第七話 目覚めと軍歌
読んでくださった方への感謝の気持ちを込めて、本日のみ、二回投稿です。
まだ日も登りきらぬ、早朝。
爽やかな朝の空気を打ちのめすような、野太い男たちの声が響く。
『野郎ども! 目覚めたか?』
『オオォォォー!』
『目覚めたやつは目覚めていないクソ野郎のために、歌え!』
『さあ野郎ども、起きろ! 目覚めの時だ』
『軍靴の音が聞こえるか』
『鳴らせ! イチ! ニ!』
『鳴らせ! イチ! ニ!』
ちちち、と小鳥の鳴き声が鳴り響く、森の中。
固い靴底が土を蹴る音と、男たちの唱和が続く。
ルクレツィアは窓の外から聞こえる、リズミカルな歌声を聴きながら寝返りを打った。
羽毛布団を頭からかぶれば足音は遠くなったが、声はだんだん大きくなってきている気さえする。
『寝ぼけたグズを蹴っ飛ばし、野を越え山越え谷を越え』
『誇りと共にどこまでも』
『腕が飛ぼうと』
『足を失おうと』
『我らは決して歩みを止めぬ』
『信を持って勇をなせ』
『祖国と!』『祖国と!』
『仲間と!』『仲間と!』
『勝利のために!!』
『ウオオォォォ――ッ!!』
「ウッルッサアアァァァ――イッ!!」
最後の唱和に合わせて、ルクレツィアは寝台の上に仁王立ちになり、絶叫した。
『お嬢様だ!』
『お嬢様が目覚めたぞ!』
『若い女の子の目覚めのイッパツ! たまらん!』
『この変態がッ! そこになおれえぇぇッ!!』
『美幼女は俺らが守るッ!!』
『ウオオォォ――ッ!!』
なぜか外からは野太い歓声が聞こえる。それと何か重たいものを殴りつけるような音も。
寝室の扉がノックされたので、入室を許可すると侍女が相変わらずの無表情で現れた。
「お嬢さま、まだ早朝です。どうかお静かに」
ルクレツィアはまったくもって納得がいかなかった。
「なぜあの男たちの騒乱が許されて、わたくしの魂の叫びが批難されねばなりませんの!?」
「あれは彼らの訓練の一環でしょう」
お嬢さまとはわけが違うのです。と言外に告げられて、ルクレツィアはぎりりと奥歯をかみしめる。
仏頂面のまま身支度を整えてから食事をとり、部屋を出るとホフレが待っていた。
軽く朝の挨拶を交わすと、そのまま訓練場へと向かう。
「おや、お嬢さまはご機嫌斜めのようじゃの」
「朝から大声で叩き起こされれば誰だってこうなります」
「そりゃ災難じゃったな。わしはあまり気にならんかったがの。わしらも新兵時代にああやって目覚めの歌を歌いながら、城の外壁を走ったものじゃ」
瞳を細めて口元を緩めるホフレ。きっと昔のことを思い出しているのだろう。
階段を下りて一階の廊下にでると、武器庫の前に立っていた兵士が直立不動の体勢で敬礼する。
「おはようございます! リストスキー大将軍閣下! と、お嬢さま」
「おはよう。朝から精が出るのう」
「あら、わたくしはついでなのかしら」
「す、すみませんお嬢さま!」
「冗談ですわ。みなさまホフレ先生に夢中だから、ちょっと意地悪してみただけですの。お仕事ご苦労様です」
各所に配置された兵たちの熱心な朝の挨拶を笑顔で受け流しながら、二人は早朝の城内をのんびり歩く。
「ホフレ先生。先ほどのお話ですけれど、魔術師が体を鍛えることにどのような意味があるのでしょうか? どれだけ訓練をしても筋肉がつかないって先生自身がおっしゃってらしたでしょう」
「うむ。魔術師はどれだけ鍛錬を積もうとも、一定以上筋肉が発達することはない。ただし、魔力を使った自己回復能力が発達するので、持久力はつくぞい」
「自己回復能力?」
「生物には己の体をいい状態に保とうとする機能があらかじめ備わっておる。魔術師はその機能に加えて魔力を保持している。よって、体が傷つけば無意識のうちに魔力を使って傷を回復しようとするのじゃ。意識的に魔力を使って陣を組むのよりは弱いがの。訓練により、体に魔力をなじませ、自己回復能力を高めておけば、治癒の魔術を使った時の治りも良いしの」
「では、先生は魔力による自己回復能力を高めるために、城の外周を走っていたということですわね!」
「あー……いや、それはちとばかり、違うがの。まぁ、男子たるもの誰しも筋肉に憧れる時期があるということじゃ」
