第七十七話 祖国の異変17
「師……いや、"父"として、"娘"の前では見栄を張りたいものじゃて」
彼の視線の先で、横転したはずの大猪が起き上がり、鋭く長い牙をホフレへ向ける。
「張った見栄は、張り通してこそ、じゃな」
ホフレは緩く微笑むと、流れるような動作で大猪の突進に構えた。
その時。
彼の呟きへ応えるように、店のがれきの一部が、崩れた。
「なんだァ? 人が気持ちよく酒を飲んでたってのに! 邪魔しやがるのはどこのどいつだ」
それは、赤ら顔の老人だった。
ひどく酒に酔っているらしい。
老人は覚束ない足取りで、通りへと出てきた。
「ん? あァ? ……ホフレ=リストスキーじゃねえか」
言いながら、老人は向かってくる大猪の牙を正面から掴んだ。
ずん、と重々しい音が響き、石畳が老人の足元でめくれ上がる。
その腕力のみで、魔獣の突進を押し留めてみせた老人は、酒臭い息をはいて愉快そうに笑った。
「天下に英名轟く大魔術師さまがよォ、んなところで、何をしていやがる?」
「おぬしは……もしや、マルコか?」
「覚えていてくれたようで、光栄でさァな! 隊長ッ!」
そうして、大牙ごと猪の体をひねり、地面に叩きつける。
拳の一撃で大岩さえも砕いてみせる、強靭な肉体の持ち主――怪力のマルコ。
かつての、ホフレの仲間の一人だった。
「祖国で事件が起こっていると聞いて戻ってきたんだが、こいつァいったい何事だ。答えてくれよ、隊長ォ!」
マルコは足元へ転がったがれきを無造作に拾って、猪の頭に叩きつける。
そうして、腐りかけの頭部をカチ割ると、彼はホフレを振り返った。
白くごわついた長髪を一つに束ね、無精ひげを伸ばした浮浪者、それが現在のマルコの印象である。
「ティート=バドエル……かつての仲間が、此度の災禍を引き起こしたのじゃ」
「それは、穏やかではないですね」
またしても、がれきが動き、その下から一人の老人が現れた。
マルコとは対照的に、頭髪を全て剃り落し、髭も綺麗に剃っている。
穏やかな瞳の、どこか品の良さを感じさせる老人であった。
「コラード! おまえは、マルコほど変わり果てておらなんだな」
「うるせェ、クソジジイ。変わり果てていて悪かったなァッ!」
ホフレの暴言に、マルコが吼えた。
二人のやり取りに苦笑しつつも、コラードはかつてそうしたように、マルコを窘める。
「マルコ、今やあなたも立派なクソジジイです。天に唾を吐くようなまねは、おやめなさい」
「じゃあ、あのジジイは何なんだよ!? ほとんど年取ってねえだろ!?」
「隊長は、そういう方ですから」
「怪物ジジイだな、ありゃ。ぜってえ、人じゃねェよ」
「マルコの物差しで測れる方ではない、という事でしょう」
「いや、お前も意外に言うな。コラード。俺ァ、ちっと傷ついたぜ。後で、酒奢れや」
「はいはい。全部終わったら、ご馳走いたしますよ。だから今は酒瓶をおいて、ちゃんと働いてくださいね」
白を基調とした衣服に、鈍色の金属鎧をまとったコラードは、その手に異形の武器を携えていた。
大きな鉄塊を削り出したような無骨な形状。
持ち手こそ、丸みを帯びているが、先端はやや平らである。
剣にしては分厚すぎる刀身には、刃がない。
鉄の棒の先に幅広の鉄塊をくっつけたような、簡素な造りであった。
ホフレはコラードの身の丈ほどもある武器を見やり、瞳を細めた。
「鉄塊のコラード。懐かしいのう」
ホフレの記憶によると、それは魔獣の硬い外皮を砕き、敵を鎧ごと押しつぶす武器である。
