第二話 未来を託す
いつの間にか小鳥の歌は終わっていた。
「タノシソウダナ、オマエラ。」
2人はギョッとした。
目の前に魔人が居たのだ
まず見た目が恐ろしい。
全身が真っ赤にひどく腫れているようで、
それでいてどこかヒトとは異なっている。
眼は紫色で昆虫の複眼を思わせる形態をしていて、
左右に広く開かれた口から異様に尖った黒い歯をのぞかせていた。
ただそんな見た目よりも2人にとって恐ろしかったのは
全く気付かずに目の前に立たれたということだった。
馬が恐怖で嘶いた。辺りが静かな分、その声は遠くまで届いたことだろう。
「オレハニンゲンッテヤツガキライデナ。
タノシソウナヤツラヲミツケタラ、
ソノカオヲユガマセテカラコロスコトニシテルンダヨ。」
その醜い声は嫌に頭に響く。
響いて行き渡ったら粘りっこく染みつく声だった。
アドリーは唾を呑んだ。
こいつ、見たことあるぞ。
間違いなく、賞金がかけられていた魔人だ。
二つ名は『影の嫉妬』。姿を隠す魔力で旅人や商人を惨殺してきた。
力は大したことないとされるが何分見えない。
格上殺しで有名な奴だ。
アドリーはこの窮地を脱する方法を考えていた。
全く見えない以上逃げるしかない。
荷物は残念ながら捨てなければならないが仕方ない。
アドリーが様々な思考を巡らしている時、ライの声がアドリーの耳に届く。
それは天から舞い降りた救いの手のようにアドリーには感じられた。
「アドリー、お前の事は俺が護る。だから心配するな。」
アドリーはライを見る。
ライも賞金首のことは覚えていた。
彼自身の中から湧き上がる魔力をライは感じている。
アドリーはライの右手がほのかに光っているのを捉えた。
いけるかもしれない。
アドリーは緊張と恐怖で堅くなっていた体に活力が溢れ、
すっと楽になっていくのが分かった。
ライの魔力、それは追い詰められた時にのみ発動する力。
護りたい相手を護るために奇跡を起こす力。
普段使えない代わりに、いざという時その威力は計り知れない。
「オマエラノカオ、マタキニクワナイモノニナッタ。
フカイ、フカイ。トクニセノタカイオマエ。」
声だけが聞こえる。
しかし姿は見えない、既に姿を隠したのだろう。
気配すら一切感じられないのは
魔人が走ることで生じる粉塵・音を隠すことまで能力に含まれているということなのだろうか。
声がなければ魔人の存在なんて白昼夢とも思えたかもしれない。
隠そうと思えば声も聞こえなく出来るはずだ。
そうしなかったのは恐怖を植え付けてやろうという思いが魔人にあるからだった。
ライが静かに剣を抜いた。
形見の剣、ライの意志の現れ、アドリーの咎。
「アドリー、力を貸してくれ。
あいつ、格上殺しで有名なわりに
素の俺達よりはよっぽど格上みたいだぜ。」
指名手配されるようなやつだ。それも当然の事だろう。
アドリーはライの右肩に手を置いた。
その肩には今ライとアドリーの未来がかかっているのだ。
「ライ、未来をお前に託す。」
流していく魔力、流れ込む魔力。
アドリーはライに未来を託す時、実を言うと幸せだった。
ライが能力を使う時なんて大抵命がかかっている時だ。
それでも自覚のあるなしはともかくアドリーは幸せを感じずには居られない。
憧れていたライと一体となって戦えるのだ。
それがどれだけ幸せなことか。
ライも幸せだった。
ライが魔力を使う時、ライは自分の意志をはっきりと自覚する。
両親が自分を支えてくれている気がする。
アドリーが隣に居るのが分かる。
ここに居なくても、ルーが居て、ルーの両親、村の子供、大人……
その全てを愛し、愛されて、そのために命を懸ける。
それがどれだけ幸せなことか、今のライには分かるのだ。
「俺が愛したこの世界の未来は俺が護る。」
