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第六十話 珍王事変5

「不届きな臣下どものせいで、怖い思いをしたな。ファンおじさんが来たからには、安心するがよい」


 太く、大きな掌が、少年の黒髪をさらりと撫でる。

 ファンには分かっていた。

 王族としては凡庸な自分を傀儡にしようと目論んでいた者が、今度は幼いセイに目を付けたのだと。

 ファンは王座についてまだ日が浅かったが、それでも自分なりに国を思い、政務をこなしたつもりである。

 けれど、一部の臣下にとっては、自分で考え、執務をこなす彼が目障りであったようだ。


「――朕はサルダの帝王、ファンである! 異を唱える者は、前へでるがよい! この手で処罰してくれようぞッ!!」


 ファンの怒声と同時に、金と銀の光がほどばしる。

 光と同時に、彼を取り押さえようと纏わりついていた兵士たちが、壁に叩きつけられた。

 帝王の怒りによって、兵たちが弾き飛ばされたような光景に、玉座の間の人々がざわめく。


「フージン。朕の怒りを受ける覚悟は、出来ておるな?」


 派手な黄金を身にまとった体が、ひどく大きく映る。

 その姿、正しく帝王といった風貌であった。

 財務を取りまとめる大臣であるフージンは、ファンよりもずっと細い体を頼りなくふらつかせた。


「まずは、宰相であるヨウを開放せよ。それと、汝らに反対した将軍たちもだ。おおかた、地下牢か領地に封じておるのだろう」


 しん、と静まり返る玉座の間にファンの朗々たる声が響く。

 最後の悪あがきをしようと、剣を構える兵たちをけん制するように、金と銀の魔力を纏った風が吹き荒れる。その風に手元を強かに打ちつけられた兵士たちは、次々と手にしていた武器を床に落とした。

 魔力の主である、ルクレツィアとカルロは視線を交わしあって微笑む。


「ここは、もう、大丈夫なようですわね」


「おう」


「にしても、カルロ。あなたの魔力は赤色かと思いましたけれど」


「ルクレツィアの魔力と混ざると金色になるみたいだ。俺も初めて知ったよ。ま、俺の魔力は気持ち重ねた程度だけどな」


 二人はこれにて、お役御免というわけだ。

 謀反をたくらんだ者たちは、牢へと収容され、反対に忠を尽くそうとしたもの達が解放される。

 入れ替わる人々の悲喜こもごもを見守る二人。

 彼らにファンが話しかける。


(なんじ)らにも、世話になったの」


「……こういう結末になるのは、想定外でした」


「どういう意味じゃ?」


「自分をおとしいれて殺そうとした場所に戻るなど、狂気の沙汰です」


 自身の身に起きたことを思い出しながら、なんとも言えない表情で告げるルクレツィア。

 彼女はファンが意地や見栄、復讐のために戻ったのではないと悟ったのだ。

 そうあることが当然のごとく、奪われた玉座に戻り、役割を果たそうとしているファンの真意をルクレツィアは知りたいと思った。


「朕は帝王である! 例え民から忘れられていようと、臣下に弑逆(しいぎゃく)されかけようと、それは変わらぬ。兄弟たちが死んで、この頭に冠を被った時より、覚悟はできておる」