特殊な形状ゆえ扱いは難しいが、競り合って負けることはないし、やわな剣であれば押し砕く。
コラードの先祖が、その身で一騎当千を体現した武器であった。
ホフレの視線を受けて、コラードが照れくさそうに笑う。
「年を取った今となっては、振う機会もそうはありません。敵を屠る前に、腰がやられてしまいますから」
コラードはそう言って、武器を構えた。
鉄の塊であるそれは、相当な重量がある。
振うにも腕力とコツが要るが、コラードにとっては長年慣れ親しんだ重みであった。
振う機会はなくとも、鍛練は欠かさず積んでいる。その甲斐があったとばかりに、老兵は武器を眺めた。
「ジイさま方。再会を喜ぶのはいいが、敵は待ってくれないよ?」
和気あいあいと昔を振り返る老人二人組に、壮年の男が話しかけた。
ホフレはとっさに残りのがれきを眺めるが、声の主はがれきの下ではなく、上に腰をかけている。
亜麻色の髪を綺麗に撫でつけた男は、その手に弦楽器を携えていた。
いささか場違いではあるが、柔和な男性の雰囲気には良く似合っている。
「なんと! ロリスまで!? おぬしも年を取ったなぁ。その楽器はなんじゃ?」
「僕はまだおっさんですから。ジイさま方と一緒にしないでくれ。吟遊詩人なんだから、楽器を持ってんのは当然だろ?」
かつて、魔術師界隈で天才少年と呼ばれた男は、まさかの吟遊詩人になっていた。
元々何を考えているかよく分からない少年だったが、これほどとは。
ホフレはロリスと弦楽器を交互に見やり、何とも言えない表情になった。
「ぎ、吟遊詩人、とな? 魔術師は辞めたのか?」
「魔術で美しい陣を紡ぐのもいいが、楽器の紡ぐ旋律と言うのも、中々に美しい。僕は、音楽と魔術の間には深い関係があると悟り、吟遊詩人になることにしたんだ」
「ううむ。ロリスのいう事は相変わらずよく分からんの。して、ファビオは?」
相変わらず自分の世界に生きているロリスをばっさりと切り捨てて、ホフレは最後の一人を探した。
「奥で仕込みでもしてんじゃない? ここはアイツの店だから」
ロリスが言うが早いか、まだ形の残っている店の奥から、怒声が響く。
「オレの店をぶっ壊したのはどいつだァッ!? そいつもぶっ壊してやるッ!!」
頭に頭巾をかぶり、白い前掛けを付けた老人が、気勢を上げて走りこんできた。
身の丈ほどもある棍棒を油断なく構え、視線を左右に走らせる。
「ホフレ=リストスキー!! 貴様がオレの命ともいえる店を壊したのか!?」
「い、いや、待て。壊したのは、そこの魔物じゃ!!」
「あァ? どう見ても数週間前に腐った死骸じゃねェか! その首、叩き折られてェのか!?」
「じゃから、落ち着け。今や、死者だけでなく、魔物の死骸まで蘇るようになったらしい。争っている場合じゃないのじゃ!!」
「よし分かった! アレが店の仇だ! 蘇ったというのなら、この手で再び地の底へと叩き返してくれるわ!!」
「お、おう。なんかようわからんが、やる気になってくれたようで良かったわい。見ての通り、わしの魔力は枯渇気味じゃ。回復するまで、時間を稼いでくれ」
気づけば、辺りを腐った魔物に囲まれつつあった。
ホフレも残った僅かな魔力を使用すれば、数体は倒せる。
けれど、ちまちま倒すよりも、一定量の魔力が戻るのを待って殲滅した方が早いと判断したのだ。
ホフレの言葉に、ロリスがひらりと手を振って、楽器を手に取る。
「あー、はいはい。ホフレのジイさまは、相変わらず人使いが荒いのな」
彼は、弦楽器を演奏しながら、優雅に陣を紡いでゆく。
