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第三十六話 アウトゥンノ1

 色鮮やかな紅色の葉が、渇いた風にあおられて、はらりはらりと落ちてゆく。

 地面に積もった紅い絨毯は、吹きつける風に水分を奪われ、やがては枯葉となる。

 湿った濃い土と枯葉の色。そして未だ瑞々しい、紅色の落ち葉の対比は、見る者の目を楽しませた。

 地を歩くたびに、さくさくと耳触りの良い音をたてる落ち葉。

 その感覚を楽しみながら、少女は踊るような足取りで地を踏む。


「アウトゥンノには初めて来ましたが、なかなかに趣深く、美しい土地なのですね」


 少女とはいっても、その体は少しずつ大人のものへと近づきつつあった。

 月の光を集めて咲く白い花が、夜露を含んでしっとりと艶めくような麗しさ。

 花が綻ぶ寸前の危うげな美しさをもつ彼女は、長い髪を綺麗にまとめあげ、動きやすい狩り装束に身を包んでいた。

 長い革のブーツで機嫌よく歩みを進める少女へ、灰色の髪の女が声をかける。


「少々辛気臭い雰囲気のある地域だが、初めて訪れる者には、目新しく感じるかもな」


「ええ。上空から眺めたら、見ごたえがありそうな地域です」


 きらきらと瞳を輝かせて、空を見上げるルクレツィアへ、イレーネは小さく笑った。


「ルーシーは変わらないな。たしか、もう、十五だったろ? 淑女であれば、宙を飛び回るのはハシタナイんじゃないか?」


「あら、イレーネに言われたくありませんわね。貴女だって、狩りをするときは嬉々として地を駆けまわっているでしょう」


「それもそうだな。仕事が終わったら好きなだけ、遊んでくると良いさ」


 仕事。その言葉に、ルクレツィアは今回の仕事内容を思い出した。

 ――アウトゥンノとエスターテ境の、国はずれにある廃村では、夜な夜な死者が蘇り、旅人を襲うという。

 その話が、冒険者ギルドに寄せられたのは、全くの偶然だった。

 なんでも、珍しい砂色の髪をした男が、ギルドへ立ち寄り『竜殺し』の情報を求めたという。

 けれど、不審なよそ者に仲間の情報をくれてやるような人間は、レッチェアーノのギルドにいなかった。

 代わりに、噂に尾ひれと背びれ、更には胸びれまで付け足したような、『竜殺し』本人とは程遠い情報をくれてやる。

 男は礼を言うと、旅の道すがらに出会った不可思議な出来事を、ギルドの受付へと教えて去ったという。

 曰く、アウトゥンノとエスターテの境辺りにある廃村で、腐敗した人間に襲われたとのこと。

 自称腕利きの剣士である男は危なげなく対処し、夜が明ければ死者も去ったそうだ。

 しかし、原因までは分からず、罪もない民が餌食になっては大変だと、ギルドに情報を残していく事にしたらしい。


「仕事内容は話の真実を確かめ、遭遇した場合可能であれば、『襲って来る死者』を殲滅すること、でしたわね」


「そうだ。まあ、この辺りで行方不明になった旅人も多い。アタシらより前に依頼受けた連中も、戻ってないらしいから気ィ抜くなよ」


 今回、カルロは留守番だ。

 イレーネ達が一緒に居るのに、カルロを連れてきたら、流石に竜だとばれてしまうだろう。

 カルロはつまらなさそうに鼻を鳴らしていたが、最終的には了承した。

 ときおり、ルクレツィアの周囲で小さな炎が上がってはすぐ消えるので、恐らく遠見の魔術――神代に失われた高度な魔術だ――で見てはいるのだろう。

 竜角の魔力を取り込んだ金髪は、抜けると即座にカルロの魔力に燃やされ、元の持ち主へと帰ってゆく。

 そうして髪は生え変わり、ルクレツィアの髪の毛はこの数か月で、半分ほど銀色に戻ってきている。

 髪が金色になってからは、これまでよりもずっと抜け毛の量が多く、剥げてしまうのではないかと心配した時期もあった。

 異様な生え変わり速度はもしかしたら、竜角の魔力の影響かもしれない。

 とにかく、今は剥げていないので、ルクレツィアも様子を見ることにしたのだった。


「腐った死体の魔物なんざ、聞いたことねェし。想像するだけでゾっとすらァな」


 エルモの言葉にルクレツィアの意識が引き戻される。

 今は自身の頭部の心配をしている場合じゃない。仕事に集中すべきだ。 

 少女は軽く頭を振って周囲の魔力を探る。


「今のところ、周囲に気になる魔力反応はありません」


「男が襲われたのは、夜に廃村の空き家を宿代わりにしたとき。とのことですから、夜にならないと出現しないのでは?」


 大きな背負い袋をいくつも背中に積んだジャンが、いつもと変わらぬ調子で答える。


「あの。その大荷物はいったいどうしましたの?」


「ん? ああ、色々ですよ。廃村で夜を明かす可能性もあるので、その準備です。暗闇なら、辺りを照らす魔道灯は必要ですし、小汚い廃屋でイレーネさまに休んでいただくわけはいきませんからね」


