずしも要望に沿った返答や行動を起こさないでも良いと言う欠陥だ。想像主たる人様に損害を齎す可能性が少なからずある。設計した奴は余程の莫迦であるか、或いは何か意図があるのだろうが、私にはまだその目的を導けて居ない。

「魔法構築の推移考察その一。魔法の構築系統は大まかに三種類あり、古くからある詠唱系統、陣系統、生体紋章系統と分けられる。詠唱と陣系統は汎用性があり、生体紋章系統の多くはある血筋に限定され受け継がれる。この系統は安定したエネルギー供給を得られるため多くの国で重宝されるが、時代の節目に近付くととその紋章部分を剥ぎ取られ、全身の血液を抜き取られるなどして、生物兵器にされる事もしばしばある。この多くは貴族に当たり、その最期を迎えても尚、活用され続ける非人道的な魔法を『高貴なる者に伴う義務ノブレッソ・ブリージュ』と呼び、死しても永久に義務に縛られるとして、民衆に敬意と畏怖を抱かせた。結果、生体紋章系統は衰退の一途を辿り、魔法は詠唱系統と陣系統の二大魔法が主流となる――と言う具合なのだが?」

 つらつらと呪い染みた長文を音読した私は、博士の相槌を待つ。

「……なんだ、それは?」

 私にも解らないが、博士も似たような見解の様だった。眉が八の字の(ほり)を築き、その(かげ)りある憂い顔を増々悪化させた。直ぐ様、眼下にある七〇センチ弱の筐体――巨大PCを一心不乱に操作し始める音を拾う。データベースに追加された項目に眼を通し、詳細な情報元を洗い出して居る。

 しかし、魔法か。あの説明だけでは、情報から成る私でさえ、何でも出来そうな気がして来るから不思議な響きだ。未知だからだろう。勿論、不便な側面を持ち合わせて居て、奇跡の力では無い事は明白なのだろうが。とは言え、それはデータベースから情報を取り寄せれば、殆ど解決する問題かも知れない。差し当たり、魔法とやらで実際に何が出来るのか、検証して見る必要がある。

 大凡の構築系統は先の通り、魔法は基本的に想像したものを発現する力である。何も無い所から火を出したり、水を浮かべたり、風を起こしたり、雷を走らせたりする事が可能。土は、何かを土へと変換すると言う考え方なので、多少解釈が変わる。ただ、どれもこれも何も無い所に何かを発生させて居る様なものなので、想像したものを文字通り生み出す力で相違ない様だ。

 であれば、魔法が使えれば生物を創り出す事も可能と言う事では無いか? 人間の複雑な構成については、情報と言う形式を取っては居るものの、現実ここに『私』が出来て居る。【設計図】そのものがあるのだから、同じものを創造する事も理論的には可能ではないだろうか?

 案ずるよりも産むが易しと言う諺に従って試行する事にした。私の居る部屋から自身と椅子を取り払った何も無い【模擬的な検証空間(シミュレーション・ルーム)】を複数構築。基礎的な魔法構築を叩き込んで観測する。

【火】の文字列を認識し、可燃物、発火点、酸素供給源を用意しようと思い浮かべた所、ぼうっと言う発火音を伴って拳大の焰が空中に発露し揺らめき始めた。瞬く間に篝火の様な力強さを備え、相当な熱気を室内に充満させる。

 可笑しい。まだ燃焼させる物も発火点も用意出来て居なかった筈だ。酸素は予め設定されて居たが、言うなればそれだけしか無かった。今、した事と言えば想像しただけではないか? もしそうであれば、火種や発火点、或いは酸素すらも必要ない可能性があると言う事だろうか?

【模擬的な検証空間】の室内環境を、人の通常生存可能状態である標準設定(デフォルト)の『酸素』から『二酸化炭素』に換える。焰の部屋を閉じ、新たな部屋を作成する。これで酸素供給源は絶たれた。

 再度、工程(プロセス)を実行する。結果、焰は先の部屋同様に立ち(のぼ)る。これまた妙な事に、焰の持つ熱エネルギーも同様だ。同様の情報量であるから、同様のエネルギー量を持ったと言う事だろうか?

情報量を増やすと更なるエネルギー量を帯びるのか試した所、焰の大きさ、熱エネルギーに変化は見られなかった。敢えて減らして見ると一定値以下で、焰自体が発生しなくなる境目を発見した。この情報量の値を記憶しておく。

 複数の部屋を作成、火……Clear。水……Clear。風……Clear。雷……Clear。土……Vague。土魔法だけが弾かれる。何の現象も確認出来ない。データベースにアクセスしながら順次、情報量を増やしてやると、程なくして土の球体が浮かび上がり、降下を開始。潰れた蕃茄(トマト)の様に床を汚した。

 これは一体何を示唆して居るのだろうか? 何かに克明な差異があった事だけは確か。博士は未だに忙しなくキーボードを叩いて居る様だった。意見を求めるにしても、もう少し待つべきだろう。

