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彼の正義   作者: けえてい
一章 彼はこうして旅立った
3/11

第三話 もう帰って来ない

2人は最後のひと踏ん張りだと馬に言い聞かせながら、ラストスパートをかけた。


只ならぬ雰囲気に当てられたのか馬は興奮していた。


そのせいもあるのだろう、馬も十二分に疲れてはいる割に良く走ることができていた。


「戦闘の気配はあるか?」


ライに問われ、アドリーは一旦集中を切る。


耳に魔力を集中させることで、音から遠くの様子を察することができるのも彼の能力の強みだった。


彼の耳に聞こえてきたのは聞き覚えのある声ばかりだった。


戦闘は終わっていると思え、大勢の犠牲はないようだ。


最低最悪の事態には陥っていない。


それでもアドリーの表情は曇り、それが晴れることはなかった。


「ない。終わった後だ。ただ……」


先行するライはその曇りを見ることはなかったが、

態度で状況が良くないことぐらいは伝わってきた。


彼は苛つきを覚えた。


何に苛ついていてそれをどこにぶつけるべきか、彼には検討もつかなかった。


「言ってくれ。どうせすぐに分かることだ。」


ライは思わず声を荒げた。


アドリーが一番最初に聞いたのはルーのすすり泣き声だった。


護りたいという思いが人一倍強いライが護れなかったと知った時、どうなるか?


