第四章 大嘘見聞録と現実の境界
第四章 大嘘見聞録と現実の境界
1
嵐はいったん収まったものの、すぐに、本格的に荒れ出した。風祭は久々に、胃の中の物を全て吐き出し、死体のようにぐったりと、ベッドに命綱を付けた状態で横たわっていた。
風祭は朦朧とする頭の中で、考えた。もう、ダメだ。俺は船に向かない。慣れたと思ったけど、こんな嵐がこれから、何回も襲ってくるなんて、耐えられない、船から下りたい。
風祭は薄れ行く、意識の中、降りたいという思いを抱き、意識を失うように眠った。
どれほど、時間が経っただろう。頭がボーッとする。出航以来、ずっと揺れ続けていた船の揺れが、今までにないくらい穏やかだった。
嵐の後は波が穏やかになるのだろうか。外を見ると、まだ暗いので、夜中なのは間違いなかった。
クルーザー内はとても静かだった。あまりにも。静かだったので、甲板に上がってみた。
空は晴れ渡り、風もなく、綺麗な星空が拡がっていた。
風祭はボーッとした頭で、考えた。
「星空ってこんなに、綺麗なものなんだ。こうして、空を見上げていると。世界に無数の星があって、無数の世界がある。異世界や別世界があってもいい気がする」
普段なら、こっ恥ずかしくて、絶対に口から出ないセリフだ。
胃の中の物を全て吐き、意識も明瞭でないプチ断食&瞑想状態だからこそ出た、センチなセリフだった。
風祭が静かな海を、薬物でもやったかのように、安らかな気分で見ていると、遠くから船かがやって来るのが見えた。
風祭はすぐに階段を下りて、顔だけこっそり出して、どんな船が来るのか子供のように好奇心を持って待った。
船はクルーザーより、一回り小さい木造船だった。マストは一本で、背の高い作りになっており、三段の櫂が海面に突き出し、風のない海を櫂の力で航行していた。
映画の撮影かと思ったが、映画の撮影ではないだろう。撮影船がいない。どこかの、金持ち冒険家が、古代の船で太平洋横断とか、やっているのだろうか。
風祭は不思議な気分で、すれ違う船を見ていたが、櫂が突き出す窓の船から、漕ぎ手が見えた。風祭の目はよくないほうだが、はっきり漕ぎ手が見えた。漕ぎ手は骸骨だった。
一瞬、目を疑ったが、無数の櫓を漕いでいるのは全員が骸骨だった。幽霊船だ。
風祭が甲板に飛び出すと、幽霊船はあろうことか、海上で急停止した。幽霊船は、ターン・テーブルに載っているかのように、その場で百八十度回転した。
幽霊船は、櫂で水を派手に漕いで大きな水音を上げ、クルーザーを猛スピードで追いかけてきた。
風祭は、すぐに操舵室に行った。
操舵室にはセシリアがいたが、いたって普通に舵を取っていた。
風祭はすぐに、セシリアに状況を説明しようとした。
「で、出た。出た。出た。ゆ、幽霊。幽霊。え、あのー、骸骨がぐわーと、櫂を漕いで、ヒューッと言う感じで。あ、ほら、あの、ゴーストシップ、ゴーストシップだよ」
セシリアは風祭と視線を合わせたが、全く取り合おうとしなかった。
風祭は苛立った。
「ああ、もう、ポルトガル語で幽霊船って、なんて言うんだ」
そうしているうちに、幽霊船が、クルーザーに横付けされた。幽霊船の上には骸骨の水夫と一緒に、青白い顔の、もう一人の風祭が乗っていた。
自分の姿を幽霊船の甲板に見つけた風祭は、気が気ではなかった。急ぎ、セシリアの袖を引っ張って気付かせようとした。
「ほら、あれ、あれ、あれ。横にいるやつだよ。イッツ・ア・スケルトンだよ。それに、お、俺、俺、俺もいる。速度を上げて、速度を上げて、スピードアップ、スピードアップだよ」
セシリアは、ただ風祭を一瞥すると、風祭の手を面倒くさそうに振り払った。セシリアには幽霊船が全く見えておらず、櫂が水を漕ぐ音も聞こえていないのか、塵ほども気にする様子がなかった。
風祭は走って、柊の部屋に行った。だが、いつも鍵を開けてある柊の部屋が、閉まっていた。
