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第六十一話 祖国の異変1

 枯れ果てた荒れ地の、果てにある森。

 鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々の先には、竜の居城があった。

 森の中心地、少しせり上がった小高い丘に建てられた白亜の城には、白銀の魔術師と赤竜が住んでいる。

 彼らの日課は中庭の白いテーブルで、茶を飲み交わす事である。

 カルロの魔力で年月関係なく咲き乱れる花に囲まれた中庭。

 そこで、茶と菓子を楽しむ時間がルクレツィアにとって至福の時間であった。

 アルシエロの冒険者ギルドや第二王子であるニコラ、隣国の帝王であるファンからの依頼を受け、仕事に明け暮れる日々も悪くない。

 けれど、カルロとこうして、のんびりとお茶をする時間は何にも代えがたいと彼女は思っていた。

 それはカルロも同じだった。

 彼は彼女と同じくらい、あるいはそれ以上に、この時間を大事に思っている。

 カルロが敷地の一角で、大事に育てて作ったお茶を飲み、調理した茶菓子を口にするルクレツィアの姿は最高に愛らしい。

 彼女がまだレッチェアーノで過ごしていた頃、学園や所用でそばに居れない間に、カルロは世界中の食品を研究していた。

 移動して後も、日夜ルクレツィアが好む風味の美容と健康にもよい食品を研究・作成するのに勤しんでいるカルロ。

 ルクレツィアが目の前で食しているのを見ると、彼の喜びもひとしおであった。

 本当はカップを口元まで運び、茶菓子をこの手で食べさせたかったが、この年頃の人間はあまり世話を焼きすぎるのを嫌がると本で読んで断念。

 ルクレツィアがお菓子をつまもうと手を伸ばすたびに、カルロは動きそうになる手を押さえるのが大変だった。

 ――真っ青な空の下、燦々と輝く太陽の光を浴びた銀髪が、風を受けて靡く。

 紫水晶の瞳を飾る長いまつげの動き、艶やかな赤い唇が次はどんな言葉を紡ぐのか、一挙一動に目が離せない。


「……なあ、ルクレツィア。いま、幸せか?」


「随分いきなりですけれど、まぁいつもの事ですわね。当然、幸せに決まっています」


 花のジャムを練りこんだ小さな焼き菓子を手にしたルクレツィア。

 彼女は視線を菓子からカルロに移して答えると、上品に菓子を口にする。

 美味しいと、言葉に出さずとも下がった目じりと緩んだ頬がそういっていた。


「そうか。うん、俺も幸せだ」


「ふふふ。それは良かったです」


 ころころと笑うルクレツィアにカルロは頬を緩めた。


「人間は小さくて、弱い。いつ死ぬかも分からない生き物を嫁にするなんて、凄く怖かった。けど、こうしてルクレツィアがそばに居ると、とても幸せなんだ」


「あら、随分な言いようですわね。それを言うなら、竜の旦那さまだって大概だと思いますわよ」


旦那さま、ルクレツィアが口にした言葉に、カルロの心は浮き立ち、世界が輝く――!!


「もう一度!」


「竜の旦那さまだって」


「もう一回!」


「いやですわ、もう! 冗談もいい加減になさいませ。夫だって、なんども紹介したことがあるでしょう!」


「直接言われたことはない! なんつーか、すげー破壊力! だから、もう一回呼んでくれ!」


「旦那さま! これでいいのでしょう!? わたくしをからかうだなんて、カルロくらいのものでしてよ……!」


 半ばやけくそ気味に紡がれる言葉。

 頬を赤らめて怒りをあらわにする彼女が、とんでもなく可愛い生き物に思えて、カルロは心臓が止まりそうになった。

 ヤバいこれ、俺、愛する嫁さんに息の根を止められるかも!

