自分の為の2.14 -前編-
人によって一番特別な日という物は異なる。
その人が生まれた事を祝福する誕生日や二人が結ばれた大切な日である結婚記念日などと言う人もいれば、何かの賞を取った日や大会に優勝した日など世界に認められた輝かしい日を挙げる人もいるだろう。
そして高校二年生である霞賀麻衣にとっては、その特別な日は明日となる予定だった。
今までは誕生日が特別な日だった彼女だが、今年は少々事情が異なった。
自宅の大きな調理場にて、チョコレートを準備し、試合に臨むような気持ちで気合を引き締める。
そう、彼女にとって人生で最も特別な日は、誕生日から明日のバレンタインデーへと変わったのだ。
霞賀麻衣は十六年生きて来たが、今までは一度たりとも父親を除く男性との接点を持ったことがない。
それは家が厳格だからというお嬢様特有の理由ではない。
父親はおおらかな性格で普通の範囲での恋愛なら何も言わないと常日頃から言っており、母親に至っては『娘とコイバナとかしてみたいわー。だからガンバ☆彡』と気楽な事を言う始末である。
麻衣自身は異性や恋愛に対して、積極的に動く気はないが忌避感を持つほどでもなかった。
あり大抵に言えば、興味がないのだ。
無関心に等しいほど男性との接点がない理由、それは単純に……麻衣の通う学校が女子高だからである。
それなりに裕福な家庭で育ったからか、麻衣は女性の花園から出た事がなく、男性という生き物との接点が一切なかった。
そんな事情が変わったのは今年の事で、それは友人である塚原涼子のおかげだった。
私立聖ヶ丘グロリアス女学院。
戦前にて廃校となっていた聖ヶ丘高校をカトリック系列としてリバイバルし生み出されたこの女学院は……色々と自己主張の強い大人達の争いによりこのようなめんどくさい名前となってしまった。
長くて呼びにくいので生徒達は聖ヶ丘学院と名乗っていたが、最近はアニメの影響か何かでグロリアス女学院と呼び紅茶をたしなむ生徒が増えたらしい。
お値段と学力的に考えればそこそこのお嬢様学校ではあるのは事実だが……別に箱入り娘を量産しているような極端な学校というわけでもない。
現に、夏休みを開けると突然服装や衣装が変わりピアスを開けるような露骨な生徒もいるし、いきなり髪の色を染めて教育指導を受けるような生徒もいる。
卒業後にどこか進路が決まっていたり見合いをしなければならないといった事もなく、普通に大学に向かうか就職を目指すかだ。
どこの学校とも同じよう、難しい勉強を苦しみながらがんばり、運動を嫌々ながら続け、昼食を友人と話しながら食べる。
そんな普通の学校で、麻衣は生活していた。
麻衣が一番親しいと思っている友人、塚原涼子。
彼女の正確を一言で言うと、クールである。
麻衣とは違いショートカットでまとまった髪をして、淡々とした表情のまま何でもそつなくこなす。
黒髪ロングでお淑やかな印象を持ちつつも、運動も勉強も凡才でいつも苦労している麻衣とはあらゆる意味で正反対だった。
たぶん、似ていないから親しくなれたのだろうとも思う。
と言っても、正直に言えば釣り合っていないのも事実である。
体育のマラソンではいつも横に付き合わせ、勉強会ではいつも教わる立場。
調理実習ですら『あなた作る人、私食べる人』といったようにあらゆる意味で面倒をかけ続けていた。
だからこそ、我慢出来ず一度聞いた事があった。
『どうして私みたいなダメっ子動物にそこまで良くしてくれるの?』
そう尋ねると、涼子は小さく笑った。
『駄目っ子動物って何? リスとか兎? ……今の干支的にイノシシかな?』
一番違いのが猪突猛進気味のあるイノシシの辺りで、麻衣は苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
その後、涼子は小さく微笑みながら麻衣の頭をぽんぽんと叩く。
『友人に良くするのって普通じゃないかな』
それでも、麻衣はそんな言葉を素直に受け取れなかった受け入れられなかった。
『私ばっかり受け取ってしまったら友人って胸が張れなくて。ふがいなくて……』
