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ヤった勢いで酔っちゃいました

作者: 須賀





 覚えのない肌触りのベッドのシーツと、覚えのない部屋の匂いが緩やかに意識を浮上させた。

 ぼんやりとした頭は思考を働かせようとはしないけれど、直感的に理解する。ここは自分の家ではないと。


 愛用しているタオル生地の布団カバーではなく、さらりとしたシーツの感触が身動ぎした素肌を撫でた。

 最近寝室に置き始めたルームフレグランスの桜の香りの代わりに、シトラス系の香りを鼻が感じ取った。


 見慣れぬ天井をじっと見つめながら、隣に感じる熱を思い、深く溜め息を吐いた。


 スゥスゥと穏やかな寝息が憎らしい。自分の働く会社の同期である、横屋(よこや)宗也(そうや)が、私の横で眠っていた。


 布団からはみ出た肩は寒そうに肌を晒していて、掛け布団を少しだけ引っ張り彼の首元まで覆ってやる。引っ張り過ぎて彼の爪先がニュッと飛び出たのが視界に映った気もするけれど爪先には犠牲になっていただこう。


 ベッドの近くには衣服が二人分、散乱していた。まるでお互い、性急に何かを求め焦燥していたかのように乱雑に脱ぎ捨てられており、床に散らばったそれらは私たちが昨夜着ていたもので間違いなかった。


 昨夜の飲み会はとても盛り上がった。繁忙期を乗り越え、会社全体として業績を上げ、社長や役員は大盛り上がりで、一次会で我々若手は財布を開くことはなかった。

 二次会で飲み過ぎたのがいけなかったのかもしれない。こんなど定番な失態をやらかすなんて思わなかった。


 酔った勢いでヤっちゃいました。


 鈍く頭を貫く痛みは二日酔いによるものなのか、この状況によるものなのか、私には判断がつかなかった。







 二十六にもなってお酒の失敗とは情けないものだと早朝の街を歩きながらしみじみ反省した。


 そう、私は逃げた。触れ合っていた肌をそうっと離し、散らばった服をかき集め手早く身に纏い、忘れ物がないか目を凝らして部屋を見渡し、最後に彼の爪先に布団を掛け直してやってから家を出てきたのだ。


 横屋とは社内で顔を合わせれば挨拶を交わすほどには知っている仲であるが、ベッドで肌を合わせて朝の挨拶を交わすほど親しい仲ではない。どうしてこうなってしまったのか、床にポイされていたせいでやや皺の残ったジャケットを撫でながら眉を寄せた。


 自分には今恋人はいない。一夜限りの関係を咎める相手はいないだろう。


 しかし横屋は別だ。甘い顔立ちにすらりとした体格、営業職としての仕事は優秀で社内でも社外でもその評価は高い。彼に想いを寄せる女性は少なくないのだ。

 そして、その自身の魅力を理解し使い慣れている彼は女性との関係が奔放で、明け透けに言えば下半身が緩い。


 今特定の誰かが彼の恋人の座にいるという噂は聞いていないが、ただの噂で安心してはいられない。人の彼氏に手を出しやがって、と刃物を持った女の子に殺される人生は嫌だ。


 なかったことにする。これが何よりだろう。抱く女には事欠かないようなあの彼なら、こういった一夜の関係程度、慣れているに違いない。こちらが動じなければ向こうもそっとしておいてくれるに違いない。


 ああ、なんだか慌てて逃げてきた自分が恥ずかしい。

 十代の子どもでも、二十代なりたての若者でもないのだから、さらっと流さなくては。


 ところで、ああいう奔放な人ってなんていうんだったか。

 ええと、来るもの拒まず、去るもの追わず、だっけ。結構なことだ。もう深く関わるつもりもないけれど。







 と、思ったのはつい数日前の休日のこと。今の私は状況を軽く見た自分を恨んでいた。


「ね、(つばさ)。なんで俺を置いて帰っちゃったの? 心配したんだよ。それに起きたとき一人って寂しいんだから」


 いつも通りの穏やかな休日を過ごし、月曜日になり会社に出勤したところで横屋に捕まったのだ。


 ようやく会えた、なんてドラマの最終回のごとく感動的に抱き締められ、私は気を失うかと思った。私の体を決して逃がさんとして締め付ける物理的力も、出勤したばかりの周囲の人たちが向ける遠慮なしな好奇の視線も、私をしっかり追い詰めたからだ。


「よ、横屋……? え、何……どういうことなの……」

「横屋なんて他人行儀だなあ。俺のことは宗也って呼んでって言っただろ?」


 いや、君と私は他人だろ……?


