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第五十三話 裁きの間2

「よ。待たせたな!」


 思わず顔を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、強い意志を示す、黄金色の瞳。

 狙いを定めるように、すっと瞳を細めたカルロの、大胆不敵な笑みだった。

 赤い燐光を発する髪と端正な顔の下には、意外なほど筋骨たくましい体が備わっている。

 彼は黒石の台座から少し離れたところへ軽やかに降りたった。

 そして周囲の状況を把握すると、浮かべていた笑みを凍りつかせた。


「――なあ。これは一体どういうことなんだ」


 笑みを張りつかせたまま瞳孔が開き、苛烈(かれつ)な熱を宿した魔力が激しく揺らぐ。

 彼の魔力に呼応するように、大地が鳴動めいどうした。


「人間にも色々いるって、ここ数年で知ったんだ。けれど、俺がさァ……傷つけないように、大切にしていた最愛の人間……ルクレツィアを踏みつけにする人間やつが、どうなるか、教えるのを忘れてたな」


 深く笑みを刻んだ口元は、憤怒(ふんど)と狂気を上書きしてつり上がる。

 彼の足元の床石は灼熱(しゃくねつ)の液体と化し、赤く煮えたぎっていた。

 瞬間、全身をから炎を噴き上げる異形の男。

 貴族たちは悲鳴を上げて我先に、と下に続く階段があった場所へ向かう。


「馬鹿なッ、王宮では魔術が使えないはずではなかったのか……!?」


「愚かな人間の紡いだ結界なんて、俺には何の意味もねえ。あんなか細い魔力の糸なら、一呼吸で崩せる」


 階段があった場所は、天井が吹き飛ばされた時の瓦礫(がれき)で埋まっていた。

 ぐらぐらと揺れる塔の上で、怯える人間たちを一瞥いちべつして竜はわらう。


「――さあ、おれの怒りを、思い知れッ!」


 発動すようとする、禍々しい太陽の魔力を寸でのところで収めたのは、清廉なる月の魔力だった。


「なんで。なんで、邪魔するんだよ! こいつらは、おまえを踏みつけにしたんだぞ!?」


 まさか助けに来たはずの彼女に止められるとは思わず、カルロは驚いて魔力を内に引っ込める。

 ルクレツィアは呆然としたような表情でカルロを見上げていた。


「カルロ……?」


 突然のカルロの登場。

 条件反射で結界の陣を張ったものの、ルクレツィアは驚愕のあまり、心臓が止まりそうになった。

 何度瞬きを繰り返しても、消えないそれに、本物かもしれないという希望がじわじわと込み上げてくる。

 目の前にいる今でさえ、それが本物だと信じられなかった。

 どくどくと脈打つ心音がうるさくて、カルロの声も周囲の声も良く聞こえない。

 彼女はこれが幻ならば、今この瞬間に、この鼓動が止まっても構わないとさえ思った。


「カルロッ! あなたなのですか? 本当に? それとも、わたくしの見ている幻……? 応えてください。カルロッ」


 手酷い決別を告げたのは彼女だ。

 二度と会えないと思っていた、彼との再会。

 彼は、酷い言葉をぶつけて追い出した自分を、救うために来てくれた。

 感極まったとばかりに体中を真っ赤に染め、潤んだ瞳で名前を呼び続けるルクレツィア。

 カルロは全身で歓喜を表す彼女をみやり、照れくさそうに首の裏を撫でた。


「そう、連呼しなくとも聞こえてるって。つーか、幻ってなんだよ。俺は幻なんかじゃねえ! あー、もう! 気をそがれちまったな」


 先ほどの物騒で物々しい魔力を霧散させて、彼は慌てふためく人間たちに告げる。


「俺の最愛は同族が死ぬのを嫌うからさ。――おまえら、動くなよ」