扉を激しく叩き、呼んだ。けれども、柊は出てこない。
幽霊が出た、と言っても柊は出てきてくれそうにないので、「火事だ」「海賊だ」と叫んでみたが、扉が開かなかった。
直感的に何かが船内に入って気がした。風祭は急ぎ、自室に戻って。扉の鍵を閉めて、毛布を被った。
扉を誰かが五回ノックした。舵を取っているので、セシリアではない。柊が起きて事情を聞きに来てくれた感じでもない。
もう四回、扉がノックされ、さらに四回、扉がノックされ、合計十三回、扉がノックされた。
鍵が勝手に開きはしないかと不安だったが、それ以上のノックは、されなかった。
ノックはやんだが、扉を開ける気はしなかった。ホラー映画なら、ここで確認のために扉を開けた時に、犠牲者になるのが定番だ。
毛布を被り、目を瞑っていると、いつの間にか眠っていた。風祭が起きた時は昼近くで、船の揺れがいつもどおり、風祭の体を揺すっていた。
2
風祭は柊の部屋に向った。
ドアをノックすると、ぶっきらぼうに「開いているわよ」と返事があった。
ドアを開けた。柊の部屋は女性の部屋と言うより、デジタル作画職人の工房の部屋に近かった。
広さは風祭の部屋と同じくらいだが、机は大きくて、作画用に使う高級そうなタワー型パソコンにディスプレィが三つ付いた、大きな物だった。
タワー・パソコンもディスプレィも、分厚いL字型の金属板とビスで、逆さまになっても落ちないように机に固定されていた。
プリンターも立派で、壁には、作成した絵を貼れるボードがあった。
柊がすでに画面で、麦畑の向うに広がる中世の都市の作画に懸かっていた。
柊は気分がいいのか、気分よさげに声を掛けてきた。
「もう、昼食の時間なのね。先に一人で食べていいわよ。私は久しぶりに、作画ができるから、もう少しやっていたいわ」
「絵を作るのは好きなのかい」
柊がどこか楽しげな口調で返した。
「ばーか、好き嫌いじゃなくて、仕事よ。仕事よ。プロが解析しても、本当に撮ったように見える写真を作れるから、私はボスに雇われているのよ。まず、並のやつじゃ、見抜けないわ」
柊はプロとしてプライドを持ち、また絵を作成するのが好きなのだと思った。柊の本当の一面を見た気がした。
風祭は冗談のつもりで軽く言葉を掛けた。
「画を描く仕事をしているのか。ずっと、プロの犯罪者かと思ったよ」
「プロだけど、犯罪者ではないわよ。犯罪者っていうのは、一度、塀の中に入った奴を指していう言葉だからね」
あれ、柊は簡単に話したけど、柊の言葉って『私は犯罪を行っている人間ですけど、一度も捕まった経験はありません』って意味に聞こえるぞ。
一度、偽物の銃を向けられた時、本物の犯罪者に見えた事実を併せて考えると、風祭の心に浮かんだ言葉は正解なのかもしれない。
風祭はすぐに、頭に浮かんだ考えを切離し、さっそく昨晩、幽霊船を見た話を柊にした。
柊が作業の手を停めて、振り返って不機嫌そうな顔で、文句をぶつけてき。
「幽霊船? 新しい見聞録のネタ? あのね、思いつきで話を変えるのはやめてくれない。さっきボスから、中世ファンタジー風の見聞録でOKが出たんだからさあ」
風祭はわかってもらうと、身振りを交えて話した。
「いやいやいや、違うって、本当に、ほんとーに、昨日、幽霊船が出たんだってば、俺は見たんだって、骸骨水夫が櫂をこう激しく漕いで、クルーザーに横づけしたんだ」
柊が画面に向き直り、共感の全く篭らない声で返事をした。
「じゃあ、その時、起してくれればよかったでしょ。見たかったなー。幽霊船。ああ、本当に残念だわ」
「柊の部屋に行ったけど、鍵が掛っていて、扉を叩いたけど、柊は起きなかったんだよ」
柊がすぐに反論した。
「三人しかいない船なのよ。泥棒が入れば、あんたしか犯人がいない状況でしょ。部屋に鍵なんか、掛けてないわよ。もし、それに、あんたが喚くように、寝ているとき扉の外で騒がれたら、私は絶対に気付いて、あんたに一発かましにいくわよ」