それが分からなかったから、アドリーはライに言いたくなかった。


ただ声からひどく焦りを感じて、答えずにはいられない状況となってしまった。


「おそらく、ドラルさんが死んだ。」


これだけでもショックの大きいことと思われた。


アドリーもライの表情は見ることはできない。


だがアドリーは冷静にライの心の機敏を感じ取ろうとしていた。


彼の頭の中はドラルが死んだことに対する悲しみより

現状をどうしていくかを考えることで埋まっていた。


アドリーはまたしても悲しめない自分について

思いをはせなければならなくなるのかもしれない。


しかし目の前の問題を解決する上ではこの性格は好都合であった。


だから今はその憂いは押し殺す。


ライは黙ってしまった。どうやら泣いているようだった。


ただ泣きながら、涙をひたすら堪えて、自らの感情に抗っている。


いつも頼ってきた背中が今は弱弱しく見えた。


それはドラルの死よりも今のアドリーに衝撃を与えた。


重い鈍器で殴られたような思いだ。


だから彼の口は自然と噤まれた。


もう一つ言わなくてはならないことがあるにも関わらずだ。


アドリーは彼自身が考えている以上に取り乱していた。


その取り乱し様は心の整理をしようにも方法すら分からないという程だった。


混乱しているアドリーを他所に、ライは自分を制御しようと努め続けていた。


押し寄せてくる感情の波はどんどん高くなっていくが、

彼は彼の堤防をそのたびに高く高く積んでいった。


「アドリー、他には?まだ何かあるんだろ?」


話しかけられてアドリーはハッとした。


ライの張り詰めた声を聞いたことで、アドリーの心は一気に冷やされた。


冷静になった心は再びライを観察し始めた。


いやもう観察する目ではない、ライを頼る目に戻っていた。


「ジェンがさらわれた。」


いつもの自分に戻ったはずのアドリーは淡々と述べられるはずだった。


しかし彼の言葉は震えるようにしてようやく吐き出された。


この時になってアドリーは、ドラルの死より

ジェンの誘拐の方が自分に衝撃を与えていることに気づいた。


ライは黙っていた。


ライはドラルの死よりショックを受けていない。


それは本来アドリーにとって容易に想像のつくことのはずだった。


ライが最後まで希望を持ち続ける男であるのは良く知っていたのだ。


アドリーの両親がきっと生きていると言っていたライがアドリーの頭をかすめた。









閉じられている村の門付近までたどり着いた2人。


汗は滝のように流れ続け、汗が流れていない方が

今の2人にはおかしく感じられるかもしれなかった。


門の前には村長が立っていた。


村長の顔はこわばっていたが、2人を見つけるとその顔は少し和らいだ。


「2人とも、よく帰って来てくれた。」


労いを受け取った2人の心は空しかった。


引退したはずの村長も戦ったのか服が汚れていた。


「村長、細かい話は後で聞きます。ルーに会わせてくれませんか?」


そう言ったのはライだった。


村長はゆっくりと頷いたが、


その顔が上がる前にライは村の中へ既に駆け出していた。


アドリーはその背をただ見送っていた。


「お前は行かないのか?」


村長に促されアドリーはようやくライを追おうか考えた。


だがその前にやることがある。


「村長、町で裁き手を見ました。」


村長の顔がハッとした。


「ポゾロさんから聞いたのですが、

裁き手は逃した強奪者を追って、この地方に来たようです。

この村から上がる煙を見て裁き手の方々もここに来ると思います。」


アドリーはそこで言葉を区切った。


言うべき言葉を言ってしまったら、後は自分の中のものをさらけ出すしかないようで

アドリーは耐え難い苦痛に襲われた。


「ですから、その、裁き手が到着するまで警備をお願いします。」


村長はまたしてもゆっくりと頷いた。


アドリーはライと違って、村長の顔が上がりきるまで留まった。


村長の目は全てを見透かすようで、アドリーは思わず目を逸らして駆け出した。


背中を見られることすら怖かった。









「あっ、ライ、アドリー……お帰りなさい。」


父の死体を抱いていたルーは2人の方を見た。


目は虚ろで、着ていた白い服は血で紅くなっており、

まるで一昨日の紅い服の様にも見えた。


ルーの周りを村の大人たちが囲んでいて、

みなどうしたらいいか分からないといった様子だった。


ルーの母はルーにすがりついて泣いていた。


くしゃくしゃになった顔からは普段の優しく穏やかな印象はなくなっていた。


「お父さん殺されちゃった。

私や村長が駆け付けたけど、一足遅かったみたい。」


ルーは淡々と言ったが、その口調はどこか子供じみていた。


アドリーはどうしたらいいか分からなかった。


自分が周りの大人の1人となっていくような気が彼にはした。


「2人も見る?お父さんの……」


ルーがまたすすり泣きを始めたので言葉は途中で絶えた。


ただルーの遺体を抱く腕が2人の方に向けられ、

遺体が2人にはっきりとさらされた。


遺体は胸を一突きされていた。


顔からは血の気が引いていて生きていないということは分かった。


死んでいるということが何なのかは2人にとってはまだ難しいことだった。


それを1度は見ていてもだ。


「アドリー、ドラルさんを頼めるか?」


振り向いたアドリーが見たライの目に涙はない。


アドリーは頷いて、ルーからドラルの遺体を受け取った。


軽かった、血も魔力も抜けたからだろう。


形を保っているのはルーが魔力を施したからに違いなかった。


