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第五話 魔術と体術2

 更なる魔術陣の訓練を行うにあたって、王都の屋敷だと人目につく。

 ホフレの提案により、訓練の続きは公爵家の領土内で行うこととなった。

 淑女教育は担当の夫人から及第点をもらっていたので、しばらくは侍女と共に自己研鑽に励むことにする。

 領土までの馬車の中で、ホフレはルクレツィアに魔術や体術についていくらか話をしてくれた。


「お嬢さま。まず領土内のお屋敷に着いたら体を休めることが大事じゃ。それから今度は体術や組み手を交えて、実践的な魔術の修行を行うかどうか話し合うとしましょうぞ」


「話し合うも何も。わたくし、今更後には引きませんわよ?」


 ようやく体術を学べるのだと、ルクレツィアは期待に瞳を輝かせる。


「……実践的な魔術を学ぶには、かなり過酷な修行が必要になる。話を聞いてからよくよく考えなさるがよい」


 ホフレの言葉に不満そうに頬を膨らませるルクレツィア。

 ホフレは小さな瞳を悪戯っぽく輝かせて、彼女へ内緒話でもするように少し身を乗り出した。


「なにもお嬢さまには無理だと言っているわけではありませんぞ。実は先日、魔術の才能がある少年の修行を依頼されたのじゃがの。当人はそれを望んどらんかった。だから断ったんじゃ。魔力量や親和性は重要だが、一番重要なのはそこではない、とわしは思っておる。上手く言葉にはできんがの、わしの後継として魔術師と成る可能性は、お嬢さまの方が高いと感じた。じゃから、お嬢さまの話を受けることにしたんじゃよ」


「光栄ですわね。ならば、なおさら後に引けません。わたくしはきっとやり切ってみせます」


 きりりとした表情で言い切るルクレツィアにホフレは困ったような笑みを浮かべた。


「本当に危険な修行なんじゃ。後継を作るのは、魔術師の最後の仕事。血のつながりはなくとも、体と精神の在り方を全て作り替え、最高傑作として作り上げる後継は実の子のようなもの。……情けも容赦もない修行の末、自ら作り上げた子に殺される魔術師も多い。お嬢さまに関しては、命の保証はするが、精神の保障まではできぬしの。ともかく、良く考える事じゃ」


「わかりました!」


 彼女の返事は頼もしく、師として嬉しくはあるが、ホフレはその思慮の足らなさが心配であった。

 ルクレツィアがホフレに教えを乞い始めて、既に三つの月が流れた。

 その間体術は教えて貰えず、規則正しい生活を心がけ、食事量を増やし、ひたすら走り続けるだけ。

 ……ここまで本当に長かった。

 ――体術って、そんなに難しいのかしら? わたくしにだって剣ぐらい握れます!

