第三十七話 アウトゥンノ2
「なんですの、これッ」
ルクレツィアが嫌悪に全身を震わせ、掴まれた足を強く蹴り上げると、"それ"は柔らかい土からゆっくりと這い出してくる。
まみれた土では覆い隠せないほどの腐臭をまとった黒い影。
人によく似た形をしていても、人には有り得ない異形。
土をかき分ける腕は抉れて、所々骨が見えていた。
胴体に開いた穴から土と虫が這い出るそれを、自分と同じ……と認めるなど、理性と感情が許さない。
けれど、彼女の脳に刻まれた知識が囁く、あれは自分と同じ――人間、だと。
死して大地にかえされた、人のなれの果てなのだと。
ざりざりと正気を削られるような不快感を吐き出すように、ルクレツィアは陣を紡いだ。
自身の真下に炎の陣を紡ぐ少女をエルモが慌てて抱えると、派手な火柱があがる。
燃え盛る炎からルクレツィアを庇いながら、エルモは彼女を叱り飛ばした。
「しっかりしろッ! やべェ臭いはぷんぷんするが、自滅してどうすんだ!」
体が燃えようとかまわず迫りくる腐った死体。
腐臭に肉と脂肪が焼けるにおいが混じって、少女は思わず顔をそむけた。
「怯むな、ルーシー。実体があるなら、倒せる」
イレーネは言いながら、背負った幅広の長剣を抜くと、迷いのない太刀筋で死体の脊髄を断った。
上半身と下半身を分断されて、崩れ落ちる死体。
体を二分されてなお、動きを止めない死者は、両手で地を這いずりながらルクレツィアへと迫る。
下半身を置き去りにして、炎に身を焦がしながらも、這いずり迫ってくる腐った死体――それは、これまで無残な死体を見ずに生きてきた少女にとって、地獄が顕現したかのような光景だった。
それでも、取り乱すことなく、目の前の地獄に対処しようとする仲間達。
「そう。いつものように、な」
イレーネの剣が閃く。
いつの間にか周囲は、死者たちに囲まれていた。
エルモが大斧を構え、ジャンは細身の剣を抜いている。
彼らの姿に鼓舞されて、ルクレツィアの焦点も定まった。
目を逸らしていたら、殺される。自分だけでなく、自分を庇った仲間まで。
震え暴れる心を腹の底に落しこむように、息を深く、深く――はく。
限界まで息をはきだして、その倍の時間をかけてゆっくりとすう。
そうして呼気を落ち着けて、ルクレツィアは謝罪した。
「取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」
目の前の敵から魔力の核である、魔核は感じない。
そのため、動く死体の急所は不明だ。
けれど、イレーネの言うように、叩けば飛ぶし、斬ればくずれる。
瞳に光を取り戻した少女に、仲間達も口端を持ち上げた。
「いいってことよ。嬢ちゃんにゃ、ちと、キツイ光景だろうしなァ」
ぶん、とエルモが斧で二体の死者を薙ぎ払う。
あれほど不気味得体のしれなかった動く死体が、人形のように吹き飛んでいくさまはどこか滑稽だった。
「壊しても、動ける限り迫ってくるというのは、中々厄介かもしれませんね。もしかしたら、体液に毒をもっているかもしれませんし」
細剣での正確な突きで、死体の四肢の関節を破壊し、ジャンが呟く。
彼の呟きはもちろん、イレーネに向けてのものだ。
「そうだなァ。かの大魔術師ホフレ=リストスキーは、高密度の魔力と精密な陣で、魔物を瞬時に蒸発させたという話を聞いたことがある。ルーシー、どうだ。やれるか?」
まさかこんなところで師の話が出てくるとは、と少女は驚きつつも頷いた。
「それほどの陣を紡ぐには、時間と集中力が必要です。発動まで少し時間がかかりますが、可能です」
「わかった。それなら、後衛に回って、アタシらが切り崩した死体どもを蒸発させろ」
ルクレツィアは少し下がると、壁を背にして目を伏せた。
そうして、呼気に魔力をのせ、死体たちめがけて陣を紡ぎはじめる。
