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第六十五話 祖国の異変5

 見つめ合う、リナルドとルクレツィア。

 ルクレツィアの背後には、黒光りした肉体美を誇る兵士たち。

 リナルドの背後には白い肌に、隆々たる筋肉を備えたインヴェルノの勇士たち。

 プリマヴェーラとインヴェルノの筋肉たちは、互いに頷きあうと一歩引いて二人を見守った。


「随分と、背が高くなりましたのね」


「うん。体も鍛えたけど、背ばかり高くなって、狩りの方はあんまり」


 照れ隠しに自虐的なことを言いながら、リナルドはルクレツィアを見おろす。

 彼にとって五年ぶりに見る彼女は、記憶のそれより、いっそう輝いて見えた。

 輝く銀髪と澄んだ葡萄色の瞳の女性。彼女の瞳を覗き込むと、リナルドの胸が高鳴った。

 細い首筋と、形良い胸。くびれた腰から伸びる美脚の先には、きゅっとしまった足首――すらりと伸びた白い肢体の麗しき人。


「ルーシー……いや、ルクレツィア。君は本当にお姫様だったんだね」


 万感の思いを込めて呟くリナルドへ、ルクレツィア苦く笑って首を振った。


「いいえ、リナルド。わたくしは、もう公爵令嬢ではありませんの」


「ええっ!? いったい何があったの?」


「話すと長くなるのですが、わたくしは今や、この国では追われる身です」


「そんな……。じゃあなんで、公爵さまのお屋敷に?」


「一度国を出たのですが、この国に残した大切な人達が心配になって、戻ったのです。今、この国で起こっていることはご存知ですか?」


 ルクレツィアの言葉にリナルドが頷く。

 そうして彼は道中の出来事を思い出すかのように、瞼を伏せた。 


「うん。王都から逃げ出してきた人たちに聞いた。死者が蘇って、生者を襲っているんでしょう? こうして自分の目で見るまでは信じられなかったけど、来てよかった」


「ええ。わたくしたちもつい先ほど到着したばかりで、まだ事態を把握していないのですが……インヴェルノを留守にしても大丈夫なのですか?」


 村の男の多くがそろっていることに気づいて、ルクレツィアは思案気につぶやいた。

 リナルドは彼女を安心させるよう、軽く笑みを浮かべて答える。


「うん。インヴェルノではどこから来たのかわからない、氷漬けの死体がたまに発見される程度で、被害は特にないよ。だからこそ、僕たちもここに来たんだ」


 リナルドは、真っ直ぐにルクレツィアを見つめる。

 幼いころの臆病で、自尊心の低い彼にはなかった、強い意志を秘めた瞳だった。


「――君の、力になるために」


 ルクレツィアは、驚きに目を見開いて、それから花の綻ぶような笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。リナルド」


「いいんだ。それで、その、今度の騒ぎが終わったら……君に、伝えたいことが」


 言いかけたリナルドの視界に、赤髪の男が入り込んでくる。

 男は当然のように、ルクレツィアの隣に立ち、二人の背後に灰色の髪の兵士が立っていた。


「どうしたんですか、リナルド。ああ、紹介いたしますね。彼は、カルロ。わたくしの夫です」


『夫オオォォォォォ――ッ!?』


 リナルドのみならず、インヴェルノの男たちが驚愕きょうがくの雄たけびをあげた。

 その形相、まさしく阿鼻叫喚と言った風情である。


「ちょっと! どうしてみなさま、そのような反応をなさるのですか。失礼ではなくて!?」


 旧知の友人へ夫を紹介する度に、似たような反応をされて、流石のルクレツィアも傷ついた。

 アルシエロやサルダでは、このような反応はされなかったというのに。

 適齢過ぎても夫ができない女だと思われているようで、はなは遺憾いかんである。

 憤慨ふんがいするルクレツィアの足元で、リナルドが力なく膝をつく。


「あーあ。嬢ちゃんも罪作りな女になったもんだ」


 見てられない、とばかりに白い筋肉の群れから、一人の男性が現れた。

 年の頃は30手前と言ったところであろうか。

 インヴェルノの男性は、リナルドを除いて髭を伸ばした男性が多い。

 けれど、彼は綺麗に髭を剃っていた。

 特別強面なその男性はリナルドに歩み寄ると、その肩を軽くたたく。


「あなたは?」


 こんな男性居ただろうか?

