第六十三話 祖国の異変3
――日の光を最後にこの目で見たのは、いつのことだったのか。
気づけば、夜がレッチェアーノを侵食しつつあった。
襲い来る、死んだはずの人間からの襲撃を防ぎつつ、彼らが去った後は泥のように眠る。
動く死体たちは夜明けとともに去るが、ここ最近は昼間の時間がひどく短く感じていた。
ついに、夜明けが訪れなくなって、絶望がひたひたと忍び寄る。
それはガブリーニ公爵家領地も同じ事であった。
境地内の生き残った民には、公爵家の砦に集まるよう呼びかけてはいるものの、地より現れる異形に阻まれる。
頼みの綱である、ホフレ=リストスキーは、いの一番に王都へと召喚された。
「ぐっ……隊長! いったん引き返しましょう!」
公爵家領地に駐留している兵士で編成された、領民救出部隊の一人が、動く死体に圧倒されて叫ぶ。
押しのけても、切りつけても、ひるまず向かって来る敵は、それだけで恐怖の対象となる。
腐りかけの腕や、何本か歯の抜けた口で噛み付いてくる、死者たちを振りほどくのは至難の業だ。
「あと少しだというのに!」
日に日に数を増す、動く死者たち。
兵士たちの中から犠牲は出ていないが、無理に突破しようとすれば、それも危うい。
ホフレに鍛えられた屈強な筋肉も、数の暴力と長引く戦いに疲弊しつつあった。
「諦めるしか、ないのか」
家の木戸を閉じ、中から助けを呼ぶ子供の声。
すぐそこであるのに、あと僅か、たどり着けない。
実際に戦場に出たことなど、ほとんどない兵士たち。
彼らがこれほど自らの無力を痛感したのは、初めてのことであった。
手にした長槍で死者どもを振り切ろうとしても、体力を奪われるばかり。
ぎり、と奥歯を噛みしめて、駐隊長が撤退を指示しようとした時、それは起こった。
「なんだ!? 急に光が……空を見ろッ!?」
空を覆う巨大な光の環。
白銀の魔術陣が、領地の上空に描かれ、月光を思わせる明けき光が地を満たす。
地には、炎を思わせる赤色の陣が奔り、犇めく動く死体どもを、瞬時に灰にした。
光が去った後に残るのは、光射さぬ闇と、静寂のみ。
彼らのたいまつの明かりが届く範囲には、動く死体は見当たらない。
脅威が去ったのか、判断しかねて辺りを伺う兵士たち。
彼らの視界の中、銀と赤の光が歩いてくる。
「あれは、いったい……?」
近づくにしたがって、それが人間であることがわかる。
腐臭はなく、見目麗しい男女一組。
駐隊長は、その白銀に見覚えがある気がした。
魔力を纏って輝く銀髪。
強い意志を宿した、紫水晶の瞳。
見た目は華麗な姫であるのに、ぴんと背筋を伸ばし前を見据える立ち姿は、戦いを知る者のそれである。
「公爵令嬢、ルクレツィア=ガブリーニさま!?」
まるで、名の知れた武将を呼ぶように、自分の名を呼ぶ懐かしき知人。
ルクレツィアは知らず、笑みこぼした。
「公爵令嬢は辞めましたの。今のわたくしは、ただのルクレツィアでしてよ」
年の頃は40代後半と言ったところか。
彼女は記憶にあるそれよりも、年を経た駐隊長を見上げて、懐かしい記憶に思いをはせた。
「そうでしたな。いやしかし、美しくなられた。……国を出た経緯は聞いております」
彼の瞳は、真っ直ぐにルクレツィアを見つめている。
委細は口にしないものの、幼き頃より知る公爵令嬢を旧知の兵たちが疑うことはなかった。
その上で駐隊長は問いかける。
「なぜこの国に戻られたのですか?」
「家族が心配になりまして。父は今領地に?」
「なるほど。ルクレツィアさまも、人の子でしたな。公爵閣下は、王都にいらっしゃいます」
「まあ、あなたも言うようになりましたわね! ……外からの侵入はわたくしの結界で押さえ、地より湧き出る死者はカルロが燃やします。今のうちに、取り残されている住人を屋敷に集めましょう」
彼女の言葉に兵士たちがざわめく。
あれだけ苦戦した死者たちを、たちどころに消し去ったとの言葉を信じてよいのか、困惑しているようだ。
入隊して日が浅いものは、ルクレツィアの言葉を信じてよいのか躊躇している。
古くから仕えている兵士は、大きくなった彼女の成長を感慨深げに眺めていた。
「ぼやっと突っ立ってるんじゃねえッ!! お前ら、急げ! 今のうちに、避難を完了させろ!」
駐隊長に蹴りつけられて、兵たちは家々に散開する。
今しかない、という焦りもあってか、住人達の避難は驚くほど早く済んだ。
結界を張っている間、ルクレツィアは他の魔術陣を編むことはできない。
維持するだけで精いっぱいなのである。
「俺が結界代わろうか?」
