表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/87

第六十三話 祖国の異変3

 ――日の光を最後にこの目で見たのは、いつのことだったのか。

 気づけば、夜がレッチェアーノを侵食しつつあった。

 襲い来る、死んだはずの人間からの襲撃を防ぎつつ、彼らが去った後は泥のように眠る。

 動く死体たちは夜明けとともに去るが、ここ最近は昼間の時間がひどく短く感じていた。

 ついに、夜明けが訪れなくなって、絶望がひたひたと忍び寄る。

 それはガブリーニ公爵家領地も同じ事であった。

 境地内の生き残った民には、公爵家の砦に集まるよう呼びかけてはいるものの、地より現れる異形にはばまれる。

 頼みの綱である、ホフレ=リストスキーは、いの一番に王都へと召喚された。


「ぐっ……隊長! いったん引き返しましょう!」


 公爵家領地に駐留している兵士で編成された、領民救出部隊の一人が、動く死体に圧倒されて叫ぶ。

 押しのけても、切りつけても、ひるまず向かって来る敵は、それだけで恐怖の対象となる。

 腐りかけの腕や、何本か歯の抜けた口で噛み付いてくる、死者たちを振りほどくのは至難の業だ。


「あと少しだというのに!」


 日に日に数を増す、動く死者たち。

 兵士たちの中から犠牲は出ていないが、無理に突破しようとすれば、それも危うい。

 ホフレに鍛えられた屈強な筋肉も、数の暴力と長引く戦いに疲弊ひへいしつつあった。


「諦めるしか、ないのか」


 家の木戸を閉じ、中から助けを呼ぶ子供の声。

 すぐそこであるのに、あと僅か、たどり着けない。

 実際に戦場に出たことなど、ほとんどない兵士たち。

 彼らがこれほど自らの無力を痛感したのは、初めてのことであった。

 手にした長槍で死者どもを振り切ろうとしても、体力を奪われるばかり。

 ぎり、と奥歯を噛みしめて、駐隊長が撤退を指示しようとした時、それは起こった。


「なんだ!? 急に光が……空を見ろッ!?」


 空を覆う巨大な光の環。

 白銀の魔術陣が、領地の上空に描かれ、月光を思わせる明けき光が地を満たす。

 地には、炎を思わせる赤色の陣が奔り、ひしめく動く死体どもを、瞬時に灰にした。

 光が去った後に残るのは、光射さぬ闇と、静寂のみ。

 彼らのたいまつの明かりが届く範囲には、動く死体は見当たらない。

 脅威が去ったのか、判断しかねて辺りを伺う兵士たち。

 彼らの視界の中、銀と赤の光が歩いてくる。


「あれは、いったい……?」


 近づくにしたがって、それが人間であることがわかる。

 腐臭はなく、見目麗しい男女一組。

 駐隊長は、その白銀に見覚えがある気がした。

 魔力を纏って輝く銀髪。

 強い意志を宿した、紫水晶の瞳。

 見た目は華麗な姫であるのに、ぴんと背筋を伸ばし前を見据える立ち姿は、戦いを知る者のそれである。


「公爵令嬢、ルクレツィア=ガブリーニさま!?」


 まるで、名の知れた武将を呼ぶように、自分の名を呼ぶ懐かしき知人。

 ルクレツィアは知らず、笑みこぼした。


「公爵令嬢は辞めましたの。今のわたくしは、ただのルクレツィアでしてよ」


 年の頃は40代後半と言ったところか。

 彼女は記憶にあるそれよりも、年を経た駐隊長を見上げて、懐かしい記憶に思いをはせた。


「そうでしたな。いやしかし、美しくなられた。……国を出た経緯は聞いております」


 彼の瞳は、真っ直ぐにルクレツィアを見つめている。

 委細は口にしないものの、幼き頃より知る公爵令嬢を旧知の兵たちが疑うことはなかった。

 その上で駐隊長は問いかける。


「なぜこの国に戻られたのですか?」


「家族が心配になりまして。父は今領地に?」


「なるほど。ルクレツィアさまも、人の子でしたな。公爵閣下は、王都にいらっしゃいます」


「まあ、あなたも言うようになりましたわね! ……外からの侵入はわたくしの結界で押さえ、地より湧き出る死者はカルロが燃やします。今のうちに、取り残されている住人を屋敷に集めましょう」


