第四十話 アルシエロ――世界の終りにある大地
どこまでも広がる乾いた砂と岩の大地。
砂塵巻き上がる荒野では、太陽の光ですら遠くかすむ。
世界の終り――この地がそう呼ばれるのも、わかる気がした。
木々や川、動物など、人が生きていくうえで必要とするようなものが一切見当たらない不毛の地を一行は歩いてゆく。
アルシエロの大半を覆う砂は、地にあっては足を取り、宙に舞い上がっては肌に張り付いた。
この頃にはカルロに角の魔力を返し終え、銀髪に戻ったルクレツィアの髪も、砂にまみれてややくすんでしまっている。
「転移陣というのは、本当に便利なものですね。さっきまでレッチェアーノに居たとは思えません」
周囲を見渡すと、ジャンは感嘆のため息を吐いた。
レッチェアーノの冒険者ギルドからアルシエロの王都まで、一気に転移させる。
そんなことができる魔術師など、彼は聞いた覚えがなかった。
船も馬車も要らず、こんな簡単に移動できるのならば、皆そうするはずである。
ならば、目の前の彼女だ例外ということだろう。
「ルーシー嬢には、毎回驚かされますねえ」
彼の常識はここ数年で擦り切れてしまい、最近では驚くべきことが起こっても「ルーシー嬢だから」で済ませつつある。
彼らの先を行くイレーネは、慣れぬ土地に隙のない視線を巡らせて、辺りを警戒していた。
「アルシエロのヤツらはいったいどうやって、生活してんだろうなァ」
エルモが歩きながらぼやく。
アルシエロの王都は、砂色の大きな煉瓦の王宮を中心とした、建物の集合体であった。
外壁はあるが、ところどころひび割れており、修理が追い付いていない風である。
中に入れば、色鮮やかな布で飾られた石造りの建物がいくつかあり、人通りも多い。
とりわけ王宮は鮮やかな布のほかに、金や銀、珍しい鉱物で飾られていた。
砂交じりの風に薄絹がひらりひらりと踊るたびに、ふくよかで優美な香りが鼻をくすぐる。
レッチェアーノであれば、華美に過ぎて下品だと言われそうであるが、この国の雰囲気には良く似合っていた。
風が運ぶ甘い香木の香りと相まって、全体的に妖しげで艶めかしい印象だ。
王宮の入り口では異国情緒あふれる美女が一行を出迎えた。
肌が透けて見えるほど薄い衣を纏った女性に案内され、一行は王宮の奥へ奥へと進んでいく。
「――やあ、いらっしゃい」
しゃらん、と薄い金属が重なり、擦れ合う音が鼓膜を揺さぶった。
案内された部屋は広く、一面を色鮮やかなしき布が覆っている。
一行は最奥にある、薄絹の垂れ幕に向かい合うように、敷き布へと腰かけた。
「来てくれて、嬉しいよ」
熟れた果実のような橙色の薄絹を、幾重にも重ねて作られた幕の先から聞こえる、年若い少年の声。
レッチェアーノの貴族であるルクレツィアには、薄絹ごしとはいえ、地面に腰を掛けるのは抵抗があった。
しかし、それがこちらのやり方ならば、と敷き布の上ですっと背筋を伸ばす。
「お久しぶりです。ニコラさま」
年の割に落ち着いた玲瓏たる声音に応えるのは、拍子抜けするほど気安い口調だった。
「ああ、うん。随分と久しぶりだねえ。父は少し休んでいてね。挨拶もできなくて申し訳ないんだけど、僕が代理で話をさせてもらうよ。あれ……少し魔力の香りが変わったようだけど、なにかあった?」
こみあげる愉悦と戯れるような声色は、薄絹の先にいる人物が油断ならない人物だと思わせる。
口元には笑みを刻み、一見友好的に見える紅茶色の瞳の奥には剣呑さと狡猾さを秘めていることだろう。
「えっ、いえ、特には」
魔力に香りとは……?