冷たかった、育ての父のぬくもりはもうそこにない。


もうそこにアドリーの知っている義父は居なかった。


でも泣けなかった。


心の奥底から泣きたかった。


でも泣けなかった。


その悲しさで涙を流すことはしたくなかった。


偽りの涙が泣きたいという思いすら偽りにしてしまう気がしたから。






アドリーの横を過ぎ去ったライはだらしなく差し出された形のままのルーの腕の間に入り、

そのままルーを強く抱きしめた。


「ライ、痛いよ?」


ルーの声は上ずっていた。


「俺も痛いよ。」


ライの痛みは心の痛みだった。


ライの心がひどく痛むのは今からルーの苦しみを背負うためだった。


「私も痛い。」


すすり泣いていたルーの声が少し大きくなった。


だらしなく伸びていた腕がライを強く抱きしめた。


「ルー、泣け。」


2人を見ていたアドリーにその言葉は辛かった。


ライの意図が分かっていて、

まして自分に向けられた言葉でないと知っていて、

それでもアドリーの心に深く突き刺さる言葉だった。


「もう……泣い……てるよ?」


途切れ途切れに放たれた弱弱しい言葉は宙に浮き、

そのまま昇りきることなく溶け込んでいくようだった。


「もっとだ、もっと大声で思いっきり泣け。」


ライのその言葉を皮切りにルーは大声で泣き始めた。


先程までの弱い言葉と違って、それは天までと届かんとする勢いだった。


「私、私……知らなかった。

こんなに悲しいなんて。こんなに辛いなんて。こんなに大事だったなんて。」


ルーの1つ1つの言葉にライは相槌を打った。


言葉とともに痛みを分かち合おうとした。


「私、私が幸せって分かってなかった。

ライやアドリーの気持ち、分かってあげてるつもりだった。」


ライはより強くルーを抱きしめた。


「信じてた、明日もおんなじだって。皆ずっと一緒だって。」


ライも昔はそうだったように思う。


目の前の幸福が失われることなど考えもしなかった。


一度幸福を失った今でも本当の意味では毎日を疑ってはいないと思う。


ただ護りたいと思うようになっただけだ。


「ごめんな。」


ライはルーに謝った。


「どうして謝るの?」


ライの胸に顔を沈めていたルーが顔を上げた。


ルーの顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃだった。自慢の髪も乱れていた。


「俺が護れなかったからだ。」


ルーはまた顔を沈めた。


ちょうどライの心臓辺りにルーの頭が当たった。


その鼓動は生きる者の証に思えた。


「そんなの、おかしいよ。」


ルーはライの背中を掴んだ。


服にできたしわが激しく乱れる。


「おかしいよ、おかしい。

謝ることない、私はライに謝ってもらいたくなんかない。」


ルーはライの背中を叩いていた。その拳には力が込められていた。


ライはそういう痛みも受け入れた。


「私、私ね……。人を殺めようとした。

お父さんを刺した強奪者の1人をカっとなって殺そうとした。

そんなことしてもなんにも変わらないのに。

お父さん帰って来る訳ないのに。」


ライはただ黙って抱きしめていた。


かつてルーがライにそうしたように。


「お父さん、もう帰って来ない。」


ルーはその言葉を繰り返し、大声で泣いた。


地面に垂れていくルーの涙は父の血を流しているようだった。









村長に呼ばれたアドリーはルーの母に遺体を預け、村の集会所へ向かっていた。


ルーとライはまだ抱き合っていた。


そこで1人呆然と立っていた自分が呼び出されたのだとアドリーは思った。


集会所には裁き手の3人が居た。


腕組みをした大男はアドリーをちらっと見ただけだった。


ツインテールの少女は顔を下に向けたまま斧を手入れしていた。


ショートヘア―の少女はアドリーを見つけると手を振った。


その理由がアドリーには分からなかった。


手を振り返さないアドリーに少女は少しムッとした様だった。


「アドリー、そこに座ってくれ。」


村長の指示で大男と向かい合うように座らされたアドリーはいささか緊張した。


大男には威圧感があり、その鋭い眼光は歴戦の戦士を思わせた。


「アドリー、お前を呼んだのは他でもない。今後の事を話したいからだ。」


中央に座っていた村長の言葉にアドリーは頷いた。


「まずは事件のあらましを聞かせていただけますか?

大体は俺の能力で察しはついてはいるのですが。」


そう言いながら耳を指さしたアドリーの意図を村長は理解した。


村長が語ったことはおおよそアドリーの想像と同じだった。


村に来た4人の強奪者はジェンを攫おうとしたが、ドラルに見つかり交戦。


村長とルーが来た時に調度ドラルは胸を刺されていたそうだ。


2人もまた強奪者と交戦したものの、

強奪者にはこれ以上戦う気もなかったらしい。


4人は逃げていき、ジェンを攫って行ったとのことだった。


「ジェンが誘拐されたのはやっぱり魔力のためですか?」


アドリーの質問に答えたのは大男だった。


「彼は作物を良く育てる魔力の持ち主だったそうだな。

そういう戦闘に不向きだが役に立つ人間というのは裏で高く売買されることが多い。

俺達の再三再四の追跡を受けて、奴らの家業は滞っていた。

金目当てだろうな。あっさり逃げたのも目的達成を優先したからだろう。

君や俺達が加勢に来ても困るからな。」


大男の説明は淡々としていて、それは今まで聞いてきた裁き手のイメージに合っていた。


「でもどこでジェンのことを知ったんでしょうか?