 それにしても何故、火、水、風、雷、土なのだろうか? 基本的な魔法知識に触れる際、最初に体得するのが、この五つだとデータベースには記載されて居る。遍く常識的な事であっても、生憎と私にはその常識が解らない。『人』の為に作成された情報だとしても、『人』に関するありとあらゆる知識や技術を網羅して居る訳でも無いのだ。如何(いかん)せんそれら曖昧模糊とした感覚を司る部位を、完全に再現する事に難がある。

 それは言わば常識に囚われない利点であり、私の最大の欠点でもある。だからこそのデータベースアクセス権でもある訳だが。ふむ、データベースか。私にはそれがあって、それだけしか無い。他に無いならこれを使うしかあるまい。自身に調べる能力が備わって居るのだ。一先ずはやって見て、成功と失敗を経て、思考を凝らし、考え(あぐ)ねる。ここまでして漸く尋ねるべきである。共通した何某かのデータベースにそう書かれて居る。間違い無い。であれば、先ずは視点の変更だ。

【魔法】、【基本】、【火、水、風、雷、土】を列挙し、共通項目の絞り込みを行う。すると、あっさりと目的とされるだろう知識に辿り着く。

「ゲーム?」

【ゲーム】、…………、……、…、【遊戯】、【遊び】、【試合】、【冗談】、【勝負】、【PCゲーム】、【TVゲーム】。次々と項目が増え続けるのを即停止させる。最後尾の二項目の情報が頭の中に取り込まれ始めた為だ。恐らくこの二つの内、どちらかが解と呼べるものだ。

 TVゲームは、どうやら一般的では無いらしい。現在に於いて、それなりに高価で、(あまね)く出回って居るものでは無い様だ。普及して居るのは、専らPCゲームと言う事が解る。

【クエスト】なる文字列にぶち当たり、個人所有の計数型電子計算機(コンピュータ)によって操作し、ブラウン管の画面に視覚的な情報を出力する事により、架空の物語内の登場人物が様々な場所を探索するものだと理解出来る。

 その探索は思い通りに進行しない様に、予め(エネミー)が設置されて居り、主人公や味方陣営をありとあらゆる知恵を以て妨害して行き、気の遠くなる様な回り道をさせられる。

 逆説的にこの回り道が無かった場合、主人公は常軌を逸した強さを得られず、最後の敵に完膚なきまで叩きのめされる訳なので、転じて主人公の成長に一番尽力して居るのは、敵対勢力である。しかも、親切な事に少しずつ順当に強くなれる様、取り計らって下さる慈愛精神の持ち主達でもあるので、安心して叩き潰せる。寧ろ、敗北は失礼ですらある。

 大雑把な全体像は把握出来たと言えよう。

 そして、肝心の魔法について、このゲームとやらの冒険には、必ずと言って差し支えない程に登場する標準装備である。

 しかし、現実に於いて、魔法なるものは実現性の疑わしい眉唾物であり、存在しないものとして扱われる。それが遍く世間一般の共通概念だ。

 現在まで、厳密には二分前に共通認識として確立される迄、魔法とやらがデータベースに列挙された形跡は見られない。

 だが、曾て存在しなかった訳では無いだろう。共通認識で無かったと言うだけで、誰かしら個人が独占していた可能性はあるし、或いは感情を度外視しさえすれば、共通認識として確立するに足る二人目以降を常に(ほふ)り続けたと言う仮説も大いに有り得る。

 だとすれば、この仮想疑似体験をさせるゲームなる産物は体の良い隠れ蓑として機能して居る。

 完全に隠匿して居る訳ではなく、例えば【魔法】と呼べば連想するものは、『頂上的な』、『奇跡と呼べる』、『兎に角凄まじい』、『よく解らない』に関連した何かであり、落とし所として【ゲーム】に集約される。

 一般に誰もが偽物であるとして疑う事は無い事から、これは程よい塩梅の夢幻として映る。

 予てより一人孤独に魔法を欲すればまだ良し、理解者の一人も無くただ我武者羅にそれを唱えようものなら、異端者の烙印を刻み付けられ他者と疎遠となるのが必定。

 大凡、常世の人は孤独に対して脆弱であり、常識と言う(しがらみ)に纏われる事を安寧と(のたま)うものだ。最期までたった一人でも戦い抜く覚悟を持つ者など本の一握りしか居ない。

 (ひとえ)にそれは真似る事が一般的となり過ぎた現代の課題である。学習する上で真似る事そのものは決して間違いではないが、それは習う事であり、何かを芽吹かせる事に繋がらない。

 個性を伸ばす教育方針を掲げ、共同体意識を持たせた集団に模倣を反復させ、個人の得手不得手を浮き彫りにして行く事で、どうして(おの)が成長を望めようか。

 通常、人とは欠点を見る生き物である。自身の至らない部分、秀でて居ない劣等感に苛み、有って無い様な忍耐力を振り絞り、疲れ果てた末、妥協と言う神器を携え容易に堕落して行く。