柊が作業を進めながら、風祭の言葉なんて聞く価値がないというように、言ってのけた。
「千歩譲って船を見たとするわよ。あんたの話だと、見たのは三段櫂船でしょ。三段櫂船ってのは、地中海や近海を航海する船だからで、外洋に出られない舟なのよ。地中海近海の幽霊が、太平洋の外洋の船に出たらおかしいでしょ。アマゾンで雪女を見たっていっているようなものよ。おおかた寝ぼけていたんでしょ」
「でも、でも、本当に見たんだってば、幽霊船なんだよ。幽霊がクルーザーに乗ってきて、部屋の扉を十三回ノックしたんだよ。あれは、きっと何かの不吉な前触れだよ。夢とは違うって、本当に出たんだよ。いったん船を港に戻そうよ」
柊が振り向き、小馬鹿にしたような顔で、拒絶した。
「ははーん、それが、本音ね。船乗りは迷信深いとか思って、幽霊を見たといえば、陸に上がれると考えたのね。いつの時代の話よ。あんたも、いい大人なんだから、いいわけなら、もっとマシなの考えなさいよ」
風祭が言い返そうとしたが、言い返すより早く、柊がピシャリと釘を刺した。
「いい加減、覚悟を決めて、船の中で仕事なさい。揺れにもうだいぶ慣れたでしょう。嵐だって、あと二回か三回も経験すれば、吐かなくなるわよ」
港に戻りたいのは本当だった。でも、幽霊船は確かに見た、なのに全く信じてもらえなかった。
「瞬間移動だって実現したんだよ。いつか、幽霊の存在だって証明できるかもしれないだろう」
柊が「話すことはもうない」とばかりに、作業に戻り、話を乱暴に打ち切った。
「わかったわよ。じゃあ、幽霊の存在が証明できてから、幽霊船の話をしましょう。だから、さっさと、仕事しないさいよ。こっちが一区切りついたら、あんたの部屋で見聞録の粗筋の続き見せてもらうわよ」
取り付く島がない、とはこのことだ。完全に船酔いで気持ち悪くなって、悪夢で幽霊を見たと思われている。
3
*
(大嘘見聞録・一作目・序盤)
風祭が、街の宿屋に潜り込んで、大広間に宿泊してエルフ、ドワーフ、ホビット、リザードマンを見ながら、感慨に耽っている場面だった。
*
柊がさっそく風祭の書いた見聞録を読んで、吹いた。
「亜人たちの姿って、ほんと工夫がないわよね。御伽噺そのもの。大嘘見聞録だから、オリジナリティは求められてないんだけどさあ。そんなに馬鹿正直に仕事しないで、少しは工夫してもいいと思わないの」
柊が、さらに思案するような顔で注文を付けた。
「大嘘見聞録第一号のだいたいの雰囲気はわかってきたわよ。写真を撮ると、興味を引いてスマートフォンが盗まれそうっていう理由で写真を撮らない理由も、いいわね。後でそれらしい、宿屋や人物の、絵を用意するから、部屋に貼って毎日見て、イメージしておいてちょうだい。それとあと、寝るときにベッドを使わず、床に毛布一枚で寝てみなさい。作中じゃ、大広間に毛布一枚で寝ている記述があったでしょ」
「え、役者の役作りじゃあるまいし、そこまでする。見聞録だから、いいだろう」
柊は風祭の不満をバッサリと切った。
「いやあ、甘いくらいだわ。本当なら、ノミやシラミにも喰われた経験もして欲しいところ、なんだけど。私やセシリアも同じ船に乗っているから、虫に喰われる経験はしなくていいわ。でもね、それくらいの気持ちでやってくれなきゃ、見聞録に厚みが出ないのよ」
どうやら、柊は小物作りだけでもなく、演出と監督もやりたいらしい。
これは、あまり過激な見聞録を書くと、後で風祭自身の首を絞めると思った。
*
(大嘘見聞録・一作目・中盤)
俺は街の衛兵に怪しい奴として捕まり、連行され、持ち物を全て取り上げられた。
尋問中にニルファという二百年以上も生きている、真紅のローブを着た銀髪の魔術師が現れ、魔法で言葉が通じるようになった。俺は魔法を実際に見て感動した。
その後、俺はこの地にある地下迷宮を占拠した悪の大魔術師の手先として疑われた。
