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第五十五話 新居

 水気も魔力も感じない、荒れ果てた砂の荒野――アルシエロ。

 レッチェアーノ王国とサルダ帝国とアルシエロ、この三国は陸地繋がりである。

 地図上では陸路で旅することもできるように見えるが、レッチェアーノとサルダは停戦中とはいえ、気軽に行き来できる間柄ではない。

 ルクレツィアやホフレのように、極めて優れた転移陣を紡げる魔術師ならば、転移することも可能だ。

 けれど、それ以外の人々がレッチェアーノからアルシエロに向かうのなら、海路が妥当と言えるだろう。

 海賊に出くわすこともあるが、巨竜に手を出すような蛮勇溢れる海賊は、彼らの通った海域には居ないようだった。

 潮の香りはもうしない。

 乾いた砂の香りのみが、肺腑(はいふ)を満たす。


「――またこの地に戻ってくることに、なるとは思いませんでした」


 その昔、月の女神は一人の人間を愛して地に降りた。

 そして、愛した人と共に朽ちることを選んだ。

 彼女は三人の子を産む。長子の名はルネッタ。

 友の死を嘆くルネッタによって枯れ果てた荒地を抜け、二人は世界の終り(アルシエロ)の端にある岩場の断崖降り立った。

 見渡す限りの荒涼な大地の小高い岩山には、不自然なほど白く輝く巨大な城が建っている。


「これは……」


 その城は、レッチェアーノの王都にあるガブリーニ公爵邸に良く似ていた。


「前に見たルクレツィアの家に似せてみた。中身は空っぽだけど、一緒に作っていけたらいいなーなんて……」


 珍しく照れたようにカルロは笑った。そうして、ルクレツィアと目線を合わせるように、(ひざまず)いて手を取った。

 真摯な金の瞳と当惑する紫の瞳が絡み合う。


「俺はさ。いつの間にか、ルクレツィアが俺の隣にいることを当たり前のように思ってたんだ。おかしいよな。俺は竜で、ルクレツィアは人間なのに。だけど、自覚したら止められなくなった。瞬きほどの時間でも、そばにいることのできない時間が酷く長く感じて。大事な何かが欠けている気がして、満たされないんだ」


 彼にとって理不尽な怒りとともに、手酷く断られた二度の絶望と、わずかな希望の中で揺れる心。

 生まれついての強者であり、彼の道の阻むものはすべからく、(ちり)に還してきた最古の幻想。

 何事にもとらわれずに生きてきた彼が、初めて感じた恐れは、(いだ)いた愛を拒絶される事だった。

 平時よりも体温の高い手のひらから、互いの緊張が伝わる。


「俺はルクレツィアが好きだ。とても好きで、大切にしたいと思っている。だから、お願いだ……俺を……どうか、この懇願を受け入れて欲しい」


 慎重に、一言づつ紡がれる言葉は、拒絶を恐れるように低く掠れる。


「ルクレツィア。……俺の伴侶に、なってくれ。いや、なって、下さい」


  囁くような低音。しかし、それはしっかりと彼女の耳に届いていた。


「――最初は気の迷いだと思っていたの。そばに居ると楽しくて、離れがたいから、勘違いしているのだと」


 ルクレツィアの言葉に、カルロが俯き、肩を震わせる。


「そうでも思わないと、きっと辛くなるから。でも、もう手遅れだったのでしょう。わたくし、カルロが(さら)いに来てくれたあの瞬間、死んでも構わないと思いましたもの」


「はあっ!? いや、そう簡単に諦めんなよ! おまえを失うくらいなら、恨まれたって国ごと滅ぼしたほうがマシだってーの!」


 思わず顔を上げて憤るカルロ。たまらず、ルクレツィアは笑い声をあげる。


「あなたが代わりに怒ってくれるから、そばに居てくれたから……そして、愛してくれたから、わたくしはこうして笑えるのです」


 それは、泣き笑いのような笑顔だった。

 澄んだ紫の瞳にうつるのは、カルロただ一人。

 彼女はこれまで必死で抑え込んでいた感情を、あふれさせるかのごとく、瞳を潤ませる。

 人間ならば、失くした家族を思い出させるような新居は避けるだろう。

 けれど、カルロはルクレツィアが大好きなものを、と彼女の生家によく似た建造物を用意した。

 彼の素直で飾り気のない優しさに、彼女の中で愛おしさが込み上げてくる。

 ルクレツィアは、込み上げる愛をそのまま言葉として紡いだ。


「――愛してます、カルロ。今までいただいた分も、これからたくさんの愛をお返しすると約束いたします。ですから、どうか、わたくしをあなたのツガイにしてくださいませ」


 裁きの間でカルロがそうしてくれたように、彼女も彼の手を取ると両手でそっと包み込んだ。

 紡いだ言葉と、言葉にならない気持ちが伝わるように、との願いを込めて。


「ルクレツィア……」


 カルロは今まで感じた事のない、ありとあらゆる感情が体の中で爆発するのを感じた。

 彼女の名を呼んでしばし呆然とするカルロ。


「ありがとう」


 つう、と彼の頬を一筋の涙が流れた。


「カルロ? ……泣いているのですか?」


「ん、あれ? なんで。これって悲しいときに出てくるやつだろ? おかしいな。嬉しいはずなのに、とまらないんだ」


「人間は嬉しいときにも涙を流すことがありますのよ」


「そうなんだ?」


「ええ」


 ルクレツィアはそっと腕を伸ばして、指先で彼の涙を優しくすくった。

 その顔には慈愛に満ちた笑みが浮かんでいる。


「俺、泣いたのなんて初めてだ」


 彼は頬の涙に触れて感触を確かめると、照れくさそうに小さく笑った。

 ルクレツィアに出会うまで、怖いもの知らずだったカルロ。

 ――(かれ)が生まれて初めて流したのは、歓喜の涙だった。

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