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第四十四話 アルシエロ5

本日のみ、二回目の臨時更新です。

「洞窟内はずいぶんと冷え込むのですね」


 真昼のアルシエロには、熱砂の大地という言葉がふさわしい。

 しかし、ここは外とは打って変って、光の差さない冷たい坑道である。

 鉱脈の洞穴には、冷気が漂っていた。

 見張りの兵士が言うには、奥まで進んで右側に、怪物が這い出してきた穴があるとのことだ。

 入り口を見張る兵士に礼を言うと、一行は洞窟の奥へと足を進める。

 土色の狭い洞窟内部を警戒しながら進み、くだんの横穴まで到着すると、ルクレツィアはその穴の奥を覗きこんだ。

 すると、アルシエロでは感じたことのないほどの強い魔力を感じて、彼女の腕に鳥肌が立つ。

 魔力だけでなく、冷気もそこから漏れてきているようだ。


「地下に空洞があるな。そこに巨大な魔石とあの小さな生き物たちがいるようだ」


 カルロの言葉にルクレツィアも頷く。


「……たしかに、そのようですね。転移陣を紡ぐので集まって下さい」


 ルクレツィアは空洞に位置を捜索魔術陣で正確に把握してから、転移魔術陣を起動した。

 冷えた岩の洞窟が視界で揺らぎ、空気に更なる冷気が滲む。

 まず見えたのは、蒼く繊細な光の網だった。

 細い糸状の魔石がまるで、蜘蛛の巣のように規則的に張り巡らされている。

 硝子質で透明度の高いそれには、強い魔力が秘められているらしく、石から溢れた魔力が洞窟内を青白く照らしていた。


「これは凄い」


 イレーネがため息をついた。

 風もないのに揺れる魔石の編み物は、ときおり重なり合って洞窟内にその音を反響させる。


「綺麗な音ですね」


 応じるジャンの声も心ここにあらずといった様子だ。

 風景も相まって神秘を感じさせる音は、耳に心地よい。

 張り巡らされた魔石の奥には、祭壇の様な物があった。

 蒼く透明な魔石を削って造られたそれは、どう見ても自然のものではない。

 細かな装飾彫りと宝飾品に飾られた祭壇は、厳かな雰囲気に満ちており、墓石のようも見える。

 地中に隠された古の神の祭壇、あるいは古代の偉人の墓所か。

 いずれにせよ、まるで別世界――人類未踏の聖地に紛れ込んだような感覚を与える場所だった。

 イレーネ、ジャン、エルモの三人は、この幻想的な光景にしばし見入っていた。


「美しい洞窟に心奪われるのは分かりますけれど、のんびり観光している余裕はなさそうですわよ」


 カルロとルクレツィアはこの空洞に潜む、強力な魔力の持ち主に気づき、早くも体制を整える。

 二人の視線を追って全員が祭壇の上方を見上げた。

 透き通った丸い胴体は張り巡らせた巣と同じ蒼色で、生えた十二の足も同じ色。

 ただ蒼の空間に浮かぶ、八つの複眼だけが、赤く、獲物たちを見下ろしている。


「でっけェ……あいつ、自分の子を喰らってんのか?」


 それは、刃こぼれした剣を幾重にも重ねたようなあぎとで、共食いをしている巨大な石蜘蛛だった。

 食まれた石蜘蛛の体は魔力を失って、ただの石くれとなり、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。


「食しているのは魔力だけのようですわね」


 石蜘蛛を喰らうごとに、それの身から零れる燐光が拍動し、体色が濃くなる。

 魔力を喰らう巨大な石蜘蛛に、ルクレツィアは眉をひそめた。


「先に魔石の巣の方を壊してしまいましょう」


 陣を紡ごうと呼気から魔力を練る彼女を、カルロが止める。


「止めた方がいんじゃね? 鉱脈どころか、ここいら一帯が吹っ飛ぶぜ」


「なぜですか?」


「忘れてるかもしんねーけどさ。ルーシーの魔力は世界に満ちる、あらゆる魔力との親和性が非常に高い。竜の角を砕き、その身に取り込むほどだ」


 懐かしむかのように瞳を閉じて、カルロは続けた。


「この、水の魔石で造られた洞窟でルーシーが闘志をもって魔力を使えば、魔力干渉による共鳴がおこる」


「……共鳴が起こると爆発するんですか?」


「ルーシーの魔力と意志に、魔石の持つ魔力が引きずられるんだ。平たく言うと、洞窟全体の魔石がルーシーの魔力に刺激されて大暴走。んで、鉱脈も魔物も諸共に砕け散って、全て吹っ飛ぶってわけだな。――そして、」