ジェンが作った作物は今回初めて売り出したんです。村の者以外は知らなかったはずです。」


ふと疑問に思ったことをアドリーは口にした。


アドリーの質問に大男が口を噤んだ。その顔には戸惑いが見受けられた。


大男の代わりに答えたのはショートヘア―の少女だった。


「アドリーはさ、隣の村で作物売ったんだよね?」


アドリーは頷いた。嫌な汗が顔から垂れる。


まさかという思いとそれを認めたくない思いがアドリーの中を駆け巡る。


「だったらさ、その時に奴らは知ったんだよ。

あいつらに計画性なんてない。その作物を見て、売れるって思ったんじゃないかな。」


少女の言葉がアドリーの頭にカーンと響く。


ライは村のことを愛していて、ついつい村の良い面はなんでも話してしまうところがあった。


聞かれなくても話すぐらいだ、聞かれたらなんでも答えてしまうだろう。


満面の笑みでジェンのことを嬉しそうに話すライの姿が思い浮かんだ。


人の良いライは人を疑うなんてことをしない。


強奪者にも話してしまった可能性は十分に考えられた。


「すまない。今回の件は俺達が幾度も奴らを逃がしたせいだ。」


テーブルに額をつけて謝る男にアドリーは違和感を覚えた。


裁き手とは冷酷なものではなかったのだろうか。


男の謝罪は単なる形式上のものではなく、気持ちがこもっているように思えた。


「謝らないでください。悪いのは強奪者ですよ。」


強奪者が悪い。そう思うしかなかった。


でも今聞いた話はライにはしないようにしようともアドリーは思った。






「その通り。強奪者が悪いのだ。」


村長が相槌を打った。アドリーはそれを不気味に思った。


村長は良く言えば賢く、悪く言えば狡猾な人で自分の意志を通す機会を決して逃さない人だった。


自分の意志といっても、それは村長が考えた村のための最善の策なのだ。


そういう男が村長だからこそ、ジア村は成り立っていた。


「アドリー、復讐したいとは思わないか?」


アドリーの中で何かが崩れていくのが分かった。


ガラガラと崩れる音が聞こえる。


足が地に着かない。


着いてはいるのに浮いているような感覚がする。



気持ち悪い。



「憎むべき強奪者達はルーの父ドラルを殺し、ジェンを誘拐した。」


村長の語気に力がこもっていく。それはまるで演説だ。


やめろ、やめてくれ。


アドリーは心の中で叫んでいた。


彼は今はっきりと間違いを自覚したのだ。


なぜルーやライではなく、自分が呼ばれたのか。


それは断じて手が空いていたからなどではない。


「ジェンがどこか遠くに売られてしまう前に、ドラルの仇を討たなければならない。

裁き手の方たちの力でも十分ではあるが、万一ということもある。

お前も力となり、仇討ちをするのだ。」


今この村で戦える者、ライ、アドリー、ルーの内、

人を殺すということに最も抵抗がないのはアドリーに村長には思えた。


アドリーが村人の死に際し本当の意味で泣かないのを村長は知っていたのだ。


ジェンは今後の村にとって必要不可欠な存在であり、万一にも失うことは許されなかった。


例え強奪者との戦闘でアドリーが死んでしまってもジェンが帰ってくれば収支はつく。


褒められたものではなくても正しい計算だった。


「無理にやることはない。ただ我々としてもあの強奪者どもの息の根を止めるのに

あと一歩足りないのだ。どうか力を貸してくれないだろうか?」


アドリーは再び大男が頭を下げるのを虚ろな目で見た。


アドリーの心を探るような鋭い村長の視線を感じながら、アドリーは男の優しさを理解した。


息の根を止めるという表現は生々しく、あえて断るように誘導しているように思えた。


アドリーは冷酷なはずなのに優しいこの男に興味を持った。


その興味が避けられない嫌な役目にアドリーを強く後押しした。


「俺で良ければどうか協力させてください。」


今度はアドリーが頭を下げた。


殺すのは裁き手の3人に任せればいい、

