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彼の正義   作者: けえてい
一章 彼はこうして旅立った
1/11

第一話 無事に帰ってくるよね

初投稿で、不慣れな面もありますがよろしくお願いします。

早朝、2人の青年が出発の支度を終えて、村の門までやってきた。


ジア村と呼ばれるその村は小さなのどかな村だった。


2人が村を出るのは隣の村、町との交易に出るためであり、

収穫したばかりの作物を乗せた荷馬車も一緒だった。


2人の青年の内、背が高い方がライ、小さい方がアドリーという名前である。


彼らは2人ともしっかりとした体つきで、若い命が感じられた。






「行ってらっしゃい。」


見送りに来た少女は手を振りながら言った。


赤い、コットンシープの毛で作られた服を着ているその少女の名前はルー、

アドリーとライにとっての幼馴染だ。


彼ら3人は同じ村に生まれ、ずっと一緒に生きてきた。いわゆる竹馬の友というやつだ。


「ルー、村の留守は任せたぞ。」


腕を使って手をぶんぶんと振り返しながらライは言った。


明るく元気が有り余るライ、彼の動作の1つ1つはどこか大げさだ。


そのせいもあってか実際の身長よりライは大きく見える。


ライと2人でいることの多いアドリーは相対的に小さく見られがちだった。


(朝から相変わらず元気ねぇ。)


ライに呆れながらも、そんなライの事をルーは愛していた。


元気なライを見ていると、自分も元気になれる気がした。


でもそれはルーに限ったことではなく、

ライの周りの人は皆そうなのではないかとルーは思っている。


ライはそういう魅力のある人だ。


その太陽のような人となりはルーの愛を深めるとともに遠ざけるものでもあった。


ライは独占するには余りにも眩しいものに感じられたからだ。


「私に任せときなさい。

強奪者が村に来ても、追い返してやるわ。」


ルーは腕を前に伸ばし、手を広げた。


手のひらから温かい炎が出現し、ゆらゆらと揺れた。


彼女が腕をひっこめ、炎を消す。


一瞬輝きを増した炎の明かりに照らされて、ルーの金髪が輝く。


母親譲りのその金髪は村の者から評判が良かった。






「ライ、そろそろ出発しよう。」


先ほどまで2人の会話を他所に馬の面倒を看ていたアドリーは立ち上がり、村の外に向き直った。


森に囲まれたこの村は見晴らしがいいとはいえない。


森は森の美しさがあるはずだが、それも村付近の整理された森では半減している。


それでもアドリーはこの景色が好きだった。


一般的に美しくなくとも、

最早自分の一部といってもいいぐらい見慣れた風景でも、

好きな景色は好きであり、それはずっと変わらないのだ。


「ああ。

じゃあな、ルー。土産買ってきてやるから期待しとけよ。」


ライとアドリーは村の子供達にお土産を買う約束をしていた。


世話上手なルーはともかく、


彼らが子供たちに人気があるのはお土産交渉の時ぐらいだ。


子供にせがまれるとどうしても甘いライは特に人気だった。


そんなライと子供達を諫めるのはいつもアドリーとルーである。


「はいはい、期待しないで待ってるわよ。」


その言葉を皮切りにアドリーとライは荷馬車を引きながら歩き出した。


ルーは見えなくなるまでライの背中を追った。


見送っていた彼女の顔は微笑んではいるものの、

どこか暗いところがあった。


今回は収穫期の1番良い作物を運ぶ。


遠い町まで出向くので2晩は泊まっていくことになる。


彼女は胸に手を当て小さくため息をついた。


握られた拳には変に力が入る。


(今回も無事に帰ってくるよね。)