 さらりと言った後、いったん言葉を切って、カルロはルクレツィアを真顔で見つめた。

 この地域が吹き飛ぶよりも、更にとんでもないことが起こるというのか。

 知らず、彼女の拳にも力が入る。


「水の魔力を取り込んだルーシーの髪が、青く染まる」


「青ッ!?」


「うん。たぶん、宙に浮いた魔力が安定を求めて、親和性の高いルーシーに定着するんだ。俺は銀とか金の方が似合うと思うけどー……街を吹っ飛ばして、髪を青く染めたいってんなら、まあそれもいいんじゃね?」


 髪の色の部分だけやけに強調していうカルロに、ルクレツィアは妙な顔をした。


「貴族が髪を染めることは良くあるというが、ルーシーの染め方はやはり派手だな」


 感心するように言うイレーネにルクレツィアは眉間を押さえながら、言い返す。


「イレーネ、お願いですからそれで済ませないでください。わたくしは、できるだけ被害を出したくないですし、髪もこのままが良いです」


 一息に言って、彼女は赤髪の青年に視線を移した。


「ですから、カルロ。お願いします。……わたくしたちを炎から守るための結界も、忘れないでくださいね」


「はいはーいっと」


 嬉しげな表情と緩い返事の後、洞窟内に張り巡らされた巣が一気に燃え上がる。

 それと気づかないほどの速度で、生成された炎と強固な結界。

 カルロにとっては、魔力を使うことは、呼吸することと同等のようだ。

 灼熱と深青の光が洞窟内を満たした直後、竜の炎は、石から解き放たれた魔力ですら燃やし尽くす。


「魔力すら焼き払うとは、相変わらずでたらめな強さですねえ」


 ジャンが唖然としたように周囲を見回した。


「巣を壊された親蜘蛛はお怒りのようだ」


 言葉とは裏腹に、イレーネは犬歯をむき出して笑うと、大槌を振り上げる。


「アレは魔力を喰らうんだろう? ならば、次の標的はお前らだ。アタシらが足止めするから、その間に焼くなり串刺すなりしてくれ」


 驚異の脚力で、地へと飛び降りてくる大蜘蛛。

 その一撃を受け流すイレーネを補佐をするべく、ジャンとエルモも彼女の左右についた。

 身の丈よりも大きな足の一部をイレーネが槌で受け流すと、エルモとジャンが関節部分に刃を叩きこむ。

 正確に容赦のない一撃がたたきこまれ、闇をつんざく咆哮が、洞窟全体を揺るがす。


「なあ、ルーシー」


「なんでしょうか?」


「どっちが先に仕留めるか、勝負しねえ?」


 八重歯を出して、にいと笑うカルロにルクレツィアも挑発的な笑みを返す。


「――その勝負、受けてあげてもよろしくてよ」


 彼女が言うが早いか、相手をけん制するかのように、白銀色の魔力が宙を流れる。


「ただし、仲間に少しでも当てれば負けです」


「んー……わかった。面倒だが、仕方ない」


「では、始めましょう」


 直後、月の魔力が炸裂(さくれつ)する。

 上がった閃光は洞窟内を明るく照らし、闇を打ち払う。


「あっ! ずるいぞ、ルーシー!!」


 床、天井、そして洞窟内の左右の壁が波打ち、四方から伸びた無数の銀針が巨大な石蜘蛛を貫いた。

 イレーネ達を綺麗に避けるあたり、彼女の魔力操作は人外の域にあると言っても良いだろう。

 発動された魔力が散り、針が消失すると、蜘蛛がぐらりとよろめく。

 カルロは数瞬悩んだのち、残像を残して地を駆け、怪物を殴りつけた。

 巨大蜘蛛と比べると、小石のように小さく見える拳は、その一撃で怪物の固い体を粉々に粉砕し、周囲に霧散させる。


「よっし! これで、仕留めたのは俺だよな? ってことで、俺の勝ちー」


 カルロは得意げな顔でルクレツィアを振り返る。

 洞窟内に突風を生むほどの凄まじい一撃を放っておきながら、彼が気にするのは勝負の行方ばかりのようである。

