第五十九話 珍王事変4
サルダ帝国の帝都には、王城へとまっすぐ伸びる一本道がある。
その道沿いに植えられた木に咲く花は、今がまさに見ごろといった風情であった。
咲き競うように満開になった薄紅色の花は、陽光を受けて艶やかな色味を帯びている。
風に踊り、雪のように舞い散る花の中を通れば、別世界にいるような気分になれるだろう。
まさに、絶景である。
しかし、今の帝都にその絶景を味わう余裕はない。
三大国の中央に位置する大国、サルダ帝国の帝都は今まさに、蜂の巣をつついたような騒ぎになっているからだ。
死んだはずのファン故帝王が戻り、今まさに城へとその歩みを進めているというとんでもない話。
その情報が兵士や民衆の間へと瞬く間に広がり、皆を混乱させていた。
「サルダの建物は、木造のものが多いのですね」
言いながら、白銀の魔術師は優雅に足を進める。
彼女が一歩踏み出すたび、殺到する兵士たちが重たい鎧ごと宙を舞う。
薄紅色の花回廊の中、美しくも荒々しく舞い踊る花びらと、景気よく吹き飛んでいくゆく兵士たち。
阿鼻叫喚の騒ぎの中、笑みすら浮かべて陣を紡ぐ彼女は、魔の女王と言った風格を備えている。
後ろに続くのは男二人。
一人は、鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌のよい、赤髪の美丈夫。
もう一人は、のっしのっしと太い脚で地を踏みしめる、ド派手な金色の中年男であった。
「サルダは、水気の多い国でのう、石よりも木の方が風かぬけるので過ごしやすい。おおう、また朕の兵たちが飛んで行ってしもうたぞ」
四方から襲いかかってくる兵たちが、勢いよく飛んでゆくさまを眺め、ファンが空を見上げた。
「あれほど遠く飛ばされたら、星になってしまうのではないか」
あえて「死」という縁起の悪い言葉を避けるファン。
ルクレツィアは小さく笑って、問いかけに答えた。
「ご安心ください。けが人は多いでしょうが、殺しておりません」
ルクレツィアは兵士たちを遠ざけるため、彼らを風の陣で出来るだけ遠くに飛ばしている。
しかし、彼女は帝都の外にも陣を張っており、その陣から発する強風が地より吹き上げるようにしていた。
吹き上げる風が落下時の速度を下げ、着地は緩やかなものとなるだろう。
ファンの希望もあり、兵たちの命は奪わぬよう、ルクレツィアは可能な限り気を配っていた。
全ては余計な犠牲を出さないためであるが、当然ながら彼女の努力は敵に伝わらない。
近づきさえすればこちらのものだと言わんばかりに、各々武器を手に、群がる兵士たち。
「ぬう……そばに寄ることさえできれば!」
「ゆけっ……我々が盾となる!! だからお前が、ぐふっ」
「せ、せんぱアァァァ――ィッ! くっ、先輩方の犠牲を無駄には、へぶっ」
「ヌオォォォォッ、何と卑怯なアァァァ――ッ!!」
派手に吹き飛ばされながら、兵士たちが叫ぶ。
「わたくしに触れれば灰にされますわよ。大人しく飛ばされてなさい」
この場合、正しいのは彼女であるはずなのに、どう見ても帝都を滅ぼしに来た悪役にしか見えない。
「城に帰りたいだけなのだが……朕たち、なんか悪いことをしている気がするのは、気のせいじゃわなあ?」
「ん? あんたを殺そうと、向かってくるやつのが悪いんだ。だから、気のせいじゃね?」
「そうか。うむ、そうだわいなあ! 朕は悪くない!」
「おう! あんたは悪くない!」
ははは、と男二人がのんきに笑っている間に、一行は城門前へとたどり着いた。
襲ってくる兵士たちの中には魔術師もいたが、速度・正確さ・魔力、全てにおいてルクレツィアの方が上回っている。
なにせ、サルダの魔術師が陣を一つ紡いでいる間に、彼女は百の陣を紡ぐのだ。
紡ぎあげるすべての陣を瞬時に相殺され、吹き飛ばされていく魔術師たち。
陣を発動できない魔術師など、一般の兵士よりも使い物にならない。