月も星も見えない暗闇に、眩い銀光が奔り、地を這い伝う蔓のように、複雑かつ精緻な陣が紡がれてゆく。
――ホフレより受け継いだ、とっておきの陣。
使う機会がなければいいとは言われたが、こうして実際に紡ぎ始めれば、少女の口に笑みが浮かぶ。
自らの魔力を紡いでその力を開放する瞬間は、苦しくも、心地よい。
物体を蒸発させるほどの温度ともなれば、かなりの熱量になる。
ルクレツィアは仲間が巻き込まれないよう、先に結界を張って熱と死体を閉じ込めることにした。
「こいつァすげえな」
描いていた陣の、最後の円が閉じた。
銀の陣は完成した瞬間、儚い燐光を残して消える。
直後、暗闇を切り裂く、白炎が上がった。――否、それは強い熱が発した、光の残滓。
光が収まると、絡まりあっていた三体の死体は忽然と消え失せていた。
熱風がふきつけ、きつく結んであったはずの少女の髪が解けて波打つ。
「うわ……初めてみましたが、確かにこれは凄まじいですね」
ジャンの声を遠くに聞きながら、ルクレツィアは頭を振った。
極度の集中とその解放。ただ魔力を垂れ流すのとはわけが違う。
遠のきそうになる意識を何とか繋ぎ止めて、両の足に力を込めた。
消費魔力量は問題なかったが、これほど多くの魔力を使用した陣を紡ぐ機会がなかったため、体がついていかない。
この陣は本来ならば、一流の魔術師が数十人がかりで紡ぎあげるような陣である。
もしも、陣を紡いでいる途中、ルクレツィアが魔力の操作を誤れば、村もろとも火だるまになるだろう。
「わたくしの集中力が途切れれば、村ごと炎に包まれて、焼け死ぬことになるでしょう。大岩で死体を潰して動けなくするのはどうですか?」
「岩だと、自ら行動範囲を狭めることになる。道は残しておいた方が良い。いざとなったら、即座に集合し、撤退できるようにしておくべきだ」
もっともな意見に、ルクレツィアは頷くとすぐに新たな陣を紡ぎ始めた。
イレーネ達が死体を足止めしている間に、ルクレツィアが陣を紡いで死体の残骸を蒸発させる。
しばらく同じ作業を繰り返していた四人だが、いったいどこからそんなに湧いてくるのか。
時間が経つごとに動く死体の数が増えてゆく。
魔力と生命力の核である、魔核を砕けば倒せる魔獣と違って、動く死体には急所がない。
数の暴力に徐々に追い詰められ、いよいよ撤退も視野に入れ始めた頃――月も見えない暗闇に、真昼の太陽が落ちてきた。
「あーッ! もう、見ちゃいらんねえッ!!」
暗闇を切り裂く真紅の閃光。
その光が収束した後、現れたのは赤髪の青年だった。
彼は燃える炎の様な魔力を揺らめかせ、挨拶代わりに周囲の死体を焼き払う。
ルクレツィアのそれと同等、いや、それ以上に高温の炎は瞬時に家屋と死体を消滅させた。
「なッ!?」
ルクレツィアは慌てて周囲に結界を張った。
結界を張り、少し離れたところにいたはずの少女でさえ、感じた強い熱気。
頬を焼かれた気がして、彼女は無意識に自身の頬を撫でた。
「まあ、見てろって。こんなん、俺の炎で一発だぜ」
にっと笑みを形作るカルロ。
その口から炎が吐き出されるのを想像して、ルクレツィアは慌てて身を乗り出した。
「カルロッ!?」
口から火を噴く人間なんていない。
そんなことをすれば、彼が竜であることがばれてしまう。
陣の展開も忘れて叫ぶルクレツィア。
少女へひらりと手を振って、カルロは掌から炎を放射すると、周囲の動く死体どもを焼き払う。
蒸発こそしないものの、炎の焼かれて炭となり、ぼろぼろと崩れ去る腐った死体。
彼の一撃で村の三分の一が壊滅状態になった。
「あ、あなた……なにを……」
口から火を噴くよりはましだ。
けれど、陣も紡がず、掌からあれほど高温の炎を放射するというのは、規格外にもほどがある。