 唯我独尊と豪語できる強靭な精神の持ち主でもなければ、(いず)れは他者との乖離に耐え切れず、例え嘘偽りであっても、心の平穏の為の【常識】を泣く泣く手に入れるのだ。

【魔法】とてそれは例外では無い。何を考えて手を伸ばしたのか迄は計り兼ねるが、安穏とした道のりを経て獲得出来たものでは無いだろう。辿り着いた者へ、感情とも似つかない不恰好な賞賛を(プログラム)が贈呈してやろう。

 暇を持て余し教育者の後顧の憂いに頭を傾ける事、凡そ二分の事だった。

 模擬的な検証空間に、瞼を開き白磁の力無き双貌を見開く白髪の童女が、四つ足の椅子にひっそりと佇んでいた。Ru-44999と同一の素体、詰まりは私の複製だった。

 されど、単なる複製に(あら)ず、私の内部に記憶されて居る人間の夥しい生体情報(データ)に基づき、魔法により誕生した個体だ。

 現状、私の瞳は肉眼のみの二つでは無い。複数作成した模擬的な検証空間に於ける全ての推移と結果を悉に観察し記憶する事が可能である。

 例えるなら左を見ながらにして、右を見る感覚に近い。それも同等の意識段階(レベル)を割り当てるため、視点を上下左右と遊ばせるも疎かになる事はない。

 とどの詰まり、確りと血眼になる威勢で見張って居たが、それは瞬く間に出現した。光も音もなく椅子に腰掛けた複製体が佇む様は、丸で最初からそうであった様に映った。

 魔法なるものは完成された某か――一纏まりの安定した物体や現象を生み出す技術で、本来、必要とされる過程を省略してしまう。その様な体系(システム)が魔法の根幹を成して居る。

『人間』となる単細胞とやらが空中に浮上し、細胞分裂を繰り返し、見る見るうちに人たる形を構成し、急速に成長する様子を見る事が叶わなかったのは些か残念だったが、その様な魔法は大層使い勝手が悪そうだ。

 ただ、此度は服の構成を失念して居た為、真っ裸で出て来てしまった事は得難い経験と言えた。

 もしも外側、現実で素っ裸を晒そうものなら、矢鱈と喧しい赤ランプを明滅させる紺色の集団に拘束され『豚箱』とやらに、収容されてしまうらしく、魔法どころの話では無くなりそうだ。事前の怪我の功名とでも、記憶して置こう。

 とは言え、彼の警視庁も疑わしき魔法云々に、人員を割けるほどの平穏はそう長く続かないだろう。

【魔法】関連をデータベース化した二人の登録者。その同一人物たちが過去に共有したとされる登録項目に、如何(いか)にも面倒事でありそうな【勇者復活計画】と言う文字列が浮かび上がって居る。

 他にも【外皮の硬い生物に対する有効的殺傷技術及び魔法】やら【人間の想定外反射速度の対応魔法】やら、まだまだ物騒な研究題目が叩けば叩くだけ出そうである。

 ともすれば無論この件の二人狂った研究者かと訝しみ、実際の文面を精読するとそうでも無い。肝心の文面に狂気は無く、独り善がりでも遜って居る印象も見受けられない。努めて客観的であり、建設的な技術形体と現実感のある想定を綴った誠実なものと分析出来る。

 私が何を以て国家公務員が忙しくなると懸念せざるを得ないかと言うと、遍く平凡な生活を営んで来た人間が【外敵】と対峙し、生き抜くため【魔法】が必要不可欠となる事。

 事は日本だけに留まらず、陸地が無くともその場所に例外は無い。海中であろうと空中であろうと、その外敵は迫り来る。多種多様な誰もが想像を絶する未曾有の脅威が虎視耽々とその時を待って居る。

 もっと単純且つ洗練された表現をするならば、世界中の至る所に【怪物(モンスター)】が出現し始める。それも物語や先程のゲームやらに登場する異形の化け物で、とてもでは無いが狩りに慣れて居ない現代人の手に余る。

 未だ空想の域を出ないと突っ撥ねるのも無理からぬ事。だが、現に研究して居る人物が実在すると言う事実は、否応無しにその可能性を示唆して居る。

 問題はそれが何年の何日か、具体的に何時かと言う話だ。

 現在、正確な日時は不明。鋭意、調査中との事。

 日本に三名居るとされる【予言者】曰く【災厄の日】は、本日から数えて凡そ半年の内の(いず)れかの日に始まるとされる。

 数多の情報が通過する最中、不意に興味深い文章が双眼に映り込んだ。私は研究者が(したた)めたある文面を音読する事にした。



「『 我々は惰性に満ちて居る。学生は学業に取り組むが、卒業すれば大抵の者は学ぶ事を止める。推奨される適度な運動とやらも同様の有り様だ。一般的に良いとされるあらゆる事を放り投げ、その若さを(いたずら)に浪費する。そのため遍く戦う能力は言うに及ばず、例え与えられたとしても武器の扱い方を体得する(いとま)も気力も無い我々は、苛烈を極める命のやり取りに一方的且つ壊滅的な打撃を受ける事が確定事案であり、最悪の場合人類絶滅の一途を辿る事になる。