 言葉には出さないが、ルクレツィアが唇とをがらせて視線を落したとき、馬車が大きく揺れた。


「おや。賊のようですな。公爵家の馬車を襲うなど……無知とは恐ろしいものじゃて」


 飄々とした態度で肩をすくめると、ホフレは顎下の長いひげを撫でながら口端を持ち上げる。

 少年のようにきらきらと輝くその瞳には、楽しげな色が浮かんでいた。


「どれ。ちいとばかり数が多いようじゃから、加勢してくるとしようかの、お嬢さま?」


「分かりました。教えていただいた結界陣を張って、馬車内にこもっております」


「ほっ? 何を言うておるんじゃ? 貴重な実践の機会じゃて。さあ参ろうぞ」


「えっ? ホフレ先生!? ちょっと待ってくださいまし!」


 小さな瞳で愛嬌たっぷりに片目をつむってみせると、ホフレはちょっと散歩にでも行くような気軽さで、馬車をするりと出て行った。


「あっ……」


 止める間もなく、喧噪の真っただ中に出て行ってしまったホフレ。

 同乗している侍女に馬車の中で待つよう指示をだし、慌ててルクレツィアも後を追う。


「お嬢さま。どうかお気を付けて」


 侍女の言葉を背に受けながら扉を閉めるとルクレツィアも馬車から飛び降りた。

 馬車の外には土ぼこりが舞っており、少女を咳き込ませる。


「ホフレ先生……どちらにらっしゃるのですか……?」


 戦いの真っただ中に乱入してきた、白いドレスの小さな少女。

 細い手足を頼りなさそうにふらつかせながら、師の姿を探す姿は混戦の中にあっても目立つ。

 護衛対象であるルクレツィアの登場に、御者と護衛者が目を剥いた。


「お嬢さま!? 何をなさるおつもりですか!? どうか馬車の中にお戻りをーッ!!」


 が、賊の数の多さに彼らも手がいっぱいのようだった。

 ルクレツィアを護ろうと慌てふためく護衛達を、ホフレが掌で制する。


「お嬢さまはわしが見ておるから、安心せい。おぬしはおぬしの仕事をせよ」


 老人は相変わらずの飄々とした態度で、足を開いて地につけ、両の拳を握った。


「さて、お嬢さま。少し予定は狂いましたが、早めに実戦経験をつけておくことは良いことですぞ。まずはわしの動きをよく見ておくのじゃ」


「もらったァッ!」


 ホフレが言うが早いか、護衛を突破した山賊の声が耳を打った。

 護衛達の隙をついて、勢いよく滑り込んできた三人の山賊は、馬車からのこのこと出てきた二人へ刃を振りおろす。


 ――その時、一陣の風が吹き抜けた。


 ザァと風が吹き抜け、空気の弾ける音がする。

 ルクレツィアが風に目を瞬かせる間に、ホフレは目の前から消えた。

 それと同時に、三人の山賊の姿も視界から消し飛んでしまったのだ。


「えっ? ホフレ、先生?」


「わしならここじゃよ」


 もう一度瞬きをすると、ルクレツィアの目の前にホフレが戻ってきていた。


「ホフレ先生!?」


 呼び止めるも、ホフレの残像は揺らいでは消え、を繰り返す。

 ルクレツィアには何が起こったのか全く分からない。

 あまりに早すぎるホフレ動きに、彼女の目がついていけてないのだ。

 ルクレツィアがようやく気付いたころには、山賊も二人を遠巻きに警戒するようになっていた。

 荒ぶるホフレの残像が一つに収束しても、ルクレツィアはそれがホフレの本体である自信が持てない。

 そんなルクレツィアの困惑を気にした風もなく、ホフレはダン! と地面を踏みしめ、足を開いた。

 土ぼこりが舞い、足元の地面に亀裂が入る。

 砂塵の合間に見えるホフレの顔は歴戦の猛者のように険しく、まるで別人のようだった。


「……まずは魔力をため、いつも地面に作っていた陣を拳に描く」


 低く唸るような声が、吹き抜ける風に乗って響き渡る。

 ほう、とホフレが息を吐くと吐き出された漆黒の光が彼の拳に収束し、小さな陣を描いてゆく。


「そして目の前の敵に向かって――放てッ!!」


 言いながらホフレが拳を突き出すと、彼のお腹が高速でぶるんと揺れ、直線上に居た山賊が一人姿を消した。


「殺さないように加減はしておるのじゃが、よう飛ぶわい」


 いつもの好々爺のような口調で山賊を見送るホフレに脱力しつつも、ルクレツィアも気を取り直して拳を握る。

 言われたとおりにルクレツィアも呼気を整え、唇から放たれる己の魔力を収束し同じ陣を拳に編んだ。

 陣の周りに集まった空気がぎゅっと圧縮されて、拳に強い圧がかかるのを感じる。


「――参ります!」

 

 敵に向かって律儀に宣告すると、ルクレツィアは拳を突き出した。

 が、風と共に拳から放たれた衝撃波はかするのみで上手く当たらない。

 敵の間をすり抜けて、山の斜面を削り、大岩が落ちてきて何人かの山賊が下敷きになった。


「お、お嬢さま……?」


 呆然とこちらを見やる護衛と山賊に、どうだとばかりの笑みを浮かべてみせるルクレツィア。

 彼女は得意げな笑みを浮かべつつも、肝が冷えるような思いで拳を握った。

 落石は全くの偶然であるが上手くいった。

 しかし、見栄を張った手前、次は失敗できない。

 

「次は当てますわ!」


 先ほどの反動でふらつく足元をごまかすように、ルクレツィアは気合を入れて拳を振う。

 けれど、無情にも、陣から放たれた衝撃波は明後日の方向へ向かっていった。

 見ていた山賊たちは、放てどもあたる様子のない魔術を嘲るように、笑い声を上げる。


「はっ。なーんだァ! あたらねえへっぽこ魔術なんて怖くねえ! 野郎ども、今が好機だ! 一気に畳み掛けろォ!!」


 山賊たちの雄たけびに、ルクレツィアの小さな背中が震える。

 ホフレは俯き、震える拳を握る彼女に声をかけることはない。

 流れ矢などの、彼女や自身にあたる攻撃のみを見切って見事に弾いていた。

 山賊たちはすぐそこまで迫ってきている。

 次こそは何としても当てなければ。自らを追い詰めるように心の中で繰り返してる最中、彼女はふと閃いた。

 ――当たらなければ、避けきれぬほどに数を増やせば良いのです! と。

 ルクレツィアは両手に陣を展開するとまず、従者や護衛が居ない方向に向かって、衝撃波を乱発する。

 魔力は十分にあった。魔術を放った後の脱力感には慣れていたので、乱発することぐらいどうと言うことはない。


 パ、パ、パ、パ、パアアァァ――ンッ!!


