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第七十六話 祖国の異変16

「ホフレ先生……ッ!!」


 ルクレツィアが喜びの声を上げると同時に、扉が外から開かれる。


「ホフレセンセイ? 何者じゃ」


「ホフレ=リストスキーは、わたくしの敬愛する師です」


 瞳を輝かせ、誇らしげな表情でルクレツィアは、現れた人物を二人へ紹介する。

 まず目に付くのは、真白な長い髪だろう。

 細く、絡まるようにまとまった髪が、歩く速さに合わせてゆれる。

 長く伸ばした髭と髪のと境界線がわからない、少し浮世離れした老人。

 彼は、深い皺の奥にある、小さな瞳を細めて笑った。


「久しいのう、お嬢さま」


「あら。わたくしはもう、お嬢さまじゃなくてよ。先生」


「では、敬意と親しみを込めて、ルクレツィア、と呼ばせてもらうとしよう」


 ふぉっふぉ、と独特の笑い声をあげて、張り出た腹を揺するホフレ。

 偉大なる過去の英雄の登場に、アマーリエは息をのんだ。


「して、ルクレツィア。あなたに良く似たそちらの女性は?」


「彼女はルーナ。神代の世に、眠りについた月の女神です」


 ホフレの問いに、ルクレツィアは簡潔に答えた。

 流石のホフレも言葉を失ったが、咳払いを一つして、三人を外へと誘う。


「ま、まあ。話は後じゃ。今は急ぎ、王宮へ向かうとしよう。王宮の結界は張りなおしたが、外はまだ危険じゃからの」


 外へ出ると、まず、光があることに気づく。

 月が戻ってきたのかと、空を見上げて、ルクレツィアとアマーリエは息を飲んだ。


「月が、赤い……」


 アマーリエの言葉に、ルクレツィアも頷く。


「赤い月など、生まれて初めてみました」


 月を見上げて言葉を失う二人に、ルーナがぽつりと呟く。


「わらわの編んだ死の秩序は、一人の人間によって狂わされた。ティートとやらは、このようなこと、望んでおらなんだようじゃがの。人が神の力に干渉しようという試み自体が無謀じゃ」


 どうやら彼女には、想定内の事態らしい。

 彼女の口から出た、知人の言葉に、ホフレは足を止めて振り返った。


「ティートとは、ティート=バドエルのことじゃろうか?」


「うむ。そうじゃ。本来なら、あやつ紡いだ陣は起動するはずがなかったのだ。しかし、娘の嘆きでわらわの意識は現世へ引き戻されてしまった。わらわの意識を通じ、娘の魔力を使うことで、偶然陣が起動したのじゃろう」


