第五十七話 珍王事変2
「お、オレの知ってる魔術師と違う……」
バルトロは開いた口を閉じるのも忘れて、その光景に見入った。
彼にもこれまでに幾度か、魔術というものを目にする機会はあった。
彼が出会ってきた魔術師たちは、前衛に守られ、後方から攻撃を行う。
じっくり時間をかけて、地面に陣を描き、そして狙いを定めて敵に攻撃をあてるのだ。
火や水、雷などの力を纏った一撃はそれなりに強い。だからこそ、戦いにおいて魔術師は重宝される。
それがどうだ。目の前の二人は、後方支援どころか、剣も持たずに魔物に殴りかかっている。
そして、正確に、容赦のない連撃を繰り出していた。
カルロに至っては、素手で魔物を掴んで振り回すなどという有様である。
正直、どこに魔術の要素があるのか、全く分からない。
とても人間業とは思えないような戦い方に、唖然とした表情で棒立ちになる兵士たち。
「あっ……ちょっとっ……!」
ルクレツィアが叫んだ。
「ルクレツィア?」
カルロは最後の砂鮫を岩場に叩きつけると、彼女を見上げた。
重力に従って落下するルクレツィアの横で、体を穴だらけにされた巨大な砂虫が、頭を地面に潜り込ませている。
巨体をくねらせ、あっという間に砂地に込む虫を見て、彼は獲物を追う狩人のように笑った。
「――逃がすかよッ!」
瞬間、赤い光が視界を満たす。
空を焼いた光が去るとそれは姿を現した。
燃え盛る炎の様な鱗をもつ、なにかは、長い首を伸ばして鼻先を砂地に埋める。
砂地が揺れた衝撃で倒れこむ兵士たち。
兵士たちの動揺を気にした風もなく、それは砂地を探った後、太い牙に虫を引っ掛けて首を擡げた。
巨大蟲もその生き物と比較すると、まるで糸くずの様に見える。
「りゅ、竜だ……!」
トマが呆然と呟く。信じられない、とばかりに見開かれた瞳にうつるのは、幼いころ彼が憧れた幻想の生き物だった。
大きな金色の瞳と天を貫く立派な角をもつ赤竜。
それは、目を皿のようにして見上げども、全貌を確認できないほどに、大きかった。
竜は、吐息を吐くように口から炎を吐き出すと、牙に引っかかった糸くずを消し炭にする。
そうして、何かを探すように首を巡らせた。
「こ、こっちを見てるぞ!?」
思わず剣を構える兵士たちに、冷ややかな声がかけられる。
「あら、あなた方。まさか、その剣――わたくしの夫へ向けるおつもりでいらっしゃるの?」
遥か高みから見下ろし、あざ笑うかのような笑みを含んだ、冷たい口調。
怪物を見るような兵士たちの視線に、苛立ちを隠そうともせず、ルクレツィアは魔力を放出してけん制した。
「剣を抜いた時からその命、すでにないものとみなしますわよ」
竜は彼女の声を確認して、首を地面にぺたりとつけるようにして横たわる。
動作はゆったりとしたものだが、その巨大さゆえに地響きが起こり、一帯が砂でひどく煙った。
糖蜜色の大きな瞳で、彼女の姿を確認すると、竜は目を細めて頬を寄せる。
「わ、ちょっと、カルロ!?」
ルクレツィアの背はちょうどカルロの瞳くらいの大きさだ。
じゃれつかれただけで、容易く体が揺らぐ。
「うーん、やっぱ、元の体は不便だな。ルクレツィアがすげえ小さくなるから、触れるのも難しい」
赤い魔力を霧散させて、再びカルロは人の姿を取った。
彼は視線を落すと、傍らに立つルクレツィアを確認して満足そうにほほ笑んだ。
「うん、このくらいがちょうどいいな」
「カルロ……私が小さくなるのではなくて、あなたが大きくなっているのです!」
「そうか? 俺にとってはどっちも同じなんだけどな」