そういえば、初めて出会った時もニコラはそのようなことを言っていた気がする。
動揺する彼女をからかうように薄絹が揺れ、妖艶な香りが鼻をくすぐった。
「そう? まあ、話したくないならいいけど。そこの赤毛の男も、ものすごく良い匂いがするね。この国の女なら放って置かないんじゃないかな」
くすりと笑みを含んだ声がいうと、なぜかカルロではなくルクレツィアの体が揺れた。
ここまで案内してくれた美女を横目に見ると、美女は肉厚の花弁を思わせる唇を綻ばせる。
色香匂い立つような美女とは彼女のような人のことを言うのだろう。
ルクレツィアは自分に関係ない事だと、理性では理解していた。
しかし、我知らず、己の体でカルロを隠そうと重心が移動する。
「ああ、そうそう。依頼の話だったね。……本当に困っているから、早速本題に入ってもいいかな?」
「はい。わたくしどもとしても、そうしていただけるとありがたく存じます」
「そう、それなら遠慮なく。実は、我が国の唯一の魔石鉱脈に、ちょっと変わった魔物がすみついてね。倒しても倒しても溢れてきてキリがないから、その原因の調査をお願いしたいんだ」
「調査の依頼ですね?」
「解決してくれたら、報酬は上乗せするし、我が国と貴国との関係もまたより一層深まるだろう。ただ、君が死ぬと面倒なことになるから、無茶はしないこと」
「かしこまりました」
「いい返事だね。ああ、そうだ。困ってはいるが、今すぐ調査に向かえというほど我が国も厚顔ではない」
しゅるりと布が擦れる音が聞こえて、薄絹の中から少年が顔を覗かせる。
褐色の肌に、揺蕩う紅茶色の瞳、目元の泣きぼくろが危うい色香を感じさせる少年。
ニコラ=アルシエロは、ルクレツィアが夜会で会った時とはまるで印象が違っていた。
「ルーシー……そして、勇敢なる冒険者たち」
幕の奥に覗く上半身に衣服は纏っておらず、日に焼けた肌と年の割に引き締まった体を、惜しげもなく晒している。
衣服の代わりに身に着けるのは、黄金や大振りの宝石をあしらった装飾品のみ。
裸体と宝飾品の組み合わせなど、自国では見慣れぬ一行が、目のやり場に困るような艶めかしさであった。
しかし、大きなクッションにもたれて地面にゆるりと寝そべるという、レッチェアーノではだらしないとされる姿も、少年には良く似合っている。
「仕事は明日からでよい。部屋に案内させるゆえ、今日のところはゆるりとやすまれよ」
そのまま視線だけをよこして、目を細める姿は猫科の猛獣を連想させる。
最後は王族らしくしめるニコラにレッチェアーノ流の礼をして、一行は部屋を後にする。
イレーネ、エルモ、ジャンの三人は早速アルシエロの散策に向かった。
なんでも、この国の市場は他では手の入らないほど珍しい品物を扱っているのだそうだ。
強い魔力をもつルクレツィアとカルロは、良くも悪くも人目を引きすぎるので、今回は王宮で留守番である。
「こちらへどうぞ」
美女に案内されたルクレツィアの部屋には、予想通り椅子やテーブルがなかった。
けれど、鮮やかな青に染められた敷き布の上には、寝そべれそうなほど大きな白絹のクッションが添えてある。
クッションの傍には、大輪の花と山と盛られた果実を乗せた台などが用意してあった。
部屋の四隅は白と青の布で飾られており、ところどころに銀の刺繍が入っている。
「良い匂いだな!」
果実の瑞々しい香りに誘われて、カルロは部屋に入って座り込んだ。
「カルロ、ここはわたくしの部屋です!」
「おう。知ってる」
言いながらカルロは果実をもいで、豪快に口にする。
「美味い! ルーシーも食べるか?」
わざわざ果皮を剥いて、果肉をよこすカルロ。ルクレツィアはそれを受け取って、一つ口に含んだ。
「ん、甘くて、美味しいです」
彼女は渇いたのどを潤す、爽やかな甘みに頬を緩めた。
「そうかそうか。んじゃ、もっとむいてやるからな!」
ルクレツィアの表情にカルロも相好を崩すと、目の前にある果実を片っ端からむき始めるのだった。
「ちょっと待ってください! わたくし、そんなに食べれません!」
「安心しろ、その時は俺が食べる。ルーシーは食べたいものを食べたいだけ、食べてればいい」
それなら、最初から自分のためにむいて食べればよいのに。
冬眠前の小動物のように、口いっぱいの果実を食べさせられたルクレツィアは、もごもごと口内の果物を咀嚼しながらそう思った。
けれど、カルロがあまりに嬉しそうだったので、結局、思うだけにとどまる。
こうして二人は、お腹が破裂しそうになるまで果実を食べ続けたのだった。




