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第七十三話 祖国の異変13

「この人が、わたしを……?」


 アマーリエは大きく目を見開いて、ルクレツィア=ガブリーニと呼ばれた美女を見つめた。

 ガブリーニと言えば、公爵の位をもつ、筆頭貴族だ。

 その末娘が裁きの最中に国を去ったことは、アマーリエもうわさで聞いていた。

 学園で力なきものを踏みにじり、過去の英雄ティート=バドエル暗殺した罪を問われるも、裁きの間から逃れ、国外に逃亡したという話。

 けれど、目の前にいるルクレツィアは、陰湿いんしつな嫌がらせをするような人間に見えなかった。

 ぴんと伸ばした背筋と、苛烈かれつな光を宿しつつも、静かに揺らめく紫の瞳。

 その立ち姿は、我儘で自分勝手な貴族の令嬢というより、戦場に立つ誇り高い騎士を思わせる。


「ですが、オルソ先輩。あの人は嫌がらせをするような人には見えません」


「だが、それが事実だと聞いている。ルクレツィア=ガブリーニが貴族を扇動してアマーリエの排除を企むも、失敗し、国外へ逃亡した。そしていま、竜の力を借りて国を滅ぼそうとしているって話だ」


「えぇ……?」


 困惑するアマーリエ。

 セイはオルソを見上げて、不快を示すように声を張った。


「なにを言い出す、オルソ! 彼女はそのような人間ではない。ルクレツィアはサルダを救った英雄ぞ! 彼女への無礼はこのわたしが許さぬ」


「サルダ帝国の英雄、ですか?」


「そうだ。わたしも彼女に救われた。ルクレツィアはゆえなく人を蔑むような人間ではない!」


 平時は穏やかなセイの怒りに触れて、オルソは黙り込んだ。

 疑問は多々あれど、何から尋ねればよいか分からない。

 困惑するアマーリエとオルソを余所に、キーリがルクレツィアに声をかけた。


「……先ほどの凄まじい魔術陣を、どこで? 一度にあれだけの陣を起動するなど人間業ではない」


 探るような低い声。

 彼もまた、此度(こたび)の災害が彼女の仕業であることを疑っているのだろう。

 声の調子からそれを察して、ルクレツィアはつんと顎を逸らした。


「あいにく、わたくしは人間です。あなた方と同じように、ちゃんと魔術師としての訓練も受けております」


 魔術師との訓練、と知った風な口をきくルクレツィアにキーリの心がざわめく。


「公爵令嬢が、か? 古い魔術師の訓練が、どれほど過酷なものなのか、知らないくせに。そのようなことを口にするな!」


 急に激昂げきこうした青年を横目に流し見て、ルクレツィアは高慢に鼻を鳴らした。


「元、公爵令嬢ですけれど。訓練の過酷さも存じております。皮膚が裂け、骨が砕けて、激痛の中で眼球が潰れる音を聞く。そうして、体を作り替えてゆくのが魔術師です」


 かつての記憶を呼び覚まし、淡々と告げる。

 その生々しく凄惨せいさんな内容に、キーリは表情を引きらせて、一歩引いた。


「い、いや。それは、やり過ぎだ。ふつう、死ぬだろう。魔力を体に叩きこまれて、痣や骨折はままあったが、出血や眼球は、おかしい」


「えっ? そうなんですか? 師がすぐに治してくれたので、死ぬことはありませんでしたよ」


 他の魔術師の訓練の内容は、自分のと違うのだろうか。

 ルクレツィアは小首を傾げながら、改めてキーリを見やる。

 魔力はありそうだが、彼はルクレツィアの相手としては不足だ。

 ひと殴りで結界ごと腹をぶち抜けるだろう。

