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第七十話 祖国の異変10

 地より湧き出るという死者は、端的に言えば弱かった。

 動きは鈍く、足元はふらついている。

 動けないほど体を破壊しなければ、いつまでも追ってくるという、厄介な特徴はある。

 しかし、王太子――ジュリオの敵ではなかった。

 はず、だ。


「見誤ったか……」


 彼は学園へと向かうはずだった。

 学園には、彼の得難い友人たち――そして、アマーリエが取り残されている。

 ジュリオは密かにアマーリエへ淡い好意を抱いていた。愛とは言えないが、友情と言い切るには少し複雑な感情はジュリオが今まで感じたことのないものである。

 彼女は少し抜けているところもあったが、愛らしく、庇護欲をそそる少女だった。

 彼女と友人たちが学園に取り残されていると聞き、ジュリオは学園へ向かう決意をした。

 湧き出る死者など簡単に打ち払えると思っていたのだ。

 しかし、その考えは甘かったと言わざるをえない。ジュリオは疲弊ひへいするが、敵は疲れを知らず、次から次へと現れる。

 あんなに軽かった腕は重く、呼吸も荒い。

 血と脂がこびり付いた剣は、切れ味が鈍りつつあった。

 まずい状況だ。

 兵を呼ぶこともできるが、それを最後に、二度と学園へ向かうことは叶わなくなるだろう。

 彼が学園で待っているであろう者たちの顔を、脳裏に思い浮かべた時、暗闇に白銀の光が奔った。

 何かがぜるような音がして、思わずジュリオはうずくまる。


「いったい、何事だッ!?」


 まず、彼の目に映りこんだのは、清廉な輝きを放つ、長い髪だった。

 白銀色の髪から覗く瞳は深い紫色である。まなじりは強い意志を示すように、きりりとつり上がっていた。

 インヴェルノの雪のように白い肌と、エスターテの花のように鮮やかな紅い唇の持ち主。

 傾国の美貌に一瞬我を忘れたジュリオ。彼は遅れてやってきた異臭に、思わず口元を押さえる。


「……うわッ、なんだこれ。くさッ!!」


 異臭の元は、彼自身の体だった。

 先ほど爆ぜたのは、彼を取り囲んでいた、動く死体たちである。

 その、肉片や酷い匂いのする液体を、全身に浴びてしまったのだ。

 自身の惨状を確認しながら、立ち上がる。

 そうして、彼は我が目を疑った。


「ガブリーニ公爵令嬢!?」


 ジュリオが見惚れた美女は、他ならぬ彼自身が追放へと追い込んだ人物だったのだ。

 苛烈な光を秘めた紫水晶の瞳が、すっと細まり、彼女は冷ややかに口端を歪める。


「あら。その名は剥奪されましたのよ。お蔭さまでね」


 ルクレツィアの放つ気迫に押されて、ジュリオの背がぞくりと震える。

 まさか、復讐を……?

 そんな言葉が、彼の脳裏を過る。


「私を、殺しに来たのか?」


 ごくりと喉を鳴らして、構えた剣を強く握るジュリオ。

 ルクレツィアはそれを小ばかにするように、鼻を鳴らして問いかけた。


「わたくしに、殺されるようなことをした自覚はあるのですか?」


 追放される前の彼女は、貴族の中の貴族といった風の令嬢であった。

 気位は高いが、王族を敬い、婚約者を立てる淑女の鏡――それが、ジュリオの知るかつてのルクレツィアである。

 その矜持の高さゆえに、婚約者を奪われまいと貴族としての道を踏み外した元令嬢であった、とジュリオは記憶している。しかし、目の前にいる女性はまるで別人のようであった。


「ふざけているのか。私は次期国王としてやるべきことをした。なにもやましいところはない。道を踏み外した己を悔いることもなく、レッチェアーノへ刃を向けるというのなら、私も容赦はしないぞ」