 武器を構える衛兵に告げるが早いか、燃えるように赤い魔法陣が城全体に展開された。

 陣なんて使わないはずの、赤竜が紡いだ精緻な陣。

 師の特徴が強く出たそれに、声をあげそうになり、ルクレツィアは慌てて自分の舌を噛んだ。


「なっ!? 体が動かないぞ! 広範囲の魔術陣とは、なんと厄介な。そうだ! リストスキーを、ホフレ=リストスキーを呼ぶのだ!」


 玉座の下方に控え、一等見事な鎧をまとった近衛団長らしき男が叫ぶ。


「大将軍閣下をですか!? 動けないのにどうやって呼べとおっしゃるのですかッ!?」


 その隣に立つ、部下らしき兵士が涙まじりに言い返した。


「元大将軍閣下だ! つべこべ言わずに呼べ! 国王陛下の大事だぞ!! はっ、むしろあの方の方から駆けつけてくるのではあるまいか!?」


「隊長……警備を担当している魔術師に聞いた話ですが、大将軍閣下は娘を失った精神的打撃により、倒れたそうです」


「なァにィッ!? あの方に娘など居らんはずだろうが!!」


「隠し子かもしれません!」


「ンなこと私が知るかァッ!!」

 

 遠くで交わされる会話もざわめきも、全て彼の興味の範疇外だった。

 こつこつと、石畳みを鳴らす音と吹き抜ける強い風の音。

 ホフレに教えられた陣により、体がまるで石になったかのように動けなくなった貴族や兵士たちの間を、カルロはゆっくりと歩いてゆく。

 そうして、涼しい顔でルクレツィアの下まで歩き、(ひざまづ)いた。

 ここで(あわ)れむそぶりを見せれば、誇り高い彼女を傷つけてしまう。

 彼はそう信じていた。

 努めていつもと変わらぬ風を装いながら、人よりも少し温度が高い大きな手を彼女に差し出して、繊手をそっと包み込む。

 ルクレツィアの手は、芯から冷え切っていた。

 (おとし)められて辛い思いをしたのは、彼女のはずなのに、なぜかカルロの心臓が鈍い痛みを訴える。


「俺さ。……ずーっと我慢、してたんだけどなぁ。無理に連れ出して、嫌われたくなかったから。悲しむ姿なんて見たくないし、ずっと、笑顔でいて欲しかったんだ」


 痛みを吐き出すように、彼は誰にともなく、言葉を紡いだ。

 ルクレツィアに向けられた眼差しは、陽だまりのように穏やかで優しい。

 カルロはいったん瞳を伏せると、羽毛でも持ち上げるかのように、ふんわりと彼女を持ち上げる。


「でも、あんたらが大事にしないんだったら、俺がさらって行くよ」


 自失しているルクレツィアを安心させようと、緩い笑みを浮かべたまま、カルロは彼女を横抱きにした。

 嫌われたって、泣かれたって、耐えてみせる。

 愛する者を粗末に扱われるよりも、辛いことなどないのだから。

 強い決意と共に、彼は人間たちへ背を向けた。


「君は……」


 思わず、といった様子で呟かれた言葉。

 声の主はさらりと流れる金紗の髪と、(うれ)いに沈んだ青い瞳をもつ青年だった。

 急な展開に唖然(あぜん)と目を見開いている、彼――王太子ジュリオをカルロが振り返る。

 そして、じろりと彼を一瞥(いちべつ)して、鼻を鳴らす。

 パメラから聞いていた特徴から、彼が誰か知るとカルロは皮肉混じりの笑みを浮かべた。


「俺はルクレツィアの相棒にして、求婚者だ。なあ、あんたが婚約者なんだろ? 己の大事な婚約者が、こんなところで見世物にされてるってのに、あんたはそこで何をしてるんだ?」


「相棒で求婚者? 言っている意味がよく分からないな。だが、知らぬというのなら教えてやろう。……彼女は罪を犯したのだ。高位の貴族であろうと、その罪は、償わなくてはならない」