今の2人なら町までの道のりは苦にもならないと分かっていても不安になってしまう。


彼女は空を見た。


まだどこか暗さを残しているが、明るくなってきている。


一日の始まりを感じた。


今日があるように、明日もあり、

この先ずっと同じような日々が続いていくものだと彼女は信じていた。


「さぁ、私もがんばらなくっちゃ。まずは川から水を汲まないと。」


その時、彼女は自分の服から小さな毛玉が一つ落ちたのに気づかなかった。


風に吹かれて転がる赤いそれは誰にも知られずにどこかへ旅立っていった。









村を出発した2人はいつもの道を歩いていた。


「アドリー、町まで行くのっていつ以来だっけか。」


取り留めもない会話の口火を切ったのはライだった。


ライの性格からして退屈は耐えられないものだった。


「たぶん2ヶ月ぶりだ。

前回がアマイモの収穫期だったはずだから。」


アマイモはこの辺の地域でよく獲れる甘い味のするイモだ。


アドリーとライの大好物でもある。


特に蒸かしたては2人に大変満足感をもたらしてくれる。


「もうそんなに経つのか。

キョウジさんや奥さん、それにポゾロさんは元気にやってるかな。」


2人が途中に立ち寄る村で薬屋を経営しているのがキョウジで、

その薬屋に2人はいつも泊めさせてもらっていた。


ポゾロは先輩のハンター、

2人のお兄さんのような人だった。


「キョウジさんも、ポゾロさんもあんな性格だろ。

2人とも元気じゃない姿の方が想像しにくいって。」


アドリーは冗談めかして言った。


性格がどうであろうと、それが確実な安全に繋がる訳ではない。


アドリーにとってこの発言は単なる冗談に過ぎない。


「それもそうだな。」


ライは大きな声で明るく笑う。


アドリーの冗談はライにとっては冗談以上の意味を持った。


性格なんて根拠になるはずはないのに、ライはそれで本当に安心した。


「どちらかと言えば俺らは心配される側じゃないか。今は時期が時期だしな。」


2人の間に少し嫌な沈黙が流れる。


収穫期は実りのある時期だが、

その実りを不当に奪おうとする者は必ずいるものだ。


それがいわゆる強奪者である。


「大丈夫さ。

ドラルさんが交易に出なくなってから、

2年経ったけど、その間強奪者の襲撃はなかっただろ。」


ライはアドリーを励ますように言った。


交易には基本腕が立つ者が行くことになっている。


誰もが最低限魔力を行使でき、力を持っている。


村や町などで大勢の人と争うのはリスクが高い。


少人数しかいない荷馬車の方を襲う強奪者が大半だ。


ハンターを引退したドラルがこの役をかつては担っていた。


ドラルはルーの父親で、

魔力の才に秀でていたライ・アドリー・ルーは彼についていき、

彼の保護下で魔獣との実戦をして鍛えたものだった。






「それに俺らだって強くなった、そうだろ。」


ライは少し含みのある言い方をした。


「ああ、そうだな。」


アドリーの手に力が入る。


目の前にチルドリザードの群れがいた。


チルドリザードと呼ばれるその魔獣はこの辺りで最も多く生息する魔獣だった。


大した力はないが、すばしっこく常に群れで行動するのが厄介な魔獣である。


ライはアドリーに目配せすると木に駆け上がっていった。


「俺に未来を創る力を。」


アドリーがその言葉を発した途端に、アドリーの全身は光に包まれた。


アドリーにとって、この言葉が魔力を使う引き金となる。


「いくぜ。」


腕をクロスさせるようにして両腰に差してあった刀を抜く。


アドリーが二刀流にしたのは少しでも手数を増やすためだ。


真っ先に向かって来た2体の突進を避け、すれ違い様に横腹をかっ裂く。


まず2匹。


青白い液体が宙に浮かび、黒い靄が斬り口から漏れ出る。


今度は3体同時だ。


右、正面、左、挟み込むようにしてやって来る。


「シャァァアアア」


叫び声が辺りに木霊する。