ライは抜いた剣を天にかざす。
剣が光を受けて輝く。
「ダカラフカイダトイッテイルダロウ。」
魔人は勢いをつけてライの脚を狙った。
簡単に殺そうとは思っていない。
じわじわといたぶり、その気に食わない顔を
最高で最低に歪めてやらないと気が済まないのだ。
脚を切る時に熱を与えて止血してやるとしよう。
出血のショックで気を失ってもらっては困りものだ。
「俺にはお前が見えているぞ。」
ライは力の限り、剣を振り下ろした。
堅い感触、だが確かに斬ることは出来た。
その証拠に本体から離れ、魔力の解かれた腕が地面ではねている。
その崩壊の様は実に醜いものだ。
醜く膨らんでいた腕はますます膨らみ最期には破裂した。
『ギェエエエエエエ』
魔人はもう声も隠した。
魔力は完璧なはずだ。
場所がばれたとしたら、声を頼りにしたとしか思えなかった。
一旦距離を取り、位置情報を0にしてやる必要がある。
「逃げても無駄だ。」
ライが走り出した。その速さは馬をも越えていた。
これはアドリーの強化、ライの魔力が組み合わさった結果だった。
速さが出せたとして、常人ではその速さに体のコントロールがついていけない。
しかしライの魔力はそれを可能にする。
彼の魔力は電気を操ることができる。
それすなわち電気を介する伝達経路の支配といえる。
だから彼はあり得ない速度で体を反応させられるのだ。
ただアドリーが担っている役割が大きいのも事実だ。
速さは耐えられないレベルの負荷を体にかける。
アドリーが与えた強化によって耐えられる肉体となっていて初めて成せる事なのだ。
強化を耐久よりにして正解だったとアドリーは思った。
最もアドリーが調整を間違ったことはない。
2人は魔力を行き来する間1つとなっているようなものだ。
間違うはずはないのだ。
『オカシイ、オレノミタテジャヤツハソンナニハヤクハシレナイ。
ソレニオレニイッチョクセンニムカッテキテイル?』
魔人は恐れていた。
もう魔人に戦う意志はなく、ひたすら逃げようとする。
が、ライの方がずっと速かった。
「オレガオマエニマケルハズハナイィイイイイ。」
追い詰められた魔人が放ったその一撃は自身の魔力を解除して、全力をこめたものだった。
だが、
「当たらなきゃ意味ねぇよ。」
後ろに回り込んだライの一撃が振り落とされる。
魔人が最期に見たのは遠く正面に居たアドリーの目。
ライを信じて疑わず、ライに憧れ、ライを追う、その目だった。
だから魔人が最期に抱いた気持ちはやっぱり不快だったことだろう。
「未来は護られた。」
ライの体から力が抜け、後ろに倒れてしまう。
最後の力を振り絞り、剣を天にかざす。
剣はいつものように光を反射して輝いた。
「いや、ボクとしても鼻が高いよ。
昔から弟みたいに面倒看てきた君たちがまさかあんな大物を倒してしまうなんてね。」
ポゾロは看病されているアドリーに話しかけた。
ポゾロが言ったように、ポゾロとライ・アドリーの2人は旧知の仲だった。
赤茶色の長髪をいじる指がいつもよりせわしなく動いている。
それはポゾロが興奮している証拠で、
彼は2人の成功を自分の事のように喜んでいたのだった。
というよりポゾロの場合、そういう形でしか喜べなかったという方が適切かもしれないが。
「あはは……ありがとうございます。でも助かりましたよ。
影の嫉妬を倒したのは良いんですけど、
魔力を使い切ってしまったみたいで全く動けませんでしたからね。」
ライよりも先に意識を取り戻していたアドリーが答える。
ライの方は未だに寝ているが、その呼吸は安らかで体調に心配はいらなさそうだ。
「確かにそこは反省して欲しいところではあるね。
ボクが通りかからなかったら危なかったよ。