 首を傾げるルクレツィアに、男は大げさに嘆いてみせる。


「ひっでえなあ! オイ! 雪まみれの嬢ちゃんを助けてやったろ? その俺を忘れちまうなんて、月日ってのは残酷なもんだ!」


 朗々と響く大きな声。顔はともかく、その声に彼女ははっと、口元を押さえた。


「もしかして、グイド!? 見違えました! まるで別人ですわね」


「うん。まあ、王都の人間は髭を剃るんだろ? ソフィアに会うなら、俺も、それなりに、な。って、そうじゃねえ!」


「いきなりどうしましたの?」


「俺じゃなくて。リナルド! ずっと嬢ちゃんに会うことを夢見て、狩りにてで体を鍛えてたんだぜ? ひ弱な分は頭で補って、今じゃ村の司令塔だ」


「わたくしと共に戦うため、そんな努力を?」


「ちっがーう! 男が女のために頑張る理由は一つだろ!? 察しが悪すぎるぜ、嬢ちゃん!」


 身振り手振りを交えて、荒ぶるグイド。 


「えぇ? ん? ああ、もしかして……!」


 彼の言葉に、ルクレツィアは別の可能性を閃いた。


「もしかして、リナルドあなた」


 グイドが無言で頷く。


「えっ、じゃあ、ダニーロも?」


 リナルドと似たような反応をしたダニーロを、彼女は振り返った。


「いやいやいや! それだけはないです! 勘弁してくださいッ!!」


 高速で首を振りながら、強く否定するダニーロをルクレツィアが睨み付ける。

 己の勘違いだったとはいえ、目の前で女性としての魅力を完全に否定されて、彼女はいたく傷ついた。


「――カルロ。灰にしておしまい!」


「高圧的な嫁さんも可愛いなあ。ん? これって、友達じゃなかったっけ。燃やしていいのか?」


「すいません! 僕が悪かったです! ごめんなさい! お嬢さまがどうとかではないんですよ。手を出すと、公爵閣下に殴られて、大将軍に串刺しにされて、竜に灰にされるでしょう!? そんなの嫌です!」


「……ああ、そういうことでしたか。ふふ、灰はただの冗談です。ご安心ください」


「いや、本気でしたよねえ!? 目が笑ってないですし! あなたたち夫婦の冗談は、心臓時悪すぎるんですけどーッ!」


 じゃれ合う三人を余所に、インヴェルノの筋肉軍団の中から、一人の女性が歩み出る。

 淡い金紗の髪を、まとめて編みこんだ上品な中年の女性だ。

 彼女は、すっと前に出てグイドの横を過ぎると、リナルドの背に蹴りを入れた。


「リナルド! しっかりなさい! あなたは何をしに来たのですか」


 まさかの蹴りに、ルクレツィアも目を丸くする。

 だが、これはインヴェルノの人々にとっては、日常らしい。

 動じない村人たちに、ルクレツィアはイレーネを思い出した。

 そういえば、彼女もジャンを良く蹴っていた。

 あれは、彼女にとっては当たり前の習慣だったのかもしれない。

 過去に意識を飛ばすルクレツィアの目の前で、リナルドはのろのろと顔をあげる。


「かあさん……」


「みっともない声を出すんじゃありません! 想いを受け入れてもらえなくても、力になりたいと言ったのは誰でしたか」


「はい。そうでした。すみません」


 ふらりと起き上がるとリナルドは、カルロを見上げた。


「なんだ人間。おまえも挑んでくるのか?」


「いいや。ぼくはルーシーの夫と争うつもりはない。ルーシーの幸せが、ぼくの望みだ」


 リナルドはじっとカルロを見据え、それからふわりと笑みを浮かべる。


「ルーシーは大事な友であり恩人だ。泣かせるようなことをすれば、インヴェルノを敵に回すことになる。それは承知しておいてほしい」


 柔らかであるのに、強固な意志に裏打ちされている微笑だった。


「愚問だな。ルクレツィアは俺に泣かされるような、弱い人間じゃないし、俺は嫁さんをとても大事にしている」


 にっと不敵な笑みで返すと、カルロは傍らの妻を愛おしげに見下ろした。

 仲睦まじげに見つめ合う夫婦をみやり、リナルドは一度目を伏せる。

 