自分はジェンを救いに行くだけだとアドリーは頭の中で繰り返した。






村長は少し苦い顔をした。


思い通りではあるのだが、それが意味する残酷さが現実となったことで罪を感じずにはいられなかった。


その村長より更に苦い顔をしたのが大男だった。


復讐がどれだけ人の人生を狂わせるかを彼は良く熟知していたのだ。


ショートヘア―の少女は嬉しそうだった。


ツインテールの少女は斧の手入れをする振りをしながらアドリーを見ていた。


少女はこの時決意したことがあったのだが、それはこの場に居る誰にも分からなかった。


このような各々が見せた心の揺れはアドリーが顔を上げた時には、


もう顔に付けられた仮面の奥に影を潜めてしまっていた。


最もその余韻が残っていても、今のアドリーにはその機敏が読み取れたかは怪しいが。









「時間はないが、自己紹介をしよう。一緒に戦うなら必要なことだ。」


大男の提案にアドリーは頷いた。


「俺の名前はダン。見てのとおり大剣を武器としている。

魔力は『不死者』。無体である魔力が有体に一瞬で多量に入れ替わることができる。

魔力がある限り俺は死なない。死にそうになれば即座にどんな怪我でも治すからな。

必要があったら君の盾として使ってくれても構わない。」


恐ろしいことを平然と言う人だとアドリーは思った。


と同時に顔にある傷を何故治さないのか気になったがさすがに聞くのは憚られた。


「じゃあ次、あたし。あたしはミリカ。武器は弓。腕には結構自信あるよ。

魔力は『追跡者』。まあ対象がどこに居るか分かる感じだね。

それで強奪者を追っかけているんだけど、魔力で邪魔されててなかなかね。以上!」


ショートヘア―の少女もといミリカは勢いよく頭を下げた。


一見明るい少女のようで、殺し殺される日々に生きている人とは思えなかった。


今も浮かべている笑顔が却って不気味にすら思えてくる。


後で聞いた話だがジア村に駆けつけて来たのは、

ドラルと強奪者が戦闘を始めたことで魔力の阻害が弱まったかららしい。


戦闘中ミリカの魔力を阻害している余裕がなかったのだろうとのことだ。


それに加えて煙が上がっていたのだから、襲撃を確信した訳である。


「私はシリカ。武器は斧。

魔力は『吸血姫』。生物の命を奪って自らの魔力に出来るの。

それで私の中に貯めた魔力をにぃやミリカには分けられるんだけど……」


アドリーは『にぃ』という言葉の意味が分からず、

少し気になったがそんな疑問はすぐに吹っ飛んだ。


ツインテールの少女もといシリカが近寄って来てアドリーの手を掴んだからだ。


アドリーは思わず顔を真っ赤にしたが、それも一瞬のことだった。


彼女の手はあまりにも少女らしい手ではなかった。


あれだけ大きな斧を振るっていて、毎日戦いに身を投じているならば当たり前のことかもしれない。


その手は農業で鍛えた手と少しばかり似ていたがやはり全く違うもので、

アドリーとシリカ達の住む世界が違うという事を痛感させた。


「もう少し肩の力を抜ける?」


シリカに言われ、アドリーは自分の体がこわばっていたのに初めて気づく。


が言われたからといって、昨晩から続く出来事の数々を思えば

アドリーがリラックスするのは難しいことだった。


「やっぱり無理かな。」


シリカがそう言って手を放そうとした時、

シリカの首回りにネックレスのようなものがつけられているのにアドリーは気づいた。


アドリーはそのネックレスにどこか見覚えがあった。


「それ、何ですか?」


アドリーはシリカに握られていない方の手でネックレスを指した。


「気になるの?昔もらったものなんだ。」


シリカは黒い服に隠れていたネックレスを出した。


安っぽい装飾がされていて子供の玩具のようなものだ。


その時だった。アドリーの中に不思議な感覚がしたのは。


それはライに魔力をかける時の感覚と似ていた。


いや最近もっと似た感覚を覚えたことがあったはずである。