 締め付ける力がやや緩まり、逃げ出そうと足に力を入れたところでそれを読んだかのように彼の腕が腰に回り、ぐっと引き寄せられる。呆然としつつ見上げると、蕩けた笑顔の横屋が私を甘ったるく見下ろしていた。


「翼。翼、翼、ああ、可愛い。一生大事にするから、俺の側にいて」


 頬に唇を落とされ、私は手に持っていた鞄を落とした。

 誰?

 誰だ、これは?

 女子社員の喜んでるのか悲しんでるのか怒ってるのかわからないような悲鳴が聞こえて、私はそんな声をあげている暇があるならこの彼を引き剥がしてくれ、と切に願った。







「誰あれ? あんた横屋くんに何したの?」

「わかりません」


 私の所属する総務の先輩が、ふぅん、と口元に手を当てながら色っぽく溜め息をついた。朝、現実逃避に意識を飛ばし掛けていた私を、横屋の腕の中から回収してくれたのが彼女だ。

 仕事の手は決して止まらないのに目だけが好奇心に爛々と輝いていて、私はさりげなく目を逸らした。


「あのプライド高そうな軽薄くんがあんな甘い台詞を吐くなんてねえ。藤村(ふじむら)ちゃん、やばいのに目をつけられたんじゃない?」

「怖いこと言わないでくださいよ……。確かに朝はちょっと変なことになってましたけど、あの横屋ですよ? どうせすぐあちらこちらの綺麗な美女の元にひらりひらり飛んでいきますよ」

「あいつは蝶々かなんかなの……?」


 肩を震わせて俯いてしまった彼女は、どうやら何かがツボに嵌まったらしい。


 しかし、確かに朝の横屋は変だった。いつもなら『よう藤村』と片手をひらり振って、私も『おう横屋』なんて手を振り返して、双方立ち止まることなく擦れ違うだけなのに。男女がどうとかいう面倒な雰囲気のない、それなりに親しい程度の同期という関係性だったはずなのに。


 そもそも彼は言い寄られることはあっても言い寄らない。だからこその、『誰あれ?』なのだ。


 まるで酒にでも酔っているかのようだった。ほんのり赤らんだ彼の笑顔を思い出す。


 酒といえば嫌でも思い出す数日前の失態だが、正直、あの夜の記憶はあまりない。本当は殆どない。実は全くない。朧気に覚えている飲み会の場面だって、彼の近くに寄った記憶はない。

 ……とりあえず、暫く禁酒しよう。







 昼休み、私は横屋に手を引かれていた。目立つ容姿に目立つ優秀さに目立つ評判をお持ちの横屋が堂々、私を連れて歩くものだから、これは新手の嫌がらせなのでは、と思い始めた。「え~なんかショック」とどこかから高めの声が聞こえた。私もショックだよ、お揃いだね。


「横屋、どこ行くの」

「二人になれるとこ」

「うーん」


 二人にはなりたくないけど、話す必要はあるのかもなあと考えながら唸っている間に、小さめの会議室に押し込まれた。私的利用は禁止されていなかったっけ。


「翼」


 そう、それだ。彼は私を名前で呼ぶ。大事そうに、幸せそうにその名前を呼ぶから、なんだか調子が狂いそうになるのだ。


 椅子に座らされ、彼もすぐ横に座ると、私の髪を掬った。ゆるゆると触れられ、甘い雰囲気に顔が引き攣りそうになる。出入り口側は彼が塞いでいる。逃げ場はない。


「翼、どうしてあの日帰っちゃったの?」

「……正直、ああなった経緯を覚えてなくて」


 ちら、と彼を見ると、目を見開いていた。呆然とした様子にうっかり罪悪感を覚えそうになり、誤魔化すように頬を掻く。


 そういえば昼食はどうするのだろうか。空腹を訴える私の腹がこの静かな会議室で鳴き出さないといいのだけど。


「翼は……そっか、覚えてないんだ。残念」


 垂れた目がへんにょりとした笑みを作り、掠れた声が切なく聞こえた。なにこれ、私が悪いことをしたみたいな雰囲気になっている。本来、性に奔放な彼に遊ばれた女の子がするような表情じゃないのか、これ。