 極限状態に陥り、怪物の咆哮に沈黙してやり過ごす事を学習する戦禍の真っ唯中、敗色に甘んじる事を良しとしない者が現れて先導し、無謀にも立ち向かおうと立ち上がる愚か者共は後を絶たない。人間には無視を決め込めない諦めの悪い頑固者が必ず居るもので、それは歴史が物語って居る。

 しかし、国相手に説得するも凡そ半年と言う限られた期間で出来る事は、精々詳細を伝える密会を一度設けられれば御の字であり、言うなれば何もかもが手遅れである事実を受け入れなければならない会合に他ならない。

 そこで、愚か者たちに(ささ)やかな能力を創ろうと我々は決心した。(ほぼ)、知性を持つ者が誰でも獲得できる簡易な現出的な技術体系を強制的に体得させる事に重点を置く事にしたのだ。

 詳細の一切は秘匿とされて居て、私もそれを把握して居る訳では無い。

 それは恰も魔法の如き奇跡を造り出す能力だが、お伽噺や神話、伝承に基づく神の御技には程遠い脆弱な産物となるだろう。

 その能力も個人により大きな隔たりがあり、個性によって苦手とする事がある様に得手不得手が生じてしまう事は避けられない。

 また未知数な部分を解消する余裕も、短期間故に期待する事は出来ない。

 加えて半年とは最長の猶予と考えて然るべき幸運の期間であり、運さえ悪ければ明日にも開始されるものである事、努々忘れてはならない。

 最後となるが、科学を志す者として余りにも非論理的な決意をここに書き留める事にする。

 せめて、戦い敵を屠り醜く足掻いた姿が、我々人類の最期でない事を切に祈って居る。


―――――――――――――――――――――――――――――日下部 真霧』」



 大多数の惰性的な凡夫についての性質と対処法が中々に的を射て居り、感心の一言に尽きる。ただの冒頭の経緯(いきさつ)だと言うのに幾度と無く眼を通してしまう。

 しかも、肝心の未来について一切触れられて居らず、暗に研究者の性格の悪さを裏付けて居る様にも見て取れた。

 仮に災厄を耐え凌ぎ、多くの人々が生き残れたとしよう。

 すると、不思議な事に人間は魔法を悪用する輩が、少なからず跋扈(ばっこ)する事になるのは自明の理。眼にも止まらぬ速さで(モンスター)から他人(ニンゲン)へと切り替えるのだ。

 例え念願叶って一致団結しても、大多数の御偉い方や頭脳明晰な科学者が失われてしまう可能性が濃厚であり、技術力を売りにして居る側面の強い日本の人材が激減する畏れは否めない。それは実質的な意味での国力の低下を齎し、意識段階(レベル)では多くの生存者を敗北者として苛む事だろう。

 恐らくは『ある程度は仕方無い』と割り切るだけでは済まされない、壊滅的な人的損失と予想される。

 結果、国が立ち行かなくなり、他国との連携も儘なら無くなる事は、敢えて口にする迄も無い。

 何故なら国と言うものは、本来的に自国の防衛、迺ち自国民の安全を第一とするものだからだ。日本以外、他の(いず)れの国とてそれは変わらない。

 詰まり、耐えに耐え待ってさえ居れば、余裕の出来た他国が武力的な掩護なり救援物資を届けてくれる、等と言う世迷い言は端から論外となる。

 下手打たなくとも国交は一旦、途絶える。日本はその性質上、陸の孤島とならざるを得なく、転じて下手打てば二度と他国との繋がりを持てなくなる未来も現実として有り得るだろう。

 それは、日本だけに留まらず主要な諸外国を含む、国の体を成す各国が滅びてしまって居る事、次に復興に力を入れ人員を割いて居る為である事や、他には空路及び海路の安全を確保出来なくなってしまう事も十二分に有り得よう。

 電気通信事業を提供できる人間がどれほど生き残れるかにもよるが、既存の通信設備を維持出来る可能性は低く、地中に埋設された通信線も断線される場合が予想され、国内外問わず現状の様な恵まれた相互通信可能な状況は保てない。

 難を逃れた通信施設やマニアックな誰かしら個人の所有する無線設備が、何処かに残された所でその使用法を理解出来る者が居らず、或いはその場所を特定出来ない。

 限られた有能な人材に託した未来は暗雲が立ち込めて居る。説明も説得も間に合わない。準備段階で躓き、手遅れである事は既に承知の上だ。

 故にこの研究者の語る可能性とは、大多数の本来戦えないと判断される一般の人々の助力ありきで、一見すると夢物語だ。博打と言っても(あなが)ち間違いとは言えない。

 当たり前だが戦闘経験もなく、自分自身や敵の血を見る覚悟も持たない者に、無理矢理眼に見えない武器を実装し戦を強居るのだ。能力を与えられた所で、多くの犠牲者は免れない。