 今までにない彼女の態度に苛立ったジュリオが、思わず声を荒げる。

 彼の怒鳴り声もどこ吹く風とばかりに、ルクレツィアは余裕の微笑を浮かべた。

 それがジュリオの神経を逆なでし、怒りをかきたてると知って、彼女は嘲笑(ちょうしょう)する。


「ふざけてなどいません。殺すつもりであれば、あなたはとうにそこの死体と同様、爆散していることでしょう」


「では、何をしに来たというのだ! なぜこのようなことを……!?」


 レッチェアーノを襲った悲劇。

 闇に沈んでしまった、王都を思い浮かべ、ジュリオが詰問する。


「助けなかった方が良かったということかしら」


 質問の意味を分かっていて、ルクレツィアは素知らぬ表情で答えた。

 思い通りにいかない状況に、ジュリオはいらいらと頭をふる。


「しらを切るつもりか!?」


 あくまで、彼女が黒幕だと信じきっている様子のジュリオに、今度はルクレツィアが首を振った。

 かつては聡明で穏やかな王子だと思っていたが、だれに吹き込まれたのか。

 思い込みが激しすぎるようである。

 婚約者に信じて貰えず、悔しさと苦しさで、胸にぽっかりと空いた穴。

 とうにふさがったと思っていたそれが、また、少し開いたような気がする。


「あなたは……またしても、わたくしのことを信じて下さらなかったのですね」


 意図せずして、彼女の心の内が言葉として出てくる。

 心の柔らかなところに突き刺さる痛みは、どのようにすれば鍛えられるのか。

 苦々しい気持ちを抑え込むように言葉を紡げば、酷く冷たい声音になった。


「まあ、期待はしていませんでしたけれど」


 それは強がりだった。

 死者を蘇らせ、国を存亡の危機にさらすほど、悪辣あくらつな人間と本気で思われているなんて。

 覚悟をしていたはずが、またもや無意識に信を期待していたようである。一度痛い目を見たにもかかわらず、懲りずに(みずか)ら傷を広げにゆくとは。自身の甘えた考えに嫌気がさして、ルクレツィアは唇を噛みしめる。

 歯が唇に食い込む感覚に、はっとして、彼女は小さく息をついた。

 カルロを思い出したのだ。

 彼はルクレツィアが傷つくことをとても嫌がる。

 傷をつけたのが彼女自身だとしても、きっと彼は怒るだろう。

 そう思うと、自身に対する暴力的な感情が少し和らいだ。


此度こたびの騒ぎは、わたくしのせいだと、本気で信じていらっしゃるんですか?」


「……どういう意味だ?」


 ジュリオが眉を寄せる。

 言いたいことは伝わっているだろうに、わざわざ聞き返してくるのは、先ほどの意趣返しだろうか。

 ルクレツィアは極力感情を抑えるような、平坦な声で言葉をつづけた。


「わたくしとレッチェアーノの縁は、既に切れております」


「だが、君はこうしてここにいる」


「ええ。家族や大事な人達を助けるために、戻りましたの。今更、あなたや国に、興味はなくてよ」


「家族を……? 自分を除籍した家族のために、戻ったなどというつもりか?」


 理解できない、とばかりに問い詰めるジュリオ。

 ルクレツィアはふらふらとした足取りで寄ってくる死者を、風の陣で殴りつけた。

 三体ほどまとめて殴り飛ばした彼女に、ジュリオがびくりと肩を揺らす。


「例え除籍されようと、家族は家族です。あなたには、どうして父がわたくしを除籍したのか、わからなかったのですね」


「何を言っている?」


 ジュリオは、ルクレツィアの拳を警戒しながら、慎重に言葉を紡いだ。

 更に寄ってくる死者たちを見もせずに殴り飛ばし、時に爆散させる美女。

 助けてもらっているはずなのに、ジュリオは何だか、脅されているような気分になった。


「あなたに教える必要はないでしょう。妹さんが心配していらっしゃるようですので、早く戻られては?」


「リゼルが? しかし、戻るわけにはいかない。私は学園へ行かねば」


「は?」


 パァ――ンッ!