 彼女の言葉に兵士たちがざわめく。

 あれだけ苦戦した死者たちを、たちどころに消し去ったとの言葉を信じてよいのか、困惑しているようだ。

 入隊して日が浅いものは、ルクレツィアの言葉を信じてよいのか躊躇ちゅうちょしている。

 古くから仕えている兵士は、大きくなった彼女の成長を感慨深げに眺めていた。


「ぼやっと突っ立ってるんじゃねえッ!! お前ら、急げ! 今のうちに、避難を完了させろ!」


 駐隊長に蹴りつけられて、兵たちは家々に散開する。

 今しかない、という焦りもあってか、住人達の避難は驚くほど早く済んだ。

 結界を張っている間、ルクレツィアは他の魔術陣を編むことはできない。

 維持するだけで精いっぱいなのである。


「俺が結界代わろうか?」


「わたくしには、湧き出る死者を灰にすることができませんもの。それにカルロのような目もありません」


「ああ。人間は目の前しか見えないんだったな。忘れてた」


「カルロの目はいったいどうなっておりますの?」


「過去や未来は見えないけど、現在世界で起こっていることならなんだって見えるんだ」


「その調子でレッチェアーノの死体を全部燃やせませんか?」


「うーん、どうだろうな。俺はルクレツィアみたいに、細かいの得意じゃねーから、うっかり生きてるのも燃やすかも」


「手先は器用なのに、魔力はなんでそう大雑把なんですの」


「俺の魔力の性質だな。一気に燃え上がるが、安定はしねーんだ」


 話しながら、二人は公爵家の敷地へ入った。

 門の中の並木道には、道沿いにかがり火が焚かれている。

 墓地から遠いせいか、下に死体が埋まっていないのか。理由は不明だが、ここには死者がわき出ることがないようだ。

 鉄の大門が閉じられたのを確認して、二人は魔術陣を霧散させる。


「おい! ダニーロ! お嬢さまのご帰還だぞ!!」


 駐隊長が声を上げると、わらわらと兵たちが寄ってくる。

 暗がりでは分からなかったが、兵士たちは最後に会った時より、逞しくなっていた。

 筋骨が隆々としており、妙に黒光りしているのだ。


「あの、どうしてみなさん、より黒くなっておりますの?」


「リストスキー大将軍閣下に鍛えられた我らが筋肉、いかがでしょうか?」


 兵たちがそろって、筋肉を誇張するような独特の姿勢を取る。


「えぇ……と? 筋肉が凄いのは分かりましたが、なぜてかてかと艶みを帯びているのでしょうか。油でも塗っているかのようです」


「肌を焼き、手入れ用の油を塗った方が良いと閣下がおっしゃったので!」


 言いながら、また別の姿勢を取って兵士が言う。黒光りしているのは日焼けだけではなく、風呂に入って(あか)を落とす暇もないくらい働きづめであったからである。けれど、兵士達はルクレツィアにそれを告げることなく、快活に笑って見せた。


「疲弊しているかと思いましたが、存外元気そうですわね」


「いいえ! お嬢さまのご帰還とあって、最後の気力を振り絞っております!」


 最後の気力を、こんなところで使うなんて!?