 テーブルにうち伏せて悶絶するカルロの頭を心配げに見下ろして、しかし、奇行はいつもの事だと思い直す。

 そうしてルクレツィアは火照る頬を冷ますために、すっかり冷えた紅茶を飲み下したのだった。


 そんな、いつもと変わらぬ麗らかな昼下がり、それは急にやってきた。

 アルシエロの宮殿からの、急ぎの呼び出し。

 素早く身支度を整えて二人が宮殿に転移すると、すぐに謁見の間まで通される。

 いつもは薄絹の奥で謁見するニコラだが、この日ばかりは違った。

 薄衣は全て開かれ、腰かける敷き布の近くまで寄るよう、二人は手招かれる。


「この際、王族への礼とか、そういうのいいから。もっと近くに」


 挨拶もそこそこに、待ち構えていたニコラが緊張した面持ちで、二人に書簡を渡した。


「レッチェアーノの国王陛下からの依頼だ。どうするかは、二人に任せる」


 書簡の内容は簡素だった。

 ルクレツィアへの謝罪も、時候の挨拶すらない。

 依頼したい仕事があるので、至急王都へ来られたし、との内容。


「パメラという令嬢からの手紙も別口で送られてきている。悪いけど、先に内容を確認させてもらったから」


「かまいません。それで、どういった内容でしょうか?」


「それがねえ。レッチェアーノの夜から月が消え、夜な夜な死者が蘇って生者を喰らっているらしいよ。しかも、それはルクレツィア、君の呪いによるものだと噂されているとか」


 ニコラは呆れてものも言えないとばかりに、ひらりと手を振って息を零す。


「なんですって!?」


 思わず叫ぶルクレツィアを宥めようと、ニコラは肘掛から身を乗り出した。

 物憂げな薄茶色の瞳でしかと彼女の目を見つめて、慎重に言葉を紡ぐ。


「僕はもちろん、そんな噂信じちゃいない。けれど、調べたところによると、レッチェアーノとサルダの国境でも同じ現象が起きつつあるらしい。徐々に広がっていることを考えると、いずれこのアルシエロでも被害がでるかもね」