「おお~い! 汝ら、朕のことを忘れておらぬか!? 早よう、助けてたもれ!」
視線を交わしあう二人の間に、少し籠った男性の声が割って入る。
金色の棒を激しく振って、自らの存在を主張する名状しがたい生き物。
分厚い金色の外套に身を包み、服も革の靴まで、びっしりと金糸で刺繍を施している。
低い背とぜい肉に包まれた体に似合わぬ、悪趣味な装いだった。
「あれを助けるために、わたくしたちを呼んだんですの?」
訝しげな表情で問いかけるルクレツィアから、兵士たちはさっと視線を逸らす。
周囲から魔物の脅威が去ったことを察した、金色のぜい肉は妙に滑稽な足取りで、彼らに走り寄った。
「なんじゃ汝ら、随分腕が立つのう! 竜とはさすがの朕も驚いたぞ! だがこの際、それは良い! まずは、朕の兵士たちを助けるのだ!」
たぷん、と顎を揺らして、興奮したように言葉を紡ぐ男。
「残念ですが、この辺りで生きている人間はあなただけのようです」
「なんとッ!? では、朕の兵士たちは死んでしまったのか!?」
「そうなりますわね」
「な、ならば、十に満たぬ幼子は!?」
「わたくしの答えは変わりません」
「ぐぬぬ!! なんということだ! しかし、亡骸だけでも連れ帰ってやらねば! 手伝ってくれるな!? ついでに、憎き魔物どもを一掃してやれ!」
ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、捲し立てる彼にルクレツィアは、眉を寄せた。
「ずいぶんな態度ですが、あなたはいったい?」
「ぬ? 朕を知らぬのか? うむ、まあ、流れの冒険者ふぜいならば仕方あるまい。朕の名は、ファン。聞いて腰を抜かす出ないぞ、彼のサルダ帝国の帝王じゃ!!」
ぽよん、と張り出したお腹を更に突き出す、ファン。
どうやら胸を張っているつもりらしい。
「あー。まあ、そういうことだ」
バルトロが気まずそうに頭を掻いている。
「その珍王、いや、帝王さまの捜索がオレらの仕事だ。会談の予定があったんだが、到着予定を過ぎても現れなかったので捜索することになったてぇわけだ」
「うちで行方不明になって死なれでもしたら、戦争になりかねませんからね!」
想像して身震いしながら、トマが付け足した。
しかし、王さま自ら砂漠を越えてやってくるのは、無謀ではないだろうか。
ルクレツィアは首を傾げた。
「なぜ、わざわざ砂漠を越えたのですか。転移陣を使えばよいのでは?」
「美しく勇敢なお嬢さん。魔術とは万能ではないのじゃ。国を渡るほどの長距離を、転移できる魔術師は居ない。かの大魔術師、ホフレ=リストスキーなら可能かも分からぬが、老いて引退したと聞いてるしの」
ルクレツィアへ憐みの視線を向けるファン。
魔術師の癖にそんなことも知らんのかと言っているかのようだった。
視線を受けて、ルクレツィアはつんと顎を逸らした。
「あら。わたくしには可能でしてよ。ホフレ先生の教えのお蔭ですわね」
「むん? レッチェアーノの白鬼に弟子とな!? いやいや、弟子などいないはずだ! そんな者がおれば、朕ら含め、世界が放ってはおかぬわ」
「びゃっき……?」
「うむ。アレッサンドロ=ガブリーニが公爵の爵位を与えられ、ホフレ=リストスキーが大将軍の地位につく前の話じゃ。かつてサルダとレッチェアーノの間で争いがあったことは知っておるか?」
「ええ」
「当時、サルダはレッチェアーノなど簡単に下せると思っておった。あの国は恵まれておるがゆえに、停滞した。それにたいして我がサルダは、領土拡大のために兵を鍛え上げ、度重なる戦で勝利してきたのだから、当然と言えば当然だろう」