*
柊があくびを噛み殺しながら、感想を述べた。
「なんだか、ねえー。これ、DVDだったら、ワゴンセールで売っていても、絶対に買わないわよ。百年以上も生きている善なる銀髪美青年魔術師対、地下迷宮を占拠した悪の大魔術師って、道端に転がる犬の糞みたいに、よくある話よね」
参考にしているのは、一次落ち作品なのだから。なんかありそうなのは当然。むしろ、大嘘見聞録なので、なんかありそうを狙わなきゃダメだ。
風祭は少し腹が立ったので、立場を強調して反論した。
「そうだな。でも、俺は小説家とは違うから、大嘘見聞録の記録者だから。なんかありそうって言ってもらえると、嬉しいくらいだよ。それに、そういう話を書けって依頼だろ」
柊が、したり顔で、先読みしたように発言する。
「きっと、悪の魔術師が迷宮を占拠した理由って、悪魔とか邪神の復活って落ちでしょ。それで、異世界から来た風祭様が手を貸すの?」
完全に先を読まれている。けれども、大嘘見聞録なので、いい傾向なのかもしれないが。
「話の流れ的には、だいたいそうだ。今回は統計をとったら、『魔王』や『大魔王』って単語が多かったから、話では魔王にする予定。ああ、でも、俺、世界を救うのに手を貸さないから。異世界を救う義理もないし、俺が超人的な力を発揮したら、三流ヒロイック・サーガになっても、見聞録から遠くなる。依頼は、あくまでも見聞録だから」
柊は「ふーん」といいながら、大嘘見聞録とは関係ない箇所でも突っ込みを入れた。
「日本人の作品ってさあ。やたら、銀髪、金髪が多くない。漫画やアニメに、必ず一人は金髪、銀髪って、いない」
「俺が一次落ち作品を量産しているわけではないけど、仰る通りでございます。と、しか言いようがないな」
物語を読んでいて、美形の金髪、銀髪が、やたら出てくるのには驚いた。驚くほど出てくるのなら、大嘘見聞録にとって登場させなければいけない。
柊が問題ありといった表情で、質問してきた。
「あと一つ、いい? スマートフォンは取り上げられるのが予定調和だから、いいわよ。けど、このニルファってのが、二百年以上も生きているとしたら、勤続百八十年は、いっているわよね? すると、結構、高い役職でしょ。そんなお偉いさんが、怪しいってだけで、スパイの尋問に来るとは思えないわよ」
一次落ち作品には意味もなく、百年以上も生きている美青年や美少女もよく出てくる。そういう人物に限って、思想に深みもなく老成されてもいない。
だが、なんせ現在、書いているのは大嘘見聞録だ。だったら、逆に採用するのが現状だ。
「柊の意見は、正しいけどさ。きっと、みんな永遠の美少年や美少女が憧れなんだよ。憧れがあるってのは、共感に結びつくと思うから、採用した。まあ、こうなったら、国のお偉いさんは不老にして、百八十年くらい勤めても、係長レベルという年功序列世界に変更しておくよ」
柊は大嘘見聞録について、作品としては完全に興味を失っているようだった。
「なんか、二百年近くも働かされてさあ、年金も出ずに小役人ってやらされてだよ。ずっーと働くって、世知辛いファンタジー世界だよね。そりゃ、まともに働かない冒険者も生まれるってわけね。案外、魔王を復活させるのは、現実世界で社会主義が生まれたように、社会革命の一種なのかもしれないわね」
4
風祭の部屋に放送が入った。言葉はポルトガル語なので、意味は不明だが、セシリア声の雰囲気からして、緊急事態ではないらしい。
放送を聞いて、柊が立ち上がった。
「ボスからの連絡が入ったようね。ちょっと行ってくる。あんたは仕事していなさい」
所長からの用件は気に掛かるが、きっと中身は教えてもらえない。
仕事が遅いとのクレームかもしれない。所長はいきなり、素人を外洋に放り出すのだ。
きっと、外洋に出た船が揺れて、とても原稿が読める状態ではない状況だったのを知らないのかもしれない。俺だって、船に乗る前は、読めると思っていた。