故に、彼らの出る幕はなかった。狙いを定めている間に、彼女に空高く飛ばされて、出番終了である。
「さあ。開門なさい」
城門前にずらりと立ち並ぶ兵士たちに臆することなく、彼女は告げた。
しかし、兵たちは門を開けるどころかやる気満々で、矛先を三人に向けている。
城門を死守するつもりらしい。
「まさか、一人で城攻めをするはめになるとは思いませんでした」
朱と金で彩られた木製の大門を見上げて、くす、と笑みこぼすルクレツィア。
燐光を放つ銀髪を風になびかせながら更なる陣を紡ごうとする彼女へ、カルロが笑いかける。
「手伝おうか?」
「どう手伝ってくれますの?」
ちら、と振り返って問いかける白銀の魔術師。
対する赤竜の化身の返答は明快だ。
「まとめて吹っ飛ばす」
ゆら、揺らめく太陽の魔力を感じてか、ファンが全身を揺さぶって訴える。
「ひい! 朕の城を吹き飛ばすのだけは勘弁してたもれ!」
「……だそうですわよ」
「はいはい。んじゃ、俺は後方で、愛する嫁さんの活躍を楽しむことにするよ」
肩をすくめてカルロが一歩下がると、大規模な風の魔術陣が起動した。
白銀の風が舞い上がった後、前方の兵士たちがまた一段と景気よく吹き飛んでゆく。
「全員まとめて、城門の外の草原へ飛ばしておきました」
「ふむ。見事じゃ。このような無血開城があろうとは、朕も驚いたぞ。汝は、本当に人間か?」
「どこからどう見ても、人間でしょう。それとも、その小さな眼では分かりませんの?」
人類であるかを疑われて気分を害したルクレツィアが、言葉に毒を含ませる。
ファンは彼女のひと睨みに、視線を逸らしながら小さくつぶやいた。
「まだ、竜だと言われた方が納得いくわい」
「それは光栄ですわね。カルロ。城内に張られた結界を解いてください」
「ん、終わったぞ。ついでに、門も開けとくか」
瞬時に張られた結界を引き裂いて、カルロは城門を灰にした。
いくら木でできているとはいえ、城門は分厚く巨大である。
それを瞬く間に灰にするなど、非常識にもほどがある。
「まて、待て待て待つんじゃああぁぁぁッ!」
城門の灰を追いかけるように右往左往する、金色の中年男性。
ファンの甲高い悲鳴を聞きながらルクレツィアは城の中へと、優雅に足を踏み入れた。
「王家に仇なす不届き者め!」
「不届きものはあなた方の方でしょうに」
場内から蟻のように湧き出てくる兵たちを、転移魔法陣で次から次へと帝都の外へ転送する、ルクレツィア。
はたから見ると、無慈悲な襲撃者が、大勢の兵士を塵も残さず消し去っているように見える。
「ち、朕の兵士たちをどこへやった!?」
「帝都の外へ転移させました」
「おおう。なるほど! 屋内では、空に飛ばせぬものなあ。しかし、値千金の貴重な陣を、惜しげもなく乱発するとは。なんとも、もったいない気がするのう」
「魔術は使ってこそでしてよ」
さらりと言い返すルクレツィアにファンは少し考えて、言葉を噛みしめるように呟いた。
「魔術師も紡がれる陣も貴重ゆえ、そこにばかり目がいっておったが……魔術は使ってこそ、か……至言であるなあ」
「そこまで大した言葉ではないと思うのですが、本当に変わった王さまですわね。それにしても、サルダの城はとてもつくりが細かいのですね」
木造ではあるが、滅多に見ないほどの太く立派な丸太が使われており、柱や天井の彫り物は非常に繊細だ。
それらは金や赤などで彩られてあり、色目の濃い木に映えて人目を引く。
建物全体がまるで一つの芸術品のようであった。
「美しかろう。この城はサルダの誇る宝の一つじゃて」
目の前で消えていく兵たちの悲壮な表情から目を逸らしつつ、ファンは場内を見回した。
古い木と、焚き染められた香木の香りが懐かしい城内。
隠し扉、天井、床下、どこからそんなに湧いてくるのかというほど、次から次へと現れる兵士たち。
当初思っていたのとは違ってはいたが、ある意味、熱烈な歓迎を受けて、ファンはおよび腰である。