「――そう。なら、いいんだ」


 そうして、在りし日の初恋にふたをしたのだった。

 再び目を開くと、彼は感情を切り替えて、ルクレツィアに話しかける。


「ねえ、ルーシー。ぼく達に出来ることはある?」


「え? ええ。それはもう、たくさんあります!」


 そこからは、駐隊長や屋敷の兵士たちも交えての話し合いになった。

 疲弊している兵たちを休ませるため、インヴェルノの男たちが一時警備や見回りを担うことに。

 そして、リナルドの母を含む女性陣は、けが人の手当てや食事など、女性の手が必要なところを手伝うこととなった。

 それぞれが屋敷に散らばってゆくのを見送り、リナルドはルクレツィアに頷いた。


「行っていいよ。ここはぼくらが守るから」


「えっ?」


 ルクレツィアの心臓が跳ねる。

 リナルドは彼女の内心など見透かしているかのようだった。

 表情をこわばらせる彼女の目をしっかりと見て、リナルドは一言ずつ慎重に言葉を紡いだ。


「屋敷の兵士に聞いたんだ。ルーシーの家族は今、王都に居るんでしょう? 本当なら、今すぐにでも飛んでいきたいはずだ」


「ですが……」


「心配しなくても大丈夫。ぼくらを信じて」


 ルクレツィアが心置きなく、出発できるよう、彼は自信を持って口端を持ち上げた。

 幸いにして、インヴェルノの人々は心身ともに頑健である。

 雪に閉ざされた地域故、こうして、一か所に集まって守りを固めるのも得意だった。

 彼女が王都に行って戻るまで、どれくらいかかるかは分からないが、持ちこたえる自信はある。


「本当に、よろしいのですか?」


 ルクレツィアはリナルドの言葉を疑ってなどいない。

 助けに来てくれた友人にすべて任せて、この地を去るというのは気が引けたのだ。

 それもまた、承知しているリナルドは、困ったように苦笑する。

 気に留めてくれるのは嬉しい。けれど、今はそうも言ってられない、そんな表情だ。

 だから、彼は努めて明るく笑い、声を張ってみせる。


「もちろんだよ! なにも遠慮する必要はない。ルーシーには、家族を失ってほしくないんだ。だから、早く。行って!」


「……ありがとうございます。リナルド」


 心を決めた彼女に、ほっとして、リナルドが肩から力を抜いた。

 彼は(かたわ)らのグイドを視線で指すと、ルクレツィアに向けて背を押す。


「よければ、グイドも連れて行ってやって。次期村長なのに、ソフィアさんが心配で無理やりついてきたんだ」


 困った跡取りだよね。と彼は悪戯っぽい子供のような顔で笑った。

 そんなリナルドに、グイドは憮然とした表情で言い返す。


「跡取りは、お前に譲ると言っただろう」


「ぼくは断ったよ。問答している内に、何かあったらどうするの。四の五の言わずに、とっとと王都にいきなよ」


 グイドの妄言もうげんを相手にせず、ぐいぐいと背を押すリナルド。

 グイドはたたらを踏んで、彼を振り返った。


「お、おう。お前ほんとうに、強くなったな」


「ぼくが弱いのは知っているでしょ」


 リナルドが呆れたように言った。

 自分の力量を知って、さらっと告げる彼の頭を引き寄せ、グイドがかき混ぜる。


「んなこと言うな! 腕っぷしの強さだけが全てじゃねえだろ。お前は、強いよ。リナルド」


「痛いってば! 自分の筋肉を自覚してよ!」


 照れて暴れるリナルドの抵抗をものともせず、グイドは快活に笑って彼を開放した。

 そうして、ルクレツィアの横に並ぶ。

 一連のやり取りを、微笑ましく見守っていたルクレツィア。

 彼女は、真っ直ぐにリナルドを見て謝罪する。


「リナルド。共に戦うという約束、果たせずに申し訳ございません」