 対するファンの答えは単純かつ明確なものであった。

 王となると決めたときより、彼は王として生き、死ぬ覚悟をしていたのだろう。

 だからこそ、みっともなく生にしがみつき、最後まで己の役割を果たすために戻った。

 それが彼の王としての生き様なのだろう。

 ルクレツィアはファンを眩しげに見やった後、自身の未熟さを恥じた。


「わたくしは、あなたという人物をあなどっていたようですわね」


 ルクレツィアの変化に気づきつつも、ファンはあえて触れずにゆるりと頷く。 


「よい。侮られるのには慣れておる」


「いいえ。良くありません。謝罪いたします」


 誠心誠意をこめて頭を下げるルクレツィア。

 その姿勢に瞳を細めて、ファンは朗らかな笑みを浮かべた。


「うむ。許すぞ。その上で、汝らに礼をしたいのだが、朕の臣下としてサルダに仕える気はないか?」


「……光栄ですが、すみません。わたくしは、どこの国にも仕えるつもりはありません」


「そうか。ならば友人として、礼をさせてくれんか」


「では、お願い事ができましたら、お伺いさせていただこうかと思います」


「欲がないのう。では、カルロにはリィンを」


 ファンが視線で示すと、一人の女性がカルロの前に歩み出た。

 年の頃はルクレツィアと同じくらいであろうか。

 衣擦れの音とともに、長衣の裾からめられた香が漂う。

 長く豊かな黒髪を艶やかに結い上げた女性は、淑やかにまぶたを伏せている。


「リィンは一応、朕の妃であるが手は出しておらぬ。父親とそう年の変わらぬ、朕の妻にしておくには惜しいくらいの器量よしである。よければ、もろうてやってはくれんか」


 リィンと呼ばれた女性のまつ毛が、小さく震える。

 彼女はか細い声で、ファンの言葉を首肯した。


「それが、ファンさまの望みならば。……カルロさま、リィンと申します。どうか、可愛がってくださいまし」


 頭飾りを涼やかに鳴らしながら、すっと頭を下げるリィン。

 カルロはそんな彼女に首を傾げた。

 意味を量りかねているのか、彼はリィンとファンを交互に眺めた。

 ファンは心得ていると言わんばかりに、彼に頷き返す。


「――目の前で浮気を斡旋するとは、いい度胸ですわね」


 玉座の間の、体感温度が瞬時に低下した。

 木板の張られた床に、薄く霜が張る。

 視界の端で、月の魔力が爆ぜるのを見ながら、ファンが身を震わせた。


「お、夫の浮気を広い心で受け止めるのも、妻の度量であろう!?」


 両掌を向けてルクレツィアをなだめようとするファンだったが、彼女にじろりとにらまれて息をのんだ。


「自分の目の前で夫を浮気させるような、情けない妻になった覚えはありませんの。……わたくしの制裁は、かなりキツくてよ」


 冷ややかに笑みながら、床板を凍らせるルクレツィア。 


「なんか、よくわかんねーんだけどさ。俺は嫁さん以外に興味ないし。礼に人間をもらっても、困るんだけど」


「……本当ですか? カルロが人になじんでくれるのは喜ばしいことですが、悪習に染まってもらっては困ります。本当に、浮気心を持たなかったと、誓えますか?」


 愛してくれる夫の浮気心を問うなんて、妻としては失格だ。

 けれどルクレツィアは、竜という生物の生態の全てを知っているわけではない。

 カルロが人間のように心変わりをすることがあるのかどうか、彼女はずっと気になっていた。

 知ったところで何が変わるわけでもないが、教えてくれるのならば知りたい。

 これを機に詳しく尋ねる彼女へカルロは数回瞬きした後、小さく笑った。


「多くを愛する人間と一緒にするなって。俺らは人間みたいに器用じゃねーの」


 浮気心を疑われたのは心外である。

 しかしこうして臆することなく、真っ直ぐに自分を見つめようとする妻が、カルロは大好きだった。


「あら。カルロは器用ではないですか。料理も上手ですし、服や家具なども簡単に作ってしまえますもの」


 カルロの緩い返事を受けてルクレツィアも小さく笑い返すと、更なる答えを求めて言葉をつづけた。


「その辺は、見れば分かるだろ。誰にでもできる事だ。嫁さんの身の回りのものを整えるのは、伴侶である俺の役目だからな」


 突っかかるルクレツィアと飄々(ひょうひょう)と言い返すカルロ。