「わたくしには、湧き出る死者を灰にすることができませんもの。それにカルロのような目もありません」
「ああ。人間は目の前しか見えないんだったな。忘れてた」
「カルロの目はいったいどうなっておりますの?」
「過去や未来は見えないけど、現在世界で起こっていることならなんだって見えるんだ」
「その調子でレッチェアーノの死体を全部燃やせませんか?」
「うーん、どうだろうな。俺はルクレツィアみたいに、細かいの得意じゃねーから、うっかり生きてるのも燃やすかも」
「手先は器用なのに、魔力はなんでそう大雑把なんですの」
「俺の魔力の性質だな。一気に燃え上がるが、安定はしねーんだ」
話しながら、二人は公爵家の敷地へ入った。
門の中の並木道には、道沿いにかがり火が焚かれている。
墓地から遠いせいか、下に死体が埋まっていないのか。理由は不明だが、ここには死者がわき出ることがないようだ。
鉄の大門が閉じられたのを確認して、二人は魔術陣を霧散させる。
「おい! ダニーロ! お嬢さまのご帰還だぞ!!」
駐隊長が声を上げると、わらわらと兵たちが寄ってくる。
暗がりでは分からなかったが、兵士たちは最後に会った時より、逞しくなっていた。
筋骨が隆々としており、妙に黒光りしているのだ。
「あの、どうしてみなさん、より黒くなっておりますの?」
「リストスキー大将軍閣下に鍛えられた我らが筋肉、いかがでしょうか?」
兵たちがそろって、筋肉を誇張するような独特の姿勢を取る。
「えぇ……と? 筋肉が凄いのは分かりましたが、なぜてかてかと艶みを帯びているのでしょうか。油でも塗っているかのようです」
「肌を焼き、手入れ用の油を塗った方が良いと閣下がおっしゃったので!」
言いながら、また別の姿勢を取って兵士が言う。黒光りしているのは日焼けだけではなく、風呂に入って垢を落とす暇もないくらい働きづめであったからである。けれど、兵士達はルクレツィアにそれを告げることなく、快活に笑って見せた。
「疲弊しているかと思いましたが、存外元気そうですわね」
「いいえ! お嬢さまのご帰還とあって、最後の気力を振り絞っております!」
最後の気力を、こんなところで使うなんて!?
ぴしゃりと額を叩くルクレツィア。
兵士たちの脳まで筋肉になってしまったのではなかろうかと、彼女は心配になった。
「お久しぶりですね。お嬢さま」
黒々とした兵士たちの間から、現れた兵士。彼もいくらか薄汚れてはいたが、他と比較すると色白に見える。
年の頃は二十代後半と言ったところか。
青みがかった灰色の髪と瞳。上背があるため細身に見えるが、よく見ればそれなりに鍛えられた体つきをしていた。
「ダニーロ!?」
「はい。お嬢さまもすっかり大人になりましたね。どこからどう見ても麗しの貴婦人なんですけどー……やっぱり、中身はあの、お嬢さまなんですよね」
にこにこと笑みを浮かべながら、そこはかとなく失礼なことを言うダニーロ。
懐かしくもいらだたしい彼の態度に、ルクレツィアはすっと瞳を細めた。
「相変わらず失礼な方ですわね! あなたは肌を焼かなかったのですか?」
「日に焼けても肌が赤くなるだけで、僕は焼けなかったんですよねえ」
「それは残念でしたわね。ああ、そうでした。ダニーロ、紹介いたします」
和やかな会話を交わしながら、ルクレツィアはカルロを視線で招いた。
「紹介いたします。夫のカルロです」
「夫ォッ!?」
カルロが何か言うより早く、ダニーロが叫んだ。
両手をほおにあて、口を大きく開いた状況で硬直している。
「えっ? あの、ダニーロ?」
ルクレツィアの呼びかけに硬直がとけたダニーロは、ばっと顔をあげて、カルロに掴みかかった。
「なんだこの人間? なにしてんの?」
きょとんとした表情でダニーロを見下ろしながら、カルロはルクレツィアに問いかけた。
ダニーロなど、歯牙にもかけていない。
それが兵士としての誇りを傷つけたのか、ダニーロは歯噛みする。
「くっ……このことを、公爵閣下と、リストスキー大将軍はご存じなのですか?」
カルロの服から手を離して、ダニーロはルクレツィアを見やった。
「まだ正式には、伝えてませんけれど」
「わかりました」
何がわかったというのか。
勝手に何事かを決意したらしいダニーロは、拳を構えた。
彼の視線は真っ直ぐカルロを見つめている。
ただの人間が、拳一つでカルロに向かっていくなど、想定外すぎてルクレツィアは唖然とした。
「不本意ではありますが、致し方ありません。お嬢さまに相応しい男であるか、僕が確かめぶへらッ!?」