 侵入者の突然の問いかけ。

 動かない体をもどかしく思いながらも、王太子ジュリオは毅然(きぜん)とした態度で告げた。

 今、彼の心は強い正義感に燃えている。

 奇妙な侵入者の手を借りて、裁きから逃げようとしている令嬢が、彼の正義感に火をつけたのだ。

 だが、カルロにとって、それは見当違いも(はなは)だしい炎に思えた。

 いっそ、滑稽(こっけい)ですらある。


「ルクレツィアが力ないものをいたぶり、それを隠すために同族を殺したと、本気で思っているのか? 彼女は誇り高く美しい人間だ。あんた彼女のなにを見てたんだ?」


「私たちは婚約者として、互いにいい関係を気づいてきた。だが、くだらぬ嫉妬でそれを裏切ったのは、彼女だ。アマーリエは偶然だと言ったが、そんな偶然が何度も続くわけがない。現に学園長の告発文だってある」


「ルクレツィアが嫉妬? ふうん。彼女が嫉妬で、あれだけ大切にしている家族を、苦しめるようなことをする人間だと判断したわけだ。あんたは彼女が裏切ったというけど、婚約者を信じない事こそが、最大の裏切りじゃねえの? 見る目がないどころか、とんだ婚約者だな」


「な、なんだと……!?」


 王族相手でも躊躇ためらうことなく、言葉を突き付けるカルロにジュリオもいきどおりを隠せなかった。

 王族の怒りに怯むどころか、つまらないものを見るような視線を向けて、カルロは笑う。


「ああ、でも、婚約は解消したんだったっけ。じゃあ、俺が求婚したって文句は言わせねえよ。その不実な心臓を、灰にしてやりたいところだけど、んなことしたらルクレツィアが恐いし」


 茶化すように言って、彼は腕の中にいるルクレツィアに微笑みかけた。


「恐いだなんて、よく言えますわね。先ほど、わたくし諸共この国を吹き飛ばそうとしたのは、どこのどなたですか」


「あー。いや。ちゃんと、思いとどまっただろ? そう怒るなって」


 軽口を言い合いながら、随分と風通しの良くなった塔の端へと歩いていく二人に、国王――セヴェリオが呼び止める。


「ま、まて! A級冒険者の移動には私の許可が必要だ! カルロ、私はおまえの移動を認めていない!」


「それは人間の決まりごとだろ? 俺、竜だし。竜は嫁さん以外の言うこと聞かないってしらねーの?」


「リュウ……? それは一体、どういう意味だ?」


 (いぶか)しげな表情で声を張るセヴェリオ。

 カルロは小馬鹿にするように肩をすくめると、ガブリーニ公爵に向き直った。


「悪いけど、娘さんは頂いていくぜ。返すつもりはないが、幸せにするって約束する」


 笑みを消して真剣な表情で告げるカルロ。

 一方的な宣言に、アレッサンドロはゆるりと瞳を伏せた後、真っ直ぐにカルロを見つめ返した。


「それはもう、ガブリーニの籍を剥奪された。わたしの娘ではない。どこへなりとも連れて行くがよい」


 そうして、いつもの鉄面皮を崩すことなく、暗に公爵家から追手が出ることはないと宣言した。

 公爵の言葉から、ルクレツィアは父親が自らの意思で彼女を除籍したとさとる。

 それが、保身のためなどではなく、娘を想ってのことだとも。

 視線を交わしあう、カルロと父親の表情から、彼女は彼らが事前になんらかのやり取りをしていただろうことを察した。


「兄上ッ!?」


 セヴェリオがとがめるように叫んだ。


「あの子を除籍しろと仰ったのは、陛下にございましょう」


 しれっと告げて、アレッサンドロはそれ以上関わるつもりはないとばかりに口を閉ざす。

 ただその紫の瞳だけは、娘の行く末を案じるように揺れていた。

 娘を心配する父の瞳に、ルクレツィアは視線を合わせてしっかりと頷く。

 親子の短いやり取りが済んだのを確認して、カルロは(きびす)をかえした。

 その背を見ながら、セヴェリオは(かたわ)らに立つ兄にのみ、聞こえるように愚痴(ぐち)こぼす。


「兄上にしてやられた。よりにもよって、竜を名乗るとは。兄上らしくもない、派手の極みだ」


 ――竜を選んだのは私ではない! あっちからやってきたんだ!