 彼が竜体であったのならば、自慢の角を誇示するように顎を突き上げ、巨大な尾を忙しなく揺らしていたことだろう。


「なっ……勝ったのは、わたくしです! わたくしが倒した後に、カルロが消滅させたんです」


 子供っぽいカルロの勝利宣言に、ルクレツィアも顔を真っ赤にして反論する。

 強力な一撃を喰らわせたのは彼女なのに、美味しいところだけ奪われた怒りが、瞬時に沸騰したようだ。


「ええー。ルーシーの一撃でよろめいてはいたけど、まだ生きてただろ?」


「いいえ。あれはもう既に死体でした!」


 言い合う二人に、仲間の三人の視線も生暖かいものへと変化する。

 すると、突如として、宙に浮いていた水の魔力が一か所に集結した。

 髪を染められてなるものかと、身構えるルクレツィアを通り過ぎ、それは元々祭壇があったところに集まって形を成す。

 それは、青い燐光を放つ人間のようだった。


『――ルネッタ……』


 鼓膜を震わせるのではなく、直接脳に囁きかける麗しき声は、清らに流れる水の音を連想させる。

 心の澱すら洗い流すような、人ならざる者の奏でる音は、一時意識を断絶させるほど抗いがたいものだった。


「これは珍しい。この魔力、水の精霊(ラクア)か? 竜達おれたちがつくられる少し前に、姿を消したと聞いていたが……」


「らくあ、ですか?」


「ああ、水の精霊だ」


 カルロは水精霊を警戒するように、視線を外さず、ルクレツィアの問いかけに答えた。


『ルネッタ、わたくしに会いに来てくれたのですか』


 薄青い燐光をまとった彼女――水精霊の体は静かな湖面のように透き通っている。

 皮膚のあたる体表は水面のようにたえまなく揺れ、その造形を抽象化していた。

 彼女は台座からおり、地を滑るようにルクレツィアの目の前に行くと、親しい友にそうするように抱き着いた。


「えっ」


 戦いに火照った体を癒す、ひんやりとした感触。

 触れればふるりと震える水の肌は、抵抗するのを忘れてしまうほど気持ちが良い。

 水の精霊が宿すのは、害意のない、癒しの魔力だった。


『消えたはずのわたくしが現れて、さぞ驚いていることでしょうね。本来ならば、同胞たちが神とともに消えた時点で、わたくしも消失するはずでした。けれど、あなたへの信仰と人間への怒りがわたくしをこの地に留めた』


 涼やかで少し寂しげな音が織りなす言葉に、耳を傾けた後、ルクレツィアが口を開く。


「驚いてはいますが……それより、あなたは」


 だれ? と問おうとした彼女の質問が終わる前に、水の精霊は言葉を重ねた。


『あなたは、神すら手の届かない地に姿を消したと聞いておりました。二度と会えないと思っていましたが、再びこうして出会うことができて嬉しく思います』


 歓喜の輝きがこもった音は、天上の音楽のようで、いつまでも聞いていたいと思わせる。

 声と聴くたびに、脳が多幸感で満たされ、自身がより強く、より美しくなれる気がしてくる。

 抗おうとする意志すら優しく包み込む、人知を超えた至高の旋律のようだった。


「あの……」


『かつてのアルシエロ……百万の軍勢にただ一人、立ち向かって行った小さな背中。偉大なる月の女神の娘であり、半神としての、立場も、名誉も、矜持も捨てて駆けつけてくれたあなた。泥にまみれながらも、親友ともとしてわたくしの魂を救ってくれたことは、数千の時が流れた今でも、色あせることなくこの心に刻まれております』


 水の精霊の声が震える。

 猛る大波を思わせる声が、聞いているものの脳内に一つの情景を浮かばせた。

 ――人の足に踏み荒らされた広い草原。潰れた白い花の上に滴る赤い涙。精霊としての誇りを踏みにじられ、道具の様に消費されようとしている水の精霊が、大地に赤い涙を流している。