げふん、と一つ咳払いをして気まずそうに視線を逸らすホフレを覗き込むようにしてルクレツィアが追撃する。
「それで、筋肉はついたのですか?」
彼女の瞳は希望に満ちていた。
「この腹を見てみい。ついたのは脂肪ばかりじゃわい」
揺れる大きなお腹から絶望を読み取り、ルクレツィアはぽつりとつぶやいた。
「筋肉はつかないのに、脂肪はつくのですね」
「頑張れば脂肪はつくが、落ちにくい。そこでわしは新たなる魔術を生み出したのじゃ!」
「まぁ、それはいったいなんですの」
「生命創造の禁術にちっとばかり引っかかるから詳細は省くがの。己の肉体にある脂肪を変質させ、一時的に筋肉と同様の機能を持たせることにしたのじゃ」
「……そのようなことが、可能なのですか?」
「筋肉とは生体内部あるいは外部刺激によって滑走し、伸縮する組織の塊じゃ。筋肉にも三つほど種類があり、多少の違いはあるがの。しかしまあ、簡単に言うとそれに尽きる、とわしは考えた。よって生体変換の術式によって変質させた脂肪に骨と関節を支えさせ、生来ある成分の代わりに魔力による信号を送ることで筋肉の動きを補助する。これによってわしは筋骨隆々のたくましい肉体を手に入れたというわけじゃ」
どれだけ筋肉を欲していたんですのッ!?
ルクレツィアが思わずそう突っ込みそうになるほど、ホフレの目は本気だった。
筋肉を得る、ただそれだけのために、禁忌とされる生体創造に手を出すなど正気を疑う試みである。
いっそ魔術師に生まれない方が良かったのではないかとも思えるが、禁忌と知りつつも己の願いをなすべく突き進むのは魔術師の性でもあった。
そういう意味で、ホフレは魔術師の中の魔術師といえるだろう。
「でも先生。筋骨隆々の肉体を手に入れたのならば、今はどうしてお腹が出ておりますの?」
「わしが筋骨隆々になれるのはな、魔術が発動している間だけなんじゃよ。体に大きな負担をかける魔術ゆえに、この年になるとつかうのも危険じゃし。この間ためしに使ってみようとしたら、なぜか腰に来てなあ。まったく、年は取りなくないものじゃわい。危険な術じゃから、お嬢さまには推奨しかねますな」
「いえ、わたくしはそこまで筋肉に憧れているわけでは……。わたくしには生涯、縁のない魔術ですのでご安心くださいまし」
「賢い生徒で喜ばしいことのはずじゃのにの。胸にぽっかり穴の開いたような、寂寥感がぬぐえないのはなぜなんじゃろうな」
「気のせいですわ。先生はちゃんと朝食をお召し上がりになりましたの?」
「空腹じゃないわい! ううむ……まだまだお嬢さまは魔術師の浪漫と言うものが分かっておられぬのじゃ……」
筋肉と魔術の話に花を咲かせているうちに二人は訓練場へとたどり着いた。
良く晴れた晴天の下。中庭の訓練場ではすでに朝の走り込みを終えたらしい兵士たちが、訓練に励んでいる。
わたくし達は使われていない訓練場を使用させていただくはずですが……。
首をかしげるルクレツィアを促して、ホフレはそのまま訓練場へと足を進めた。
大きく開けた中庭の訓練場にホフレが入ってくると、皆訓練をやめ、整列し始める。
「リストスキー大将軍に敬礼!」
中でも特に大柄な男が号令をかけると――ザッ、と軍靴の音を鳴らして、兵士たちが一糸乱れぬ敬礼を見せた。
「よいよい。邪魔をするつもりはないのじゃ。みな、訓練を続けよ」
「はっ! ありがとうございます! おまえら、訓練を再開しろ! 最初からだ!」
兵士たちの一部からは悲鳴にも似た叫び声が上がったが、声を上げた者たちはさらに厳しい内容を追加されたようだった。
「ホフレ先生? わたくし達は使われていない場所を貸していただけるのでは?」
ちらちらと兵士たちから向けられる視線に困惑しつつ、ルクレツィアが問いかけると、ホフレは頷いた。
「そのつもりだったんじゃが。ここの兵士たちは魔術師の戦い方や訓練を見たことがないとのことでの。駐隊長どのに、魔術師の訓練と言うものを見せてやってほしいと頼まれたんじゃ。むろん、この屋敷で見聞きしたことを外で話すことは禁じられているから、お嬢さまが訓練を受けていることが漏れることはないが……かまいませんかの?」
「ええ。よろしくてよ」
