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第三十五話 エスターテ2

「……なぜついて来たのですか?」


「わたくしには、見届ける義務があります」


 仮面の下で瞳を細めるルクレツィアと、腕を組んで胸を反らすパメラ。

 またしても険悪になりかけた二人の空気を破ったのは、一人の男だった。

 少し離れた場所で、逃げ惑う人々の声が聞こえるほど、人気ひとけが遠のいた海岸沿い。

 いつになく静まりかえった海辺を満たすのは、海竜の接近に荒れ狂い、ぶつかり合う波音のみであった。


「海竜か」


 男は少女達から数歩離れた位置に、ふらりとやってきて一人、海原を睨みつける。

 エスターテのそれより、強い日差しに焼かれて色が抜けたような、砂色の髪に、褐色の肌。

 くたびれた旅衣装をまとったその男は、背負った大剣を鞘から抜くと、正眼に構えた。


「我は竜殺しを探すのに忙しいのだが、他国のとはいえ、民が困っていとあれば見過ごすわけにもいくまい」


 カルロに殴られて地に沈むも、すっかり調子を取り戻したらしい。

 砂色の髪の大男は、腰を落してどっしりと大地を踏みしめた。

 そうして、海岸へと迫る海竜を正面から見据える。

 彼は領主の屋敷と同じくらい大きな、海竜の頭部にもひるんだ様子はない。

 それどころか、男の口元には、笑みすら浮かんでいた。

 今まさに決戦の時――とでもいうような光景に、三人はあっけにとられて、しばし時を忘れる。

 迫る海竜。

 迎え撃つ男。

 両者の戦いを邪魔するのも無粋に感じるほどの、緊迫感がそこにあった。


「オオオオオオォォォ――ッ!」


 海竜の頭部が伸びあがり、海岸へ上陸しようとした刹那。

 男が、ぐんと膝を曲げ、空へと飛翔する。

 巨体が嘘のような俊敏さ。

 いつか見た光景に、ルクレツィアはとても嫌な予感がした。

 そうして、驚異的な跳躍力で海竜の頭部へと切りかかった男は……大剣を振り上げた姿勢のまま、海竜の大きな口の中へとまれていく。

 下から上へと放り投げたたまが、底なしの穴に吸い込まれていくかのような、美しい放物線を描いて、男の姿は見えなくなった。


「あ」


 誰の漏らした言葉だったのか。

 三人は口を開いたまま、その光景を見送った。


「よし! 次は俺らの番だな! 派手に付近一帯の海ごと蒸発させるか?」


 男の不幸を気にした風もなく、カルロは意気揚々と前へ出る。


「それはやり過ぎです! せめて頭を焼き尽くす程度にしてください」


 ルクレツィアも我に返ると、周囲に自身の魔力を巡らせた。

 付近に他の人影はない。

 海竜に呑まれていった男に釘付けになっている間に、民たちの避難は済んだようである。

 念のため海岸沿いの道周辺に銀色の結界を張ると、ルクレツィアは空中へと転移した。

 口を開けて待ち構える海竜に、彼女は仮面の中で唇を歪める。


「わたくしは、彼ほど甘くなくてよ」


 拳に月の魔力を収束させ、巨石の杭を打ち出す。

 少女の小さな拳から顕現した、大きな岩の杭は重力に従って加速し、海竜の顎を地面に縫い付けた。


「うっしゃあッ」


 ルクレツィアの一撃を称えるようにカルロが声を上げる。

 そしてその声に呼応した太陽の魔力が揺らめき爆ぜれば、天を貫かんばかりの火柱が上がった。

 頭部が蒸発した海竜は、なんどか身をくねらせ、海岸沿いの店の一部を押しつぶしながら息絶える。


「これで、依頼完了ですね……って、まだ、う、うごいてます!」


 完全に沈黙したかに思われた海竜の腹部が、不意にうごめいた。

 拳に魔力を込めて陣を描き、殴りかかろうとした少女を止めて、カルロが笑いをこらえる様に首を振る。


「カルロ?」