「こんな騒ぎになるとはなあ。朕は無事玉座に戻れるのであろうか」
彼の視線の先には、魚の泳ぐ池と小さな赤い橋がある。
白い石が流れる雅やかな庭を眺めながら、ファンは遠い目をした。
「戻れるかを誰かに問うのではなく、自らの意志で戻ると決めたのでしょう?」
「うむ。そうであったな」
ルクレツィアの言葉に意識を引きもどされて、ファンはしかと頷いた。
彼が頷いたのを確認して、彼女は特別大きくて豪華な装飾のなされた扉を派手にこじ開ける。
暴風と共に開かれた扉の先には、大勢の中年男性たちがひしめいていた。
彼らが纏うのは、布をふんだんに使用した長衣である。
赤や紫、黄色など濃い色合いで、細かな刺繍がいくつも施されていた。
室内にこもった髪油の臭いに、ルクレツィアは少し口角を下げる。
「ここが玉座の間、ですか」
強い魔力を纏った、美しき襲撃者にサルダの貴族たちがざわめく。
「かような女一人にサルダの誇る精鋭たちがやられたというのか!?」
髭を生やし、背の高い独特の形状の帽子を被った男性たちの中に、女性と子供が一人ずつ紛れ込んでいた。
女性は髪を高く結っており、ひれ長の観賞魚を思わせる衣服を纏っている。
彼女は煌びやかな衣装に反し、沈痛な表情で涙を浮かべていた。
子供は、十に満たない年頃の少年であった。
小さな頭からずり落ちそうな冠を被らされ、玉座に座っている。
女性と同じく、少年の表情も沈んでいた。
「ファン兄上……!?」
玉座の少年は、ファンの姿を確認して玉座から腰を浮かす。
被った冠が重たい音を立てて、転がり落ちた。
悲しみから、喜色に変わった表情が一転して絶望に変わる。
「あ、兄上! これは違うのです。わたくしは、こんなこと望んでなど」
アルシエロに行くと言った帝王に無理を言って付いて行った少年。
帝王の隊は全滅し、彼の隊のみが途中で引き返した。
帝都に帰れば、帝王の崩御が既に周知されており、少年はあれよあれよと言う間に玉座に据えられてしまった。
戻った帝王と玉座に座る少年。
この構図から、読み取れることは、明らかだ。
「セイさま。あれはファンさまではござりませぬ! ファンさまを喰ろうて、その姿を映しとった魔物です」
「フージンよ。偽りを申すな! あれはどう見てもファン兄上である!」
「帝王さまはご乱心であるぞ。皆のもの、帝王さまを室へ」
「待て! 離せっ、わたしは乱心などしておらぬっ」
暴れる少年を玉座から引きずりおろし、兵士たちが彼を奥へと運んでゆこうとする。
「貴様らァッ! セイからその手を離せ!!」
びりりと空気が震える、一喝。
ファンが巨体をゆすりながら、ルクレツィアの脇をすり抜けて、勇ましく突進してゆく。
それを押しとどめようとする兵たちの間を、体格にものを言わせて押しぬけるファン。
彼は体に纏わりついた、数人の兵士たちを引きずりながら、強引にセイの傍へとたどり着いた。
「ファン兄上……」
兄と慕った人物に、詰られることを恐れて、少年はきつく瞳を閉じる。
「セイ。お前が無事でほんに良かった」
セイの頭に浴びせられたのは、罵声ではなく、彼を気遣うような優しい声音だった。
意図せずとはいえ、王座を奪ったセイの生還を、喜ぶファン。
こうなる前と変わらぬ穏やかな声に、セイの瞳が潤む。
「どうして」
「む?」
「どうして、怒らないのですか」
「……怒られるようなことをしたのか?」
「いえ、わたくしは……」
「なら、良いのだ。王座を巡ってたくさんの血が流れた。朕は可愛い従弟の首なんぞ、みとうないわ」
「ですが、わたくしが生きていては、また同じことが起こるやもしれませぬ」
「ならば、何度でも防いで見せようぞ」
はらはらと涙を流す少年に、ファンは胸を張って威厳たっぷりに答えた。
「不届きな臣下どものせいで、怖い思いをしたな。ファンおじさんが来たからには、安心するがよい」