ヒュっという風切り音。


飛んできた2本の矢が左右のチルドリザードの脚にそれぞれ突き刺さる。


チルドリザードはうめき、動きが止まる。


「ナイスアシスト、ライ。」


できた隙を逃さないよう、一気に近づくアドリー。


正面から突っ込んできた奴を跳んでいなす。


次、脚が止まっている2匹の頭を貫く。


アドリーが見せた無防備な背中に


先程いなされた1匹が噛みつこうと大きく口を開く。


アドリーは咄嗟に身を翻し、そこに向かって剣を突き刺す。


確かな手応え。


「一丁、あがり。」


アドリーは突き刺した剣をチルドリザードから引き抜く。


チルドリザードはグェっと短い鳴き声を上げると静かになった。


絶命したのだろう。


「未来は創られた。」


アドリーを包む光が消えていく。


魔力が体内へと戻っていくのをアドリーは感じた。


その感覚は胸に手に当てた時のようだ。生きているという実感が湧く。


「お疲れ。」


器用な身のこなしでライはするすると木の上から降りてきた。


ライの力はアドリーのそれと違って通常の戦闘では役に立たない。


それゆえライはボウガンで戦闘を補助することが多かった。


「ああ、お疲れ。

この様子だと食べられそうなのは2匹か。」


襲ってきた5匹の内、3匹の死体は崩れ去っていた。


アドリーとライは残る2匹も崩れないよう、簡単な処理を施した。






「しかし俺らも強くなったよな。」


ライはチルドリザードの死体を見ながら言った。


その死は間違いなく、自分達がもたらしたのだ。


「こいつら1匹ですら倒すのに苦労してた昔と比べればな。」


強化の魔力に目覚めてから9年、


魔力効率や発動速度は大きく向上したという自信がアドリーにはあった。


加えて魔力の応用法も日々考案し、実践している。


ドラルからお墨付きをもらった能力をアドリーは信じていた。


「このまま強くなっていって、俺も村を護れるようになってやる。」


ライは父の形見である剣を天にかざした。


太陽の光を受け、剣が輝く。その剣を普段使うことはない。


それでもいざという時、剣を奮う勇気がライにはあった。


アドリーはそんなライから顔を背けた。


『俺も村を護れるように』


その発言は幾度となく繰り返されてきた。


しかしその発言を聞くたびにアドリーは少しだけ後ろ暗い気持ちにさせられる。









アドリーには両親の記憶がほとんどない。


6歳の頃までは一緒に居たらしいが、


父はよくハンターとして仕事に行ったままなかなか帰ってなかった。


母もそんな父と一緒に居たかったからか、


彼が3歳のころには父と一緒に仕事に行ってしまうことが多かった。


その間彼はルーの両親に預けられた。


だから6歳の時にとうとう2人が帰って来なくなっても、


実感がなかったからだろうか、彼は泣くことすらしなかった。


実感がないというのは、仕事で帰って来ないのが

長くなったという認識のためだとアドリー自身は思っている。


今回は遅いなと思い、待ち続けている内に、

いつの間にかどうでもよくなってしまったそうだ。


しかし幾らか物を考えるような年頃になると、

自分は捨てられたのではないかと考えて嫌な思いがないでもなかった。


きっと魔獣に殺されてしまったのだと大人達は言っていた。


彼もそれを望んでいた。


彼にとって両親が生きていることよりも、

自分が捨てられていない方が良いように思えた。


どこかで生きていてアドリーの成長した姿を見れば喜ぶだろうと、ライは言っていた。


ライらしい考えだとしか彼は思わなかった。


ルーはその話題を明らかに避けていたし、

結局今に至るまでこの件に関して、ルーは何も言わなかった。


ただ育て親のルーの両親やライとルーがいれば、アドリーは幸せだった。









一方ライは愛されて育ってきた。


色々な物を大切にし、護れるだけ護るように教えられ育てられた。