曖昧な記憶を辿っていくと、それはポゾロに治療された時だった。


ただそれ以外にも覚えがある気がしたが、はっきりとは思い出せなかった。


「あれ?おかしいな。ヴェッデでもようやく最近できるようになったぐらいなのに。」


シリカは繋いだ手を不思議そうに見る。






改めてアドリーをまじまじと見た彼女は彼を尊いと思った。


彼のように人の汚い戦いに関わることもなく、

平和に過ごす人を守るためにも彼女達は戦っているのだ。


今回の一件で彼の中の平和が一時的に乱れたとしても、

時間が彼に平穏を再びもたらしてくれるようにしなければならないと思う。


ミリカのように感覚が麻痺したり、


ダンのように復讐のために異常を受け入れたりさせてはならないのだ。






「できたのか?」


ダンの声が少し裏返っていた。


ダンのような男が変に高い声を出すのは滑稽だ。


ミリカが噴き出したので、アドリーもつられそうになったがなんとかすんでのところでこらえた。


「うん。おかしいね。不思議。」


シリカがクスッと笑ったのに対して、今度はアドリーも素直に笑顔になることができた。


ご協力ありがとうと御礼を言った後、シリカは手を放した。


手に残ったシリカの熱がアドリーの心を大きく動揺させていた。


こんな時に何を考えているんだ。


自省したアドリーはその動揺を押し込めた。


アドリーはまた自分を責めることになった。


「いきなりで驚かせちゃったみたいでごめんね。

あなたにも魔力が分けられるか試していたんだけどできるみたい。

普通できないんだけどね。

できないのは子供のころからにぃやミリカにばっかり魔力を分けてたからかな?」


疑問形で聞かれてもアドリーには知る由もない。


ただ先程覚えた感覚なら分かった。


あれが魔力を流されるという感覚に違いない。


最後はアドリーが自己紹介をする番だ。


「俺の名前はアドリーです。武器は剣。両手に持つので刃渡りは短めの軽いモノを使っています。

魔力は『未来の創り手』。大層な名前をつけられてしまいましたが、よくある強化です。自分や―」


ふとアドリーは思う。この魔力って3人に使えるのだろうかと。


今までライやルー、ドラル、ポゾロといったごくごく親しい人にしか使ったことはなかった。


「すみません。他の人にも強化をかけられるとは思うのですが、

何分親しい人にしかかけたことがないんです。

あなた達にかけられるかどうかはやってみないことには分かりません。」


アドリーの言葉を受けて、ダンが前に進み出た。


集会所の床がきしみ、キィという音がした。


「なら俺にやってみてくれないか?」


手を差し出されてアドリーは手を掴んだ。


ダンの手はシリカ以上に鍛えられた手という印象を受けた。


魔力を流し込もうとするが、なかなかうまくいかない。


とはいえ完全にできないという程でもなかった。


「これは凄いな。」


ダンは手を開いたり、閉じたりして、力の感触を確かめる。


「どれほど強化できるんだ?」


シリカの魔力と組み合わせればもしかしたらという思いがダンにはあった。


一時的でなく、この能力を永遠に使いたいとも思ってしまう。


ダンはその考えを振り払う。それはアドリーに大変失礼なことだ。


それにアドリーのような普通な少年を今回の件以上に巻き込む訳にはいかなかった。


「魔力量に依存するのではっきりとはしません。調子にもかなり左右されます。

それに強くするというのは体に負担がかかるので、当然耐性の強化との平行になります。

なので強化すればするほど単純な足し算以上に魔力の消費は激しくなります。

それに俺の集中にも限界がありますしね。」


ダンのような慣れていない人に対する強化には苦労しそうだとアドリーは思った。


それにルーやポドロでさえ、ライと比べるとやりにくく感じたのを思い出した。


一体となるような感覚が得られたのはライくらいのものだ。