 一段と派手な音がして、死者がはじけ飛ぶ。

 ジュリオは不快な汁にまみれているというのに、彼女は返り血も肉片も、受けている様子はない。


「自分の身も護れぬものが、誰を護るというのです」


「なッ!? 無礼が過ぎるぞ!?」


「無礼も何も、わたくし、レッチェアーノの臣民ではございませんので」


「もうよい! とにかく、」


 声を荒げるジュリオだったが、周囲を死者に囲まれつつある状況に、口を閉じた。

 中庭に植えられた花を踏みつけ、そこらじゅうに飛び散った死体のなれの果てを越えて迫りくる死者。


「……囲まれたようですわね。そこから動かないでください。でないとうっかり、爆発させますわよ」


 ルクレツィアは、広域魔術陣を紡いで、十体を超える数の動く死者たちを一気に蒸発させた。

 その凄まじい魔術陣に、ジュリオが口をぽかんと開く。


「さっきから疑問に思っていたのだが、君は魔術師だったのか。しかし、国を出てからそう経っておらぬというのに、ここまで強くなれるものなのか?」


 知識でしか魔術を知らぬ彼にも、今の陣がどれほど規格外なものであるか、分かったのだ。

 先の陣は、世界最強と謳われた魔術師、ホフレ=リストスキーの陣である。

 ジュリオも一度だけ見たことがある陣は、ホフレの代名詞ともいわれるもの。

 そんじょそこらの魔術師に紡げるものではない。


「除籍された今となっては、隠す意味もありませんから。わたくし、幼いころより、魔術師としての訓練を積んでおりますの。あなたの父親が良くご存知かと」


 意外な言葉に、ジュリオは訝しげに眉を寄せた。


「父上が……?」


「ええ。何度も依頼を受けましたから」


「初耳だ」


「公爵令嬢が魔術師の訓練を積み、冒険者をしているなんて、口外するわけにはいかないでしょう」


「なぜそのようなことを?」


「あなたに話す必要はありません。ですが、わたくしは師より継いだ力で、多くを救ってきたつもりです。ガブリーニの名に恥じるようなことは、一度たりとも行っておりません」


「どうしてそれを言わなかった?」


「家の名誉にかかわりますから。それに、言ったところで信じてくれたのでしょうか」


「いや……ならば、なぜ、私を助けた。濡れ衣だというのならば、殺したいほど恨んでいることだろう」


 ここにきて、ジュリオの心に一つの疑念が浮かび上がる。

 自分はとんでもない間違いを犯したのではないか。

 そして、父はそれを知っていて、彼女を無実の罪で裁いたのではないかと。

 血の気の引いた表情で、言葉を紡ぐジュリオへ、ルクレツィアは首を横にふった。


「先ほども言いましたように、あなたや国のことはどうでも良いのです。愛する人と結ばれ、自由を得た今となっては、恨むこともありません」


 強く、きっぱりとした口調だった。

 その言葉に欲が出て、ジュリオが身を乗り出す。


「で、では、私を学園へ連れて行ってくれ!」


 図々しい願いに、これまたルクレツィアは首を横に振る。

 彼女が首を振るたびに、魔力を帯びた髪から燐光が散って、暗がりを照らした。


「なぜ断る!?」


 掴みかからんばかりの勢いで迫るジュリオをさっとかわし、ルクレツィアは努めて平坦な口調で告げる。


「この騒ぎの元凶は恐らく学園にあるでしょう。あなたは、足手まといです。護ってやる義理はありません」


「ならば、余計捨て置けん! 今は冒険者なんだろう。報酬なら出すから、頼む! 友人たちが危ないんだ!!」


 自分の身分を考えろと言ってやりたかったけれど、それもまた、彼女には関係のないことだ。

 ただ、そこまでして助けたいものがある、というジュリオ。

 彼の必死な姿に彼女はほんの少しだけ、心を揺らす。

 それは、彼女が婚約者だったころに、ついぞ向けられることのなかった感情だった。


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