つまりは愛されるだけ愛し、また愛するだけ愛される、そういう環境で彼は育った。


彼は満ち足りていた。


愛がある環境こそが幸福だった。


自分の幸福が不変で普遍のものだと思っていた。


そんなライの両親はジア村を護るため、

強奪者と命がけで戦って死んでしまった。


強奪者を退けることこそできたものの、その時負った怪我が深すぎたのだ。


大人は皆、立派な人達だったと言った。


そんな言葉は彼の慰みにはならなかった。


彼はこの時に自分の家庭内では当たり前だったことが当たり前でなかったことを知った。


つまり愛してもそれと同じだけ愛されるとは限らないということだ。


大人達の慰みの言葉は彼の両親がジア村に持っていた愛に比べて

足りないように彼には思われた。


アドリーは何も言わなかった。


ただ両親の葬式が終わってからも泣いてばかりだった彼に、

彼の父親の剣を渡したのはアドリーだった。


アドリーの意図はともかく、

彼はそれがきっかけで立ち直ることができた。


それ以来彼は両親の死を誇りに思うようになった。


愛し愛される。


両親がジア村を愛したように、自分もジア村を愛するのだ。


例え村が自分を自分と同じだけ愛してくれなくても、

自分の気持ちを受け継ぐ人が居ればその愛は残っていくのだ。


だから自分も両親のようになりたいと考えた。


自分が両親の愛を受け継ぎ、そしていつかは……。






ルーは泣いていたライをよく抱きしめて、その傍にずっと居た。


ルーの温かさがライの心の傷を癒す上で大きな役割を果たしたことだろう。


なんだか気恥ずかしくてルーに感謝の気持ちをライが伝えたことはないが、

言えなかった分、ライのルーへの思いは今でも強く残っている。


今では胸の奥深くに感謝の気持ちを抱いているということが

ライの心の落ち着きそのものであるかのようだった。









さてアドリーが『村を護りたい』というライの思いに後ろ暗い気持ちになるのは、

ライの両親の死を悲しめない自分が居たからだった。


両親が居たことに対するライへの嫉妬はなかった。


だから両親を失ったライを見て悲しむことは多々あった。


しかしライの両親の死を悲しむことはなかった。


自分もお世話になった人のはずなのだ。


ライの両親の死についてアドリーが1番悲しかったのは

自分が悲しめなかったことだった。


死を悲しめない自分を責め、その苦しみがためにした涙。


周りがその涙を死の悲しみのための涙だと思うことはおかしくない。


おかしくはないが、その誤解がアドリーをさらに苦しめ、

2人の死から10年経った今でも後ろ暗い気持ちを想起させるのだった。


ライに剣を渡したことだって、ライの両親の死を過去の出来事とみなしているから

できたことだという自覚がアドリーにはあった。









「昼にするか?」


森を抜けて少し行ったところでライが提案した。


太陽は頭上で照り付けているし、馬は疲れているようだった。


なにより彼らのお腹がすいていた。


「そうするか。

俺らの魔力じゃ、この肉も長くもたないしな。」


ほとんどの食材には保存のため魔力を注ぐ。


あるべき姿、つまり生きている状態でないと

有体と無体のバランスが崩れるからだそうだ。


有体、無体のバランスがおかしくなると、物の外形は崩壊する。


有体とは物質的な肉体であり、無体とは魔力的な肉体だ。


その両者が相互に変換しあって、平衡状態にあるのが生命の神秘というやつらしい。


だからそれらのバランスの崩壊によって、

有体は塵と化し、無体は主にきらめく靄となって霧散する。


「ああ。じゃあ結界を頼んだ。」


ライは胡坐をかき座り込んでしまう。


ふてぶてしいものがあるが、ここまで開き直ると却って潔く見える。


「全く短時間の結界ぐらいはできるようになってくれよな。」


アドリーの魔力も決して持続力のある方とは言えないが、