カルロが赤竜であることはまだ3人には告げていない。
そのことを知っているのは、おそらく世界でただ一人。
ルクレツィアだけだった。
人の皮をかぶった竜が堂々と往来をしているとわかれば、無用の混乱を招く。
二人で話し合ったことを、カルロはすっかり忘れているようだ。
「なんだよ、ルーシー。随分苦戦してっから、こっちまでいらいらしちまってな。陣なんか展開しなくても、俺の魔力残ってんだから同じように手から出せばいいのによ」
手から放出していた炎を弾に変えて、遠くの死体に当てるカルロ。
仲間の三人はその光景を、口を半開きにしたまま眺めていた。
それでも戦う手を止めなかったのは、流石といえるだろう。
「魔力を……手から……?」
自分の掌をじっと見つめていたルクレツィアは意を決して、腕を前方に突き出した。
「お、おい。まさか、嬢ちゃん」
エルモの声も今のルクレツィアには聞こえていないようだった。
彼女は大きく息を吐くと、己の中にある魔力を感じ取るべく、すっと瞳を閉じる。
そのまま、体中の魔力を掌へと集約するように引き絞ってゆく。
陣を紡ぐよりもずっと簡単だった。
髪に宿った竜角の魔力が、彼女の意志に応じて、全身を勢いよく駆け巡る。そして、掌から一気に抜け――白光が闇を切り裂いた。
遅れて響き渡る破壊音。
少女の掌から光線が奔り、前方の死体を薙ぎ払ったのだ。
抉られる地面と、両断される家屋。そして、爆散する死者。
――ルーシー、お前もか……!!
その瞬間、三人の心は一つだった。
戦場において、一度も止まったことのないイレーネが、足を止めて硬直する。
エルモは取り落としそうになった斧を、慌てて掴みなおした。
いつも飄々としたジャンが、からん、と剣を地に落した音がどこか遠くに響く。
ジャンはその生まれのせいで、他の二人より魔術師と言うものについて知識がある。
その分、目の前の光景がどれだけ異常で、人間離れした力によるものなのか、正確に理解してしまったのだ。
三人の脳内に、危険を知らせる警鐘が鳴り響く。
それは、冒険者として彼らの命を何度も救ってきたものだった。
「おー! すっげー! なにそれ!? なあ、今のってどうやったんだ?」
カルロが黄金色の瞳をきらきらと輝かせながら、問いかける。
ルクレツィアは家屋の崩れる轟音に負けまいと、声を張って答えた。
「わかりません! このまま押しますわよ! 御三方も呆けてないで、しっかりなさい!!」
掌から光線を出しながら、村を駆ける公爵令嬢の言葉に、三人はハッと我に返った。
動く死体以上の衝撃的な出来事に一時、我を失ったが、ルクレツィアとカルロは敵ではない。
生存本能によって凍りついた空気が、理性によって動き出す。
「はっはっは!! 魔術師ってやつぁなんとも型破りなものよ! そお――いッ! ワシらも負けてはいられんなァ!!」
エルモが大斧振り回すと、数体の死体が軽々宙を舞う。
「ああ」
イレーネも短く答えて、両手剣に持ち替えた。
彼女はルクレツィアの放つ光線を、危なげなくかわしながら、襲い来る死者を刈り取ってゆく。
「いやでも、いかに魔術師と言えどあのような芸当は……」
呟きながら、ジャンは地面に転がった剣を拾い、迫ってくる死体を蹴りあげた。
彼のすぐ横をイレーネの放った短剣が通り過ぎる。
「今この時を切りぬけられりゃなんでもいいだろ。ジャン、おまえもアレの仲間入りするつもりか?」
ジャンの背後に迫っていた死体がばたりと倒れる音がした。
イレーネの言葉に、ジャンも細剣を握りなおすと、彼女の後に続いて死体の群れに切り込む。
皆それぞれに、初めて遭遇する敵と想定外の事態への戸惑いや疑問があった。
しかし、ここにきて、ようやくいつもの流れが戻ってきたようである。
調子を取り戻した彼らにとって、動く死体など敵ではなかった。