ダニーロは殴りかかった直後、空を飛んでいた。
「――はっ!? カルロ! 殺さないでください!!」
「はいはい」
軽い返事の後、赤い燐光が煌めき、ダニーロはふわりと地面に着地した。
ルクレツィアは慌ててダニーロに駆け寄って、彼の無事を確かめる。
「僕、いま空を飛んでませんでした!?」
「ええ。飛んでいました」
「死んだかと思いました」
「ええ。死んでたでしょうね。カルロが治さなかったら、ですが」
「恐ろしく強いですね。僕もだいぶ強くなったはずですが、もう一度やっても勝てる気がしません」
「カルロは竜ですから。……そもそも挑むこと自体が無謀だと思うのですけれど」
「リュウ?」
「ミルトーネに居た赤竜です」
「って、竜ですかッ!?……ミルトーネの竜は冒険者ルーシーとして、お嬢さまが殺したはずでは?」
「殺してません! 大体なんであんな無茶なことを? ダニーロはもっと、慎重な人だと思ってましたけど」
「リストスキー大将軍の代わりに見定めようと思ったのですが、強くなったと慢心していたようです。まだまだですね、僕も」
「ダニーロ……慢心するのは構いませんが、相手が悪いと命とりですわよ。それで、まだ夫に向かっていくつもりですか?」
残念なものを見るようにいうルクレツィア。
憐れみまじりの視線を受け、既視感を感じつつも、ダニーロは高速で首を横に振った。
「いえ、すみません。まだ死にたくないです。慢心で竜に縊り殺されるとか、そんな死に方嫌です」
「では、夫に謝って下さい」
「すみませんでしたアァァァーーッ!!」
地面に頭を打ち付けそうな勢いで、ダニーロがひざを折り、頭を下げる。
謝罪を受けたカルロの方は、軽い調子であっさりと頷いた。
「おう。治すのめんどくせーし、次は殺すから」
「アッハイ。本当にすいませんでしたッ!!」
ダニーロの見事な掌返しをみるのも、随分久しぶりだった。
外見は随分と逞しくなったが、中身はあまり変わっていないようである。
懐かしいやり取りに、ルクレツィアは小さく微笑んだ。
「気持ちは分かりますけれど、わたくしの友を殺すのはどうかしらね。――カルロ?」
「うん。あれは冗談だ」
微笑む嫁の問いかけへ、妙にきりっとした表情でカルロが答える。
表情を作り過ぎて、逆に胡散臭い。
彼の言葉を信じているのは、ルクレツィアくらいのものだろう。
「すごい。竜を尻に敷くなんて。お嬢さま、どれだけ強くなったんですか」
口を大きく開けたダニーロが、カルロを横目に伺う。
「しりにしく? 乗るってことか?」
聞きなれない言葉を咀嚼するように、カルロが首を傾げた。
ルクレツィアは素直に頷いて肯定する。
「カルロに乗るのはとっても気持ち」
「わあああ! 僕、身内のそんなこと聞きたくないんですってば!」
「あら。ダニーロは高いところが苦手なのですか?」
「はあっ?」
「カルロと共に風を切って飛ぶのは、とても気持ちが良いのです。ダニーロも乗せて貰えばわかるはずですわ」
「へっ?」
「えっ?」
ルクレツィアとダニーロはしばし顔を見合わせる。
ルクレツィアはもうすぐ十八になる。
レッチェアーノでは一人前として認められる年だ。
立派な大人ではあるが、年の離れた妹のように思っていた少女の、夫婦としてのあれやこれやなど聞きたくない。
と、思ったダニーロだったが……ルクレツィアの澄んだ瞳に、自らの勘違いを悟ると、頭を抱えて蹲った。
「ああ、もう。僕、このまま地面に埋まってしまいたい」
一人で忙しなく騒いでいるダニーロを、カルロが不思議そうに見下ろした。
「穴掘ってやろうか?」
あ、これ本気で埋められる、と本能で察したダニーロは即座に立ち上がる。
「あ、いえ、結構です!」
「そうか?」
「いや、本当に、お構いなく!」
好意で埋めてやろうとしたのに、即座に断る情緒不安定な人間がカルロには理解できなかった。
「なあ、ルクレツィア。この人間、大丈夫か?」
カルロは困ったように傍らに立つルクレツィアを見やった。
すると、彼女は昔を思い出しているかのような、柔らかな表情で頷く。
「ええ。まあ、ダニーロですから」
「ふーん? よく分からないけど……ルクレツィアが楽しいなら、まあ、いいか」
「ええ。それでは、そろそろ屋敷の中へ参りましょう」
旧知の人々との再会のほかにも、ダニーロが死にかけたり、一人で騒いでいたり、悶えてみたりと色々あった。
主にダニーロが一人で騒いでいたような気もするが、無事に収集がついたところで、一同は屋敷へと入ることにしたのだった。