そうかとダンは頷き、考えるように手を口に当てていた。


「色々と検討したいが、何分今は一刻を争うからな。すぐに出られるか?」


一睡もしていないという事実を口にしようとしてアドリーは飲み込んだ。


ジェンを助けるために無理はするべきだと思われた。


「にぃ、たぶん無理。少なくとも私の治療が必要。」


アドリーが頷く前にシリカが止めた。


にぃ?先程一瞬抱いた疑問がまたアドリーの頭をかすめた。


「ああ、そうか。君も寝てないのか。

俺はどうにもシリカの治療に慣れすぎているな。

どれくらい治療に魔力と時間を使う?場合によっては休んだ方が効率がいいかもしれん。」


アドリーが先程ダンの強化に苦労したように、

シリカがアドリーの治療に苦労するだろうとダンは考えていた。


実際3人の知り合いでもう5年の付き合いになるヴェッデの治療ですら効率が下がった。


シリカが魔力を蓄えられるからといって、使い切ればそれまでだ。


時間も魔力も消費するなら自然に回復させた方が良いという考えもある。


「どうかな?やってみないと分からないかも。

さっきの感じだとそんなに手間取らない気もする。」


シリカが手を差し出したので今度はアドリーから手を握った。


リラックス、リラックス。


アドリーはシリカの魔力の邪魔にならないよう平静を心がけたが、

却って緊張していくのが自分でも分かった。






「なにか話でもしよう。」


緊張するアドリーを見かねたシリカは言った。


アドリーはますます緊張して何を話したものかと思ったが、

ふとネックレスのことを思い出した。


妙に気になったあのネックレスについて詳しく知りたいと思ったのだ。


「さっきのネックレス、もらったものだって言ってましたが、誰からもらったんですか?」


シリカは少し困ったような顔をしてから答えた。


「それがね、覚えていないんだ。随分前にもらったものだからね。

でも嬉しかったのだけは覚えててね。今でもこうして着けてる。」


2人の会話を聞いていたミリカはどこかイライラした様子だったが、

ふいとそっぽを向いて集会所を後にしてしまった。


「どうして嬉しかったんですか?こう言ってはあれですが、玩具ですよね、それ。」


失礼かもしれなかったが、アドリーは聞かずにはいられなかった。


なぜ気になるのかというモヤモヤが彼を駆り立てるのかもしれない。


「ほら、私達ってこんな職業だから。

仕事をしてお金はもらえても、心の中では感謝されていないことが多いんだよ。

それがね、このネックレスをくれた男の子はすごく感謝してくれたんだ。

だから嬉しかった。」


裁き手という職業の風当たりの強さを思わせる発言ではあったが、

シリカが笑顔で言ったので、アドリーには本当に嬉しかったのだということだけが強く伝わった。


シリカが一番辛いのは自分の行為の残酷さが人のためになっているか不安になる時だった。


だからネックレスはシリカの心の拠り所といえる。


「あっ、子供がくれたものだったんですか。」


先程は誰からもらったか分からないと言っていたので全く覚えていないものだとアドリーは思っていた。


男の子という言い方からアドリーはそう判断し、

ネックレスが玩具であることにも合点が行った気がした。


「あれ?不思議だね。

そういえば私そんなこと言ったけど、さっきまでそれも覚えていなかったのに。

本当に不思議。あなたと話していたからかな?」


またしても答えようにもない疑問を投げかけられてしまったが

不思議と言えば、アドリー自身不思議でならなかった。


どうしてここまでネックレスのことが気になっているのだろうか。






「はい、おしまい。」


シリカがそう言って手を放してしまったのは、

自分が感じた不思議について告白しようとアドリーが口を開く前の事だった。


「早いな。俺達にかかる時間とさして変わらないじゃないか。体調はどうだ?」


ダンはまた驚いた様子だったが、今度は声を裏返さなかった。