ハッ、いけない。死んだ人間より、生きている人間のほうが恐ろしい、という格言もある。
幽霊船の幽霊はせいぜい、ドアをノックするくらいだが、所長が懲罰に踏み切れば、甲板で鞭打ち刑くらいでは済まないかもしれない。
風祭は所長の顔を思い出して、急ぎ仕事を進めた。
一時間くらいで、柊が戻ってきた。柊の手には、鞭の代わりに、A四の紙が入るような封筒を持っていた。
柊が風祭のベッドに腰掛ける。
「これからあんたに何枚かの画を見せるから、感想を聞かせてよね」
てっきり、大嘘見聞録のラフ画か、イメージ画を見せられると思った。けれども、柊が見せたのは、紙に黒いインクのシミが付いただけの物だった。
風祭はインクのシミを見て、ピンと来た。
これは、心理テストというやつではないだろうか。ロールシャッハ・テストの画を大学時代の心理学の授業で見た経験があるが、同じような印象を受ける。
画を見れば、ロールシャッハ・テストとは違うようだ。きっと別の名前があるもっと簡易的なテストの類だと思う。
そうか、そういことか。柊は所長に、風祭が幽霊船を見た話をしたのだろう。
そこで、慣れない航海で、精神に異常を来たしたと思った所長は、心理テストをする決定をしたのではないだろうか。
風祭は心理テストなのかどうか、聞こうとした。が、すぐに名案を思いつき、声に出すのを思い留まった。
「待てよ。ここで心理テストを知らない振りをして異常な回答をしてやれば、心神に異常ありとして、船から下りられる可能性があるな」
柊が苛立ったように「なんに見えるの」と回答を聞いてくる。
「え、あ、その画ね。その画は、あれだ、おっぱいだ。おっぱいに、見える」
柊の顔が不快そうに、少し歪んだ。画の隅にペンで風祭の回答を記し、二枚目の画を見せる。
「えーとね。それは、そう、女性のお尻かな」
柊がむすっとした顔で「じゃあ、これは」と三枚目の画を見せた。
「女性器かな」
柊が画を投げ捨て、風祭の胸座を掴んで、激高した。
「いい加減にしなさいよ。私を馬鹿にしているのね。このセクハラ、オヤジ。どうしたら、三枚の画が、オッパイやケツやマンコに見えるのよ。どう見たって、そんなものには見えないでしょ」
「だって、見えるものは、見えるんだよ」
大嘘だ。正直にいえば、幽霊船とは逆で、そんなもの全く見えない。
見えないが、全ての画を性的なものに結び付けるか、死体と結びつけて答えれば、この手のテストでは精神的に異常という結論を導けるはずだ。
異常という結論が出れば、クルーザーから降りられる可能性があるので、ワザと言っていた。
風祭は本心を隠して、怒る柊を宥めた。
「苦しいよ、柊。もっと何か別な物に見えるまで頑張って、画を見て答えたほうがいいのかな? だったら、ヒントをくれよ。ヒントを。そしたら、ヒントに添って答えるからさあ」
柊が、怒りの顔のまま、舌打ちして、風祭の胸座を乱暴に離した。
風祭は困惑した表情を浮かべるよう努力しながら、心の中では、してやったりと、微笑んだ。
それはそうだろう。心理テストをやっているのに、勝手に、画を見せている人間が「これは、こう見ろ。これは、こう見てはいけない」と誘導すると、テストの信頼性が揺らぐ。
いくら簡単な心理テストでも、柊は画を見せる人間として、最低元の注意事項を聞いているはず。
それに、柊のさっきの反応、現在のテストの答が、どういう結果を導くかを全く理解していない。
きっと、クルーザーを港に戻せという指示が出れば、驚くだろう。
柊の驚く顔が見られないのが残念だが、今回は俺の作戦勝ちだ。
風祭はそれからも、クルーザーを港に戻すために、画を見せられる度に、必死に性的な物や死体をできるだけ連想するように答えた。
もちろん、全て異常と思われる答をすると、意図的にやっていると結果が出ては困るので、途中、数枚はまともに、雑木林や魚の群れといった、まともな回答を混ぜた。
