第五十二話 裁きの間1
王宮で最も天に近い、高い高い塔の上。
裁きの間はそこにある。
裁かれる貴族は、己の罪の重さを踏みしめる様に、階段を一段ずつ登ってゆくのだ。
普段から歩きなれぬ令嬢などは、塔を上り切らぬうちに座り込み、これ以上上るのは無理だと泣くという。
公爵令嬢ルクレツィア=ガブリーニは、簡素なドレスと踵の高い靴で優雅に塔を上り切った。
その姿には、無表情を心がけていた見張りの兵士も、思わず目を見開いている。
「到着したようですわね」
平然と微笑む令嬢。我に返った兵士は、彼女へ黙っているよう注意して、裁きの間の扉を開く。
そこは小さな演劇場のようであった。
真紅の天鵞絨に豪奢な金の刺繍を施した垂れ幕が、窓のない室内を彩り、中央には黒い円形の石段が配置されている。
「こちらへ」
その石段へ、ルクレツィアを案内すると兵士たちが彼女を取り囲み、跪かせる。
光を放つ銀髪が、さらりと流れ、黒い石の上に広がった。
薄く銀光を放ちながら波打つ彼女の髪は、埃にまみれてなお、美しい。
石段を囲むように同心円状に配置された席には、着飾った男女が腰を掛けている。
円の外側、一等高い位置では、その場の誰よりも絢爛な衣装を着こんだ壮年の男性――国王陛下が石段を睥睨していた。
そして、その横には王兄アレッサンドロ=ガブリーニが控えている。
――ここは裁きの間。
冷たく硬い床石に白い額をこすり付け、両の手を後ろでつかまれているルクレツィア。
彼女は、これから罪を裁かれる罪人として、取り押さえられているのだった。
元は高貴な身分にあった彼女の落ちた姿に、好奇と揶揄、そして嫌悪の視線が集まる。
「ルクレツィア=ガブリーニ。貴族としての籍を剥奪された汝に、この場での発言は許されぬ。刑罰が下されるまで、そこで己が罪を悔いるがよい」
貴族籍の剥奪という言葉に、彼女の思考がぐらついた。
そうだ。たとえ父親が拒否しても、国王の権限で彼女の籍を剥奪することは、可能だった。
石造りの部屋に反響するように重々しい声が響く。
顔も見えぬ相手から告げられた言葉に、彼女は唇を強く噛んだ。
申し開きも許されぬとは……やはり、運命を変えることはできなかったのか、と。
「『学園』における、カリニー男爵令嬢や平民たちへの、卑劣な行為を繰り返し行った罪は、高位貴族であるがゆえに重い。学園長ティート=バドエル暗殺の罪は、更に重い」
「わたくしが無実である事は、陛下がよくご存知のはずです」
なぜなら彼女は、国内外の依頼を果たすのに忙しく、事件に関与する暇などなかったのだから。
「発言は許されぬと言ったはずだ!」
押さえつける兵士の腕の力が強くなった。
体内を巡る魔力とこれまでの訓練のお蔭で、大して痛まなかったが、耐えがたい屈辱である。
まるで見世物のように裁かれるなど、ルクレツィアは知らなかったのだ。
怒りに体中が燃え上がり、衝動のままに黒い床石に頭を打ち付けて自害したくなる。
衝動をやり過ごし、彼女はぎり、と奥歯をかんだ。
「学園長の告発文書は本物であった。我々は全ての国民に公平な女神の子孫であり、身分に関わらず公正であらねばならない。また、一度下された決定は覆ることはない、とあらかじめ告げておく」
レッチェアーノの王族は決して間違えない。
なぜなら、一度下された決定は覆ることがないのだから。
もしも、無実の者を疑い、罪を問うた事が判明すれば、王位継承権を失う可能性すらある。
例えそれが、相手を思いやり、少しでも罪が軽くなるようにと思いやっての事であっても、だ。
『だから、せめて裁きを受ける前に、彼女へ謝罪してくれ』
ジュリオの言葉が、脳裏によみがえる。
彼は恐らくルクレツィアを訪ねる前に、彼女の罪について公言していたのだろう。
セヴェリオは最初から、ルクレツィアの言葉なんて、聞く気はなかったのだ。
王は彼女よりも王太子を選んだ。ただの令嬢よりも次期後継者を選ぶのは国王として当然の選択である。
「なお、ティート=バドエルの暗殺については、此度の件の後に問われることとなる」
彼女は最初から、処罰されるために、王宮へ呼ばれたのだ。
それを理解した瞬間、ルクレツィアの全身の筋肉がこわばり、息が止まる。
けれど、いくらなんでも不自然だった。
全ての罪をルクレツィアに着せて、闇に葬ろうとしている"誰か"が、存在する気がしてならない。
「では、陛下。最後に罪人へ、裁きの言葉を頂戴したく存じます」
王の玉座のすぐ下にいる父はどう思っているだろうか。
彼女はこうべを垂れたまま、怒りに震える唇を強く噛んだ。
自分よりも下位の貴族を貶め、その事実を隠すために、最後の英雄を暗殺した稀代の悪女。
その悪女を産んだガブリーニ公爵家の名も、地に落ちることとなるだろう。
悔しくて悔しくてならなかった。
一生暗い塔に幽閉されるのか、それとも、見せしめのように処刑されるのか。
国王の采配で変わるが、ルクレツィアにとっては、どちらも変わらなかった。
細い糸を張りつめるような危うさで、気丈に振る舞っていた彼女の心がぐらりと揺れる。
幽閉されるにしても、命を絶たれるにしても、同じことなのだ。
どのみち、家族や仲間にはもう二度と会えない。
そして、あの、真昼の太陽のような竜。我が身を焦がすと知ってなお、離れがたかった彼にも、二度と会うことができないのだから。
「自業自得ですわね」
差しのべられた手を振り払ったのは、他でもない彼女だ。
酷く傷ついたような、カルロの顔が頭に焼き付いて離れない。
彼は今どうしているだろうか。身勝手ではあるが、もし最後の機会があったなら、彼にこそ謝罪をしたかった。
そして、好きだと言ってくれたことに、ありがとう、と素直な気持ちを伝えたかった。
覚悟をしていたつもりでも、心の奥底から掘り起こされるのは後悔ばかり。
「……カルロ、」
応じるはずのない相手の名を、ルクレツィアは小さく呼んだ。
当然、答える声はない。
額を石畳に押し付けられ、罪人のように両の腕を掴まれた彼女の肩がふるりと震える。
――その時、力強い突風とともに塔全体が激しく揺れ、裁きの間に眩い太陽の光が差し込んだ。
けれど、窓のないこの部屋にどうやって?
兵士たちの力が緩み、自然とルクレツィアの顔があがる。
彼女の視界に入ってきたのは、信じられないような光景だった。




