第五十一話 意外な客
柔らかく座り心地の良い長椅子と、きらびやかな調度品の数々。
その部屋は、とても囚人用に用意されたものには見えなかった。
けれど、この部屋には窓がなく、重い扉を内側から開けるための持ち手もない。
「貴族のための牢屋と言ったところでしょうか」
――お帰りを、お待ちしております。
ルクレツィアを連行するために、ガブリーニ公爵邸を訪れた騎士たち。
その騎士たちを、ソフィアは自慢の筋肉で排除しようとした。
何とかそれを宥めて、屋敷を去る主人に、彼女はそう言って深々と頭を下げたのだった。
「すぐに戻ると告げましたが……この様子だと、そう簡単にはいかないようです」
王城に連れてこられてから、いったいどのくらいの時間が流れたのだろう。
食事や入浴の回数でおおよその見当はつくけれど、正確な日付は分からなかった。
城の中では魔術陣は紡げない。
使うとしたら単純な魔力の放出のみ。
既に竜角の魔力を返してしまったルクレツィアが魔力を放出したところで、脱出は不可能だろう。
もっとも、彼女に逃げるつもりはなかったけれど。
「ただ待ち続けるのも、暇ですわね」
常に忙しく国中を飛び回っていた彼女にもたらされた、嬉しくない休暇。
ぽつりとつぶやいた彼女は、扉の前に立つ気配に気づくと、距離をとって襲撃に備えた。
食事は先ほどとったばかりだ。いったい何の用事だろう。
開いた分厚い扉から、現れた意外な人物に彼女は眉を跳ね上げる。
「お初にお目にかかります。ルクレツィアさま。ジャンティーレ=ベルリンゲルと申します」
金髪を綺麗になでつけ、純白の近衛騎士の服をまとった男性。
彼は貴族特有の、近づきがたい冷たい笑みを浮かべている。
見たこともない表情ではあったが、彼は間違いなく、彼女の仲間であった。
ルクレツィアは思わず叫びそうになり、両手で口元を押さえた。
「ジャン!? あなた、どうやってここに」
「しっ。静かに。ジャンティーレと呼んでください」
「それはベルリンゲル侯爵家の三男の名前でしょう!? ……その名を騙れば、あなたとて、ただではすみませんのよ?」
貴族の名、それも侯爵家の名を騙るのは重罪だ。
それが明るみになれば最悪の場合、ジャンは処刑されてしまう。
知っているはずなのに、どうしてそんなこと、と顔をしかめるルクレツィア。
「いいんですよ。本人ですから」
しれっと言って、ジャンはルクレツィアの手を取った。
「それより、早くここから逃げますよ」
「はあっ!? 逃げるって、いったいどういうことですか?」
「だから、声が大きいですって! 私達はあなたが弱者を虐げ、人を殺せる人間でない事を知っています。イレーネさまは、昔護衛していた元第二王女……平たく言うと、私の義姉上から今回の話を聞き付けたらしくてですね。ここ数日、妙に静かなんですよ」
「イレーネが?」
「ああ見えてとても仲間思いで、だれよりも優しい御方だってことは知っているでしょう? 恐らくあなたを連れ出す策を練っていると思うのですが、今回ばかりは危険すぎる。ですから、イレーネさまが動く前に私が動きました」
「ちょっと待ってください!」
「時間がないんですよ。後のことなら心配する必要はありません。私もベルリンゲルからは、除籍されるでしょうが、些細なことです。王都から出てしまえば後はこちらのもの。どうとでもなります」
手を引くジャンに抵抗するように、ルクレツィアが詰問する。
「あなた、本当にあの、ジャンなのですか?」
「そうですよ。勘当覚悟で家を出たんですけどね、いつの間にか近衛兵として在籍していることになってました。病弱設定でまともに実務ができない名ばかりの近衛兵ですが、今回はそれを利用させてもらいました」
「隊服はどうしたんですか?」
「実家に忍び込んで拝借しました」
「実家に、忍び込む?」
眉を寄せて聞き返すルクレツィアにジャンが頷く。
「私も色々とありまして。ベルリンゲル侯爵家は代々、王家の魔術師として仕えているんですが、数日前に王都の結界が破られたらしくてですね。その対応に追われているようで、屋敷に人はほとんどいなかったんです。それでも少し骨が折れましたが、イレーネさまの宿に忍び込むよりは、遥かに簡単でしたよ」