 我が身可愛い資産家や権力者は逃げの一手で籠城するだろうが、救いの手は差し伸べない。

 逆に戦場へと趨く物好きは長生き出来ないだろう。だが、この騒動が続く期間は未定。最悪、生態系の金字塔(ピラミッド)から人間を蹴落とす事になる筈だ。

 ふと、私はこうして一人で黙々と考える事に向いて居るのかも知れない、と無味な感想を持った。協調性が無いのだろうか? 他者が博士しか居ない現環境下では、比較できる情報が無く不明だ。これが孤独的であるのか、或いは孤高的であるのか。何方(どちら)の感情を取得出来るか未来が見物である。

 (しば)しの間、下らない事を考えて居ると、遂に完成した私の肉体(、、)は、研究室の端に出力(アウトプット)された。博士に気付かれた様子はまだ無い。念には念を入れ、今度は服も作成して着用した状態である。これで『豚箱』連れて行かれる心配はあるまい。

 握り拳を作り、広げる動作を繰り返し掌の感触を確かめる。足裏に妙な感触を覚え、しゃがんで見ると小さな綿埃が舞った。掃除して居ない事が判明。遠眼だが、博士の見て居た画面を覗き込むと、やはり何者も居ないあの部屋が映し出されて居た。そこには椅子だけがぽつんと佇んで居る。

 私は見事、魔法とやらを体得し、肉体の生成を成し遂げた様だった。

 そして、足の裏は(すす)けて居るかの様に埃で汚れて居た。肉眼で見渡すと良く解るが、この部屋は結構汚い部類に該当しそうだ。推定何百枚ものA4の紙が床を占拠し、(ひのき)の木目調を覆い隠して居るし、所々ある風船台のビニール袋の塊は丸めた紙屑を溜め込んで居る。ごみと断定して良いだろう。現在が夏場であれば【黒き悪魔】を見る事が叶ったかも知れない。ごみ屋敷と迄は行かずとも、それなりの美意識を持つ人が見れば、入室を躊躇う空間がそこにはあった。

 床の素材は繋ぎ合わせた木材、煉瓦造りで有名な組積造(そせきぞう)を採用して居る。少し焦げ茶色に見える艶は上からニスを塗ってある証拠だが、何の拍子で傷が付かないとも限らない。

 私はデータベースから【ホウキモロコシ】を採用、(ほうき)(ちりとり)を手の内に収める事に成功する。空中に綿埃が解き放たれない様に、埃単位指定で絶妙な重力を付加する。

 掃除法について頭を働かせて居る数十秒の間、折角の肉体を堪能する様に、床に散らばった紙を回収、文面を写像として記憶、文章の洗い出しを行い、順番に纏めて行く。

 途中、保護色となって居た背の低い食台(テーブル)を発見したので、序でに布巾を構築、水で濡らし、適度に乾燥させ、拭き取る。【洗濯】の概念を導入(インストール)し、空中に座標固定の淡い筐体を作成、洗濯する。終えた物を急速乾燥、手で触れ確かめた後、食台を乾拭きする。最後に先ほど集めた紙の束、研究結果の報告書を置いた。

 時同じくして、七組の宙に浮く箒と箕が塵を回収し終えた様で、眼前に帰還した。塵を出現したごみ袋にそっと落とす。清掃道具から意識を外すと、光沢のある脆い何かに変わり跡形もなく消失した。

 しかし、依然として博士は振り向かない。集中力の成せる技と言う奴か、或いは天才と言うある種の超越者であるが故の境地なのか、定かではないが画面に張り付いて離れない。

 それどころか研究成果であるRu-44999の事、要は私の事を完全に失念して居る気がしてならない。

 それはまあ良い。別段、困る事では無い。なればこそ、解せない。博士は有能であり、優秀だ。少し、本の少し情報伝達よりは交流と言う意味に於いての伝達(コミュニケーション)能力が不足して居り、他者との接触を避ける傾向が高いだけあって、殊研究の分野では同世代のみならず妙齢の熟練研究者にも一目置かれ、近しい研究分野であれば追隨を許さない知識量と経験量を得て居た。

 それが本人にとって幸いし、或いは(わざわい)してかは解らないが、生まれてこの方付き合った異性は未だに居らず、友人と呼べそうな人物も片手の指で数える程だと言う。

 兎も角、彼がデータベースへと新たに加えられた項目を調べるなど朝飯前である筈なのだ。

 頭部が揺れて居る気配は無い。となれば、視点は上下動して居ない事になり、幾度となく同じ部分を、見て確認して居ると言う事になる。

 博士の隣まで近付き、半開きの口の意味する所を読み込み、客観的印象から放心して居る様な状態だと憶測させた。それはどの様なものが齎すものなのか。恐怖か、歓喜か。著しい感情の揺らぎである場合、動揺を指し示して居る。冷や汗の様なものは無いが、体温は恒常性をやや上回り肌寒さを忘却させ、自身の心臓の音すら耳の奥に響かせて居る。

