第四十二話 アルシエロ3
アルシエロの夜気は昼間と打って変わって、冷え込む。
乾いた空気に触れた肌が痛み、冷気が体を侵食して、芯まで凍えるような寒さだった。
寝具に埋もれるようにして夜の寒さをやり過ごすと、明け方には焼けつくような熱気が徐々に押し寄せてくる。
昼夜の寒暖差が激しい土地と昨夜の出来事のせいで、ルクレツィアは寝不足気味であった。
眠たげに瞬きを繰り返す彼女の肩をイレーネが軽く叩く。
「鉱脈の位置は把握しているか?」
「え? ええ、もちろんです!」
宮殿の門までの道すがら、ルクレツィアがイレーネの問いかけに答える。
ならば問題ない、と頷くイレーネに頷き返すと、彼女はカルロの様子を伺った。
昨日あれだけのやり取りをしたというのに、特に変わった様子は見られない。
昨夜の出来事は喧嘩というよりも、ルクレツィアが一方的に怒っていただけである。
気まずい雰囲気になるのもやりづらいが、こうも平然とした態度を取られると、それはそれで対応に困る。
「ん? どうした、ルーシー?」
「いえ、なんでもありません」
目が合うとにこりと笑ってみせるカルロ。
笑顔を向けられるも、ルクレツィアはどうして良いかわからず、視線を逸らしてしまう。
昨日、カルロは人間のことが分からないと言った。
けれど、ルクレツィアだって竜のことがよく分からなかった。
昨夜のことがあるのに、どうしてこうも平然としていられるのか、いつもと変わらない態度で接することができるのか。
彼女には全く理解できなかったのだ。
二人の間に流れる微妙な空気を察するも、三人の冒険者たちの中でそれに触れようとする者はいない。
わざわざ竜の恋路に首を突っ込んで、焼き払われに行くような愚か者ではなかったからだ。
「それでは、出発するとしましょう」
王宮の門の外、衛兵の目の前で五人が身を寄せ合う。
魔力の枯渇したアルシエロでは、レッチェアーノのように、大気に満ちる魔力を使用できない。
完全にルクレツィアだけの魔力で五人を運ばねばならず、効果範囲も狭い方が望ましかった。
「俺は後から一人で追いかけてもいいけど?」
「カルロ一人くらい大して変わりありませんから、一緒に運びます」
言いながら、視線を上げると門のところまで案内してくれたメルファが、一行を……いや、カルロをじっと眺めていた。
熱を孕んだその視線に、ルクレツィアの心が揺れる。少しの不安と動揺。
本性が、竜であるカルロ。この国を訪れるまで、彼が人間と恋をするなんて考えたこともなかった。
好いてくれることが、嬉しくてとても苦しい。
ルクレツィアは彼の想いを拒んだ。だから、いずれ、彼は別の人間を選ぶのだろうか。
もしそうなったら……。
そうなったら、どうするというのだろう。自分にはそれを思い悩む権利などないというのに。
ルクレツィアは頭を振ると、沈みかけていた思考を打ち切るように声を張った。
「準備はいいですか」
止める言葉がない事を確認して、彼女は転移魔術陣を紡ぎ、起動した。
淡い銀の燐光が強い日差しをうけて煌めく。
一瞬の後、彼らは鉱脈のある土地の入り口に転移していた。
日に焼けてひび割れた赤煉瓦を積み上げた大きな門には、屈強な二人の男が荒野を睨むように立っている。
その目の前に、人だかりができていた。
国の大事な施設である、魔石の鉱脈。この土地には王族の許可がなければ入れない。
現在取り押さえられている男は、無理やり門を突破しようとしたようだ。
「この、無礼者ッ! 手を離せッ! わざわざ、鉱脈の魔物を退治するために自国に戻ってきたというのに、何をする!?」
憤る男を、中年の兵士がほとほと困った様子で宥めている。
「だから、ここは王族の許可がないと入れないんですって。諦めてくださいよ、旦那ァ」
「我はこの国の王子ぞ!? その我が良いと言っているのだ! 通せッ」
「いやいや、そんな。王子がこんなところにいるわけないでしょう。第一、王子はまだ十代だ。あんたが騙るにゃ、そりゃあ無理があるってもんだぜ」
「それは第二王子のニコラだろう! 我は第一王子だ!」
「馬鹿言っちゃいけねえ! 第一王子のサウロさまは、病弱で、滅多に人前に現れねえんだよ。あんたのどこが病弱だっていうんだ!」
「おい、待て貴様ァ! それは聞き捨てならんぞ。我のこの、鍛え抜かれた肉体を見よ! どこが貧弱だというのだ!?」
自称サウロ王子を眺める衛兵たちの目は、苛立ちから、憐れむようなものへと変わっていく。
完全に頭のおかしい、気の毒な男だと思っているらしい。
これ以上騒ぐようなら、投獄もやむ負えないと相談し合う、衛兵たち。
大剣を背負った砂色の髪の男は、それでも引く気はないようだ。
熊のように大きな体を怒りに震わせて、鉱脈を救わせろと訴え続ける。
「あの」
太い眉を寄せ、眉間に深い皺を刻んでいる門番に、ルクレツィアが声をかける。
彼らは一行を上から下まで、じろりと眺めると、重々しく頷いた。
「レッチェアーノの冒険者ですな。どうぞお通り下さい」