ただ裏返えさないよう意識していたのがダンをほとんど知らないアドリーにすら分かった。


「すこぶる良いです。徹夜したというより、むしろばっちり寝たぐらいの気分です。」


言われて体を動かしたアドリーはシリカの魔力の性能に畏れを抱いた。


自分とはレベルが違うのではないかという思い。


こんなに強い魔力を有する人達が苦戦する強奪者に自分がどこまでやれるのかが不安になった。


彼の中で凶悪な強奪者のイメージが膨らんでいく。


「とはいってもあくまで無体を回復しただけだ。

有体は万全という訳ではない。すぐ限界は来る。

短期決戦を仕掛けるのが1番いいだろう。相手も休めてはいないだろうからな。」


アドリーの不安は言える雰囲気では既にない。


勿論1度引き受けた以上はアドリーもそんなことを述べるつもりはなく、心にしまいこんでしまった。


「時にアドリー、君はジェン君の大事な品とかを知らないか?

ミリカの探索魔力は本人に縁のものがあれば効力が強まるんだ。」


土いじりが好きであまり物に固執のなかったジェンだったので、

縁のものと言われてもすぐには思い浮かばない。


「一度ジェンの家に行きましょう。俺が両親と知り合いなので。」


この狭い村で知らない顔などあるはずがないのだが。









「ジェンが一番大切にしていたものと言ったら、これだろうな。」


アドリー達に対応してくれたのはジェンの父だった。


その目はひどく赤く腫れていたが、今はとりあえず落ち着きを取り戻したらしい。


ジェンの母は未だに泣いているようで扉一つを挟んで鳴き声が聞こえてくる。


呻くようなその声にアドリーはどうしようもなくやるせない気持ちにさせられた。


「これは……まだあいつこんなものを大切に持ってたんですか……」


それは小さなスコップで、

ドラルに頼んで買ってもらったジェンへの初めてのお土産だった。


「さすがに畑には使えないけどな。でも家の裏手の狭い土地に野菜を育ててて、

それが必ず根菜なんだよ。毎年スコップを使って収穫する機会ができるようにって。」


語尾があやふやになる。父親はまた泣きだしそうになっていた。


その様子を見てアドリーにも涙が出てきた。


それはおかしなことにも思えた。


なぜドラルの死で泣かなかった自分が泣いてしまうのか。


ジェンのことを可愛がっていたとはいえ、ドラルよりは大切でないのは間違いがなかった。


どちらが大切かなんて考えること自体がおかしいのかもしれないが、

そう思ってしまう自分が居るのをアドリーは知っていた。


それでも涙は止まらなかった。


自分達を慕ってくれてこんな小さな古ぼけたスコップを今でも大切にしてくれるジェン、

そんなジェンを助けられないなんてあってはならなかった。


「おじさん、このスコップ貸してください。

俺達が必ずジェンを連れて帰ります。だから……」


1度泣き出すと止まらなくなり、

とうとうアドリーは最後まで言葉を発することすらできなくなった。


アドリーのあまりの泣きっぷりに、逆にジェンの父の方が落ち着いてしまう。


落ち着いて彼はふと思う。


自分の息子のため、この19歳の少年は殺し合いに行くのかと。


この時まで裁き手の人達だけで行くと彼は思っていたのだった。


「頼む、アドリー君。必ず息子を、ジェンを助けてやってくれ。」


申し訳ないとは思いつつ、ジェンの父は制止するようなことは言えなかった。


もうアドリーにすがるより他はないように思えてきたのだ。


裁き手なんて信用できないという考えがこの男のどこかにあったのも大きかった。


アドリーはジェンの父の両肩を掴み、


「必ず、必ず助けてみせます。」


とうわずった声で繰り返した。









4人が村を出ようとする時、日はもういくらか昇っていて、

これから起こるであろう惨劇に似つかわしくない程清々しい朝だった。


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