 山間の渓谷に絶えず響く破裂音。一つ避けたと思ったらすぐに追撃がくる。


「ヒッ!?」


「ギャアアアッ! 腕が! 俺の腕がアアァァァ!!」


「落ち着け! かすっただけだ! お前の腕はまだついている! ま、まて……おまえらっ! 俺を置いて逃げるんじゃねえーっ!!」


 わざとかと思われるほど際どい位置で外して、体力と精神力を削られる、えげつない攻撃。

 無秩序に放たれるそれに恐れをなして、山賊たちの中にも背を向けて逃げる者が現れ始めた。

 背を向けたものへ放った衝撃波が、ようやく命中して対象がルクレツィアの視界から消える。


「やりましたわ! 先生!」


 山の斜面に体が半分ほど埋まった山賊を確認して、満面の笑みを浮かべる幼い少女。

 何事にも我を忘れて夢中になれるところは彼女の良い面でもあり、悪い面でもある。


「これでいかがでしょうか?」


 地面に転がり、負傷あるいはこと切れている山賊たちを気にした風もなく、ルクレツィアはホフレを振り返った。

 その視線を受けてホフレは満足げに頷く。


「うむうむ。しかし、まだまだじゃ。山賊は仲間を呼んだ様じゃし、魔力と体力は温存しておいた方が良いぞ。あまりわしのそばを離れんようにな」


 子の成長を喜ぶ親の様な穏やかな瞳で答え、しかし、敵には容赦なく拳と術を振う。

 そんな師の姿にしばし見惚れ、ルクレツィアも山賊撃退に励んだ。

 山賊撃退どころか捕縛まで済ませてしまった一行。

 捕まえた山賊を騎士団に突き出すため、今から王都に引き返えせば日が暮れてしまう。

 どうするつもりだろうか、とホフレを見やるルクレツィア。

 見上げてくる少女に一つ頷いて、ホフレは掌に陣を展開した。

 ホフレの呼気から濃密な黒い塊がしゅるりと流れ出て、瞬きをする間に陣を描くのはまさに芸術的な技だった。

 黒い複雑な模様の陣から、漆黒の鳥が生まれ、大きな翼を羽ばたかせて空へと消える。

 

「わしが転移魔法で運んでも良いのじゃが、ちと人数が多い。王都の騎士団にはこの一帯の山賊退治を行うため、兵をよこすよう手配した。先に捕縛した山賊を回収するよう伝えたゆえ、縛って転がしておくだけで良いじゃろう」


 馬車に乗って侍女の無事を確認すると、彼女は「ご無事で何よりです」と相変わらずの無表情でルクレツィアに告げた。

 ルクレツィアがそれに頷くと、ややあって馬車が動き出す。

 一息ついた彼女は、向かいに座るホフレの顔を見やった。

 

「山賊退治の事ですけれど。さっきの鳥にメッセージを持たせたのですよね、先生。使いの鳥の魔術は使えるものが稀で珍しいものだと本で読みましたわ。初めて見ましたけれど、まるで本物の動物のように素晴らしいものでした」


 ルクレツィアの賛辞を機嫌よく聞きながらも、ホフレは照れくさそうに笑った。


「いやはや、しかし、年は取りたくないものですなぁ。昔はもちっと陣の展開も早く、マシに動けておったのじゃが」


「年だなんて。わたくし、どれが本物の先生か目がついていかなかったのですから。今でも先生は素晴らしいですわ。いつも優しげな先生の意外な一面を垣間見て、わたくしどきどきしましたもの。とても、格好良かったです」


 うっとりとホフレを見つめたかと思えば「……今の先生は本物の先生ですわよね? 気を抜くと先生の残像が流れていきそうで」と疑わしそうな顔でホフレの服の袖をつつき始めるルクレツィアに、たまらずホフレも笑い出す。


「ふぉっふぉっふぉ。ならばお嬢さまに失望されぬよう、この老いぼれも一緒に訓練に励むとしましょうかな」


 悪道にがたごとと激しく揺れる馬車も気にならないくらい、二人の話は大いに弾んだ。

 こうして数人の使用人とお付の侍女、荷物などをまとめた三台の馬車は一台もかけることなく、領地までたどり着くことができたのだった。

 領地までの短い旅を終えた後、父親が雇った護衛の者たちに礼を言うと、なぜか彼らは引き攣った表情でそそくさと去ってしまう。

 ともに山賊の襲撃と言う窮地を脱した仲だというのに、出立前よりもよそよそしい態度をとる彼ら。


「よっぽと山賊の襲撃が恐かったのかしら?」


 去っていく背中を見送りながら、ルクレツィアは小首を傾げた。

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