全ての画を見せ終わると、柊は何も言わずに、とても不機嫌に「終わりよ」と言って出て行った。
風祭は扉が閉まるのを見て、陸に戻れるのを期待した。
5
結果が出るのに時間が掛かるのか、翌日から再び粗筋を柊に見せる作業に戻った。
翌日には柊の態度が元に戻っていたので、作業に支障はなかった。本当は心理テストに対する風祭の答にどう、研究所側がどう反応したか知りたい。
けれども、柊は勘がよさそうなので、下手に聞けば、故意に異常が出るように答えられたと気付かれては、元の木阿弥だ。昨日のテストには触れないでおこう。
*
(大嘘見聞録・一作目・終盤)
ニルファに異世界からやってきた事実を話し、驚かれる。
ニルファからは国の現状を聞かされる。
強大な力を持つ魔王が街の下に深くにある大迷宮に封じ込められていたが、封印は徐々に弱まっている。
封印強化に向った大魔術師は部下と一緒に大迷宮に入るが、大魔術師が突如、謀反を起こして迷宮を占拠、封印を解こうしている。王様は軍隊を送るが、軍隊は全滅。
王様はかくして、世界から募った、冒険者たちに大魔術師の討伐と、魔王復活阻止に莫大な懸賞金を掛けた。
ニルファに助力を求められるが、力になれない。それでも、ニルファは滞在の便宜を許してくれる。ニルファは俺に世界の知識を教え、俺は知っている科学的知識を伝える。
*
柊が完全に読者の立場で問題点を指摘した。
「狭い場所に大軍を投入して敗北したあげく、どこの馬の骨ともわからん奴らの小集団を集めて、逐次投入するって、この国の首脳部って頭おかしいわね。きっとこの国の軍部、補給路とか戦線とか、絶対、考えてないわよね」
柊の言いたい趣旨は、わからなくはない。風祭にしても、書いてみると、大嘘見聞録とはいえ、完成度に不安になってきた。
「柊の言うのは、もっともだと思う。普通なら、他国に協力を仰いで連合軍を結成する。それで、穴を掘って多方面から攻略の糸口を作って、徐々に面で制圧していく、かな。何かの理由で正規軍が駄目なら、小単位の冒険者じゃなくて、実績と信頼のある大規模の傭兵集団でも雇って任せる気がする」
柊が再び、嫌々、粗筋に目を通す。
*
(大嘘見聞録・一作目・エンディング)
ラストは、別れの日。
ニルファのいる世界にやってきた場所に、瞬間移動用の光が現れた。
別れ際にニルファの顔を見ると、ニルファがどこか安堵しているのを、俺は見逃さなかった。
ニルファは俺から、日本の科学の水準を知り、魔王よりも、日本が侵攻してくるのを恐れていたのだと知る。
ニルファの考えを知り少し寂しくもあり、友情は簡単には結べない事実を思い知った。
さらに、科学技術を教えた報酬として金貨二十枚を渡されたのも、友情を金に換算されたようで、悲しく感じた。
俺は最後に一枚、ニルファとの写真を撮り異世界を後にした。
*
柊は粗筋ですら、最後まで読んだ時、眼が半開き状態だった。二時間映画なら、とっくに寝ているといった表情だ。
柊が遠慮なく酷評した。
「つ、つまらないわ。最初から、つまらなかったと、思ったけど、最後まで面白くなかったわよ。もう、ほんと、粗筋だけで、眠れそう。あんたさあ、最後のほう、絶対、自分に酔っていたでしょう」
指摘は当っていた。なんとなく、書き終わった後、ラストは少し快感だった。でも、自分に酔っていると認めるのは恥ずかしかったので、気付かなかった振りをした。
「そうかな、こんなもんだろう。それに、初めての作品なんだから、これでいいだろう」
柊が、もういちど粗筋を読んで、講評する。
「あんまり、街中うろうろされ、目新しい物を見すぎたり、大迷宮とやらに入られたら、嘘を吐き通すのが難しくなるわね。ラストになっても出てくるのは、二十枚の金貨と、最後にニルファと写った写真くらいか。これなら、問題なく完璧な小物が作れそうね」
柊はそこで、困ったような顔で意見を求めてきた。