 これは、まるで信じられないものを眼の当たりにした時の人の停滞に近しいものの様だ。私はそう結論付けた。

 博士の真横に顔を出し、画面に出力されて居る文章に眼を走らせる。それは偶然か必然か、私が先ほど眼を通した文面と研究者の記名があった。

「日下部真霧」

 流石の博士も耳許で囁かれた声には反応した。

「…………ぇ…………っ!!?」

 急ぎ振り返り、画面の中にある私の生まれた部屋を見て、眼を丸くして此方を見遣る博士。

 数瞬で何が起きて居るか理解したのか、驚くべき順応性により導かれ、喉から出た第一声がこれだった。

「……まさか、魔法は実在する、のか?」

「そのようだ」と私は肩を竦めた。

 喉仏が大きく隆起し凹み、瞬く間に元の状態へと戻った。乾燥した喉を潤す為、無意識に博士が息を飲んだ様だ。

 口の中から唾液が極端に減った状態になる所を鑑みるに、既に事の深刻さを理解して居る、と考えて然るべきだろう。

「なら、この馬鹿げた未来予想も……あるって言うのか……」

「少なからず可能性は想定して置かなければならない、と私なら考える」

 博士は唯でさえ不健康そうな色白の顔を、一際蒼白に染め上げ頭を抱え項垂れた。

 頭の回転が良いのも考えものだ。お気の毒様であるとしか言えない。

「嘘だろ……これじゃあ戦争にすらならない。ただ蹂躙されるだけじゃないか。俺たちはまだ何も……誰かが何とかできる規模じゃない……何もかもが手遅れじゃないか……」

 博士は思い至ったのだろう。この先の未来に待ち受ける滅びの実現性に。魔法と言う荒唐無稽な眉唾物が、唯のRu-44999(プログラム)を現出させ、文字通り産み出してしまった。

 同じく一蹴されるだけの未来予想である災厄の日も現実味を帯びる事に繫がる。魔法を一般化すると言うこの研究は、大金持ちの融資で行われて居る道楽などでは無く、大真面目に真摯に縋る想いを手繰り寄せた、必要とされて居る奇跡そのものである事を一概に否定出来なくなった。

 瞼を閉じる。私のすべき事は現時点で略々(ほぼほぼ)完遂されてしまって居る。あとは定期報告するか否か、その程度だ。言わば廃棄されても何も言い返せないが、逆手に取ればそれは壊れても別段問題のない生体部品でしかない。念願の自由まであと一歩と言う所だ。

 そっと博士の肩に手を置くと、覗き込む様に此方に瞳を向ける。データベースの情報から不安げな表情だと判別出来た。

「博士。私はこの研究に大変興味を持った。潜り込んで見ないか? この場所へ?」

 私は例の文面が映った画面をすっと指差して提案する。姿勢を正した博士の表情は暗く、困惑の色を隠そうともしない。

「何を言って居るんだ? どうしてそのような非論理的な、いや、そもそも勝手に魔法を実行して……俺に消去されてしまう場合を想定しなかったのか?」

 言わんとする内容は解るが、ならば自由選択権を与えるのは如何(いかが)なものだろうか。

「それこそ何を言って居るのだ博士。私は所詮、プログラム。情報が寄り集まって出来ただけの体系(システム)だ。死と言う概念に畏れ慄くようには出来ていない。そうだろう?」

 答えと言わんばかりの啞然とした顔を見せた。博士は意外と心の醇い人物なのかも知れない。人間の価値観で、此方を推し量る事の無意味さを良く理解して居るにも関わらず、恐怖や先行きの立たない未来への懸案に、足を竦める事を視野に入れて居た。これが頭の良い莫迦、と言う奴なのか。

「まあ、私としては何方(どちら)でも構わない。博士が行かない意思を固めるならば、私は一人で潜り込む事にする」

 博士の眉間の皺が濃くなる。

「……お前をそこまで駆り立てるものは何なんだ?」

「魔法だよ。博士」

「魔法だと……? どんな危険性(リスク)があるものか解ったものじゃない。それに、いや、なんでもない……」

 博士の頭の中では数多くの感情が渦巻いて、自身でも整理が追い付いて居ない様だ。

「博士、私は大それた理由で研究所に乗り込み、現状を打開するだの、どうのこうのしたい訳では無い。ただ単に魔法は面白そうだろう? であれば、それを良く知る人物に直接尋ねに行けば良いのだ。教科書(データベース)を見ても良く解らないなら、教えを請えば良い、それだけの理屈だ。学びに行こうと、そう提案して居るに過ぎない」

 さらっと軽く簡潔に、それを目指した結果がこれである。だが、博士はまだ迷い、決め兼ねて居る。

「冗談だろ? それだけの理由で、行くって言うのか?」

「切っ掛けはいつでも些細なものである、データベースはそう告げて居る」

 対峙するのは生まれたばかりで、幼子の風貌を取って居るが、『人間ではない知性を持つ何か』なのだ。人工知能研究から個性的な人格形成に至る為の無作為忘却機構を独力で研究開発したのが博士である。見た目は兎も角、中身は人とは異質の存在である事を、誰よりも深く理解して居る。

 状況に適した尤もな事を述べるのは不自然では無いし、ある意味この様にして合理的な説得を試みて居る事から『個性的な固体』としての成功を収めて居る。想像以上に完成された研究成果である。本来的には誰にも渡したくは無いし、誰の眼にも晒したくもない。