あっさりと罪を告白した変質者は、悪びれなく微笑む。
有能過ぎる変態の恐ろしさに、ルクレツィアは震撼した。
「そ、それは流石に一線をこえているのでは……?」
「えっ? ああ、そうじゃなくて。私にも、愚かしい時期があったということです。あの頃の私はどんなことをしてでも、イレーネさまに勝ちたかったので。って、今は私の話より、ご自分のことを第一に考えてください!」
「そのことですが。ジャン、よく聞いてください」
彼女の声は硬く、揺るぎない意志を伝えてくる。
声から全てを察した、ジャンもまた、強い口調で問いただす。
「……断るつもりですか?」
「察しが良くて助かります」
頷くルクレツィアを宥めるように、ジャンが言葉を紡ぐ。
「イレーネさまだけじゃなくて、きっとエルモも一緒に来てくれますよ」
「そうじゃないんです」
「あの竜も呼んだ方が良いですか?」
「違います! わたくしが逃げれば、ガブリーニ公爵家が全ての責を負うことになるのですよ」
「ああ。ルクレツィアさまは、私と違って、家族大好きですもんねえ。……ガブリーニ公爵家が、あなたを除籍する可能性はないですか?」
緩く、自虐的な笑みを浮かべるジャンの言葉を、ルクレツィアはきっぱりと否定した。
「ありません」
「根拠は?」
「父が父である限り、わたくしを切り捨てるようなことはしないでしょう。外でどういわれようと、あの方はそれほど器用な方ではないのです」
幼い頃に交わした不器用な約束。
父との思い出はそう多くはなかったが、それでもその人となりを知るには十分なものだった。
なにより、幼少時に見た不思議な記憶でも、彼は不出来な娘を護るために命を落とす。
つらい記憶の断片に、彼女は首を振った。
「そうですか。恐らく、これがあなたにとって最後の機会になりますよ。本当に、残るというんですね」
海の青に緑柱石を溶かしたような、複雑な色合いの瞳が困ったように揺れる。
その瞳を真っ直ぐ見上げて、ルクレツィアはにっこりと微笑んだ。
「ええ。ジャン、あなたが捕まればそれこそ、イレーネが悲しみます。早く行って、そして彼女に伝えてください。わたくしを助ける必要はないのだと」
「そんなこと言ったら、一人で動いたのがばれちゃいますよ。イレーネさまに、蹴り飛ばされちゃいますって」
彼女の気遣いを感じ取って、ジャンが茶化す。
「あら。あなたにとってはご褒美ではありませんの?」
「えっ? ああ、確かに! それじゃあ、早速行ってきます!」
「ふふ。ほんとうに、相変わらずですのね」
重々しい空気を打ち払うように、彼らは笑みを交わしあう。
最後にもう一度、小さく笑うと、ルクレツィアは去りゆくジャンの背中に声をかけた。
「これをイレーネに渡してください。もし、イレーネの助けが必要な時は、わたくしの方から訪ねますから」
言って、ルクレツィアはジャンに向かって耳飾りを投げる。
それは月の護り石の耳飾りだった。
イレーネが無茶しないように。
たとえ無茶をしても、一度はその身を護ってくれるようにとの想いを込めて、ジャンに託したのだ。
彼は、振り返ることなく、後ろ手にそれを受け取った。
「――ジャン。来てくれて、ありがとうございました」
その声に応じるように、ジャンがひらりと手を振ると、分厚い扉がばたりと閉じられる。
再び訪れる、無音の世界。
とくとくとく、と少し早い己の心臓の音だけが、響いて聞こえる。
先ほどの会話で温められたかのように、胸の奥に熱が灯った。
一人じゃなかった。
自分には信じてくれて、こうして王城にまで助けに来てくれる仲間がいる。
目頭が、ジワリと熱を帯び、視界が滲む。
彼らの手を取る事は出来なかったけれど、来てくれただけで、十分だ。
それだけで、ルクレツィアは何度でも立ち上がることができる。
「ありがとう、ございます」
誰にともなくつぶやいて、彼女は静かにその時を待った。