 足取りも軽く、爽やかな笑顔で街道をあるくジャンは、知らない人が見ると行商人か何かと勘違いされそうなほど。

 ルクレツィアはあれだけの荷物を詰め込んでも、破けない、耐久性のある布袋に感嘆した。


「イレーネは廃屋でも気にしなさそうですけれど」


「まァな。だが、明かりはあるにこしたことはない。アタシとしてもありがてェし、細々としたところに気が利くヤツから、本人の好きにさせるさ」


 珍しく、ジャンを褒めるイレーネ。

 褒められた当人は、ピタリと歩みを止め、激しく左右に振動した後、感極まったようにイレーネに突っ込んで行く。


「イレーネさまアアァァァァ――ッ」


 イレーネはというと、いつものごとく、光に迫る速さで彼を足蹴にしていた。


「うるさい」


 先ほど褒めたとは思えないほど、容赦のない一撃。

 いつもより重々しい音を立てて倒れるジャンの顔は、それでも満面の笑みを浮かべている。

 荷物は無事だろうか。

 心配しつつ、ルクレツィアとエルモの二人はいつもの風景を背に、廃村を探して歩みを進めるのだった。

 しばらく歩くと、人気のない街道にぽつりとたたずむ看板が見えてきた。

 黒ずみ、半ば腐れている看板の文字は、かすれ、滲んでいて読めない。

 看板の先には、枯草を踏み分けてできた小道があり、その向こうに古びた家屋がいくつか見えた。

 村の周囲にめぐらされた木製の柵は、朽ちてもはや見る影もない。


「文字が読めないほど、腐敗した看板と踏み分けられた獣道けものみち……ここで、間違いないようだな」


 枯草の小道を革の長靴で踏みつけて、四人は村の中へと入ってゆく。

 廃村には木や藁で造られた家が多く見受けられた。

 木を削って壁や屋根の骨格となし、その上に束ねた藁を編み上げて屋根としている家屋。

 そのほとんどは、壁が崩れ、屋根の一部も風雨にさらされて腐れ落ちたのか、欠損していた。

 放棄されて長いようで、全体的に埃っぽく、よどんだ空気がたまっている印象を受ける。


「あの家は、屋根も残っていますし、壁の腐食部分も少ないので、あちらに拠点を構えましょう」


 村全体をさっと見渡し、中心付近にある家を指してジャンが言うとイレーネも異論なし、と頷いた。


「ジャンが準備をしている間に、アタシらもこの魔道灯を村に設置するぞ」


 魔道灯とは、大気中の魔力を集めて燐光を発する光源のことである。

 魔力を含む石に刻まれた陣が、大気中の魔力を集め、あふれでた魔力が発光するという冒険者の必須道具の一つ。

 簡単に言うと、ルクレツィアやカルロのように、傑出した魔力保持者の髪が発する燐光を、魔石と陣によって再現するために造られた道具だ。

 難を言うなら、魔術師が紡ぐ炎陣の光よりは弱く、また、石の魔力が尽きればそれまで、といった点だろう。

 合計で十個の魔道灯を村の中に設置した後、朽ちた柵に獣を警戒するために用いる、鈴鎖をつけた。

 もし、暗闇で柵を越えようとするものがあれば、鈴鎖がガラガラと騒がしい音を立てて、侵入者を知らせるだろう。


「怪しいものがないか、日が沈む前に調べちまおうぜ」


 エルモの提案に従って、各々、村の廃屋を回り、怪しげな道具や死体などが居ないか見回る。

 そんなことをしていると、あっという間に日暮れがやってきた。


「完全に日が落ちる前に、食事を済ませましょう」


 焼いた肉の香ばしい匂いをさせながら、ジャンが頃合を見計らって三人に提案する。

 村の中心部にある家の中に入ると、そこは廃屋とは思えないほど、整っていた。