 二人にとってはじゃれあいのようなやり取りだが、見ている者たちは緊張した面持ちでそれを見守っている。


「あ。あの……」


 二人の間に挟まれているリィンは、身の置き場がなくて困惑していた。


「まあまあ、二人とも。朕が悪かった。リィンもこのまま朕の妻として一生を終えるのが、不憫でな。カルロのように、美しく強い男について行く方が良いかと思うたまでよ」


 ため息とともに紡がれた言葉に、リィンの口角が下がる。

 その、悲しげな表情を見て、ルクレツィアはこめかみを押さえた。


「お二人は、良く話し合った方が良いのではなくて? 互いを想いあってすれ違うよりも、もっと良い結末があるはずです」


 放っていた魔力を身の内に収めると、彼女は身をかがめてリィンの顔を覗き込む。

 大振りの白い花のように清楚で、しかし、大人の色香を含んだかんばせ

 ルクレツィアの怒りを恐れて怯えるリィンに、彼女は強気な表情で微笑みかける。


「あなたも。思っていることは、ちゃんと伝えなさい」


「あなたさまは、そうなされたのでしょうか?」


「ええ。だから、あなたもそうなさい。ファンはずいぶんと変わった方のようですが、悪い人間ではないようです」


「はい」


 微笑んで頷きあう、二人の女性。

 晴れやかな表情で顔を上げるリィンに、ファンも安心したように目じりを下げた。


「ファンさま、お慕いしております」


 ずっと内に秘めていた言葉は、リィンの口からするりと出てくる。


わたくしのような小娘では、不足なのは承知しております。それでも……私は、あなたさまをお慕いしております」


 リィンの告白を受け、ファンはごふりとむせて両手を激しく左右にふった。


「むほっ!? まてまてまて、なぜだ! お前は朕を(いと)うておったはずであろ!?」


「初めはそうでした。生家より命じられて嫁がされ、不敬にも不満を感じておりました」


 年若い娘が父親ほどの年の男へ嫁ぐだけでもつらかろうに、相手は無能さゆえに存在を忘れられていた者である。

 彼女の不満を薄々察してはいたが、リィンの口から改めて拒絶の言葉を突き付けられ、ファンは重い溜息を吐いた。


「……それは、知っておる」


「けれど、ファンさまはそんな私を思いやって下さりました。必要以上近寄らず、されど、心地よく過ごせるよう心を尽くしてくださった」


 続く思わぬ言葉に、ファンが僅かに口元を緩める。


「朕のせめてもの罪滅ぼしのつもりじゃった。そう、気にするでない」


 出会った当初を思い出すように、苦く笑うファンにリィンは更に言葉を続ける。


「ずっと礼を言いたくて、されど、伝えることも叶わず。いつしか、私の目はあなたさまばかりを追っておりました。私はおろかにも、ファンさまが死んだと聞いて初めて、自分の想いに気づいたのです」


 伏せていた瞼を持ち上げ、見開いた瞳でしっかりとファンを見つめるリィン。

 紡がれた信じられないような言葉に、ファンはしばし自失した。


「……お、おう。そうだったか。ふむ、なるほどな」


 一回りも小さな小娘の勢いに気圧されるように、ファンが一歩後ずさる。

 その顔には血が上り切っているようで、赤く染まり、彼の広い額から汗が流れ落ちた。

 言葉らしきものは紡いでいるものの、ファンの頭の中は真っ白になっていた。


「そ、その件に関しては、後日ゆっくり話し合うとしよう。うむ。それがよい!」


 しどろもどろになりながら、手をばたつかせるファンに、リィンが淑やかに笑みを浮かべる。


「はい。仰せのままに、旦那さま」


「こちらも、丸く収まったようで何よりです」


 微笑ましいやり取りを行う夫妻に、ルクレツィアは機嫌よく口端を持ち上げた。

 彼女の視界の中で、一人の小柄な少年がファンへ歩み寄る。

 セイだ。


「お二人の仲睦まじい様子に安心いたしました。ファン兄上の治世が落ち着くまで、わたくしは国を離れるとしましょう」


 短く切った黒髪をさらりと揺らして、少年はファンの前にひざをついた。

 対するファンは困惑もあらわに、セイの肩に手を置く。


「セイ、何を言っておるのだ?」


「ファン兄上は優しいから、わたくしの方から言わねばと思いました。国を離れて、レッチェアーノの学園とやらに遊学するつもりです。彼の国との友好の懸け橋となるよう、尽力いたします」