情報が洩れず、父の領地の兵のためになるなら、とルクレツィアは快く了承した。
「なら決まりじゃ。さて、今日からは実戦訓練を行いますぞい。お嬢さまの弱点は陣の制御と展開速度、それと痛みに慣れていないこと、じゃ」
肯く、ルクレツィアにホフレは続ける。
「魔術師の訓練は、最初が肝心。師によって新しく体と精神を作り替えられるのだと言われるほど、過酷なものの一つとなる。それでもやりますかな?」
陣の制御と展開については自分でも実感していた。
しかし、体と精神を一度壊して作り替えるほどの過酷な訓練とは、どのようなものか想像もつかない。
生半可なものではないだろうことを肌で察して、ルクレツィアは背筋がふるりと震える。
「骨が折れようと歯が無くなろうと眼球が潰れようとわしが瞬時に治すから、肉体は死なぬ。問題は精神じゃ。わしは訓練では容赦しない。耐えられなければ早めに言いなされ。そこで訓練は終わりになる」
緊張に体を強張らせる少女を見下ろし、ホフレはいったん言葉をきった。
生やした長い顎髭をさすり、呼気を整えて最後の言を紡ぐ。
「じゃがのう。この訓練に耐えきったならば、お嬢さまは間違いなく――今代最強の魔術師となれるじゃろう」
挑むようなホフレの瞳を真っ直ぐに見返して、ルクレツィアは強く頷いた。
彼女は生来矜持が高く、今更取りやめにしてほしいなどとは口が裂けても言えなかったし、言うつもりもない。
自分でこの道を選んだのだ。後は振り返らずに進むのみ。
細く、小さな喉をこくりと鳴らし、震える指先を握りこむと、彼女は高らかに宣誓した。
「耐えきってみせます!」
視線を合わせてはっきりと言い切るルクレツィアに、思わずホフレも頬を緩める。
「覚悟を決めた良い瞳じゃ! ではまず、拳に陣を展開してわしに当てて見せてくれんかの」
「はい! 参ります!」
勢いはあったが、ルクレツィアの拳から放たれた衝撃波はホフレをかするのみ。
そのまま城壁に激突する前に、ホフレの紡いだ結界によって霧散した。
「ふむ。わしはここから動かぬから、直接あてに来なさい。そしてわしのやることをよく見ておくのじゃ」
棒立ちになったホフレに陣をあてに行くなど、かなり間抜けな絵面ではある。
しかし、やれと言われたらルクレツィアに否やはない。
少女は小走りに地面を駆け、拳に展開した陣を直接ホフレに当てる。
すると、乾いた音とともに彼女の陣が砕け散った。
「えっ?」
「次はゆっくり拳を当ててみるとよい」
言われたとおり、ゆっくり拳を近づける。
ホフレの体には、少女の拳に描かれた陣と全く同じ黒い陣が浮かび上がっていた。
ルクレツィアが魔力を放つ一歩前で、拳を移動するとホフレの黒い陣も移動する。
銀と黒。陣の色は違えど、まるで鏡に映したように動くそれに、彼女は困惑した。
「陣はな。相手が展開した陣と同一で、なおかつ同じ魔力量をこめた陣をぶつければ相殺することができるのじゃ。ほれ、もう一度当ててみてごらん」
ルクレツィアが陣を発動し、拳を突き出すと彼女の銀色の陣とホフレの黒い陣がぶつかり、硝子の割れるような音がして砕け散る。
「すごい……!」
「込めた魔力量のつり合いが大事なのじゃ。相殺出来ねば、より魔力の強い魔術師の陣に押され、倍の攻撃を喰らうことになる。制御と展開速度を鍛えるのに持ってこいの訓練というわけじゃ。これさえ極めれば、魔力が尽きぬ限り、勝つことはできずとも負けることはない」
一通りの説明を終えて、ホフレはルクレツィアから距離を取った。
「これからわしは一定の魔力量で同じ種類の陣を展開して、お嬢さまに攻撃を仕掛けますぞい。一度でも相殺させることができたなら、今日の訓練は終了じゃ。さて、準備は良いかの?」
いつものフリルのついた白いシャツに、たっぷりとした光沢のある下ばきといった装のホフレ。
訓練には向かなそうな服であるが、着替える気はないようだ。
ホフレは普段ならたるんだ顎と目元や口元に刻まれた皺も相まって、物腰柔らかな人物に見える。
しかし今は別人のような威圧感を放っていた。
全身に鳥肌が立つのを感じながら、ルクレツィアは再度ホフレの目をしっかりと見つめて頷いた。
「では行きますぞ」