 ニコラの言葉に深い呼吸を繰り返し、気を落ち着かせると彼女は生唾を飲み込んだ。


「それで、この呼び出しですか」


「そう」


「お話は理解しましたが、レッチェアーノ王国からの依頼はお断りいたします」


「……まあ、そうだよねえ」


 当然だとばかりに、ニコラは訳知り顔で彼女の言葉を肯定する。

 そんな彼にルクレツィアは顔を上げ、あえてしっかりとした口調で尋ねた。


「それでは、わたくしたちはすぐにでも旅立とうと思うのですが、かまいませんか?」


「うん? 断るんでしょう?」


 言葉の意味を量りかねて聞き返すニコラに、ルクレツィアは強く頷く。


「ええ。けれど、わたくしは、わたくしの意志で戻るのです」


 確固たる意志を秘めた紫水晶の瞳を向けられ、ニコラの肌が知らず粟立つ。


「君を、裏切った国に?」


 彼の喉から出た言葉は、緊張のあまりかすれていた。

 その言葉は、彼女にとって決して心地よい響きじゃないと知っていたからだ。

 避けていた言葉をあえて告げたのは、彼女の真意を測るため。


「わたくしが濡れ衣を着せられたことと、国に戻ることは別の問題です」


 けれど、ルクレツィアの瞳は揺るがない。

 真っ直ぐな瞳で、国が彼女にした仕打ちと、彼女がとる行動は全く関係ないのだと、言い切った。

 いつかどこかでみた、兄――サウロの瞳と重なって、動揺させられたのはニコラの方であった。


「そうかな?」


「……あの国にいる、家族と大事な人達を見捨てるわけにはまいりませんから」


「家族って。ルクレツィアは除籍されたんだろう?」


「けれど、この身にはガブリーニの血が流れており、心も共に在ります」


 いつかどこかの世界で父がそうしてくれたように、今度は彼女が父と家族を救う番だ。

 ルクレツィアにとっては、レッチェアーノはこの際どうでも良かった。

 こうなったら彼女は何と言われても引かない。

 それを熟知していたニコラは、諦めるように短く息を吐いた。


「止めても聞かないんだろうねえ」


「アルシエロもその方が良いでしょう」


「うん、王族としてはそう思うよ。けれど、僕個人としては、何とも面白くないね」


 年相応に不快を顔に表すニコラに、ルクレツィアが目を見開く。


「あら珍しい。ニコラさまがそのように感情を表に出すなど」


「僕だって人間だし、感情だってある。君たち二人には本当に感謝しているんだ。だからこそ、レッチェアーノの国王の思惑通り動くのを見ていると、ね」


「あちらの思い通りにいくかはわかりませんよ。わたくしは、わたくしの成したいことを成すために、行くだけですもの」


 すっと背を伸ばした、麗しき美女。

 か弱き花のようにみえるが、内に秘めたるは鋼鉄の意志。

 彼女の中には折れぬ芯が一本通っており、何人たりともそれを曲げることは叶わぬ。

 ニコラは彼女を引き留める言葉を脳内でいくつもめぐらせては、消した。


「……君は、女性にしておくには惜しいほどの傑物けつぶつだね。ああ、でも、その美貌で男だというのも実に残念ではあるなあ」


 妻に出来ないなら、いっそ右腕にしたかった。

 などと、ありもしない空想に意識を飛ばすニコラ。

 どうやら此度こたびの件に、彼もだいぶ混乱しているようだ。


「いったい何の話ですの?」


 訝しげな表情でニコラを伺うルクレツィアに、彼はひらりと手を振った。


「なんでもないよ。ま、アルシエロのことは気にせず、好きなように暴れておいで。君たちの城がある地域は、これより、国有地から外す。つまり、君たちはどこの国にも所属しない、自由な冒険者だ」


「では、あの地は……」


「実をいうと、アルシエロとサルダは君らの土地への不可侵をだいぶ前に結んでいたんだ。例え、遠き海を越えてレッチェアーノが攻めてきたとしても、君らならばなんとかなるだろう」


「国を相手取って勝利するなどとは。さすがに過分な評価かと思いますが、お気持ちはありがたく頂戴いたします」


「ああ、そうだ。これを君に預けよう」


 ニコラは青い石の耳飾りを左耳から外して、ルクレツィアに預けた。

 アルシエロでは、つけている耳飾りの片割れを渡すことに大きな意味がある。

 左の耳飾りをもつ者の言葉は、右の片割れをもつ者本人の言葉として受け止めよ、との意味である。

 ルクレツィアはその意味を理解して、預かった耳飾りを左耳に飾った。


「我が国の習慣を学んでいるようだな。我が兄サウロは今、レッチェアーノにいる。その耳飾りを見せて頼めば、きっと君に協力してくれることだろう」


「ニコラさまの兄君ですか」


「うん。砂色の髪の熊のような大男だよ。君、何度か出会っているでしょう?」


「ええ、まあ」


「こうと決めたら一直線というか。人の話を聞かない人だけど、腕は本物だからね」


「かなりしぶとい方だということは、存じております」


「あはは。言うね。あ、そうだ。もし、兄に会ったら、一度アルシエロに帰るように伝えてくれると助かるんだけど」


「わかりました。お会いしたら、必ずお伝えいたします」


「それじゃあ、気を付けて行っておいで」


「はい。行ってまいります」


 ちょっとお使いに言って来るかのような、気軽な挨拶の後、ニコラは二人を宮殿から送り出した。


「無事に帰ってくるんだよ」


 二人の姿が完全に見えなくなってから、ニコラはぽつりとつぶやいた。

 彼が心を許した人間は、みな、彼のもとを去ってしまう。

 彼の兄がそうだった。

 あの二人は再びこの、枯れ果てた大地へ、ニコラの元へ戻ってくるだろうか。

 死者が戻るなど、アルシエロの古い歴史書にも一切記述がないほどの異常事態である。

 此度の依頼文を読み返せば、読み返すほど、嫌な臭いを感じてニコラは顔を顰めた。

 待つしかできない己の身をいらだたしく感じたのは、一度や二度ではない。

 けれど、自分のような役割をこなす人間も必要なのだと、自らに言い聞かせ、彼は謁見の間を後にした。


「引き続き、レッチェアーノの情報を集めよ。それと、二人が戻った際には、すぐに私に知らせろ。いいな?」


「かしこまりました」


 侍従に言い聞かせ、彼は彼のやるべきことをやるために、執務室へ向かうのだった。

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