影の嫉妬を倒しても通りすがりのつまらない魔族や強奪者なんかに
君らを殺されてしまうところだったかもしれない。」
ポゾロは厳粛に言った。
彼の先生が指導するようにアドリー達にモノを言うのが彼は好きだった。
ただ今回の場合はポゾロの言うことは最もである。
というのも魔力を使い切るということは無体の衰弱を意味し、
有体との調和がとれるようになるまでまともに動けないどころか、
下手したらそれが原因で死んでしまうこともあるぐらいだからだ。
「猛省します。でも俺もライも必死でしたから。
少しでも俺の供給魔力が少なければライはあいつを倒しきれませんでした。」
アドリーはライを改めて見る。
魔力を豊富に含む軟膏を全身に塗られているせいで見た目は普段と異なっている。
でもライがそこに居るだけでアドリーは安心できた。
「君にはライにどれだけ強化すればいいかというのが感覚で分かるんだったね。
やれやれ、君らの絆の深さには嫉妬してしまうよ。
ボクも君たちの事を大切に思っているつもりだが、
君たちがお互いを思うほどには到底敵わないと思っているよ。」
ポゾロは前髪をさっと指で跳ねた。
この動作は彼が自分で自分がかっこいいと思った時にしかやらないことだ。
ただアドリーはライとの絆が褒められたことが照れくさくて、
ポゾロのセリフの後半はほとんど聞いていなかった。
「そりゃ俺達は一心同体ですからね。」
むくっと起き上がったライはポゾロに向かって笑顔を向けた。
その笑顔は普段と比べれば弱弱しいものだったが、不思議と明るく見えた。
「おや、起きていたのかい?体調は問題なさそうだね。」
ポゾロはライの顔を覗き込む。
先程の言葉もはっきりしていたし、今もライはしっかりポゾロを見ることができていた。
「はい、お陰様で。意識は大分前からあったんですけどね、
どうにも体が動いてくれませんでした。」
ライは未だに笑顔のままで、その様子は本当に幸せそうだった。
彼がこんなにも喜んでいるのは護ることができたという満足感のためだろう。
「坊ちゃん、お二方、そろそろ町につきますよ。」
馬車の操車が声をかける。
坊ちゃんというのはポゾロのことで、彼が町長の息子だからそう呼ばれるのだ。
「ライ、アドリー。ボクの屋敷で少し休んでから調子を整えたらギルドに行かないか?
魔人の死体はボクの魔力でとどめてあるからね。あの分なら報酬をもらえるだろう。」
2人は頷いた。そして顔を見合わせ、
アイコンタクトで互いの健闘を称え、喜びを分かち合うのだった。
「御二人がですか?ポゾロさんと一緒にやったのではなく?」
ギルドの受付は驚いていた。
影の嫉妬はここら辺では名の売れたハンターが何人も挑戦し、
ある者は帰って来ず、ある者は姿を掴ませてもらえなかった。
とにかく誰もその討伐には成功しなかったのだ。
ポゾロと2人が影の嫉妬の死体を持ってきた時、
ポゾロの護衛のサポートがあって倒すことができたのだと受付は思った。
「ボクは一切やってないさ。2人だけでやったんだ。」
なぜか自慢するように言うポゾロの横で2人はただただ照れて縮こまっていた。
「以前から意外性のある2人で見所はあるとは思っていましたが、
いやはやよもやここまでとは。とにかく今褒賞を用意します。」
受け付けはいそいそと裏に下がっていった。
ギルドの役割は大きく分けて2つである。
1つは戦闘に長けた魔力を持つ者を中心に強力な魔力の使い手の把握。
これは強奪者に身をやつすことがないようにするための予防策的な意味が強いとされる。
そのため力ある者はギルドに登録するのは法で義務づけられている。
ちなみにその登録の際に魔力の名称をつけることになっており、
ライ、アドリーは特に考えていなかったので、2人の魔力の名前はポゾロがつけたものだった。