「うーん、依頼どおりの物といえば、物なんだけどさー。ちょっと、このできは酷すぎるわ。ああ、でも、依頼には沿っているのよねー。求められているのは、これでいいのかしら。このまま進めていいのか、どうか迷うわね。ボスに完成した粗筋を見せてから、話を進める、でいいかしら?」
大嘘見聞録を引き受けた風祭としても、所長の判断を聞きたかった。
書いていると時は気付かなくても、こうして柊に言われると、大嘘見聞録とはいえ、恥ずかしくなり、同時に不安になる駄作だ。
6
柊が所長に粗筋を提出した三日後、夕食中に柊より話があった。
「ボスが、見聞録はあれでいいから、すぐにあんたに書かせろって、指示が出たわ。あと、スマートフォンの扱いについては、実験により故障したという記述だけはしないようにと、釘を刺されたから、気をつけてね」
今後も見聞録を作っていくのに写真を撮るのが不都合なら、落下や衝撃、水没で壊せという意味か。
実際はどうあれ、精密機器が瞬間移動で運べないとなると、資金集めをするのに不都合なのかもしれない。
実際の実験でも、GPS発信機が壊れなかったのだから、瞬間移動でスマートフォンが壊れなくても、問題はないだろう。
柊が、器用に箸で煮豆を摘みながら、言葉を続けた。
「作成上の注意は、素人らしく。かつ、描写を少なく、感情表現を豊かに、だってさ。やたら感動した、って言っておけばいいのよ。あと、一気に完成させようと思わなくていいから、完成した分だけ毎日、私に渡しなさいよ。こっちも、料理するだけじゃつまらないわ」
「異世界を見てきた見聞録というより、初めての経験をして感動した、感情の流れを綴ったエッセイーに近いものが欲しいのかなあ。でも、そんなので、人を騙せるのかな。もっと、こう、真に迫らないと――」
柊が箸を止めて、顔を上げ、イカサマを見つけた勝負師のような鋭い視線で、風祭を睨みつけた。
「なに? 私の仕事に不満でも」
風祭は柊の視線に怖れ、首を振った。
素人らしくという要求は、問題ないだろう。
どうせ、俺は素人だし、文章はまずくてもいいだろう。あとは見ていない物を見て、どれだけ感動したと、嘘を書けるかだな。求められるのは大嘘だ。
風祭は自分自身をあまり感動しない人間だと評価していたので、やはり見聞録の風祭像とは、どんどん離れていく気がした。
柊がそれ以上、何もいわなかったので、聞いてみた。
「あれ、話はそれだけ?」
柊は「それだだけよ」と短く答えた。
あれ、おかしいな。心理テストの答から、俺は慣れない船上生活で、精神的におかしくなっていると判断されて、陸に戻されるはず。戻れないとしても、なんらかの反応があってもいい気がするんだけど。
テストの解析を時間が掛る外部機関に委託したのかな。どこにテストを送ったか、なんて聞くわけにはいかないしな。待つしかないか。
風祭は食後、おおまかな粗筋を元に、文章を書こうとしたが、中々進まない。きっと、ゲームやDVDがあればすぐに、怠けてしまっただろう。
外に行けたら、机の前にいる時間より、本屋で立っている時間が長かっただろう。
見聞録は、ああでもない、こうでもないと、初日は三枚書くのも難しかった。
風祭は書いて、あまりにもありきたりのストーリーなので、捻ってみようかと思い、ちょっと捻りを入れて書いてみた。
書くとすぐに、翌日、見聞録から離れて行っていると、所長から書き直しが要求された。
十日間、頑張ったが、もう机の前にいるのも嫌になった。すぐに、書けなくなった。
何もしないとサボっているようで後ろめたいので、ダンボールを開け、見聞録の次回作の候補を探した。だが、一次落ち作品の分析も、長くやるのも、精神が音を上げた
。
嫌々机に向かうが、書く気が起きなかった。
飽きて何かないかと、クルーザー内をと探すと、釣竿を見つけた。
クルーザーの大きな冷蔵庫には、ボイルした小海老や貝類があったので数個、電子レンジで解凍して、エサにして釣りをする。