 彼女がそんな物騒な品定めをしているなどとは知らず、キーリは柳眉を跳ね上げた。


「潰れた眼球を、治す? そんなことは、不可能だ」


「わたくしにもできませんけれど、師は治癒の陣も得意でしたので」


「あなたの師の名は?」


「ホフレ=リストスキーです」


「な……んだと……!? 訓練を受けるなら、死を覚悟しろと言った男だぞ! 正気か!?」


 キーリは孤児だ。魔術師としての資質を見込まれて貴族に拾われ、訓練を受けた後に魔術師と成った。

 最初に紹介されたのが、ホフレ=リストスキー。

 魔術師としては最高であるといわれている、老人である。

 ホフレはまだ十に満たない初対面の少年に言ったのだ。

 ――お前は、死を覚悟しているか。わしは、一切手を抜かぬ。何度でもお前を殺すぞ、と。

 冷たく、底の見えない、恐ろしい瞳だった。

 あれは、人殺しの目だ。

 幸いにして、ホフレの方から話を断られ、キーリは別の者に師事することとなった。

 そうして、魔術なんてかけらも興味がなかった彼にとっては、地獄のような日々が始まったのだ。


「よく公爵が許したな」


 血の気の引いた青白い表情で言うキーリに、ルクレツィアは小さく笑った。

 彼もまた、ホフレ=リストスキーを知るものだと悟ったからである。


「わたくしは魔術師として導いて下さった師へ、とても感謝しております。ですが、あなたは違ったようですわね」


「当然だ。あのように過酷な訓練を受けてまで、成るようなものではない」


「決めつけはよしてください」


「あれは魔術の才能をもつ子供を育むどころか、壊す訓練だ。現に、今の訓練の主流は、あんな野蛮な方法ではない。素養を備えた子供を集め、互いの魔力に触れながら知識を深めるというものだ」


 それはルクレツィアにとって、初耳だった。

 学園で友人たちと切磋琢磨することへ憧れたこともある。

 けれど、当時の彼女では上手く馴染めなかったことだろう。

 ホフレの訓練は、尋常ではないほど過酷ではあった。

 しかしそのお蔭で彼女はこうして無事、生きている。

 家族や他者の心配をする余裕すらあった。

 彼女にとっては、それが全てである。


「生き足掻くため、差し出された手に(すが)りついた子供が、壊され、早死にしていく訓練など間違っている!」


 古い魔術師の訓練を批判し、その訓練によって力を得たルクレツィアを糾弾するように、キーリが言った。

 彼の目はルクレツィアを見ているようで、見ていない。

 彼女を通して別の何かを見ているかのようだった。

 彼は訓練の過程で、何か大切なものを失ったのかもしれない。

 察することはできるが、それは彼女には関係のない事である。


「そうですか。確かに過酷な訓練ではありますし、他人の考え方に文句をつけるつもりはございません。だから、あなたもわたくしの師を(おとし)めるのはよしてください」


 言って、彼女はまた集まり始めた死者を見回した。

 そうしてルクレツィアは、肩口に噛み付こうと寄ってくる頭を、拳に紡いだ陣で粉砕する。


「すげえ、怪力。身のこなしも隙がねぇな。勝てる気がしないんだけど……あいつ、本当に元公爵令嬢かよ? 昔の武神とか、何かに取りつかれて、乗っ取られてんじゃねえの」


「いいや。それはない。感じるのは、彼女自身の放つ清廉な月の魔力だけ。そして、怪力ではなく、あれは高速で紡がれた陣によるものだ。あそこまで行くと、ほとんど、人外の域だな」