もう1つはそういう戦闘に長けた者に仕事を斡旋することだ。
護衛としての仕事に始まり、今回のような凶悪犯の退治の要請、
変わったところでは道路建設なんて仕事も来たりする。
「なあ、ちょっと聞こえちまったんですがね、ポゾロ坊ちゃん、
この2人があの影の嫉妬を倒したというのは本当ですかい?」
近くに居たハンターがポゾロに話しかける。
彼は信じられないといった様子だった。
「ああ、本当だとも。知らない者はよく聞け!」
ポゾロの大きな声がギルド中に行き渡る。
中で談笑していたハンターたちが一斉にポゾロ達の方を向いた。
「今日、あの悪名高き影の嫉妬が倒された。
誰に?そう、ここに居る19歳の少年たちにだ。
ご紹介しよう。彼らはジア村のニューホープ。
『未来の護り手』ライと『未来の創り手』アドリーだ!」
一瞬の静寂の後、拍手喝采が起こる。
すげーぜ
おいおい、冗談だろ?あんな少年が。
ありゃあ、ライじゃねぇか、あいつそんなに強かったか!?
おめでとう、しかし一体どんな手品を使ったんだ?
ざわめく室内、一通りの反応を確認したポゾロはパンっと手を叩いた。
その合図で室内は再び静かになる。
「では若き英雄たちから一言ずつもらおうじゃないか。」
拍手喝采が再び湧く。
こんなに大勢の人に褒め囃されることなんてなかった2人はすっかり茹蛸のようになってしまった。
緊張した面持ちで先に声を出したのはライだった。
「影の嫉妬を倒せたのは俺らの力から考えれば奇跡みたいなことです。
でも仲間を護りたいという気持ちが俺達を勝たせてくれたと思ってますッ。」
最後が力んでしまったが、それでも言い切ったライにまた拍手が送られる。
一方でなかなか言う事が思いつかないアドリー。
彼の中で色々な言葉が浮かんでは消えていく。
しかしポゾロに小突かれてアドリーは一歩前に押し出されてしまった。
こうなってしまっては腹をくくるしかない。
「仲間を護りたいと心の底から強く思うライとだからこそ倒せたと思っています。
互いに互いが居たからこそ全力を出し切り、それがこの結果に繋がりました。」
ライの後という事もあって、
思っていた以上に落ち着けたアドリーは静かにしかしはっきりと言った。
考えがまとまらない時でも案外やってみればなんとかなるものだ。
4度目の拍手喝采、それは2人の絆を称賛しているようでもあった。
待ち構えていた受付が2人に褒賞を渡す。
「本当にありがとうございました。こちらが褒賞となります。」
目の前に置かれた褒賞は2人が今まで見たこともないような
大金に匹敵するであろう宝石の山だった。
2人は目を丸くし、賞金首を倒したのだという実感を噛みしめる。
そして目の前の褒賞についても当然考えがゆく。
これだけのお金があったら何に使えるだろうか。
川から村へ水路を引くこともできるかもしれない。
2人の頭の中に様々な想像が広がった。
「とりあえずボクの屋敷まで運んでおこう。
今日は君たちの偉業をここで祝したい。
どうだい、倒した時の話を皆に聞かせてやってくれないか?」
ポゾロの提案は呆けていた2人を楽しい想像から現実に引き戻した。
2人がゆっくりと頷いたのを見て、使用人に褒賞を運ぶよう手際よく指示する。
先程の扇動といい、ポゾロが人を扱うことに慣れているのが良く分かる。
生まれた時から町長の息子として生きてきただけのことはあった。
「さあ、ハンター諸君。今日はボクのおごりだ。
これから仕事でない者は皆好き放題に食べてくれ。
とはいえもう夕刻だ。予定のあった者も今日ぐらいは休んでもいいのではないかい?」
場は一層盛り上がった。
ギルドは情報交換の場という意味合いもあり、簡単な食事処も兼ねている。
最も食事処というよりは酒場に近いかもしれない。