釣竿で沖釣なんて、した経験がない。エサや水深が合っているかどうかなんて、わからない。
でも、一応、釣りというのが趣味になった。
7
机に向かうのが嫌になると、窓から波の高さを見て、釣ができそうなくらい波が低いと、命綱をつけて、広い海に向かって、釣糸を垂れた。
執筆をサボっていると柊が怒りそうだが、柊には柊の仕事ができたので、風祭を見張っているわけにいかないようだ。
セシリアは甲板にいる風祭を、路傍の石でも見るように、存在を気にも留めなかった。
文章を作る作業より、絵を作る作業のほうが時間が掛かるらしく、柊とはあまり会わなかった。それでも、柊と会うと、釣を止めて、泥棒猫のようにさっさと部屋に戻った。
柊のほうが作業量があるのか、毎日少しずつでも、原稿を書いて出していれば、一日の大半を釣に費やしても、表立って文句は言われなかった。
釣糸を垂れながら、風祭は竿に話し掛けた。
「なんか、小説家を目指して会社を辞めたはいいが、すぐに書けなくなって、小さな物書きの仕事を貰いながら、半日を釣で過ごすダメ夫。そのダメ夫とはほとんど口を利かず、イラストレーターや内職の仕事で支える妻がいるような生活みたいだなー。確実に堕落している気がする。気がするが、書けないものは書けないんだなー。これが」
見聞録の中の風祭なら、こんな生活はしない。もっと、積極的に素晴らしい表現で見聞録を書いているだろう。
「やっぱり、これは大嘘だな。大嘘見聞録だ」
釣の時間が、仕事の時間より長くなると、さすがにまずいと思った。
柊に対しての言訳のためにも、釣をしながら、異世界から帰ってきたと想定して、自分一人で記者との想定問答をしたりした。
独り異世界について自分で質問と回答を繰り返しながら、時には怒り、時にはユーモアを飛ばす。
いつぞやは脳内記者と激しい大激論になり大声を出して、風祭自身で自分を海に向かって罵り叫んでいた。
ヒートアップが終って、人の気配がして後ろを振り向くと、柊が後ろに立っていた。
柊の目は明らかに、夜中に散弾銃を担いでトイレを借りに来た男でも見るような目で見ていた。
柊は自室に鍵を掛けない開けっぴろげの性格だったが、この時以降、柊の自室には鍵を掛けるようになった。
途中、揺れが極端に少なくなって、エンジンが停止した。
部屋の窓のブラインドを少し角度を変えると、どこかの港に停泊していた。
やはり、船から下ろされるんだと大いに期待した。風祭はさっそく、いつでも降りられるように。帽子を被り、サングラスにマスクという郵便局強盗ファッションで、柊が呼びに来るのを待った。
ところがいくら待っても柊は呼びに来ない。おかしいなと思い、部屋から出ようとした。けれども、扉は数センチしか開かなかった。
僅かに開いた隙間から、部屋の扉と鉄パイプを結んだ頑丈な鎖が見えた。鎖は大きな南京錠で固定されており、部屋の外に出るのは、よほどの力の持ち主でもなければ、不可能だった。
柊は徹底していた。一切、外に出さない気だ。
風祭は諦めて、外から見られないように、ブラインドの角度を変えた。
停泊して三十分で、車のエンジン音がした。ブラインドを指でそっと下げると、タンクローリーが来ていた。
エンジンが止まっていたのは給油のためだと知った。
給油の車の後ろにも一台、軽トラックが来ていた。柊の声が聞こえた。きっと、生活必需品を積んで受け取っているのだろう。
大嘘を吐いて、精神異常を来したのを装う作戦は失敗に終ったと実感した。やはり、所長は、何もかもお見通しだったのだろうか。
壁越しに笑声が聞こえてくると、なんだか人恋しくもあり、外に出たい誘惑に駆られたが、見聞録の主人公である風祭は、何日のいつ、異世界に行っているかが、まだ決まっていない。
風祭が甲板に姿を見せるわけにもいかないので、涙を飲んで、椅子に座って鬱こんだ。