 彼女の謝罪に、リナルドは首を振って笑う。


「ルーシー。いや、ルクレツィア。それは違うよ」


 そして、少し頬を紅潮させて、はにかんだ。


「例え場所は違っても、ぼくらは一つの目的のため、共に戦っているだろう。雪鬼と闘った時みたいに。だから、謝る必要なんてないんだ。――約束は、既に果たされている」


「あなたは……」


 ルクレツィアは次の言葉が出てこなかった。

 言葉を探して、息を詰まらせる彼女に、リナルドが微笑みかける。


「弱虫だったぼくだけど、少しはマシになったでしょ?」


「ええ。強くて優しい、とっても素敵な男性になりました」


「うん。ありがとう。ぼくは君のことが好きだったんだ。気持ちは簡単に変えられないから、今でもそうだ」


 表情を曇らせるルクレツィアにリナルドは、困ったように眉を下げた。


「そんな顔、しないで。ルクレツィアを苦しめるつもりはないから」


「ですが」


「邪魔をするつもりもない。ただ、想うことを許してくれるだけでいいんだ」


 祈るような言葉に、今度は彼女が苦く笑った。

 誰かに好意を向けられるというのは、嬉しいものだと思っていたルクレツィア。

 でも、嬉しいばかりでなく、応えられぬ苦しさももたらすのだと、彼女は初めて知った。


「リナルドの心はリナルドのものです。わたくしは、その心に応えることはできませんけれど」


 正直な彼女の言葉に、リナルドは瞳を伏せた。

 覚悟していても、その言葉は彼の胸に突き刺さる。


「……分かってる。ほら、さあ、行って。せっかく格好良く送り出したかったのに、ここで泣いたら台無しだ」


 平静を装って穏やかな調子で声を紡ぐも、端々が震えてしまう。

 みっともない自分の姿に、リナルドの目頭が熱くなった。


「リナルド。あなたは本当に勇敢で格好良い人です。戦友ともとして誇らしく思いますし、手を貸していただけるのは嬉しいのですが、どうか、無理はしないでください」


 しっとりと柔らかで、涼しげな声音がリナルドの鼓膜をくすぐる。

 俯く彼を気遣うように、繊手がそ、と彼の肩を撫でた。

 その手を掴みたい衝動に駆られるも、リナルドはじっと耐え、顔をあげる。


「大丈夫。無理はしないから。グイドをよろしく頼んだよ」


 滲んだ涙をぬぐって、リナルドは小さく笑って見せた。

 彼の言葉に、彼女は力強く頷く。


「ええ、もちろん」


 ルクレツィアが一歩下がり、その口から白銀の魔力が紡がれる。

 リナルドにとっては、何度見ても色あせぬ、幻想的な光景だった。


「それでは、お言葉に甘えて。行ってきます」


 銀光と共にルクレツィアの姿が消える。

 闇にふわりと浮かび上がる、銀の燐光。

 リナルドは、宙に溶けて消えるそれを、名残惜しげに視線で追った。

 後に残されるのは、彼一人。

 彼女一緒にカルロとグイド、そして、三人にしれっと便乗したダニーロが王都へ転移したようだ。

 けれど、彼の眼には彼女の姿しか映っていなかった。

 幼いころに憧れた、強くて美しい少女。

 彼女は、彼が手を伸ばす前に遠くへ行ってしまった。

 リナルドは自分の掌を見つめて、ため息を吐く。

 この手はもう届かない。それでも、こうしてルクレツィアの役に立てることが嬉しかった。


 ――どうか。ルクレツィアの愛する家族が、無事でありますように。


 リナルドは両手を胸の前で組み。しばし瞳を閉じて女神に祈りをささげる。

 そうして、一人、屋敷の中へと戻るのだった。


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