一応公的な機関であるので酒場という表現は決してされないのだが。
「ポゾロさん、悪いですよ。
俺たちを祝ってくれるならあの褒賞からお金は出しますから。」
アドリーは慌てて言った。
それを見てポゾロはゆっくり首を振り、たしなめるように言った。
「いいかい、あの褒賞はジア村のために使うといい。
それにボクが君たちを祝いたいからやることだ、ボクのお金でやらせてくれ。」
ライは強く頷き、アドリーもそう言われるともう何も言えなかった。
思わぬ祝賀会となってしまった2人だったが、それなりに楽しめていた。
2人がまず聞かれたのはどうやって影の嫉妬を倒したかということだった。
「俺の魔力は電気を操る魔力なんです。
ただ放電するというよりは自分の中の電気を操ることが多いですけどね。
自分でも使い方が分かってない部分が多くて、
発動したら自然にやっていたってことがほとんどです。」
アドリーが補足でライの魔力が危機的な状況でしか発動しないため、
その魔力を使った回数自体、両手で数えるほどもないことを説明した。
「影の嫉妬と向かい合った時、
影の嫉妬がどこに居るかが分かったんです。
戦っていた時は理由なんて考えてなかったんですけど、
きっとあいつの体内を流れる電気を感じていたんだと思います。」
電気という概念は広まっているようでもありまたそうでないようでもあったが、
自称知識人がそれに関してはここぞとばかりに周りに説明していた。
影の嫉妬の自らを隠す魔力は自身の中では完結していたはずだった、
しかし影の嫉妬が知らない電気という概念までは隠すことができなかったのではないか。
それがライの話を聞いてポゾロが推察したことだった。
「きっとそうですよ。やっぱりポゾロさんは凄いな。」
ライのボウガンの師はポゾロであり、
ライはアドリーよりもポゾロを慕っていた。
2人に武術の基礎を叩きこんでくれたドラルは剣しか扱えなかったのだ。
それからも2人は色々と質問を受け、慣れないことながらも1つ1つ答えて言った。
そうしていく内にようやく解放された2人にポゾロは話しかけた。
「お疲れ様。いや祝賀会と言いつつ、君たちに負担をかけてしまったね。
でも許してくれ。町を活性化する機会は逃したくないんだ。」
ライはこれにも強く頷いた。町を思うポゾロをライは好きだった。
アドリーは苦笑いしていた。それでもその顔に不満はない。
「別にいいですよ。ポゾロさんにもお世話になりましたしね。」
ライは上機嫌で答えた。
そんなライを笑顔で見ていたポゾロはそれから少しまごついて言いにくそうに言った。
いつも自信に満ちて余りあるポゾロとしては考えられないような態度だった。
「そういえばルーはどうしてるかい?」
アドリーはまた始まったなと思った。
ポゾロはルーのことが好きだった。
アドリーは思う、
ライがそれに気づいていないのはまだいい、
しかし悲しいかな、ルーも気づいていないようなのだ。
アドリーだけが気づいていて、それでいてライとルーに上手く行って欲しいので黙っている。
ドラルが一線を退くまでは村の番人は村長がやっていて、
よくドラルと一緒に3人は町まで来ていた。
でも今となっては村を守るのはドラルとルーであり、
ポゾロがルーに会える機会はめっきり減った。
アドリーはこのままポゾロの恋が自然消滅するのを願っていた。
「ルーですか?元気ですよ。」
ライは相変わらずポゾロの気持ちに気づいていない。
アドリーが思うに、ライもルーのことを好いているのではないかと思うのだが、
聞いてみても家族のように思っていて分からないという回答が返ってくる。
ジア村のような閉鎖的な空間で2人の関係をそう焦ることもないと思い、
アドリーは今まで過剰なお節介はしてこなかった。