そうして、旋律に乗せて絶え間なく、起き上がろうとする魔物の死骸を焼きつくすのだった。
「ホフレ=リストスキー、お前の魔力などどうでも良い! オレは目の前の敵を殲滅するのみ!」
ファビオが棍棒を一閃させ、魔獣に紛れて迫りくる死者の関節を粉砕する。
「ファビオも年をとったら落ち着くかと思ったが、そうでもねェな。ありゃ、死ぬまで治らねェだろ」
言いながら、マルコが彼ら目がけてかけてくる魔物を、拳の一撃で地に沈める。
「こういうやり取りも実に懐かしいですね。堅物のティートがこのような災禍を引き起こすなど、信じがたい。ですが、まずは向かってくるもの達に対処せねば」
マルコの一撃で沈まない大型のものは、コラードが壁となって攻撃を受ける。
彼は相手が体勢を崩した隙を見て、着実に四肢を潰していた。
「そうじゃの。アレクも含め、問題児ばかりの隊じゃったが……コラード、お前が居てくれて、とても心強い。それは、昔も今も変わらぬ」
コラードの少し後ろで、ホフレが言う。
「買いかぶり過ぎですよ。私は凡人です。マルコほどの力はなく、ロリスほどの魔力も、ファビオの勇猛さもない。ただ変わった武器を扱えるだけの、老人です」
コラードは苦笑しながらも、手を止めることなく、着実に敵の手足を潰していった。
「おぬしは、謙虚過ぎる。美徳ではあるが、過ぎれば毒となると伝えたはずじゃぞ」
「そのやりとりも、懐かしい。ですが、これが私です。ファビオと同じように、死ぬまで変わらないでしょう」
「ふむ。頑固なのも相変わらず、か。敵も待ちかねておることじゃし、老兵たちの最後の戦場へと向かうとするかの」
少しばかり大掛かりな陣を紡ぐ魔力がたまったところで、ホフレが言った。
彼の準備が整ったことを知った、コラードが小さく笑う。
「私は死ぬつもりなどありませんよ」
「冗談じゃ。ちょっと言うてみたくなっただけで、深い意味はない」
「相変わらず、奔放でつかみどころのない方ですね」
ちょうど、コラードが相手をしていた魔物も動きを止めた。
四肢を砕かれ、頭部を潰された魔物を見下ろして、ホフレはコラードの呼吸が整うのを待つ。
「おーい! 隊長さんよォ! 準備は整ったんだろ? 足腰弱ってんのは察するが、さっさとこっち来て加勢してくれ!」
「わしよりずっと若いくせに、なさけないヤツじゃ!」
「その情けない奴に時間を稼いでもらったのは、どこのクソジジィだ!?」
「ふむ? 知らんの」
「クソすぎるだろ!?」
「まあ、そうはしゃぐでない」
マルコの言葉に、ホフレは軽口で返して、複数の黒い陣を展開する。
小さな陣を重ね、繋げて、より大きな陣を紡いでゆく。
辺りを覆い尽くす黒い陣の上を、ホフレが一歩歩くごとに、黒い煙が立ちのぼる。
「魔王降臨、と言った風情ですね」
「ジジィの魔力は見た目が物々しいというか、禍々(まがまが)しいからな」
襲い来る魔獣の死骸や喰らいついてくる動く死体と闘っていた、コラードとマルコが言葉を交わす。
辺りに満ちてゆく、濃厚な闇の魔力。
発動まであと僅か、と言ったところで、五人はその陣の範囲内から全力で逃げ出した。
「くっそジジィッ! てめェ、これ、巻き添え喰らうやつじゃねェか!」
「ふぉっふぉ。覚えていたようでなによりじゃわい」
「何よりじゃねえよ!?」
陣が発動した時、周囲にあったものは家屋も魔獣も、ホフレ以外の全てが吹き飛んだ。
むろん、学園の門やその前の店も例外ではない。
「オ、オレの店がアァァァァァ――ッ!?」
ファビオの悲痛な叫びが、辺りに響き渡った。