ライより遥かにましなのは事実だった。


結界を張ればこんなに見通しの良い平野でも魔獣や人に気づかれにくくなる。


最も相当接近されたり、相手が自分よりそれなりに格上だったりすると無意味なのだが。


「いや毎回悪いね。

うん、俺って本当にお前とルーがいないとなにもできないからな。」


ライは笑う。


「いや笑い事じゃないからな。」


そう言いはしたものの、アドリーも少し笑ってしまっていた。


ライは頼るのも頼られるのも好きだった。


そしてアドリーもライに頼られるのが悪い気はしないのだ。


良い雰囲気で食べていると、ふと剣を天にかざした先程のライを思い出す。


今は気分が良いからか、暗い気持ちになることもない。


「ライってさ、父親に似てきたよな。」


アドリーがそんなことを言うものだから、

ライは思わず食べているものを噴き出し、咳き込んでしまう。


「ゴホッ、ゴホッ。お前、突然何言うんだよ。俺なんかまだまだだよ。」


照れるライをアドリーはからかってやりたくなった。


「何言ってんだよ。実力の話じゃない。顔の話だよ。」


実力はともかく、雰囲気が似てきたのは間違いない。


雰囲気と言ってあげれば喜ぶだろうなと思いながらも、

アドリーのいたずら心がそれを許さなかった。


「なんだ、顔の話か。確かに俺は父親似だな。」


ライは内心がっかりしながら、自分の顔をペタペタと触る。


そうしてライは最後に耳を触る。


ライの耳の形は父親と本当に良く似ていて、実はライのお気に入りなのだった。


「そういうアドリーはどっちかというと母親似だよな。」


ライの言葉にアドリーは思わず真剣に考えてしまう。


顔だけは辛うじて覚えていたので、言われてみるとそうかもしれないとも思う。


目や口の形なんかは似ているのではないだろうか。


「あまり考えたことなかったな。でもそうかもしれない。」


でもそこまで母親似と思わなかったのは、顔の造りは父親に似ているからだろう。


今度はアドリーが自分の顔をぺたぺたと触る。


それを見て笑うライ。のどかな昼食となった。









「遅かったわね。」


いつも泊まっている薬屋の奥さんが門の前で待ってくれていた。


ライ達が生まれたジア村より少し大きなこの村は、

小さい村々と町の中継地点で、カチュ村と呼ばれていた。


その性質上宿屋がないことはないのだが、何分お金がかかる。


だから宿屋に泊まるのは旅人で、

彼らのように近隣の村から来る者は必ずどこかにお世話になっていた。


「魔獣に絡まれる回数が多くて苦労したんですよ。」


ライが愛想よく答える。


「まあ魔獣にも野菜の一番おいしい時期というのが分かるんでしょうね。

この時期が一番しんどいですよ。」


アドリーはそう言いながら連れてきた馬をなでた。


馬も心なしか疲れているように思える。


「そういうものなのね。とにかく疲れたでしょう。

早く家へいらっしゃい。家で主人もアンナも待っているわ。」


薬屋の主人であるキョウジには奥さんが2人いる。


1人が今こうして迎えに来てくれたジーマおばさん、

もう1人がアンナおばさんである。






「そうか、道中は大変だったんだね。」


キョウジは大声で笑いながら腹をなでながら言った。


彼の手は大きいが、それ以上に腹は大きかった。


控えめに言って彼は少し太っていた。


「笑いごとじゃないですよ。」


アドリーは少しむっとした。


キョウジは生まれてこの方、戦ったことがないらしい。


戦いの苦労というのを分かっていないんじゃないかとアドリーは思う。


キョウジの白い腕は蝋燭の光に照らされて尚更白く見えた。


「いや、すまん、すまん。

でも傷一つ負ってないし、君たちが成長したからこそ、

こうして笑い飛ばせるというものだよ。」


キョウジはまた笑いながらそう言うと、グラスのワインを一気に飲み干してしまった。


わずかに残った液体がグラスの内壁を滑り落ちて、1つに集約していく。