 ぐるぐると考え込む私の手をとって、彼は直前までの悲劇顔は何処へやら、にっこり微笑んだ。


「翼が俺たちの初めてを覚えてないのは残念だけど、まあ、だから諦めるってつもりはないからそれは覚えておいてね。それに、今度はどれだけ飲んでても忘れられないくらい激しーくしたげるから」

「……は?」







「横屋には相手してくれる女の子くらい山のようにいるでしょ」

「翼がいいから、翼以外全部要らない」

「重い」

「そう? でももう翼じゃないと無理だからさあ」

「腰を撫でるな。やっぱ変だよ横屋。そんなキャラじゃないじゃん。酔ってんの? 先週の飲み会の酒がまだ残ってるの?」

「んー、そうだね、翼に酔ってるかな」

「寒い」

「翼は厳しいなあ。そこも好きー」


 エレベーター内でこんな会話をしたせいで独身の上司から凄い目で見られた。勘弁してほしい。


 昼食はあの会議室で横屋のお手製弁当を食べた。意味がわからなかった。卵焼きが好みの味付けだったのでなんだか悔しい。


 大体、なんだあの甘ったるい態度は。隙あらば触れてこようとする手から体を守ろうとガードしたら、ガードしていた手をとられ、昼休みが終わるまで手を繋ぐ羽目になった。中学生かよ。


 彼はもっとこう、きゃっきゃした女の子達から迫られ、にこやかに対処しながら気が向いたら適当にお持ち帰りするような軽い感じの人ではなかったか。特定の彼女を作ったら刃傷沙汰になりかけたから遊びの関係ばかりなのだと噂で聞いたことがある。


「翼、仕事終わった? 一緒に帰ろ」


 こんな、一人の女をせっせと迎えに来るような一途さを持ち合わせているような人だなんて、信じられない。


「……翼?」


 捨て犬みたいな顔はずるい。実際捨て犬見たことないけど。







「宗也くん!」


 会社を出たところで、彼の元に女の子が突っ込んできた。


 おお、凄い。体当たりだ。

 きっと横屋が両手を広げて受け止めてあげたなら立派な抱擁となっただろうに、体の横にある両腕が微動だにしないせいで彼女の突撃はただの攻撃となった。


 フリル付きのワンピースのよく似合う、ほわほわ系美少女だ。お人形みたいな子だなあとまじまじ見てしまう。しかし、横屋本人は横で見ていた私が驚くほど冷めた目で彼女を見下ろしていた。


「……何?」

「あのね、宗也くん、最近連絡くれないから、会いに来ちゃった」


 語尾にハートマークが見えるような、可愛らしい言葉にも彼は表情ひとつ変えない。以前までなら、どんな女の子に対しても優しく接していたのに。


「連絡しないってことは、会う気がないからだろ。会社まで来られちゃ迷惑だ」

「そんな……」


 うるうると大きな瞳を潤ませる彼女を、ついはらはらとした気持ちで見守ってしまう。と、無意識に握っていたらしい手をとられ、あっという間に指を絡められていた。


「ドラマの視聴者みたいな顔で見てないでよ、翼。俺はもう翼にしか興味ないんだから」

「あいやいやいやいや」


 距離をとろうとするも絡んだ手は外れない。ほわほわ美少女の視線が痛くて焦っている間にぐいと強引に引かれ、手が離れたと思ったら私を引き寄せた彼に肩を抱かれていた。


「ってことだから、もう俺らに関わらないでくれる?」

「……最低」


 ほわほわ美少女はそう呟き最後に私を鋭く睨み付けると、走り去っていった。華奢なミュールでよくあれだけしっかり走れるものだ。


「最悪……」

「翼が腕の中にいるから俺は最高」


 すりすりと首元にすり寄られ、私は空を眺めた。

 おそらきれい。







「おっ翼! お前、横屋に言い寄られてるんだってな」

「トシくんまでその話題……」


 社内の自動販売機前で会った大柄なトシくんに笑いながらポスポスと頭を撫でられ、げんなり、肩を落とす。もう誰と話していてもその話題に行き着くものだから、そろそろ疲れてきた。