「ああ。それはよかった。たまにはこっちに来たりはしないのかな?」
ポゾロは出来ることなら村まで会いに行きたいのだが、
彼の町長の息子という立場がそれを許さないのであった。
「それは難しいかもしれませんね。
偶には俺かアドリーのどっちが村に残ってもいいかもしれませんが。」
ライがアドリーを見る。
ライがこの提案をする度、アドリーは同じことを言ってやるのだった。
「じゃあ俺が今度残ろうかな。」
それを聞くと途端にポゾロは血相を変える。
その慌てようは大変なものだ。
「いや、なんだかんだ言って、町まで来るのだって危ないんだ。
君たち2人がやるべきだよ、うん。変なこと言ってすまなかったね。」
ルーがライに好意を抱いているのにポゾロは薄々気づいてはいた。
そのためポゾロにとってライとルーを2人にしない方が
自分がルーと会うことよりも優先するべき事項なのである。
村の中でそんな機会はいくらでもあるのは分かっていても
出先の方が何かが起こる気がしてならないのだ。
落ち込むポゾロを見て心が痛まないことはないアドリーだったが、
自分も通った道であり、ポゾロに早く諦めてもらうより他ないと思うばかりだ。
ポゾロは見ていないのだろうかとアドリーは思う。
ルーの燃えるような眼を。
あの想いの炎が消えるようなことは消してなく、
自分の有していた炎などそれと比べれば、炎でなかったと思えるはずなのだ。
アドリーの初恋は短いものだった。
幼い頃から一緒に過ごしてきた3人は互いを家族のように思っていた。
アドリーは6歳からルーの家に住むようになる。
そうなるともうルーとアドリーは本当に家族みたいだった。
だからこそライとルーの関係に変化があったのにアドリーは気づいた。
正確にはルーのライに対する態度の変化である。
普段は今までのような家族同然の仲なのだが、
ふとしたきっかけでルーの目が変わることがあった。
アドリーはそれに興味を持った。
それでルーをよく見るようになった。
そうしていく内にルーに対する自らの態度も少しずつ変化していくのが分かった。
ライだけが変わらない中、アドリーは自分の変化が大きくなっていくのを感じていた。
その頃になるとアドリーはルーを見ているようで、
ルーが好きになっている自分しか見えていなかった。
だからルーがライを好きだと彼が気づいたのはルーを意識していない時だった。
ある晩、ルーとアドリーが食器を並べていると戸がノックされた。
その夜は格別静かな夜で、ノックの音は良く響いた。
偶々手が空いたルーがドアを開けると、そこにはライが立っていた。
両親が急用で出かけてしまったので今晩はここで食べさせて欲しいとのことだった。
そんな会話をなんとなく聞きながら、皿を置き終わった彼はちらっとルー達を見た。
その時だった、彼の恋が終わったのは。
ルーの目、あの燃えるような目。
アドリーはそれを良く知っていて、しかしそれはアドリーの知っているものとは違ったのだ。
アドリーがルーをまだ好きでなかった頃には分からなかった人を愛する目。
それでいてその愛の深さは自分のものとは比較することができないほど深かった。
アドリーが後から思うに、ルーは自分が気づくずっと前からライのことが好きだったのだと思う。
ルーがいつから意識したのかは分からないが、でなければあんな深さにはならないと考えたのだ。
こうしてアドリーは大人しく身を引き、2人がいつか結ばれるのを見守ることにした。
アドリーが彼の恋に目覚め、諦めるのに実に3ヶ月とかからなかった。
それは本当に短く、火花のように一瞬の輝きだけで消えていった。
闇が日を飲み込み祝賀会もそろそろ終わりかと思われたころ、
ギルドの戸がギィーという音をたてた。