 ルクレツィアが尋ねたそのとき、身の丈ほどもある大きな海竜の胴体に切れ目が入り、中から何かが飛び出してきた。


「ふん、大蛇も腹の中までは鍛えることができなかったようだな! 所詮、我の敵ではなかったということであろう」


 海竜の体液にまみれた男は、それでも無事、怪物の腹の中から生還したようだ。


「また一つ、無辜むこの民を救ってしまった。この国に我が武名が轟けば、いずれ竜殺しの方から我が下にはせ参じるかも知れぬな! フッ、フハハハハハ――ッ!」


 高らかな笑い声をあげ、ぬめる大剣を背負いなおすと彼は一同に背を向ける。


「礼はいらんぞ。どうしてもというのならば、竜殺しの情報を持ってくるがいい」


 背を向けたままそんなことを言って、砂色の髪の男はエスターテから去った。

 妙に背中の似合う男だったが、べとついた体液にまみれていては、台無しである。


「ええと、倒したのは私達ですよね?」 


 ルクレツィアの声が虚しく響く。


「あいつ弱いのに丈夫で面白いよな! ちょっとあぶってみればよかった」


「止めてください。たぶん死にます」


 けらけらと無邪気に笑う青年に少女がびしりと釘をさす。

 珍妙な男に最初から最後まで乱入されるも、すぐに調子を取り戻す二人に咳払いして、パメラは胸を反らした。


「依頼は達成されました。王都の家令にギルドへ報酬を支払うよう命じておきます。それと……ルクレツィアさま。もう仮面は必要なくてよ」


「なっ!?」


「わたくし、知識欲旺盛でして。隠されると余計に知りたくなりますの。公爵令嬢が冒険者の真似事をしているなど、この目で見るまではとても信じられませんでしたけれど」


 うっそりと口元を隠して微笑むパメラだったが、やがて苛立ちを抑えきれないとばかりに、扇を振り始める。


「それにしても、その香油で来るとはいい度胸なさってますわね。しかも、屋敷に来る直前まで仮面をしていないだなんて、わたくしを馬鹿にするにもほどがあります」


 香油は夜会でつけていたものと同じく、特別な花の香りを混ぜたものだった。

 もっともな指摘に、ぐっと奥歯を噛みしめて、ルクレツィアも仮面を取った。

 これが普通の侯爵令嬢であれば、多少の嫌味をもらった後、仕事を済ませて帰れるはずであったのに。

 この、ブレガ侯爵令嬢は、ルクレツィアとは違った意味で"普通"とは言えないようであった。


「知っていて、あのような無礼なふるまいをしたと? そちらこそ、大した度胸です。わたくしの不興を買えば、どうなるか、分からないわけでもないでしょうに」


 ルクレツィアは仮面を地面へ叩きつけると、あえて挑発するような高慢な声で高飛車に言い放つ。

 ここで弱気な態度を見せるわけにはいかない。

 家名が晒された以上、ルクレツィアはガブリーニ公爵令嬢として、振る舞わねばならないのだ。

 つん、と顎をそらし、己の魅力を誇示するように艶やかな唇を持ち上げる。

 そうして、伏し目がちにすっと目を細め、憐みに満ちた視線を向けると、ルクレツィアは全身でパメラを見下した。

 状況を見守っていたカルロが、地に落ちた仮面をそっと回収する。

 その姿を視界の端に見て、少女は一度だけゆっくりと瞬きをした。

 カルロへ申し訳なく思う気持ちに、そっとふたをすると、彼女は姿勢を維持したまま続ける。


「それとも、そんなこともわからないほど、頭の足りない愚か者だったのかしらね」


「いいえ。わかっております。わかっていても、わたくしの領地の一大事に、お遊びの延長で現れたのが、ひどく癇に障りましたの」


 少女のあからさまな威嚇にも動じず、平静を装いきったパメラ。彼女の手元で、ひらひらと扇が揺れる。


「ですが、違ったようですね。事情は分かりませんが、遊びと侮っていたお詫びに、今回のことは借りにしておいてさしあげます。わたくしの情報が欲しいときにはいつでもいらして」


