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第五十話 アレッサンドロの決断

 からん、と氷が解けてグラスを鳴らす。

 手に握ったグラスの酒は全く減っていなかった。

 むしろ氷が溶けてかさを増していくような有様である。

 執務室の大きな長椅子に深く腰掛けて、ガブリーニ公爵――アレッサンドロ=ガブリーニは重いため息を吐いた。

 つい先日、娘が目の前で城に連行されたのだ。

 止めようとしたが、王命を持ち出されてはそれもかなわない。

 セヴェリオに直接問いただそうにも、裁きの日まで、アレッサンドロは屋敷を出ることを禁じられている。

 あの子が弱者を(しいた)げて、英雄の暗殺を行うなど、馬鹿馬鹿しい冤罪(えんざい)だというのに。


「セヴェリオは一体、何を考えている……?」


 アレッサンドロの腹違いの弟にして、現国王である、セヴェリオ。

 彼はルクレツィアを連行する兵士に一枚の手紙をもたせた。

 アレッサンドロへの手紙である。

 国王の印が押された押された封筒の中には、用件のみを走り書きしたような紙切れが入っていた。


『すまない、兄さん。娘のことは、諦めてくれ。今のうちに彼女からカブリーニの籍を剥奪することをおすすめする。兄さんはきっと否というだろうけどね』

 

 手の中にある紙が、くしゃりと音を立てる。

 セヴェリオとティート=バドエルが秘密裏に行っていた研究については聞いている。

 しかし、その詳細についてはアレッサンドロも知らない。

 そこに、なぜルクレツィアが巻き込まれるのかが分からなかった。

 不測の事態が起きて、英雄ティート=バドエルが亡くなり、騒ぐ貴族をおさえるためにルクレツィアを生贄とするつもりではないのか。

 そんな考えすら、頭をよぎる。


「なあ、あんた」


 執務室で一人思い悩むアレッサンドロにかけられた男の声。

 アレッサンドロは手にした紙切れとグラスをゆっくりと机に置いた。


「賊か……どうやって忍び込んだ」


 低く、書斎に響く声は落ち着いている。

 けれど、その視線は室内を走り、侵入者の様子を隙なく(うかが)っていた。


「敵じゃねえよ。そう、ぴりぴりすんなって。俺はただ、ルクレツィアを救いたいだけなんだ」


「娘を?」


「そ。ルクレツィアの師匠のホフレってじーさんに、あんたに会うように言われたんだ」


 ルクレツィアがホフレに師事していたのは、公爵家の極秘事項だ。

 聞かれてないのを良いことに、二人のつながりは、国王にですら告げていない。


「なぜそのことを知っている。きさま、何者だ」


「俺はカルロ。冒険者やっているときの、ルクレツィアの相棒にして、求婚者だ!」


 きりっとした顔つきで胸を張り、どうだとばかりに言い切るカルロ。


「きゅう……こんッ!?」


 娘の安全のために定期的に調査を行っていたので、カルロという冒険者の話は聞いていたが、求婚など初耳である。

 一時、頭が真っ白になるアレッサンドロにカルロが畳みかけた。


「俺は、無実の罪で裁かれようとしているルクレツィアを助けてこの国を出るつもりだ。けれど、彼女は家族のためにそれを拒むだろう」


 彼も考えなかったと言えば、嘘になる。

 ホフレ=リストスキーの弟子にして、人類最強ともいえるほどの魔術師になった娘。

 彼女が黙って国に従うのは、きっと家族のためだろうと。

 けれど、アレッサンドロは小さな娘に約束したのだ。

 可能な限りの助力をし、決して、その手を離したりはしないと……!

