なろうのジョナサン
それは、天上の白き宝玉と呼ばれている。
フォトグラファーの間で。
ダイヤモンド行きに乗るとやまなしであった。川の底が白くなった。プランクトーンでクラムボンのレクリエムが流れている。蛙がない首を長くして、ダイヤの時を待っている。
時がきた。
光陰夜の如く、学なり難し。
ガイドがぼくの傍らに立って、心の窓を落とした。
「富士さーん、富士さーん」
富士山はひかりでもなく、のぞみでもなく、こだました。
「明日はなろうは翌檜ですが、みななろうはわたしです。美しい日本の美しい山、それがわたしです」
富士山の声に耳を奪われていると、ダイヤモンド目当てのフォトグラファーが、瞬間、心重ねて、永遠の59秒目を迎えた。
パール行きに乗るとしずおかであった。海の底が白くなった。ほんの小さな調べでマリンボンの鎮魂歌が流れている。キリンがありあまる首をもてあまして、パールの時を待っている。
トキがきた。
愛するが故に見守る愛もある。
ガイドがぼくの傍らに立って、心の窓を落とした。
「富士さーん、富士さーん」
富士山はみずほでもなく、さくらでもなく、こだました。
「小説家になろうはみなさんですが、みななろうはわたしです。美しい日本の美しい山、それがわたしです」
富士山の口に目を奪われていると、パール目当てのフォトグラファーが、静止した時の中で、永遠の59秒目を迎えた。
ぼくが言いたいことはここからはじまるのである。
なろうのみなさん。ばくはなろうのジョナサンです。安直なアマチュアリズムの幻想を捨てるところから出発します。読者の観賞に耐えうる文章は専門的鍛練を経なければ書けないものなのです。素人文学隆盛におもねって、誰にでも書ける文章には満足しません。
蝶は高く舞い上がり、潮風に逆らって島を離れようとしていた。風はおだやかにみえても、蝶の柔らかい羽にはきつく当たった。それでも蝶は島を空高く遠ざかった。母親は蝶が黒い一点になるまで眩ゆい空を見つめた。いつまでも蝶は視界の一角に羽ばたいていたが、海のひろさと燦めきに眩惑され、おそらくその目に映っていた隣の島影の、近そうで遠い距離に絶望して、今度は低く海の上をたゆたいながら突堤まで戻ってきた。そして干されている縄のえがく影に、太い結び目のような影を添えて、羽を息めた。
「あほな蝶や。よそへ行こうと思ったら、連絡船にとまって行けば楽に行けるのに」
なろうのみなさんは、連絡船に乗ってください。ぼくはアサギマダラに倣って海を渡ります。海を越えたところに三島があります。三島は、隊員百名、民兵からなる文武両道の島です。
どういう文章を理想とすべきか。第一に格調と気品、第二に正確さ、第三に暢達であること。あとは、あとは勇気だけだ。
文筆は加速しない。芸術的、社会的、歴史的要請が筆を停滞させる。肉体的精神的コンディションが筆を折る。一晩で一枚も書けないときもある。
書く喜び、書けない苦しみ、どちらもぼくは楽しむ。そういう道をぼくは独り歩む。
日は富士の背に落ちんとして未だ全く落ちず、富士の中腹に群がる雲は黄金色に染って、見るがうちに様々の形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖の様な雪が次第に遠く北に走て、終は暗憺たる雲のうちに没してしまう。
日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、其時は路をいそぎ玉へ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放ているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落としそうである。突然又た野に出る。君は其時、
山は暮れ野は黄昏の薄かな
の名句をおもいだすだろう。
ぼくがなかんずく感心するのは、「風が今にも梢から月を吹き落としそうである」というメルヘンであります。
しかし、真に言いたいことはここからはじまるのである。
ぼくは思うのです。
武蔵野のメルヘンの強風も、天上の白き宝玉を吹き落とせないだろうと。
「最後の一葉」の画家が真珠湾に、富士山を描けば、日本軍はニイタカヤマには登れなかっただろうと。