『――そんな事ない。私もたくさん受け取ってるよ? でも胸は張らないで良い。それはそれでむかつくから』
そう言った後涼子は自分の平坦な大地と麻衣の恵み育った渓谷を見比べた。
『気にしてないんじゃなかったの?』
くすっと微笑んだ後麻衣がそう尋ねると、涼子は少しだけ拗ねたような表情を浮かべた。
『それでも、悔しいって気持ちはあるのさ』
そう涼子が呟いた後、二人はお互い控えめな笑いを向け合った。
明確な答えが見えたわけではないが、一つだけはっきりした事がある。
それは堂々と友人であると胸を張って良いという事だ。
麻衣がそう気づいた瞬間だった。
そんなある日の放課後、麻衣にとって決定的ともなる事件が起こる二月の事である。
皆が自由と青春を謳歌しようとしている中で涼子はものすごく言いずらそうにしながら麻衣に話しかけた。
「あのさ、悪いんだけど……今日時間あるかな?」
「ん? これからの予定はね……帰宅部の部活動である帰宅があるわね」
「そ。暇なんだね」
「うん」
そう麻衣が答えると、涼子は珍しく、両の掌を合わせ麻衣に懇願した。
「ごめん。付き合ってくれないかな」
「何に?」
そう尋ねると、涼子は言葉を濁しながら呟いた。
「……男の人達と会うの」
「ほわーい?」
「えっとね……本当は加奈達とで合う予定だったんだけど……」
「ああ。加奈か……。そう、今いないもんね……加奈……。良い子だったのに」
そう言いながら麻衣は空席となった机を見つめた。
「いや、何意味深な感じにしてるのさ。インフルエンザだよ」
「てひひ」
麻衣がそう笑うと涼子はこつんと優しくゲンコツをぶつけた。
「お父さんが勤めている会社で男女五人ずつでの会合……話し合い? 雑談会のようなものがあるんだ。あ、合コンとかそういう厭らしい意味は一切ないよ。お父さんのいる会社での行事の一環だし。大した事をするわけじゃない」
「はあはあ。それでそれで?」
「会社としての目的は男子校と女子高を出た後の事を考えての予行練習。加奈達は彼氏作り。そして私は会社の都合に巻き込まれ。それで、加奈がインフルエンザにかかったじゃない?」
「うん」
「加奈の友達もかかってね」
「うん……うん?」
「……五人で良く予定が……私一人になりました」
「おうふ。……ん? それキャンセルで良くない?」
「うん。そうしようとしたんだけどさ、あちら側でも流行してるみたい」
「何が?」
「インフルエンザ」
「……それで?」
「『こちらも二人になりましたのであと一人連れてきてください。無理なら一人でも大丈夫ですよ』という話になりまして……」
「――断れなかったの?」
その言葉に涼子は珍しく困った表情で頷いた。
「……うん。ごめん巻き込んだら悪いよね。やっぱ私一人で行ってくるよ」
そう涼子が言った瞬間、麻衣は涼子の肩をがしっと掴んだ。
「いく」
「……え?」
「いく。連れてって」
「……無理しなくて良いよ? キミ出会いとか全く興味ないじゃないか。いや私もないけどさ」
「うん。出会いに興味はないよ。でもね、普段男の子を見ない私としては、とても好奇心がそそられ……控えめにいって興味があります。あ、男の子だよね? おじいさんとかじゃないよね?」
「うん。男子高の人だからそんなに歳は離れてないと思う」
「んで、怖い目とか合わないんだよね? お酒飲まされたりとか」
「うん。お父さんがいる会社の一室使うから雑談してお菓子食べるくらい。監視カメラもついてるから不埒な真似はしてこないよ。ついでに来る人の片方だったら人柄も保証出来る」
「ん? 知り合い?」
その言葉に涼子は首を横に振った。
「ううん。だけど、お父さんの同僚の息子で、会社のパーティーで見た事があるの。とても礼儀正しくて真面目そうな人だった」
「そか。なら問題ないね! 一緒に行こ?」
その言葉に涼子は少しだけ罪悪感を含めた苦笑いを浮かべ、頷いた。
「うん。ほんとごめん。付いてきて」
「はーい」
そう言いながら二人は学校を出た。