一同は入って来た3人組を見て一瞬口をつぐんだ。
そしてまるで3人が入ったことがなかったようにすぐに騒ぎ出した。
それは無理して騒いでいるようにも見えた。
さて入って来た3人の内1人は大男。
顔に傷があり、どこか影のある印象を受ける。
背中には大剣を差していて、男のがっしりとした体つきにはよく映えた。
着ている黒い服は汚れている上、破けたところを何度も補修した跡が見受けられた。
残り2人は透き通るような青い髪を持つ少女達だ。
姉妹だろうか。受ける印象は少し異なっているが顔はよく似てはいる。
ただツインテールにショートヘア―と髪型は異なっていた。
ツインテールの方は下を向き、大男につき従っているようだった。
これまた黒い服を着ていて、それはひどく汚れて見えた。
小柄の体に不釣り合いな大きな斧が背中に差してあり、
大男と対比するとそれは余計におかしかった。
ショートヘア―の方は辺りを興味深そうにキョロキョロと見渡していた。
ツインテールと同じ黒い服を着ていて汚れてはいるのだが、その汚れ方はどこか綺麗だった。
汚れているのに綺麗というのはおかしいかもしれないがそう表現するしかないのだ。
ツインテールの少女の服と無意識で比較しているために、
生じている矛盾に違いなかった。
こちらは弓を身につけていて、背丈に合ったものだ。
ライはそんな3人をどこか不思議に思った。
3人が入ってから周りの空気がおかしくなったからだ。
ライは理由を尋ねるようにポゾロを見た。
そんな視線を受けて、人に教えるのが好きなポゾロが黙っている訳はなかった。
ただ何か言いにくいことだったのか、ライを寄せてから小声で囁いた。
(あの3人は裁き手だ。あまり見ない方がいい。)
3人を注視していたアドリーがこれに食いついた。
(裁き手って何ですか?)
繰り返すがポゾロが質問を受けて答えない訳はないのである。
(裁き手というのは強奪者を裁く者達だ。
君たちも分かっていると思うが、一定以上の実力者の無力化というのは難しい。
よって彼らの裁きというのはそれすなわち殺すことだ。
正義のために冷酷になれる人達だよ。
立派なことではあるが、ボクらとは住む世界が違うと思った方が良い。)
人を殺すということ、それは間違いなく悪いことだった。
例えそれが悪人でも許されるかどうかは難しい。
仕方ないと理性が言っても、感情は聞き入れない。
ライはこの空気の理由が分かった気がした。そして悲しい人達だとも思った。
仲間を守るために敵を憎まなければいけないような気がしたから。
そして憎むからこそ、彼らが憎んでいない人々からも憎まれるに違いなかった。
一方アドリーは裁き手に興味を持った。
自分は人の死を悲しめないが、
人を殺すことを生業とする彼らもまた自分と同じかそれ以上の人種なのではないかと思った。
アドリーの目は先ほどからツインテールの少女を追っていた。
どうしてか分からないが追ってしまうのだ。
それにその女性に懐かしさのようなものも感じていた。
その懐かしさがアドリーの意識をどこか遠くへ連れていく気もした。
周りの空気が一瞬はりつめたのを感じて、アドリーは正気に戻った。
隣でポゾロが唾を呑む音がした。
気が付くとショートヘア―の少女が立ち止まってアドリーを見ていた。
アドリーは少女と目が合った。
それは本当に短い時間の事だった。
前を歩いていたツインテールの少女が彼女に話しかけ、
それで彼女も向きを変え、歩みを再開したのだ。
ポゾロがほっと溜息をついてからまた囁いた。
(彼らはいつでも強奪者とかその縁者に命を狙われていると聞く。
変な誤解をされないようにした方が良い。)
少女の気持ちは一瞬のことで分からなかったが、
嫌な感じはしなかったとアドリーは思っていた。