 こげ茶色の土の床は綺麗に掃き清められ、もちろん、塵や廃材が転がっているなんてことはない。

 黒ずんでかびている食卓には、白い布がかぶせてある。

 その上に並んだ料理の数々は、ここが朽ちた廃村であることを一時忘れそうなほど、見事なものだった。


「肉を焼いて味付けして、野菜を煮こんだスープとパンを添えただけですけどね」


 四人分の食器を綺麗に並べた食卓は、あの、ジャンが準備したものとは思えない。

 礼を言って席に着くと、ルクレツィアはまず、スープを一口含む。

 野菜の甘みがジワリと舌に沁み、ついで、刺激的な香辛料の香りが広がる。

 野菜はじっくりと煮てあるようで、とても柔らかい。匙にとって口へ運べば、あっという間に舌の上でとろけて消えた。


「そんな……とても、美味しいです……」


 驚愕する少女に、ジャンが機嫌よく応じる。


「イレーネさまへの愛が詰まっていますからね」


 それは正直、聞きたくなかった。

 ルクレツィアは数秒考えた後、聞かなかったことにして、食事を再開した。

 ジャンという男は一緒に仕事をすればするほど、その有能さが目を引くが、同時に、どこまでも残念な男であると痛感させられる。

 そんな男だった。

 イレーネはジャンの告白も意に介さず、黙々と食事をとる。

 そして、食べ終えると一言。


「美味かった。ごちそうさま」


 イレーネにしては、丁寧な口調で礼を言った。

 そのあとジャンがどうしたかは言うまでもないだろう。

 イレーネの靴底で、地面と戯れているジャンを尻目に、ルクレツィアとエルモは食卓の片づけを始めるのだった。


「人間、意外な特技があるものですね」


「最初は剣で野菜を叩ききるなんて、とんでも料理を披露してくれたもんだがなァ。イレーネのヤツが文句も言わずに完食するもんだから、目覚めちまったらしくて」


 昔を思い出す様に遠くを見つめるエルモの気持ちを察して、ルクレツィアは瞳を伏せた。

 いったいどんなとんでも料理を出したのか、想像もできない。

 ただ、エルモは野性味あふれた外見に反して、気の良い男である。

 イレーネが完食した以上、ジャンの料理を残すようなことはしなかっただろう。


「お気持ち、お察しいたします」


「ありがとうよ」


 どこかしんみりとした気持ちで、二人が片づけを終えるころには、薄闇が空を覆いつつあった。

 魔道灯による燐光が村に灯り、暗がりの中に廃村の姿がぼんやりと浮かび上がる。

 滅びゆく村に灯る明かりは、暗闇を照らすことで、その闇の深さを浮き彫りにしていた。

 それはまるで、幽玄の世界へと導く灯火のようにもみえる。


「月が……ない……」


 外の様子を確認しようと廃屋をでたルクレツィアは、暗すぎる空を見上げて、その違和感に気づいた。

 月が、ないのだ。

 星も見えない。

 日中は天気が良かったので、恐らく曇っているためではないだろう。

 ここにきて、少女は初めて事態の異常さに、危機感を覚えた。


「イレーネッ」


 慌てて踵を返す少女の耳を打ったのは、警戒を促す鈴鎖のぶつかり合う音。

 ――侵入者だ。

 少女の声に呼ばれて廃屋から出てきた三人の鼻をついたのは、吐き気を催す刺激臭だった。

 彼らを呼んだ少女の足は、なにか、に掴まれている。

 廃屋前の魔道灯に照らされた"それ"は、歪な形をしていた。

 一度溶かして固めた白蠟(はくろう)を、不器用な子供が削ったかのような、白い物体。

 それは溶けかけた人間の腕だった。

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