 反射的に出てきそうになった言葉をアレッサンドロは、表情に出すことなく飲み込んだ。

 セヴェリオの視界の端で、表情一つ変えずに立っているアレッサンドロ。

 彼を横目に見て、深くため息をついた後、セヴェリオは首を動かそうとして失敗し、苦笑する。

 襲撃者に害意がなければ、本当に竜であるかどうかなどこの際どうでも良い。

 この騒ぎをどう収拾するのか、それが問題だった。


「どうせ逃がすのなら、王城に連れてこられる前に逃がせばよいだろうに」


 ぼやく国王に、公爵は視線もよこさず、ただ去りゆく娘の背中を眺めている。


「何の話か分かりかねますな」


「お蔭で私は、二人のA級冒険者を失い、これから口うるさい貴族たちにあれやこれやとせっつかれることになる」


「おや、それが国王陛下のお仕事ではなかったでしょうか」


「……兄上にも、諸々の後始末を手伝ってもらわねば」


「恐れながら陛下。わたくしも、此度の騒ぎで心労が(たた)ったようでして。騒ぎが済んだ後は、しばらく療養が必要となるでしょうな」


「つれないね、兄さん」


 取りつく島のない兄に、閉口する弟。

 当初の予定では、公爵家の第六子を罰して、領地での幽閉を言い渡すはずであった。

 加えて、領地縮小と税を上げることで、公爵家の力をそぎ、貴族たちを納得させるつもりが……どうしてこうなったのか。そもそも、アレッサンドロがルクレツィアを除籍したことからして、セヴェリオの想定外だった。そのせいで、ルクレツィアにより重い刑罰を与えなくてはならなくなったのだから。

 告発文というごまかしようのない証拠と、王太子の証言、公爵家に対する貴族たちの反感のせいでもあったが、もっと他のやり方があったかもしれない。

 いかに強大な力を持つとはいえ、ルクレツィアはレッチェアーノの貴族であり、まだ十代の少女である。

 多少の理不尽はあれども、大人しく王家の判断に従うだろうと考えて、セヴェリオはこの場に彼女を呼び出した。

 それが、まさか、こんな事態を引き起こすとは……。

 ルクレツィア=ガブリーニという少女を甘く見過ぎていた自分に、セヴェリオは再度、深いため息をついた。

 そんな彼の心中など意に介せず、カルロは塔の端までゆったりと歩いて行き、ピタリと足を止める。


「――最後に、一つ」


 背も向けたまま発せられた声は、決して大きくはなかった。

 けれど、その場にいた者の脳に刻まれ、体の芯から震えさせるほどの覇気をまとった声。


「俺たち竜はいつだって、人間おまえたちの挑戦を受けてやる。だが、挑んだのちの敗北は、死あるのみ。それを忘れるなよ、人間」


 雲一つない、澄みわたった青い空と、燦々(さんさん)と輝く太陽。

 国で一番空に近い塔からの景観をさえぎるものは、何もない。

 強い風に髪をなびかせて、二人は塔の端から空中へと身を(おど)らせた。

 あっという間に下へと消え去る二人。

 身投げしたようにも見える行為に、貴族たちがざわめいた。

 魔術陣が消え、行動制限が解除されると、今度は吹き付ける強い風に飛ばされそうになる人々。

 床に這いつくばりながら、塔の下を覗き込む彼らを分厚い風の壁が撫でる。

 瞬間、赤い閃光が空を焼いた。

 昼から一気に夕暮れが訪れたように、彼らの視界を赤く染める。

 視覚を取り戻した彼らが最初に見たのは、烈火のごとき鱗。

 地に這いつくばる人間を嘲笑うかのように、大きく、自由な翼をもつ”なにか”だった。

 至近距離では全貌を視認できないほど巨大な生物は、振り返らず、ぐんぐん高度を上げてゆく。


 それは。

 太陽神が、己の魔力と肉体を切り分けて生み出したとされる生き物。

 神代の世に過ぎ去りし、幻想。

 果てしなく広がる蒼穹そうきゅうの中、銀の光を背に乗せて、彼方へと飛び去っていく――赤き巨竜の姿であった。

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