「あら、あなた。もうこれで3杯目ですよ。

制限するって決めたばかりじゃないですか。」


アンナが言った。2人を区別するのは簡単だ。


若くて心配性なのがアンナ、元気良く何も考えてなさそうなのがジーマだ。


「まあまあ、アンナ。今日はいいじゃないか。2人が来てくれたことだしさ。」


アンナが諫めると、それを止めるのがジーマというのはいつものことだ。


アドリーとライには良く分からないが、

この家のバランスはこうして成り立っているものらしい。


「うーむ、じゃあ後一杯にしておこうかな。

そういえば2人はワインどうだい?そろそろ飲める歳だろ?」


別に戒律として年齢制限が課せられている訳ではなかったが、

育て親が酒を飲まなかったためか、2人は飲んだことがなかった。


ルーの両親曰く、酒は癒しであり十分癒されている者には必要がないそうだ。


「飲んでみたいです。」


ライは手を挙げて、高らかに宣言した。


アドリーはキョウジを見、ライを見、またキョウジを見る、

そういった無意味な繰り返しを忙しく行った。


「おお、じゃあ飲め、飲め。」


酔いが回っているのかキョウジはいつもより大声で言った。


ジーマが新しいグラスを持ってきて注いでくれる。


ライはジーマにお礼を述べ、一気に仰ごうとした。


隣の席のアドリーがライを肘で小突く。


「おい、明日午前中には商品の取引をして、

午後にはでなくちゃいけないの分かってるよな?」


ライは飲む直前で止まって少し考えこむ。


しかしアドリーの諫言は届かなかった。


「分かっているさ。でもさ、アドリーも興味あるだろ?」


アドリーも興味がない訳ではないのだ。


そういうアドリーの気持ちが分かっていて誘ってくるライ。


アドリーにはライが少し意地悪に見えた。


「アドリー君も飲んでみなさい。なぁに、1杯なら大丈夫さ。」


アドリーは結局誘惑に屈した。


キョウジは話術に長けた人間ではあるが、今回の件にそれはあまり関係ないだろう。


たかが1杯、問題ない。


なるほど確かにそうかもしれない。


しかし1杯目を飲まないということが次を断つ唯一絶対の方法ということが


アドリーには分かっていなかった。






目覚めたアドリーは驚いた。


ひどく頭が痛んでなんだか気持ちが悪い。


それに全てがあやふやでよく覚えていない。


「ライ、ライ……?」


ぼけっとした頭で同居している親友を呼ぶ。


しかし親友が答えることはない。


それどころかどこかいつもの家と違うようだ。


木製でない白い壁は異様に清潔に感じられた。


声を聞いたアンナが客室に向う。


ガチャッという音とともに扉は開いて、

アンナはベッドの上で混乱したままのアドリーに声をかける。


「おはよう。昨日はずいぶんと飲んじゃったみたいだけど大丈夫?」


やっぱり私が最後までついているべきだったとアンナは後悔した。


早朝やることがあったアンナは昨晩先に寝てしまったのだ。


「ああ、えっと……大丈夫だと思います。」


アドリーは質問に答えながら全く別の事を考えていた。


アンナがしている髪型のことだ。


アンナはいつも後ろに一本で髪をまとめているのだが、その日はツインテールにしていた。


「似合ってますね、その髪型。すごく綺麗ですよ。」


アドリーは思い出した。


薬屋にアンナが来たばっかりのことを。


5年前、アンナは今より若かった。


アンナがしていたツインテールにどこか強く惹かれたのをアドリーは覚えていた。


「おばさんをあまりからかわないで。

昔は少しは自信あったけど、今はもう似合わないこと分かってますから。」


そう言いながら少し照れた様子でアンナは自らの髪を触った。


少し失礼なことを言ってしまったとアドリーは自分の軽率な発言を悔いた。


そもそもこういうことは思っても滅多に口にしないアドリーにとって

今の発言はあるまじきことだった。


彼の失言は酒のせいなのかもしれない。