言われて、人だかりの横を通り過ぎようとする彼らを引き留める声があった。
「あ。おい、そこの貴様ら! む? 耳が遠いのか!? 我だ! 我だというのに! おい、待て。背を向けるな! 待てぇぇえええぇえいッ!!」
「ぐッ! 耳が……!」
兵士たちが顔を歪めるほどの大声。
ああ、この展開。どこかで覚えがあるような。
ルクレツィアは嫌な予感がした。
「……知り合いか?」
イレーネの問いかけに、ルクレツィアは素早く首を振った。
「いいえ。全く」
きっぱり言い切る彼女の肩に、太い腕がずっしりとのしかかる。
「久しぶりだな! まさかこのような場所で再開するとは思わなんだぞ!」
埃っぽい砂と汗の香りに、ルクレツィアが振り向く。
すると、彼女の目と鼻の先に、笑みを浮かべる男の顔があった。
「どうした? なにをそんなに呆けている」
取り押さえていた男たちを引きずりながら、彼女の肩をつかむ男。
恐るべき筋力である。
近すぎる距離に驚きつつも、ルクレツィアは気を落ち着けるように、軽く息を吐いた。
「いえ。あの、まずはその手を」
肩から手を離すよう、彼女が言おうとした時、カルロが男の手を掴んで無造作にひねる。
捻られた勢いで土ぼこりを上げ、男達が地面にひっくり返った。
兵士たちともつれ合うようにして転んだ、自称サウロ王子。
彼はカルロの顔を見上げて、何かを閃いたかのようにカッと目を見開く。
「はッ! もしや、礼をしようと我を追いかけてきたのか!?」
今しがた投げられたばかりだというのに、どうしてそう思えるのか。
一行は開いた口が塞がらなかった。
「礼をしたいというのならば、それは今だ! 今まさに我は困っている。国の重要な鉱脈を魔物の手から救いたいというのに、街に入れないのだッ!」
一行が何か言う前に勝手に都合のいい勘違いをして、捲し立てる男。
彼はルクレツィアたちの背を押すようにして、勢いのままに門の内側へと入り込んだ。
門番たちは渋い顔をしていたが、異例の事態に、まずは宮殿と連絡を取る事にしたらしい。
何やら慌ただしくしている衛兵たちを尻目に、一行は街の中へと進む。
「それで、あれはなんだ?」
全身に闘志をみなぎらせ、意気揚々と鉱脈へと向かう男を顎で指して、イレーネが問うた。
「エスターテの海竜討伐に乱入し、去って行った変わり者です。悪い人ではないと思うのですが……」
歯切れの悪いルクレツィア。イレーネは野性の勘で何かを察したように頷く。
「なるほど、ただの変態か」
「ええっ!? いいえ、わたくしはそんなこと……」
ジャンがイレーネを護るように、すっと半歩先まで歩み出た。
その手は腰の剣にかけられており、いつになくきりっとした表情である。
「イレーネさまに、変態を近づけるわけにはいきません」
「ジャン……」
「ジャン」
「ジャンさん」
カルロとジャン以外の三人の気持ちは一つだった。
「おめェがいうんじゃねェッ!」
三人を代表して、エルモがいつもの突っ込みを入れる。
「はあ? 急にどうしたんだ、エルモ?」
全く分かっていないように肩をすくめ、苦笑するジャンをエルモがどつく。
「なにをする!?」
「すまん、うっかり手が滑っちまった」
「そうか。私もうっかり剣が滑ったようだ」
流石にむっとしたジャンが鞘に収まった剣で殴り返すと、二人の殴り合いが始まった。
腰を低く落して拳を突き出すエルモをいなして、蹴りを入れようとするジャン。
二人の無駄に卓越した組み手を背に、イレーネ達は歩いてゆく。
一行を遠巻きに眺めている街の住人達に、ルクレツィアはなんだか申し訳ないような気分になった。
「あっ! 待ってください。イレーネさまッ」
後ろを振り返れば、曲芸的な器用さでエルモの拳を交わしながら、ジャンがかけてくる姿が映りこむ。
一応、レッチェアーノの冒険者代表として来ているのに、このようなことで良いのだろうか。
ルクレツィアは少し頭が痛くなった。
乾いた赤い砂が土ぼこりとなって、衣服を汚す。
赤い煉瓦と、赤みを帯びた白い布で飾られた小さな家々。
アルシエロの王都と少し雰囲気は似ているが、幾分地味な印象だった。
街の住人は皆、長い布を頭からかぶっており、砂と強い日差しから身を護っている。
布もかぶらず、異国の戦闘装束で街を歩く五人。
しかも、うち二人は拳闘中の一行はどうみても、悪目立ちしていた。
「はやく鉱脈へ向かいましょう」
「そうだな」
足を進めれば、面白いように割れていく人波。
彼らはなぜか、ルクレツィアと目があうと両手を胸の前で組み、祈るような仕草をした。
異国の地と異国の人々。まだまだ謎の多いアルシエロで彼女に分かることはとても少ない。
けれど、知らなかったことを知り、未踏の大地へと足をのばす冒険は、ルクレツィアの心を弾ませる。
彼女の数歩前では、イレーネが堂々たる足取りで道のど真ん中を闊歩していた。
未知への警戒を怠らず、しかし、それすら楽しむような、ゆったりとした歩みである。
その背を少し駆け足で追いながら、ルクレツィアは小さく笑みを浮かべた。




