第五十八話 珍王事変3
剣を抜き、鋭い切っ先をこちらへ向ける兵士たち。
彼らは皆一様に、険しい顔をしている。
とても、自国の帝王に対する態度とは思えない。
「で、これは、どういうことですの?」
ひくりとルクレツィアの口元が引きつった。
付近の魔物を一掃した後、アルシエロの兵たちと別れ、いったんサルダ帝国へ帰ることになったファン。
彼の従弟とやらの遺体は結局見つからなかったが、兵士たちの遺体は可能な限り回収した。
転移陣でサルダ帝国の城に送り届けるまでが、ファンからの依頼であり、ルクレツィアはそれを実行したつもりだった。
しかし、出迎えた兵士たちがとった行動は、想定外のもの。
それはファンも同じだったのか、彼は腹のぜい肉を揺らしながら両掌を兵士たちに向ける。
「ま、待て! 朕は、サルダ帝国の帝王なるぞ。王命である。その剣を下げよ」
「これは驚いた。まこと、ファンさまに良く似ておる」
帝都の朱塗りの大門前にずらりと並んだ兵士たち。
彼らの間から、大柄で黒々とした髭を伸ばした偉丈夫が姿を現した。
黒塗りの兜は金箔が惜しげもなく貼られてあり、深紫の飾り紐が結われている。
「似ておるんじゃなく、本人であるぞ!」
「うむうむ、全身を金で統一した悪趣味な装いまでよう似ておる」
「誰が悪趣味じゃ!? 無礼である!!」
長い髭を撫でながら見下ろす偉丈夫と、憤りもあらわに偉丈夫を見上げながら跳ねるファン。
まるで喜劇の様なやり取りをする二人の間に、ひょろ長い針金のような男が割って入る。
「何をしておる。はよう、その魔物を退治せぬか! ファンさまを喰ろうたやつぞ!」
細い瞳を極限まで見開いて、震える指先でファンを指さすと男は甲高い声で叫んだ。
その声に兵士たちが動き出す。
城門の上、引き絞られる弓弦の音を聞きながら、ルクレツィアはファンを振り返った。
「あなたはあの、非情で切れ者と名高いサルダ帝国の帝王なのでしょう? この惨状はなんですの?」
「それは父上じゃ! 父上が崩御した後、王位継承権を巡って争いがおきて、皆死んだ。残ったのは、存在すら忘れられた朕だけである!」
「あの、そんなに胸を張っていうような話ではないのでは?」
「しかし朕は生き残り、帝王となった。十分胸を張っても良いであろ」
「今死んだら、何の意味もないでしょうに」
「朕は死なぬ! 汝らが助けてくれるからの!」
腹を突き出し、きりりとした表情で言い切るファンにルクレツィアは脱力した。
「その自信はどこから来るんですの」
「朕は人を見る目があるからな!」
肉に埋もれながらも、真っ直ぐな瞳で見つめ返すファンに、ルクレツィアも心を決めた。
さらりと銀髪が風に流れ、魔力を纏った燐光が彼女の姿を浮き彫りにする。
「魔術師だ……」
ルクレツィアの魔力に圧倒されて、兵士たちがごくりとつばを飲み込む。
彼らの顔をちらりと一瞥して、彼女は紅唇を緩やかに持ち上げた。
「ええ、魔術師でしてよ。わたくし、冤罪というのが大嫌いですの。人を魔物として剣を向けるなど、論外ですわ。ですから、その剣を収めてくださいませ」
底冷えのする声音が、鼓膜と背筋を震わせる。
浮かべた笑みは魅力的で艶やかであるのに、鮮烈な印象を与えた。
言葉に反して戦いを望むような、苛烈な紫の瞳が、見る者の心を揺さぶる。
「――さもなくば、血を見ることになりますわよ」
ふるり。
なぜか、味方であるはずのファンが震えた。
「こんなこと、言いたくないんじゃがの。おぬしの奥方、怖すぎるんじゃが。あれが、世に聞く鬼嫁というものかいのう」
「ルクレツィアは滅多に怒らないからな。怒った嫁さん、すげえ綺麗だろ?」
にこにこと嬉しそうに笑うカルロに、ファンは天を仰いだ。
「汝はほんに、器がデカい男じゃわいのー」
「二人とも、聞こえてますわよ」
「ひえっ」
こそこそと後ろで話し込んでいる男どもを振り返ることなく、ルクレツィアが告げる。
剥げかかった頭を庇う様にファンがしゃがみこむと、彼女は両の手に陣を描いた。
国を出てから、ルクレツィアは密かに体術の訓練に力を注いでいる。
此度の戦闘は、その成果を試すのに絶好に機械であるかもしれない。
まずは、数秒後に飛来するであろう矢を防ぐための、結界を張らねば。
「ああ、そうだ。一つ言い忘れていた」
ルクレツィアが結界を張るよりも早く、炎の壁が矢を阻んだ。
振り返れば、そこには先ほどと変わらぬ笑みを浮かべたカルロが立っている。
「ルクレツィアに少しでも触れたやつは、そこから灰にしてやる。戦るなら覚悟を決めろよ、人間」