「あの軽い奴があんな重い奴になるとはなあ。お前、何したんだよ」


 トシくんも営業部だから、彼の人となりをよく知っているらしい。同時に、今の壊れ具合も。


「酔った勢いでヤっちゃったりはしました」


 飲んでいたお茶を噴きそうになったトシくんが、周囲を見渡してから何かを耐えるように頭を抱えた。


「あ、明け透けにもほどがある……俺相手だからいいものの、少しは慎みを持ってだな……」

「でもそれだけであんなんなりますかね」

「聞けよ。……うーんヤった勢いで酔っちゃってるんじゃねえの?」

「いやそんな洒落を言われても」


 ちょっと上手いな、と思ってしまった。


 どさくさ紛れにトシくんに買ってもらったレモンティーを持って自分の部署に戻る。廊下を歩くだけで何気なく向けられる好奇の視線には少し慣れてきた。


「翼」


 ただ、この甘い呼び掛けはまだ慣れない。


 待ち構えていたかのように私の行く手に立つ横屋を、手元のペットボトルを弄びながら眺める。あえて遠めにとった距離は、彼の長い足が一瞬で詰めたことで意味をなくした。


「あの人とどういう関係?」


 トン、と背中が壁に触れて、追い詰められたことを知る。


「あの人。……トシくん?」


 首を傾げると、横屋の顔が強張った。囲うように顔の横に手をつかれ、近距離で切なく歪む彼の瞳につい見惚れそうになる。


「どうして名前を呼ぶの。俺のことは呼ばないのに」

「え、だってトシくんは、」

「やだ、聞きたくない」


 ぎゅうぎゅうに隙間なく抱き締められ、喋ろうとしていた口を彼のシャツに塞がれる。化粧がつくからやめてほしいと考えている間に彼のスマートフォンに着信が入ったらしく、痛みにでも耐えるように彼は去っていった。


 トシくんは、姉の旦那です。と言いそびれた。


 その日の帰り、一時間程度の残業を終えて会社を出れば、横屋が気まずそうに待っていた。

 気まずいというか、恥じらっているというか。この顔はもしや。


「トシくんに聞いたんだ?」

「……うん」


 こくりと頷く照れた顔の彼は少し可愛かった。







 駅までの道を横屋と並んで歩く。歩き出して間もなく彼に繋がれた手に落ち着いてしまっている自分に、落ち着かない気持ちを覚えた。


「翼」


 呼び掛けと同時、彼の手に力が入り、なにやら緊張した様子の彼に釣られて緊張しそうになりながら彼を見上げた。

 彼とは目が合わなかった。何処を見ているのか、正面ばかり見つめている彼の耳と頬が赤いことに気がつく。


「翼、あのさ、」

「うん」


 固い声に頷いて続きを待つと、彼はようやく私を見た。熱に浮かされたような、酒にでも酔っているかのような熱い視線が私を射抜く。


「どうしても好き。俺と付き合ってほしい」

「うん、いいよ」


 直前の相槌と同じくこくりと頷くと、彼が間抜けな顔で動きを止めた。


 そこまで、予想外な返事をしただろうか?

 恋愛感情を抜きにして元々好意的に思っていた友人から愛を囁かれて、女性関係において軽かったとはいえ過去を悔いるように一途で真剣な様を見せられて、いつも飄々としていた彼が自分だけに執着する様子を見せられて揺らがないほど、私は頑なではない。


 酔った勢いでヤっちゃって、ヤった勢いで恋やら愛やらに酔っちゃったかもしれない横屋を拒めない自分がいるのだから、仕方がない。酔いが醒められたら少し困るかもしれないけど。


「翼……、本当に?」

「本当に」


 飲み過ぎたときみたいに、顔が熱くて脈が速まっている気がする。ああ、私も酔ってしまったのかもしれない。手の甲で顔の熱を冷まそうとしていると、頬に当てていた手をとられ、唇が重ねられた。


 はむ、と下唇を優しく食まれ、呆けている間に彼の舌がぬるりと口内に入り込み私の舌に絡みつく。目を閉じ忘れたせいで、艶っぽく目を伏せる彼の顔を間近で見つめる羽目になりつい退きそうになるが、彼の腕が私の腰を捕らえているせいで失敗に終わった。


 やがて名残惜しそうに彼の唇が離れていき、はふ、と息をついていると頬を撫でられ、甘く囁かれる。


「翼、翼、大好き、愛してる。俺の、俺の翼。俺だけの翼。絶対に、何があっても、翼が俺のこと嫌いになっても離さないからね」


「……」


 いや、嫌いになったら離してほしい。なんだか少し、早まった気がしてきた。

 しかしこうなると、あの夜に何があったのか、改めて気になってくる。

 へんにゃり緩みきった顔で私を見つめていた彼に問いかけると、やや考えた後、怪しく笑った。


「そんなに知りたいなら、ベッドで教えたげる」





タイトルだけ先に思いついて書きました。


お読みいただきありがとうございました。

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