 考えをまとめるように、ルーナは淡々と言葉を述べる。

 ホフレも彼女の言葉を聞きながら、黙り込む。

 彼にはティートがこのような凶行にでた理由に、心当たりがあったのだ。

 塔を出ると、四人は学園の出口に向かって歩きはじめる。


「建物内に残ったもの達も、王宮に避難させたが、残ると言ってきかなかったもの達もおってな」


 ホフレが視線で示すと、建物内から二人の青年と一人の少年が駆け出してきた。


「アマーリエ! 無事か!?」


 オルソはアマーリエの肩を掴むと、怪我ない事を確認してほっと息をついた。


「無事で何よりだ」


 彼の後ろから現れたキーリ。彼は急激に変化していく事態に、ついて行けてない様子である。

 その表情には、疲労の色が濃くでていた。


「先輩! 私は大丈夫です。ルクレツィアさんが、助けてくれました!」


 アマーリエは二人の青年を安心させるように、元気よく頷いて、明るい笑顔で答えた。

 彼らより遅れてやってきたセイは、ルクレツィアを見上げ、自分の胸に手をあてる。


「ひとまず、無事で何よりです。顔色が優れぬようなので、少し休んだ方がよいのでは?」


 心配そうにそう提案してくるセイへ感謝を述べて、ルクレツィアはしゃがみこんだ。

 セイと視線を合わせて、事態の緊急性を伝えるべく、言葉を紡いだ。


「この国は思った以上に、危険な状態です。セイをサルダへ送らねばなりません。そのためにも、まずは王宮までご一緒していただけますか」


「わかりました」


 セイはしっかりと頷くと、はぐれぬように、ルクレツィアと手をつなぐ。

 こんな状況にあっても、子供の歩幅に合わせてくれる彼女の気遣い。

 それが嬉しくて、セイも転ばぬ程度に足を速めた。


「そう急がなくとも、大丈夫です。わたくしはセイを置いて一人逃げたりなど、いたしません」


「はい。そこは当然、信じています。あなたは優しい方ですから」


 殺伐とした状況でも互いを思いやる気持ちを忘れない、二人のやり取り。

 和むものもいれば、性悪と言われていた令嬢の意外な姿に、困惑する者もいた。


「キーリ、あれは本当にルクレツィア=ガブリーニなのか? 聞いていたのと随分と印象が違うぞ」


「私に聞くな、オルソ。もう、何が何だかわからん!」


「だから、ルクレツィアさんは、いい人なんですってば! わたしも償いますから、先輩たちも手伝ってください!」


「いや、しかし、アマーリエ……」


「それでは、君が」


「しかしも、だっても、ないです! 間違いは正さなきゃ! 今度はわたしが除籍されるかもしれないけれど、これでも魔術の腕には自信があるんです! その時は、みんなで冒険者になっちゃいましょう」


「えぇ……?」


「アマーリエ、それは無茶だ」


 などと、後方で会話する三人組。

 話もそこそこに、一行はホフレの先導で学園の門をくぐり、通りへ出た。

 しかし、その時、轟音ごうおんと共に、第二区画の一部の壁が崩れる。

 体毛が所々はがれた、猪に似た魔獣がその穴からのそりと姿を現した。

 それはルクレツィア達に気づくと、家屋を蹴散らしながら突進してくる。


「ぬう。これはちとまずい状況だの。この人数を護り切るのは、事じゃわい。ここはわしに任せて、先にゆくがよい」


 自身の数倍はある大猪の死骸をにらみ、ホフレが言った。

 向かってくる大猪に怯むことなく、両の足で大地を踏みしめるその姿は、実に頼もしい。

 その立ち姿を一瞥(いちべつし、ルーナは彼に声をかけた。


「その前に、ホフレとやら。なんじの魔力を少しわらわに分けてたもれ」


 傍らに立つ、ルクレツィアに良く似た美女――月の女神を、ホフレは視線のみで振り返る。


「これから戦いのおもむく魔術師へ、魔力を分けろとは。理由を聞いてもよいかな?」


「今のわらわは魔力で生きておる。この状態では、途中でこと切れる可能性があるのじゃ」


 ルクレツィアの魔力は復活の際に使い切った。

 復活時の魔力の残滓で、体を動かしてはいるが、ルーナの体は徐々に重くなってゆく。

 幸いにして闇の魔力は、月の魔力と相性が良い。

 魔力を喰らうならば、今しかない、とルーナはホフレに体を寄せた。


「そういう事ならば、仕方あるまい。どうぞ持って行きなされ」


「では遠慮なく」


 す、とルーナの手が、ホフレの肩に添えられた。

 氷のように冷えた繊手は、服越しにも冷気を伝えてくる。

 それを知覚すると同時に、ホフレの体から、一気に魔力が吸い出された。


「ぐっ……少しと言うたじゃろう!?」


「ん、まあ、久々に蘇ったのでの。加減がきかぬじゃ、許せ。さて、わらわたちはいくとしよう。かつての、懐かしき我が家へと」


 上質な魔力を喰らって、ひとまず満足したルーナは、意気揚々と城へ向かう。

 血の気の引いたホフレの顔色に、ルクレツィアは慌てて駆け寄った。


「先生、大丈夫ですか?」


 自らも魔力が枯渇して、歩くのもきついであろう"娘"に気遣われたホフレ。

 彼は、腹の底に力を込めると、背筋をしゃんと伸ばして胸を張った。


「う、うむ! もちろんじゃ、安心してゆくがよいぞ!!」


 迫ってくる大猪。

 ホフレはそれを拳に紡いだ魔術陣で殴りつける。

 ホフレの一撃を受け、大猪は学園近くの店へと突っ込むと、建物を巻き込んで横転した。


「はい、先生! それでは、後ほど!」


 それをみて安心したのか、ルクレツィアは踵を返した。

 気付けば、ルーナと他の三人は少し先を行っているようである。


「待っていてくれたんですね。すみません」


「いいえ。ルクレツィアの師に出会えて光栄です。話には聞いていましたが、あなたと同じく、恐ろしく強い方ですね」


「ええ! 先生はとっても強いんです!」


 ルクレツィアはセイの手を取ると、置いて行かれぬよう、少し早足で彼らを追った。

 彼らの姿が見えなくなってから、ホフレは深いため息をついた。

 

「師……いや、"父"として、"娘"の前では見栄を張りたいものじゃて」


 彼の視線の先で、横転したはずの大猪が起き上がり、鋭く長い牙をホフレへ向ける。


「張った見栄は、張り通してこそ、じゃな」


 ホフレは緩く微笑むと、流れるような動作で大猪の突進に構えた。

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