「カルロ!?」
ぎょっとして叫ぶルクレツィアにも、カルロはお構いなしだ。
「奥方に負けず劣らず、おぬしも随分と物騒よの」
「竜の大事な嫁さんに触れようってんだ。それなら、この炎に焼かれ、塵と化す覚悟をしなくちゃな。当然だろ?」
赤い炎を口からちろりと出して、カルロが茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。
「うむ。まあ、そういうものかの」
「そういうものだな」
「ならば、仕方あるまいて」
あっさりと納得するファンに、カルロは少し目を見開いた後、笑った。
「あんた、人間にしては話が分かるな」
「朕は、帝王であるからの! これまた、至極当然のことである!」
ルクレツィアの背後で楽しげに会話を続ける男二人。
「触れずに倒せとは、無茶を言いますわね」
白い額を指先で軽く押さえ、彼女は紡いだ陣の上に、さらに複雑な陣を紡ぎなおした。
文句を言いながらも、その頬は緩んでいる。
紅く艶めく唇から、ふ、と押し出された呼気にのって、流れる月の魔力。
それによって、描かれた円の輪が閉じて、陣の完成と共に銀光が煌めく。
酷く重いものを力任せに叩きつけるような、鈍い音が響いた。
同時に、周囲の兵士たち全員が、閉じた城門に叩きつけられる。
風の塊をぶつける事で、脳を揺らし、四肢を壁に叩きつけて痺れさせたのだ。
死者こそいないが、酷いめまいと苦痛に、立ち上がれるものはなかった。
「こんなところかしら」
「おおう……朕の精鋭たちが……」
うなだれるファンにルクレツィアが冷ややかな視線を向ける。
「あなたはどちらの味方ですの?」
「よーし! 朕たちの大勝利だ! さ、城に帰るぞ!!」
さっと顔を上げて、意気揚々と金の錫杖を振り上げるファン。
対して、ルクレツィアの反応は、芳しくない。
「どうぞ、お帰り下さい」
「む? 一緒に来てはくれぬのか?」
「付き合う義理はありませんもの」
「そこを何とか頼む! 汝らがこぬと、朕は間違いなく殺されるぞ!」
「威張るところじゃないでしょうに」
「朕に出来る事なら何でもする! 朕はわりと忘れられた存在じゃったが、個人的に交わした約束を破ったことはない! だから、助けてくれ!」
「……私たちに出来るのは、襲い来る敵から護り、城内に届けることくらいですわよ」
「それで十分じゃ! 国民が朕の帰りを待っておるのじゃ!!」
「その自信、いっそ見事ですわね。わかりました。城まで送り届けて差し上げましょう」
命からがら帰った先で、兵に剣を突き付けられた王。
絶望して逃げ出してもおかしくない状況だというのに、彼の瞳には一切曇りがない。
前向き過ぎるほど真っ直ぐな、ファンの言動にあてられて、ルクレツィアの心にも火が灯る。
サルダ帝国の帝王は、野心家で狡猾、そして残虐な王だと聞いていた。
息子であるはずの、目の前の人物とは、全く印象が異なる。
おそらく罠にはめられ、死んだことになっているだろうファンが、城に戻ったら人々はどんな反応をするのか。
それは、彼女にとって興味深いことだった。
冤罪によって国から逃げ出したルクレツィアにとって、ファンの身に起こったことは、他人事とは思えなかったからである。
死んだはずの帝王が戻り、臣下は喜ぶのか、それとも……。
知るのは、怖い。けれど、知らずにはいられなかった。
「味方してくれる臣下はいらっしゃいますの?」
「む? おると思うぞ! 宰相のヨウとかの!」
「他には?」
「実は即位したばっかりで、まだ見定めている途中じゃ!」
突き出した腹をゆすりながら、豪快に笑うファン。今なら彼を殴っても許されるのではないだろうか。
ルクレツィアはそう思った。
「それに、おぬしらもおるしの! 万の味方を得た気分じゃわい!」
楽観的で、図々しいのに、どこか憎めない帝王さま。ルクレツィアは肩をすくめて苦笑した。
「こっそりと入ることが難しければ、堂々と正面から討って入るしかありませんわね」
「おうおうおう! 朕の凱旋というわけじゃな。派手に行くぞい!」
威勢のいい声を上げて、ファンが城門へと向かう。
「何をしておる! はよう、行くぞ!」
そして、呆れて見送るルクレツィアたちを振り返り、早く来いとせかすのだった。
分厚い金色の外套をなびかせて、跳ねるように地を駆ける王さま。
その後ろに世界最強の魔術師と、赤竜の化身が続く。
――これがのちの世に、長く語り継がれることとなる、珍王事変。
たった二人の冒険者と一人の帝王による、史上最速の、王座奪還の始まりである。