 オルソとキーリの会話を聞きながら、ルクレツィアはどこからともなく集まってきた死者たちを、再び一掃した。


「これではキリがありませんわね。とにかく、わたくしは塔へと向かいます。あなたたちは、セイを連れて屋内へ戻りなさい」


 ぐずぐずしていたら、また死体が湧き、集まってくるだろう。

 暗がりであるため、これまで死体の顔つきを見ることはなかった。

 けれど、ここは明るい。

 死体たちの中に知った顔があれば、気付くだろう。

 ルクレツィアにとって、長居をしたい場所ではなかった。


「待て。なぜ助けた?」


 塔へと足を向けるルクレツィアをオルソが呼び止めた。

 彼女は彼を振り返り、端的に答える。


「死者を片付けるついでです。邪魔をするならば、諸共に炭に致しますわよ。それでは」


 ひらりと身をひるがえして、塔へと歩いて行くルクレツィア。

 しばし見送るも、アマーリエはその背を追うことにした。


「アマーリエ!?」


「大丈夫だから! 先輩、殿下をお願いします!!」


 背後で、男たちの叫び声が聞こえたが、彼女は後ろ手に手を振って、駆けだした。


「待ってください。ルクレツィアさん!」


 小走りに後をついてくるアマーリエを振り返ることなく、ルクレツィアは塔へと足を進める。


「邪魔をするのならば、灰にするといったはずです」


 言葉通り、前方に現れる死者を白銀の陣で、蒸発させながら闊歩するルクレツィア。

 その激しさに目を剥きながら、アマーリエは彼女に声を投げつける。


「でも、それ。嘘ですよね」


 ぴくりとルクレツィアの眉が動いた。


「何を根拠にそんなことを?」


 振り返る彼女の目を、赤みがかった瞳で見据えてアマーリエは口を開く。


「だって、あなたは自分より弱い人を痛めつける人には見えませんし」


 不思議な確信を含んだ言葉。

 澄んだ瞳を向けられて、ルクレツィアは眉根を寄せた。


「は? わたくしは、あなたをさいなんだ悪人として裁かれたのですよ」


「でもそれって、濡れ衣ですよね」


 いったいどんな根拠があるというのか。

 全て知っているような口調であったが、ルクレツィアはそれほど不快な気分にもならなかった。

 偽りのない、真っ直ぐな態度でルクレツィアに挑む女性はそういない。

 小動物のように愛らしい見た目とは裏腹に、アマーリエは芯の通った女性であるようだった。


「やけに自身がある様子ですのね。何か証拠でも掴んでいるのですか?」


「いいえ! でも、なんとなく、わかるんです!」


 なんとなく。

 その言葉に、ルクレツィアは膝から力が抜けそうになった。


「……あなたの頭は、花畑かなにかですか? 脳みそが詰まっているようには、思えませんけれど」


「花畑? 脳みそ? ええと、ともかく、ごめんなさい! わたしから、ジュリオ殿下と陛下にも話してみますね!」


 嫌味を理解せず、アマーリエは謝罪すると、力強く拳を握りしめる。

 隣でそれを流し見ながら、ルクレツィアは歩み寄る死者を、陣を纏った拳で殴りつけた。


「うわー。本当に強いんですね!」


「わたくしが強いのは当然です。謝罪は結構です。あなたも誰かに利用されただけのようですわね。男爵令嬢が何を言ったところで、状況はかわりません」


「それでもです。どうして学園長さんが、嘘の告発文を提出したのか。それは分からないんですけど、きっとなにか事情があるはず。塔に上ったら、学園長室でその辺もこっそり調べちゃいましょう!」


 拳を突き上げ、意気揚々と足を進めるアマーリエ。

 死の危険があることを理解していないかのような、呑気のんきな態度に、ルクレツィアはこめかみを押さえた。

 そうして、あえて厳しい声をかける。


「おそらく、塔の最上階には、この災害を引き起こしている『何か』があるはずです。命が惜しいなら、戻りなさい」


「やっぱり。ルクレツィアさんって優しいです。でも、命の危険があるのは、あなたも一緒でしょう。なら、なおさら一人で行かせるわけにはいきません」


 アマーリエは気丈に微笑んだ。

 彼女の明るさは美徳であるが、この場合は、無謀である。


「わたくしは強いから平気です」


 歯牙にもかけないルクレツィアの態度に、アマーリエがむっと頬を膨らませる。


「わたしも、護って欲しいなんて思ってないです。犠牲になった友人だっています。置いていこうったって、そうはいきません。意地でも付いて行きますからね!」


「あなた、馬鹿っていわれませんか?」


「ええっ!? それは酷くないですか!?」


 冷たい視線を向けるルクレツィアにも怯むことなく、アマーリエは口を尖らせる。

 何を言おうとついてくるつもりらしい。

 塔の入り口にたどり着いた二人。

 ルクレツィアは傍らのアマーリエを見下ろして、小さく息を吐いた。


「……好きになさい。わたくしは、助けませんからね!」


 ようやく降りた許可に、アマーリエは満面の笑みを浮かべる。


「はい!」


 何がそんなに嬉しいのか、飛び上がらんばかりの勢いであった。


「どうしてそこで、喜ぶのです!?」


「はい!」


「ああ、もう。あなたと話していると、調子が狂います」


「ありがとうございます!」


「褒めてませんわよ!?」


「ええっ!?」


「ああ、もう! きりがありません!」


「あっ、ちょっと。置いて行かないでくださいよー!」


 ちぐはぐな会話を交わしながら、二人は塔の入り口をくぐり、最上階――学園長室に向かって階段を上るのだった。


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