涼子父の車に乗って一時間ほど移動して会社に向かい、二人と涼子父は会社の小さな個室前に移動した。
「涼子。コレを持って行きなさい」
そう言って涼子父は涼子に飲み物と茶菓子を乗せたお盆を手渡した。
「ん」
涼子は小さく同意し、ドアの前に立つ……が、開けない。
お盆で手がふさがっているからではなく、単純に緊張してる様子だった。
麻衣は普段見ない涼子の意外な一面に少しだけ驚いた。
「ねね涼子お父さん。中にいる男の子ってどんな人?」
麻衣の質問に、涼子父は小さく微笑んだ。
「良い子達だよ。知ってる事を話すと中で話す事がなくなるだろうから何も言わないけど……強いていうなら君達二人に似てるかな?」
「似てる?」
「ああ。元気一杯な麻衣君とソレに惹かれて付いて行く娘みたいな感じだ」
「ちょ、お父さん」
いきなりの不意打ち暴露に涼子は慌てた様子を見せ、父を責めた。
「はは。怒られる前に退散するよ。じゃ、後で」
そう言い残し涼子父はそそくさと退場していった。
「まったく……」
そう呟く涼子の態度からは緊張が消え去っていた。
――そかー。元気なとこに惹かれてくれたのかー。
そう思った麻衣だが、言葉にはせずにやにやするだけにしておいた。
こん、こん、こん、こん。
涼子が丁寧なノックをすると、中が少しだけ賑やかになり数秒後に返事が返って来た。
「はい。どうぞ」
若干高めで大人しい声の返事を受け、涼子は生唾を飲みドアを開けた。
――また緊張してる。涼子がこんなに緊張するって珍しいな……男の人苦手だったのかな。
麻衣はそう考え、出来るだけ自分がでしゃばろうと心に決めた。
「失礼します」
涼子がお盆を持ったまま頭を下げるのに合わせ、横で麻衣も深く頭を下げた。
「失礼します。本日はよろしくお願いしますね」
麻衣はそう言って微笑みながら部屋の中を見た。
カラオケルームのような一室でソファが二つ、ソレを挟むようにテーブルが置かれ、片方のソファに二人の男子が座っていた。
一人はボサボサ髪でこちらを茫然とした様子で目をぱちくりさせている子供っぽい印象を持った長身の男性。
もう一人は清潔感のある真面目そうな眼鏡の大人びた男性で、こちらに向って愛想笑いを浮かべていた。
「初めまして。西段高校二年の平井亮と言います。本日は交流会という事らしいので、お互いの事を多少でも知り合えたらと思っております」
そう大人びた眼鏡の亮が言った後、慌てた様子でもう一人の男性が後を継いだ。
「あ、俺の名前は宗近相馬と言って! ……おい亮、あと何言えば良いんだ?」
「……私に聞くな」
そう言って二人は若干緊張した様子をしながら軽く言いあっていた。
その様子を見て、つい我慢出来ず麻衣は小さく噴き出した。
「くすっ。仲がよろしいのですね?」
「あはは。お恥ずかしいところを。ああ、俺達中学から男子校だったから女性との接点がなくて……何か失礼があったら遠慮なくいってくれ。……言ってください」
相馬の笑ったかと思えばガチガチに緊張したり、チラチラと不安げに亮の様子を見たりとコロコロ変わる表情が、麻衣にはとても面白く映った。
「すいません。コイツを男性の基本と思わないで下さい。普段から落ち着きない奴なんですが今日は特に酷い。ちょっと舞い上がっちゃって」
「だってさ、お嬢様だぜお嬢様。そりゃ舞い上がるさ」
何故か自慢げに言い切る相馬に、亮はゴンと強くゲンコツをお見舞いした。
「えっと、私の名前は塚原涼子と言います。今回唯一の本当の参加者で……こちらが無理いって付いてきてくれた私の友人で――」
「霞賀麻衣と言います。あまり男性と触れ合う機会がない身ですので、何か無礼があれば是非おっしゃってください」
そう言いながら、麻衣は優しく微笑んだ。
「――無理してない?」
そんな麻衣に相馬は突然、真剣な表情でそう呟いた。
予想外の言葉に目をぱちくりさせる麻衣の目前で、相馬の頭にゲンコツが打ち付けられ、相馬は蹲りながら頭を抑えていた。
「失礼しました。この馬鹿は基本的に大馬鹿者ですので無視をしていただいて構いません」