「しかし、」


「護衛は連れてゆきますので、ご安心ください」


 畳み掛けるように言葉を続けるセイに、ファンが宙を仰いだ。


「むうん。これはしばらく忙しくなりそうだの」


 これ以上は彼の許容範囲を超えていると言わんばかりである。


「それがあなたの選んだ道なのでしょう? ならば、楽しんだ方が得でしてよ」


 したり顔のルクレツィアに、ファンも腹を揺すって胸を逸らす。


「であるな! おぬしらも、サルダの良き友として、末永く付きおうてくれ」


 明朗な笑みと共に抜け目ない言葉を投げつけてくるファンに、ルクレツィアが眉を跳ね上げる。


「頼むから、嫌とは言うてくれるなよ。朕があっさり死んだら、汝らも少しは夢見が悪かろうて」


 彼女の表情に、ファンは眉尻をしゅんと下げ、路傍(ろぼう)に捨てられた子犬のような瞳を向ける。

 ずいぶんと恰幅の良くて、大きな子犬である。

 ルクレツィアは肩をすくめた。


「先ほどの、帝王然とした人物とは別人のようですわね」


「友の前で威厳を見せつける必要もない。臣下には命を下せばよいが、友には伏して頼むのが礼儀であろ」


 表情を一転させ、茶目っ気たっぷりな表情でファンが笑う。

 彼を相手取るとルクレツィアは、どうにも毒気を抜かれてしまうのだった。


「憎めない方です」


「それが朕の良いところじゃ。カルロも、奥方共々よろしく頼むぞ」


「ん。まあ、気が向いたらな」


「素っ気ないのう」


「言ったろ。元々嫁さん以外興味ないんだ。だから、これでも破格の扱いだ。喜んでいいと思うぜ」


「ほっほ。そうであったな! 汝らはほんに、愉快で素晴らしい夫婦である。朕らも見習わねばなるまいて」


 言って二人に背を向けると、ファンはリィンとセイに付き添われて、玉座に腰かけた。

 どっしりとした巨体にも、玉座はびくともしない。

 城と同じく、金と朱で塗られた玉座に腰かける、黄金の王。

 彼が威厳たっぷりに周囲を見回すと、ぴたりと視線を定める。


「――サルダはいつでも汝らを友として歓迎する。気軽に遊びに来るがよいぞ」


 朗らかなファンの笑顔に見送られて、ルクレツィアとカルロはサルダ帝国を後にした。

 ただの別れではない。

 これが、彼らの始まりである。


 ――史上最速の王座奪還の後、サルダ帝国は黄金期を迎える事となる。

 内政に力を注ぎ、民の信を得て、豊かな国となるよう導いた帝王ファン。

 彼の威光にあやかるべく、以降の帝王は帝位を継いだ後、自らの名の最後にファンとつけるのが習わしとなった。

 国を富ませ、人々に道を示した、伝説の黄金王と。

 その友である、人類最強の麗しき魔術師。

 彼女を妻とする、神代の世より蘇りし、赤き竜の化身。

 三人の伝説を描いた絵画は、彼らが世去った後も、末永く玉座の間に飾られ、逸話と共に受け継がれる。

 後の世に、後を継いだ帝王と、玉座の間を訪れる多くの人々が、彼らの絵画を眺めつづけるのだ。

 そうして人々は、遠き黄金の時代と、そこに生きた英傑たちの武勇に思いをはせるのだった。


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