 彼女は癒しの力しか持たぬ、自身を呪い、無力を嘆きながら、消滅の時を迎えようとしていた。

 『遅くなって、ごめんなさい』

 詫びる言葉とともに現れた親友の全身は、既に血にまみれていた。

 生国で女神の娘として(まつ)られていた彼女が、その身を汚し、全てを捨てて駆けつけてくれたことを、水の精霊は察した。

 いかに女神の娘といえど、体は人間のものだ。

 百万の兵を相手に、たった一人で戦争を仕掛けるなんて、無謀(むぼう)を過ぎていっそ滑稽(こっけい)である。

 けれど、彼女は引かず、揺らがず、決して倒れない。

 彼女は最後まで人間たちの手から水精霊を守り抜いて、その死を看取った。

 そうして、この地を彼女の墓とすることを人間の王に告げて、アルシエロ全域の魔力を水の精霊の墓所に封じたのだ。

 親友の死を悼み、墓を作り上げると彼女はこの世界を去った。親友ともの居ない世界に用はない、と言い残して。


「……この映像は……」


 悲壮、憤怒、そして狂おしいほどの歓喜――水の精霊の感情が、直接胸に突き刺さるような感覚を覚えて、一行は言葉を失った。


『敬愛する小さな女神――ルネッタ。この国の人間たちへ、復讐を願った愚かな友人わたくしのためにあなたがしてくれたことは、決して忘れはしません。そして、この地をわたくしの墓として封じてくれたことを感謝する気持ちも変わりません』


 人間の話す言葉が聞こえないのか、水の精霊とやらは一方的に話し続ける。

 いつもならば、割って入るカルロも何やら難しげな表情で考え込んでいた。


『けれど、もう良いのです。水乙女たちの歌を介して、長いこと地上の人々の苦しむ声を聞いてきました。だからもう、良いのです』


 震え、揺らいでいた水の皮膚が人に良く似た美しいかんばせを形作る。

 それこそ、慈悲深い女神のような表情で、水の精霊がほほ笑んだのだ。

 アルシエロを呪っていた自分自身から、解放されたかのような表情。


『わたくしの怒りから生まれたもの達もあなたの手によって壊れたことですし、これで心置きなく消滅することができます』


「消滅!?」


『――彼らは、十分苦しみました。だから、どうか……』


 許してやってください。

 一言。

 最後に言い残すと、蒼い乙女は水のようにぱしゃんと弾けて、消えてしまった。

 許すもなにも、ルクレツィアは封印の解き方など分からない。

 ルクレツィアはルネッタとかいう半神ではないのだ。わかるわけがない。


「あれは一体……なんだったのでしょうか」


 呟く彼女の言葉に、答える者はいなかった。


「ま、依頼は達成したんだし、さっさとかえろーぜ」


 カルロだけはいつものように、あっけらかんとした態度で、洞窟から出るための陣を紡ぐことを(うなが)した。


「えっ? それで済ませていいんですか!? 今、私たちは数千年の時を超える大発見をしたと思うのですが」


 突っ込むジャンの肩をイレーネが叩く。


「神話に(うた)われる精霊が、ここに居た証拠はない。魔石も全て砕け散ったし、幻をみたと思われるだろうさ」


 カルロの炎に燃やしつくされて、神秘的な蒼の洞窟はもうなくなっていた。

 残っているのは土色の巨大な空洞のみ。


「ワシもこの目で見たはずだが、終わっちまった今としてはよォ。ありゃやっぱ、幻だったんじゃねぇかと思っちまうぜ」


 エルモが後頭部をがしがしと太い手で掻きながら頭をひねる。

 いつもの討伐とは違う、不可思議な出来事。

 相次ぐ異常種の襲撃、先日のアウトゥンノの件といい、どうにもおかしい気がする。

 何か大変な事が起こりつつある、そんな気がした。

 どこかすっきりしない気持ちで、一行は取りあえず宮殿へと戻ることにしたのだった。


「あら……わたくし、なにか大事なことを忘れている気がするのですけれど」


「あ? 気のせいじゃね?」


「それもそうですわね」


 こうして彼らの任務は終了した。

 ルクレツィアたちの去った洞窟に、一人残された例の彼。

 自称サウロ王子は、後に、魔石を掘りながら元気に上を目指しているところを発見されることとなる。

 彼はあらゆる意味で人々を驚愕(きょうがく)させることとなるのだが、一行はそのことを知る由もなかった。

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