 セヴェリオの言うように、ガブリーニの籍を剥奪することがお互いにとって最良であることなど、とっくに気づいていた。

 現在ティート=バドエルの告発文という、明確な物証があるのはルクレツィアのみである。

 アレッサンドロにつながる証拠は何もない。そもそもが無罪であるので、当然である。

 ルクレツィアにすべての罪を着せ、公爵家から籍を除いてしまえば、表立ってとやかく言われることはないだろう。

 しかしそれは、アレッサンドロにとっては禁忌であった。

 除籍するという事は、親子の縁を切るということである。

 例えどんな事情があろうとも、親から捨てられたという事実に変わりはない。

 それが、子供にとってどれほどの苦しみとなるのか、彼は痛いほどに分かっていた。


「――だから、頼む。ルクレツィアをこの家の籍から、廃してくれ」


 瞬間、公爵は血が沸騰するような怒りを感じた。


「黙って言わせておけば、この若造がッ! 貴様ごときに、分かるというのだ! 知った風な口をきくでない!!」


 アレッサンドロの拳がぶるぶると震え、視界が真っ赤に染まる。

 額に青筋を浮かべながら、公爵はぐっと奥歯を噛みしめた。

 これまで破ることなく、大切に守り続けた、小さな娘との約束。

 今その手を離してしまえば、彼と娘は二度と会うことができなくなるだろう。


「俺が、あんたの代わりに必ず守ると約束する」


 子を想う父の心の内も知らず、そのような言葉を告げるカルロ。

 アレッサンドロは考えるより先に、彼を思い切り殴りつけていた。

 カルロは人間の一撃くらいでは、びくともしない。

 それどころか、逆に公爵の拳の皮膚が切れて、血がしたたり落ちた。


「あの子を護るのは、親であるこの私の役目だッ!」


 鉄の仮面をかぶった冷血公爵。そう呼ばれるほど感情を表に表わすことのない彼の頬を、一筋の涙が伝った。


「私は決してあの子を見捨てない! 例えこの命が失われようと、この誓いを(たが)えることはないと知れッ」


 人は多くを愛する生き物だ。

 竜であるカルロには、それが理解できなかった。

 けれど、全身で娘への愛を訴える男は、竜がただ一人のツガイを想うように、家族というものを真に愛しているようだった。

 多くを愛するが、一つ一つの愛が、希薄(きはく)なわけではない。

 

「これが人間というもの、か……」


 愛するがゆえに、自らの犠牲もいとわない。

 これが、人間の愛し方。

 弱者であるはずなのに、誇り高く、美しい生きざまは、尊さすら感じさせる。


「あんたが、人間の王とやらに刃向えば、ルクレツィアは悲しむ。自分のせいで、家族や多くの人間の命が危険にさらされると(なげ)くだろう」


 パメラに教えられた言葉を咀嚼(そしゃく)し、カルロなりの言葉で、アレッサンドロに告げる。


「死んでしまえば二度と会うことはできないけれど、生きていればいつの日か再び会うこともできる。だから、あんたにはつらい決断になるが、ルクレツィアをこの国から自由にしてやってくれ」


「自由に……?」


「そうだ。生来の性分を考えてみろ。小さな国に収まるよりは、世界を自由に駆け巡る方が、彼女らしいだろう?」


 片目を閉じて愛嬌たっぷりな笑みを浮かべるカルロに、アレッサンドロも口元を緩める。

 そして、家と国民を巻き込んでまで娘の冤罪を晴らす心づもりであった、自らの無謀なたくらみを恥じた。


「――それも、そうだな。私はあの子を護っているつもりで、この手の中に閉じ込めていたのかもしれない」


「ルクレツィアは、それが嬉しくもあったようだからいいんじゃね?」


「あの子が……そのようなことを?」


「ああ。仲間が言うには、彼女は俺のことを好いているらしい。それでも、愛する家族と共に生きていくために、俺を遠ざけたんだと」


 娘の恋愛話に、どこか気まずい表情で公爵は頷いた。


「それはなんというか、君にも迷惑をかけたようだな」


「良いんだ。それでも彼女を諦められなかった俺が悪い」


 あっさりと言って流すカルロ。


「そうか。娘は良い相手に巡り合えたようだな。どちらを選んでも苦しい選択ではあるが、あの子の幸せが何より大事だ」


 アレッサンドロは長椅子から立ち上がると、彼に向かって深々と頭を下げた。


「……娘を、よろしく頼む。この手は離れども、心はいつも傍にあると伝えてくれ」


「ああ。伝えとく。なんたって俺は竜だからな。あんたの代わりに、この世のどんなものからも彼女を守り抜いてみせるぜ」


「うむ。ん? ちょっと待ちなさい。今、竜と言わなかったか? いや、まさかな。私のきき間違いであろうな」


 娘の求婚者から紡がれる、想定外の単語に、公爵は勢いよく頭を上げる。

 頼むから、聞き間違いであると言ってくれ。

 今日の公爵は常にないほど表情が豊かであり、多弁(たべん)であった。


「は? あれ、知らなかったのか。俺はカルロ――太陽神より生まれた、最後の赤竜だ」


「な、な、な、なんだとオオォォ―ッ!! ちょっと待て。落ち着こうじゃないか。いくらなんでも、娘を竜にくれてやるなど」


「んじゃ、除籍の件は頼んだぜ! 義理父さま」


 慌てて引き留めるアレッサンドロに背を向けて、赤竜カルロは紅い燐光を残して消えた。


「義理の息子が竜!? ルクレツィア。私の愛する娘よ。……なぜだ! なぜなんだ! なぜ、よりにもよって、相手が竜なんだアアァァァァ――ッ!?」


 この際、平民でも冒険者でも認めてやるから、せめて相手は人間をッ! 人間を――ッ!!

 数刻前は沈み切っていた室内に、上がる奇声。

 もしかしなくても、やんちゃ過ぎる公爵令嬢関係だと察した屋敷の使用人たちは、開きかけている扉をそっと閉めたのだった。

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