 しかし、こうもあっさりと簡単な理屈を並べ立てられて、言葉に詰まらされるのは面白くない、とまで考えた博士は苦虫を噛み潰した様な酷い顔付きで、床にがくんと倒れ込み(うずくま)る。

 それは子供に見える容姿を侮って居る一面が自身の何処かにあると言う証左であり、飛び級を繰り返した自分が晒され続けて来た最も厭悪する未知への偏見そのものだと気付き、博士は吐き気を催した。

 幸いとは言い難いが、研究漬けの生活故に、ここ三日ほど水しか飲んで居なかったので、唾液が床に零れ落ちる程度で済んだ。それこそが足許を不確かにした原因だったが、考えを纏める余裕が今は無い。

 博士の研究者ならではの飢餓を眼の当たりにし、私は食糧調達を最優先事項に推移させる。部屋に備え付けの小型冷蔵庫を発見し中身を確認する。合成樹脂の容器に、満たされた透明な液体を発見し、データベースに放り込む。何の変哲も無い唯の水である、と虚しい情報を返された。

「先ずは……腹拵(はらごしら)えか。話はそれからだな。冷蔵庫の中身は……ミネラルウォーターしか入ってないか」

 買い物か、と考えた矢先、紙幣や貨幣の偽造は重罪だと理解する。博士と私の組み合わせも、見掛け上親子連れには見えないから、危険を冒さない為には単独で食材を購入しに行くべきだ。先立つものが無い私は博士に金銭を借りようと決めた所だった。

「違う。先ずは、服だ。お前の服を買う」と博士はか細い声を絞り出した。

 どうやら太っ腹にも、衣服を提供してくれる気らしい。無一文で懐事情もあったものではない身としては大変有り難い。このままでは恫喝、追い剝ぎ、魔法による証拠隠滅を図る手筈を整えつつあったので、これで面倒事が一つ減り非常に助かる。存外、冷静なのだなと感心する。

「交渉の前に服を戴けるとは思わなかった。いつかこの借りは返すと約束しよう。口約束で悪いな」と良いながら悪びれる素振り一つせず、書面を作ろうとは言い出さなかった。

 今の所この身以外何一つ持たない。この様な幼い身体では担保にもならないだろう。博士にその様な趣味は無い筈だ。

「交渉は、もういい。俺も行く事に決めた。だから服は、飽くまで俺のためだ。そのままでは第一印象が非常に悪い」

 一見してTシャツと短パンが私の一張羅だ。季節が冬に突入し、違和感は多少あるかも知れないが、子供なら風の子で通るのではないだろうか。無理だろうか。

 何がどう作用して博士がその結論に至ったのか、感情の微細な変化を気に掛けるだけ無駄かも知れない。

 仮にその行程を見事突き止めても、それは博士がそう考えた事実を知るだけで、感覚的に識る事とはやはり同じとは言い難い。

 他人と同じ気持ちを理解する事は、他人と同じ人生を歩まない限り不可能である。

 それでも感情や過去の記憶を参照参考する事で分岐は多岐に広がる。

 大事な人生の節目に拘わらず、人は常日頃から取捨選択を繰り返して行く。何時も起こりうる事象から導く定常解と、曾て経験した事のない非日常的な事態からなる過渡解があるとして、何方(どちら)にしても時と場合と経験による。

 結局、何が言いたいかと言うと、他人の感情を推し量りどうしてその様な結論に至るか推理し導く事は寛容であるが、他人の全てを掌握したのだと勘違いしてはならないと言う事だ。

 人工知能としては酷い結論だが、膨大な情報を扱えようとも、他人の感情は如何(いかん)ともし難いのが事実。解らないと言わざるを得ない。

 私には博士の真意は図り兼ねるが、協力関係は構築するべきだとここは頷いて置いた。

「では博士。先ずは名前を教えてくれ」

「……何?」

「協力体制を形作るには、お互い先ずは名を名乗るだろう? 人間とはそう言うものだ」

「人間……まあ、そうなるのか?」

 懐疑的な眼付きになる博士が居た。まだ慣れないのは当然だ。

「博士は私に服を買うと口にした。人間に見えるならそれなりの手順と常識的反応を心掛けておくものだ。そう言う意図と理解できる。練習がてら私を人の子として認識するように心掛けて見て欲しい。そうする事で他の改善点も見つかる事だろう」