「だってさ、無理してるじゃん。礼儀作法が必要な場はしょうがないけど俺達相手なら礼儀とかどうだって良いし……」
「この馬鹿。実際に作ってたら俺達を怯えている事が原因かもしれないし、そうじゃなかったら最悪だろうが。どっちにしても無礼な発言なんだよソレ」
「……そなの?」
そんな会話を小声でする二人だが、全部麻衣の耳に入っていた。
「えっと、宗近さんでしたよね?」
「あ、相馬で良いっす。皆そう呼ぶので」
「だから距離感を――」
怒鳴りつけようとする亮の声を麻衣は手を優しく静止し、相馬に尋ねた。
「では相馬さん。どうして無理をしてると?」
「え? だって似合ってなかったよ。お嬢様っぽく無理してる感あったし……普段もっと気軽にしてるんじゃない? あ、無礼だったらごめん。悪気はホントにないんだ」
その言葉に麻衣は満面の笑みを浮かべ、涼子は目を丸くして驚いていた。
『麻衣さんって凄くお淑やかで、羨ましいわ』
『私も麻衣さんみたいに嫋やかな性格になりたいわ』
一年生の頃、黒髪ロングというだけで『お嬢様らしい』というレッテルが貼られ、その期待に麻衣は長い事応えようとしていた。
能力は平凡、家柄も他の人達のような由緒なんてものもない。
それでも、皆がその容姿から憧れてくれるから……必死に……その期待に応えるよう麻衣は頑張り続けた。
それを止めたのが涼子だった。
『ねぇキミ。無理してないかい?』
『えっと、何がでしょうか?』
『その態度。全然楽しそうじゃないよ。作り笑いが痛々しい』
そう指摘してきた人は、今まで一人もいなかった。
『えっと、すいません。意味がわからないのですが……』
『どんな性格でも君は君じゃないか。堂々とすれば良い。皆わかってくれる』
そう言われて、麻衣はどれだけ救われたかわからない。
初めて、自分を見てくれる人に会ったような気がしたのだ。
そんな会話の後、麻衣は本当の自分、自分は平凡でお嬢様でない事を皆に話した。
涼子の言う通り、皆わかってくれた、むしろびっくりするほど真剣に謝られて困ったくらいだった。
未だに麻衣を初見で見る者は皆黒髪ロングとその雰囲気だけでお嬢様だという印象を持ってしまう。
それは麻衣にとって、好ましくない自分の一面となっていた。
だからこそ――その失礼極まりない発言は麻衣にとってとても嬉しい言葉だった。
「そかー。似合ってないなら止めるね。私の名前は麻衣。下の名前で呼ぶからそっちも呼んでね相馬君」
「わかった麻衣ちゃん。……やっべ名前呼ぶだけでなんか恥ずかしくなってくる」
「……ちょっと止めてよ。私まで恥ずかしくなってくるじゃん」
そう麻衣が言い返すと相馬は小さく謝り、そして二人は大声で笑いあった。
「すいません。ウチの頭がパーな可哀相馬が馬鹿をやってしまって」
「いえいえ。ウチの麻衣も似たようなもんなので……」
二人して話し合う相馬と麻衣を裏に、亮と涼子は小さく謝罪し合っていた。
「とりあえずソファに座って、休みませんか? ……相馬疲れでちょっと喉乾きまして」
亮のそんな言葉に苦笑いを浮かべ女性二人が頷きソファに並んで腰を下ろした。
「んで、何に乾杯する?」
「は?」
相馬の一言に亮は首を傾げた。
「いや、グラス四つで四人、飲み物飲む。乾杯からじゃね?」
「……一理あるな」
何故か亮は難しい表情をしつつそう呟いた。
――うーん。一理あるのかなぁ。
麻衣はそう思いつつも苦笑いを浮かべるだけで黙っておいた。
「では、今日これなかった人達の健康を願ってで」
涼子の言葉に全員が同士しグラスを持った。
「今日これなかった人達の健康を祝って――」
亮がそう呟くと相馬はくししと小さく笑った。
「後で思いっきり自慢してやろう。めっちゃ可愛かったってな」
麻衣は自分の頬が赤くなるのを感じ、小さく下を向いた。
スパーン。
その小気味よい音は亮は相馬の頭を叩いた音だった。
「困らせるな」
そんな亮の言葉尻には、既に疲労が見えていた。
「とりあえず。乾杯」
涼子がそう強引にグラスを出すと、四つのグラスはぶつかり合いチリンと風鈴のような綺麗な音を鳴らした。
ありがとうございました。