当時の記憶を思い出すように、ファンは瞼を下ろした。
「くわえて、レッチェアーノの将は軍に入って数年の、戦に出た経験も少ない若造ときた。それも、王太子の座を弟に譲り渡し、王宮から逃げ出した負け犬である。なめるなという方が無理というものだ」
父親を蔑むようなことを言われ、ルクレツィアは眉を寄せると、反論した。
「ですが、サルダは負け、レッチェアーノが勝ったのでしょう?」
「そのとおりだ。我が国がレッチェアーノのに負けた一因として考えられるのが、アレッサンドロ=ガブリーニと大魔術師ホフレ=リストスキーの存在である」
父と師の名前にルクレツィアは息を飲んで続きを促した。
「アレッサンドロ=ガブリーニの采配はいうまでもないだろう。だが、白き鬼……ホフレ=リストスキーの名は今でも我が国の伝説として、語り継がれている」
「伝説……」
「そうじゃ。サルダでは誰も目にしたものがいない、伝説の大魔術師。なぜなら、彼の部隊と出会うことはすなわち、死を意味するからである。戦場に立つ白き鬼の逸話はいくつもあるが、どれも同じ人間がやったとは思えない話ばかりじゃ。悪いことをすると、人の形をした白き鬼、ホフレ=リストスキーがやってくる――悪童たちへの脅し文句とともに、サルダでは未だに語り継がれておるわ」
ぶるりと全身を波打たせて、ファンは己の両腕で体を抱きしめた。
その弟子が目の前にいるなどとは、とても信じられない、と彼の表情が言っている。
「ホフレ先生は外の国でも有名な方だったのですね。まあ、あの方は権勢や見栄などに興味のない様子でしたから、言わなかっただけなのかもしれませんが。……信じるか信じないかは、お任せいたします」
突き放すように言い捨てるルクレツィア。
彼女の顔をじっと見つめ、ファンは肉に埋もれた小さな瞳を忙しなく瞬かせる。
彼の頭の中で損得の天秤がゆらゆらと揺れていた。
数秒の後、彼は短い首を精いっぱい縦に振って頷く。
「よし、朕は信じるぞ! じゃから、朕と従弟、そして兵士たちの遺体をサルダ帝国の王都近くまで運んでくれい! 報酬ははずむぞ! 金でも土地でも望みのものをくれてやろう!!」
――ファンは自分の信じたいものを信じる性質だった。
調子よく気勢を上げる彼を横目に、ルクレツィアが陣を紡ぎ始める。
「わかりました。ではまず、遺体を探しませんとね」
微笑と同時に、清廉なる月の魔力が陣を発動させる。
赤茶けた砂地に走る、銀の光はなんど目にしようと、褪せることのない輝きを放っていた。
ファンがその魔力に触れようと手を伸ばすも、銀光は陣の発動と同時に儚く消える。
「ほほーう! ほうほう! これはほんに、美しいのう!!」
砂地を跳ねる黄金の肉塊――ファンの奇声が砂地に響き渡った。
奇声を上げながら、激しく蠢いているのに、この体つきである。
いったいどれだけ食べればこうなるのか。
この、珍妙な王さまを観察しながら、ルクレツィアは小首を傾げた。
「おっと、美しいお嬢さん。朕に見惚れてないでほれ、仕事に集中するのだ!」
まんざらでもなさそうな表情で、そんな言葉をぶつけてくるファン。
どんなに珍妙でも、彼はサルダ帝国の帝王である。
殴り倒したら、アルシエロとサルダの戦争の引き金になるかもしれない。
ルクレツィアには直接関係はないけれど、恩を仇で返すのだけは避けなくては。
必死で言い聞かせながら、彼女はついうっかり手が出そうになる自分を抑え込んだのだった。