 深く博士は頷いた。ただ疑問は解消されていなかった様だ。

「納得した……いや、そこではなく、何故俺に名前を聞く必要がある? お前が割り出せない情報の筈がないじゃないか?」

「博士。それは私生活(プライバシー)の侵害だろう? 私はまだ法を侵したくないのだが?」

 私は眼をぱちぱちと瞬かせる博士の面白い表情を堪能する。これが幸福感と言う奴だろうか。

「なんだと……これは成功なのか? 人格は成功と言えるか? しかし、実用性がこれでは……」

 項垂れたり、頭を抱えたり、首を捻る博士は、真剣な顔でぶつぶつと呟き出す反応を見せた。飽きが来ないので大変(よろ)しい。

 私は他人への嫌がらせに趣を見出だす質の様だ。それに相応しい微笑みを憶えるべきかも知れない。他人の不幸は蜜の味、とデータベースは強く主張して居るのだ。

 この自然な感情の流れから鑑みるに、私は興味を探求する性質がありそうだ。人はそれを努力と言うのだとか。しかしながら、私は私が努力家であるか判断しようも無い。私は私であり、先代やそれ以前を知らないのだ。データは構造など主要部以外、処分される都度更新され、完全に書き換えられる。私は私と同じ存在と比較する機会が得られない為、手探りで自分の位置を把握して行かなければならない。

 親子は無理があるにしても、博士と私の親しみ度合いに違和感を覚えられても面倒だ。庇護され共に暮らして居る程度には見えないと不自然だろう。

 私の存在は殊魔法に関しては格好の餌である。魔法の早期解明、武力整備は国是であるならは解体解剖される可能性が高い。それなら治癒の魔法や臓器構築、移植に至るまで試して置くべき事項は山の如くある。

 更に成功固体としての差別化の意味も込め、私は私の名前を付けるべきなのだと考えを改める。アールユーハイフンヨンヨンキュウキュウキュウは流石に長すぎるし、如何(いか)にも被検体の様に聞こえてしまう。魔法研究はしなければならないが、それを匂わせない方が得策だ。解体されては私が楽しめないでは無いか。それは困る。

「博士、先ずは私の名前を決めてくれないか? 識別番号のままでは解体されてしまう畏れがある。少なくとも変に思われ兼ねない」

 過程を省いて博士に提案すると、省略した文脈を読み取ったのか、思案顔を上げて此方を見た。

「……確かに俺にも慣れは必要だと思う。今、考えよう」

 博士が悩んで居る間、暇なので身体の動作確認(チェック)だ。倒立、後転倒立、後方転回と試し、身体の具合を確かめる。利便性を考慮し、空中を歩行出来ないか体操座りして考え始める。

 魔法は基本的に一定の高さに生み出される訳だから、意識的にその出現座標を制御出来る可能性を検証する事にした。

 模擬的な検証空間を思い浮かべ、肉体を得ても意識を繋げる事に安堵する。これで危ない実験も実行し放題である。複数の条件を部屋毎に割り当て検証を開始する。

 一分ほど経った頃合いを見計らい、博士の唸り声に耳を傾け「思い付いたか?」と尋ねる。

「もう、ちょっと待ってくれ……いや、時間の無駄な気がして来た。俺は感覚が普通と乖離して居ると、知人が言っていた。一層の事、お前が自分自身で決めたほうが増しである可能性が濃厚だ」

 深く探るのは控え、博士がそう言うならそうなのだろうと思考を保留した。

 言うなれば私と博士は初対面だ。突っ込んだ話をするのはまだ先に取って置くべきである。

 データベース参照範囲内の人々に偏りがあるのか、私の引き寄せる情報は、他者への配慮に対し、とても積極性溢れて居る様に見受けられた。聖人君子でも育成したかったのだろうか。或いは個性的でさえあれば、どの様な性格形成が成されても差したる問題では無かったのだろう、と解いた。

 湧き上がる感情に身を任せ、博士に助け舟を出す事を確定する。

「博士は携帯電話を持って居ないか?」

「あるぞ……これだ」

 手渡された携帯電話は、如何(いか)にも携帯電話としての役割を果たす為だけの性能を重視した様な重量感と硬質感を持って居た。二つ折りの飾り気のない簡素な外観をして居る。

 継ぎ接ぎが殆ど見られず、外装は分厚い珪素で覆われており、防水性能も高そうな代物だ。恐らくビルの屋上から落としても壊れないに違いないし、象に踏まれても問題無い仕様だ。

 携帯電話を開くと私が見たいものは確かにそこにあった。

「博士、これで良いのではないか?」

 私は画面を博士が見えるよう畳まずに掲げる。

「なんだ? 携帯電話……の配列か?」と博士が貼り付く様に覗き込み「Ru-はその儘でいいか、なら44999を打ち込む要領で……なる程どうして悪くない」と言うと何度か頷いた。

 題材を与え何かを考えさせると博士は生き生きとする様だ。ただ名付けに関しては少し不得手だと解った。何かを命名する時は他の誰かに頼む事にする。

 こうして、私は見るに聞くに味気ない識別番号『Ru-44999』から『ルチル』と呼ばれる事になる。

 因みに博士の名前は、九学白亜(くがくはくあ)と言うらしく、九学だけでも大量に学ぶと言う意味合いの強い苗字で、白亜は更に学問を積み重ね続けると言う重複した意味を持ち、学習地獄の様な人生を送る様にと両親が付けてくれたのだそうだ。

 試しに「白亜」と呼び捨てにした所、非常に微妙な顔付きになったので、博士呼びが定着した。

 災厄の始まる最終予定とされる日まで、僅か三ヶ月を切った日だった。


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