ただそれをポゾロに言っても無意味な気がしたのでただ頷いたのみである。
3人組は受付に着くと、大男が何かを話した。
受付の顔がこわばった。それから二三言を話すと、3人は向きを変えそのまま出て行った。
出て行く時も3人、今度は特にショートヘア―の少女を見ていたアドリーは、
わずかにアドリーの方を見たその少女とまた目が合った。
そして少女が微かに笑ったのもアドリーは見逃さなかった。
その笑みは予め用意してあったものに感じられた。
3人が去った後、受付がポゾロに何かを耳打ちした。
するとポゾロの顔も険しいものとなった。
直後祝賀会の終わりを宣言したポゾロは明るく振る舞っていた。
しかしその顔には何か異変を感じさせた。
ライとアドリーが心配そうにポゾロを見ていると、
ポゾロは2人にすぐ帰るよう指示した。
「でも明日、商品を売らないと。」
ライのその主張にポゾロは頷いた。
「ボクが言い値で全部買う。噂では魔力でとても良い作物が採れたと聞いている。
損はさせない。いいかい、とにかく褒賞を持ってすぐ帰るんだ。」
ポゾロの口調からは焦りが感じられた。
アドリーは態度を急変させた理由が気になった。
「何かあったんですか?」
ポゾロは少し戸惑いを見せたが、
優しくしかし毅然とした口調で告げた。
「何もなければこんなことは言わない。
あまり騒ぎにはしたくはないが、そうだね、ジア村への連絡は君たちに任せるとしよう。
先程来た裁き手が追っていた強奪者の一団の目撃情報が周辺であったそうだ。
強奪者が村を襲うと決まった訳ではないが、
速く帰って村の皆を守ってやってくれ。」
ポゾロはいつになく真剣で険しい顔つきをしていた。
ナルシストなポゾロはそのような動じた素振りを見せたことなどなかった。
ルーの件以外ではという条件つきではあるが。
ライは恐ろしくなった。
自分の両親が死んでしまった時のことを思い出したのだ。
あの時襲って来た強奪者の目をライは忘れていなかった。
ギラギラと鈍く光るそれは狂気をはらんでいるとしか思えなかった。
気が狂いでもしなければ笑いながら人を殺すことなどできはしない。
思い出の中の強奪者はライを見た。その目が次はお前だと告げていた。
「震えているのか?」
アドリーに肩を掴まれ、ハッとする。
そしてようやく自分の震えに気がつくライ。
「大丈夫。心配することはない。
さっきの裁き手の人達に幾度となく追い詰められて疲弊しているらしいから、
村を攻撃してくる可能性は相当低いだろう。」
ポゾロは気遣うように言った。
ポゾロもライの両親のことは知っていた。
この一帯をとりしきる彼の父と共に弔いの儀にも行った。
ライの悲しむ姿に、ポゾロは自らの親族を失ったような悲しみを覚えたものだった。
「違うんだ。アドリー、俺が震えているのは武者震いだよ。」
先程まで下を向いていたライはもう前を向いていた。
目には強い意志が感じられた。
両親の愛したものを必ず護ってみせる、
もう二度と奪わせないという強い意志を。
(ライ、やっぱりお前は凄いよ)
アドリーはそんな親友を誇りに思った。
そして親友を手伝いたいと心から思うのだ。
「ポゾロさん、商品の値段はお任せします。
それと申し訳ないですが、褒賞と荷馬車を預かってもらえますか。
後できれば馬を1頭お貸しください。」
ポゾロはライの気概に圧倒された。
と同時にライの成長をただ喜ばしく思うのだった。
ポゾロの記憶の中で泣いているあの少年はもう居ないのだろう。
ライとアドリーは一晩中馬を走らせたが、
平坦な道ばかりではないのでどうしても時間がかかった。
そのため村に帰るころには空は白んで来ていた。
その空に対して上がっていく黒煙は、
恐れていた事態が起こったことを示していた。