 ぴしゃりと額を叩くルクレツィア。

 兵士たちの脳まで筋肉になってしまったのではなかろうかと、彼女は心配になった。


「お久しぶりですね。お嬢さま」


 黒々とした兵士たちの間から、現れた兵士。彼もいくらか薄汚れてはいたが、他と比較すると色白に見える。

 年の頃は二十代後半と言ったところか。

 青みがかった灰色の髪と瞳。上背(うわぜい)があるため細身に見えるが、よく見ればそれなりに鍛えられた体つきをしていた。


「ダニーロ!?」


「はい。お嬢さまもすっかり大人になりましたね。どこからどう見ても麗しの貴婦人なんですけどー……やっぱり、中身はあの、お嬢さまなんですよね」


 にこにこと笑みを浮かべながら、そこはかとなく失礼なことを言うダニーロ。

 懐かしくもいらだたしい彼の態度に、ルクレツィアはすっと瞳を細めた。


「相変わらず失礼な方ですわね! あなたは肌を焼かなかったのですか?」


「日に焼けても肌が赤くなるだけで、僕は焼けなかったんですよねえ」


「それは残念でしたわね。ああ、そうでした。ダニーロ、紹介いたします」


 和やかな会話を交わしながら、ルクレツィアはカルロを視線で招いた。


「紹介いたします。夫のカルロです」


「夫ォッ!?」


 カルロが何か言うより早く、ダニーロが叫んだ。

 両手をほおにあて、口を大きく開いた状況で硬直している。


「えっ? あの、ダニーロ?」


 ルクレツィアの呼びかけに硬直がとけたダニーロは、ばっと顔をあげて、カルロに掴みかかった。


「なんだこの人間? なにしてんの?」


 きょとんとした表情でダニーロを見下ろしながら、カルロはルクレツィアに問いかけた。

 ダニーロなど、歯牙にもかけていない。

 それが兵士としての誇りを傷つけたのか、ダニーロは歯噛みする。


「くっ……このことを、公爵閣下と、リストスキー大将軍はご存じなのですか?」


 カルロの服から手を離して、ダニーロはルクレツィアを見やった。


「まだ正式には、伝えてませんけれど」


「わかりました」


 何がわかったというのか。

 勝手に何事かを決意したらしいダニーロは、拳を構えた。

 彼の視線は真っ直ぐカルロを見つめている。

 ただの人間が、拳一つでカルロに向かっていくなど、想定外すぎてルクレツィアは唖然あぜんとした。


「不本意ではありますが、致し方ありません。お嬢さまに相応しい男であるか、僕が確かめぶへらッ!?」


 ダニーロは殴りかかった直後、空を飛んでいた。


「――はっ!? カルロ! 殺さないでください!!」


「はいはい」


 軽い返事の後、赤い燐光が煌めき、ダニーロはふわりと地面に着地した。

 ルクレツィアは慌ててダニーロに駆け寄って、彼の無事を確かめる。


「僕、いま空を飛んでませんでした!?」


「ええ。飛んでいました」


「死んだかと思いました」


「ええ。死んでたでしょうね。カルロが治さなかったら、ですが」


「恐ろしく強いですね。僕もだいぶ強くなったはずですが、もう一度やっても勝てる気がしません」


「カルロは竜ですから。……そもそも挑むこと自体が無謀だと思うのですけれど」


「リュウ?」


「ミルトーネに居た赤竜です」


「って、竜ですかッ!?……ミルトーネの竜は冒険者ルーシーとして、お嬢さまが殺したはずでは?」


「殺してません! 大体なんであんな無茶なことを? ダニーロはもっと、慎重な人だと思ってましたけど」


「リストスキー大将軍の代わりに見定めようと思ったのですが、強くなったと慢心まんしんしていたようです。まだまだですね、僕も」


「ダニーロ……慢心するのは構いませんが、相手が悪いと命とりですわよ。それで、まだ夫に向かっていくつもりですか?」


 残念なものを見るようにいうルクレツィア。

 憐れみまじりの視線を受け、既視感を感じつつも、ダニーロは高速で首を横に振った。


「いえ、すみません。まだ死にたくないです。慢心で竜にくびり殺されるとか、そんな死に方嫌です」


「では、夫に謝って下さい」


「すみませんでしたアァァァーーッ!!」


 地面に頭を打ち付けそうな勢いで、ダニーロがひざを折り、頭を下げる。

 謝罪を受けたカルロの方は、軽い調子であっさりと頷いた。


「おう。治すのめんどくせーし、次は殺すから」


「アッハイ。本当にすいませんでしたッ!!」


 ダニーロの見事な掌返しをみるのも、随分久しぶりだった。

 外見は随分と逞しくなったが、中身はあまり変わっていないようである。

 懐かしいやり取りに、ルクレツィアは小さく微笑んだ。


「気持ちは分かりますけれど、わたくしの友を殺すのはどうかしらね。――カルロ?」


「うん。あれは冗談だ」


 微笑む嫁の問いかけへ、妙にきりっとした表情でカルロが答える。

 表情を作り過ぎて、逆に胡散臭い。

 彼の言葉を信じているのは、ルクレツィアくらいのものだろう。


「すごい。竜を尻に敷くなんて。お嬢さま、どれだけ強くなったんですか」


 口を大きく開けたダニーロが、カルロを横目に伺う。


「しりにしく? 乗るってことか?」


 聞きなれない言葉を咀嚼そしゃくするように、カルロが首を傾げた。

 ルクレツィアは素直に頷いて肯定する。


「カルロに乗るのはとっても気持ち」


「わあああ! 僕、身内のそんなこと聞きたくないんですってば!」


「あら。ダニーロは高いところが苦手なのですか?」


「はあっ?」


「カルロと共に風を切って飛ぶのは、とても気持ちが良いのです。ダニーロも乗せて貰えばわかるはずですわ」


「へっ?」


「えっ?」


 ルクレツィアとダニーロはしばし顔を見合わせる。

 ルクレツィアはもうすぐ十八になる。

 レッチェアーノでは一人前として認められる年だ。

 立派な大人ではあるが、年の離れた妹のように思っていた少女の、夫婦としてのあれやこれやなど聞きたくない。

 と、思ったダニーロだったが……ルクレツィアの澄んだ瞳に、自らの勘違いを悟ると、頭を抱えてうずくまった。


「ああ、もう。僕、このまま地面に埋まってしまいたい」


 一人で忙しなく騒いでいるダニーロを、カルロが不思議そうに見下ろした。


「穴掘ってやろうか?」


 あ、これ本気で埋められる、と本能で察したダニーロは即座に立ち上がる。


「あ、いえ、結構です!」


「そうか?」


「いや、本当に、お構いなく!」


 好意で埋めてやろうとしたのに、即座に断る情緒不安定な人間がカルロには理解できなかった。


「なあ、ルクレツィア。この人間、大丈夫か?」


 カルロは困ったように傍らに立つルクレツィアを見やった。

 すると、彼女は昔を思い出しているかのような、柔らかな表情で頷く。


「ええ。まあ、ダニーロですから」


「ふーん? よく分からないけど……ルクレツィアが楽しいなら、まあ、いいか」


「ええ。それでは、そろそろ屋敷の中へ参りましょう」


 旧知の人々との再会のほかにも、ダニーロが死にかけたり、一人で騒いでいたり、悶えてみたりと色々あった。

 主にダニーロが一人で騒いでいたような気もするが、無事に収集がついたところで、一同は屋敷へと入ることにしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