 どこまでも、傲慢な物言いに、ルクレツィアも柳眉を跳ね上げる。

 ここで引いては、公爵令嬢の名折れであるとばかりに、パメラに噛み付いた。


「まあ、あなた。このわたくしに無礼を働いて、それで済むとでも?」


「わたくしはもちろんのこと、ルクレツィアさまもこのことを公に取り上げるわけにはいかないでしょう? ならば、この辺が落としどころでしょう」


 にい、と瞳を細めて提案するパメラに、ルクレツィアもしばし黙り込む。

 公爵令嬢がギルドの荒くれ者に混じって冒険者をしているなど、社交界の貴婦人たちがこぞって取り上げたがるであろう、醜聞である。

 退屈を持て余した夫人たちは、喜んで元の噂にあることない事をつけたしたあげく、国中に拡散させるだろう。

 それこそ、パメラがルクレツィアに無礼を働いた話など、吹き飛んでしまうくらいの勢いで。


「……抜け目のない方ですこと。この貸しは高くつきますわよ」


 敵に回せば、確実に面倒になるであろう令嬢に貸しを作ったというのに、ルクレツィアは素直に喜べなかった。

 それは、何とかこの場をやり過ごしたパメラも同様だろう。


「望むところです」


 互いに優美な笑みを浮かべて、交わされた視線は、見た目の美しさに反して剣呑さをはらんでいた。

 しばし見つめあった後、両令嬢は同じタイミングで踵を返し、背を向ける。

 地を叩く靴底の音と波音のみが響く海沿いの道を、二人の令嬢は振り返らずに歩いてゆく。

 一人は、町の出口へ向かって、もう一人は屋敷の方へと。

 パメラの気配が遠のき、姿が見えなくなったところで、カルロは少女に声をかけた。


「ルーシー。やっぱ、あいつ、燃やしといたほうがいいんじゃね?」


「何でもかんでも燃やして解決しようとするのは、やめてください」


 鋭い突込みを入れて、ルクレツィアは溜息を吐いた。


「あの様子なら、問題はないでしょう。わたくしの秘密を晒せば、わたくしのみならず、父の不興も買うことになります。そして、恐らく、この件に国王陛下が絡んでいることにも、気付いているでしょうしね」


 レッチェアーノの玄関として国一番の港をもつ、エスターテ。

 その港を護るという、大役は果たした。

 しかし討伐した海竜よりも、もっと大きなやっがいごとをいくつも引き当てた気がして、少女は頭を悩ませる。


「まあ、そんなに心配すんなって。いざとなったら、俺がまるごと全部焼き払ってやるから」


 街を丸ごと焼き尽くすなど、とんでもないことをさらりと言って、来た時と変わらない笑顔を浮かべるカルロ。

 彼のとんでもない言動に振り回されていると、悩みに沈んでいた少女の心もふわりと浮き立つ。


「だから、どうしてすぐ燃やそうとするのですか……。まあ、でも。ふふ、ありがとうございます。カルロ」


「よしきた! 任せとけ!」


「ちょっと待ってください! あなたの気持ちは嬉しいけれど、焼き払うのはなしですわよ?」


「なんで?」


「わたくしも死んでしまうからです!」


「ああ! なるほど!……えっと、ルーシーは避けるようにするから、大丈夫だ! 問題ない!」


「その間はなんですの!? ちっとも大丈夫じゃありませんし、問題だらけに思えるのですけれどッ」


「えー」


 気の抜けたカルロの返事に、ルクレツィアの唇は自然と笑みを含む。

 少し物騒で、たわいない、ちぐはぐな会話。

 こうして二人は言葉を交わしながら、共に道を歩いてゆく。

 転移するのも忘れて、街の出口の到着する頃には、"やっかいごと"は彼女の頭の中からすっかりと消え失せていた。

 何があろうと、諦めなければきっと何とかなる。

 陽気なカルロの飄々(ひょうひょう)とした在り方を見ていると、そんな気がした。

 人とは全く違う生き物。

 しかし、明るく素直で、ちょっと物騒な竜への感情を、ルクレツィアはこの時初めて自覚する。

 それは、恋情と言うほど激しくはない。けれど、穏やかで、胸の奥を温かくする、親愛の情だった。


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