「すみません。でも久しぶりですね、その髪型。」


記憶にある限りでは3年前くらいからやめてしまったはずだ。


少しがっかりした覚えがある。


「実は私、魔力を使う時には必ずこの髪型にしてるのよ。

だからそんなに久しぶりという訳でもないのだけれど、人には見せないものね。」


アンナの魔力は一種の未来予知だ。


儀式というと少し大仰な感じだがそれに近いことをして、

今後の1週間にどの薬がどの程度必要となるかが分かるらしい。


ちなみにキョウジは薬の知識があるだけでなく有体と無体の動態を捉える魔力があり、

患者さんに適切で適量の薬を渡すことができる。


ジーマは忘れさせる魔力があり、

激しい痛みを忘れさせてしまうことで症状に対応できる。


この3人の魔力が噛み合ってこの薬屋は盛況していた。


「折角だから今日はその髪型で過ごされたらどうですか?」


アドリーはもっとツインテールを見ていたかった。


それでも普段のアドリーなら言わないことではあるが。


「そこまでアドリー君に言われると揺らぐけど、やっぱり戻すわ。

でもアドリー君、あなたはそんなこと言っている場合じゃないわよ。」


ぼけっとした頭が段々と冴えていく。


その感覚は朝靄に包まれた景色が時間の経過とともに澄んでいくのと同じに思えた。


「俺、完全に寝坊しましたよね?」


窓から差し込む光は眩しく、寝坊した彼を叱っているようだった。


「ライ君が1人でやってくれているみたい。すぐ支度して行ってあげなさい。」


アンナはそれだけ言うと部屋から退出した。


その後アドリーはジーマから聞いて、

ライの方がアドリーよりもずっと飲んでいたらしいことを知った。


しかしライは平気な顔をして起きてきて、

アドリーを巻き込んだのは俺だから寝かせといてやってください、なんて言ったそうだ。


少し悔しくなったアドリーはもう酒は飲まないと心に誓うのだった。









「悪かったな、ライ。結局お前に全部任せることになっちまって。」


カチュ村を後にし、町を目指して道沿いに歩く2人。


馬も一晩の休憩で体力を取り戻したようでそのステップは軽やかだ。


「気にするなよ。いつもお前に頼ってるからな。

それにすごく楽だったんだぜ?」


誇らしそうに言うライの意図をアドリーは汲み取った。


ライが誇りを持っているのは両親と両親の意志を受け継いだ自分、

そして彼の愛するジア村である。


「ジェンの魔力か。あれはすごいよな。」


ジェンはジア村の子供の一人だ。


土いじりが好きな子で、本当に小さい頃から畑作業をよく手伝ってくれていた。


そういうジェンだからだろう。彼が目覚めた魔力は作物の生長を促すものだった。


その魔力で作った作物を市場に出すのは今回が初めてなのである。


「俺たちが食べてもなかなか良い出来だと思ったもんだけど、

いやぁ引くて数多だったぜ。でもこれから行く町がメインだからな。

程々にしてもらったよ。」


ライは本当に嬉しそうだった。アドリーも自然と嬉しくなる。


聞こえてきた小鳥の囀りが2人の耳に心地いい。


「ジェンにも言ってやらないとな。アイツ、きっと喜ぶぜ。」


アドリーの脳裏にジェンの顔が浮かんだ。


いつも土で汚れているその顔は想像の中でもやっぱり汚れていて、

そして本当に嬉しそうに照れるのだった。


ジェンは基本無口であまり感情を表に出すことはないが、

土いじりに関しては誰よりも感情的になる。


だからその照れた顔は本当に良く笑っていてくれるはずだった。









この幸せな空想はどこからか聞こえてきたギトギトした声に遮られた。


「タノシソウダナ、オマエラ。」


2人の目の前に現れた異形の存在は口を左右に鋭く開きせせら笑った。


いつの間にか小鳥の歌は終わっていた。


とりあえず11話投稿する予定です。

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