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第三十四話 エスターテ1

 強い日差しが肌を焼き、吹き抜ける潮風が髪を攫う。

 絵にかいたような青い空に、大きな白い雲。

 背の高い木々が立ち並んだ、海沿いの通りでは、陽気な音楽を奏でる芸人たちが楽しそうに踊っていた。

 レッチェアーノで一番大きな港をもつ地域、エスターテ。

 賑やかな大通りは混雑しており、他国からの来訪者や地元の民が入り乱れて歩いている。

 その人ごみに紛れながらも、横を通り過ぎれば目を引く二人組が、もの珍しげに通りを散策していた。

 一人は、日差しを反射して煌めく金髪に白磁の肌を持つ、気位の高そうな少女。

 その隣には、底知れぬ覇気を纏った、赤髪の偉丈夫が肩を並べている。

 王都では目立つ二人組。しかし、原色をふんだんに使った衣服を身にまとう、エスターテの民たちの中では、さほど違和感なく馴染んでいた。


「ルーシー! あれはなんだ!?」


 海沿いの道から一つ入った通りは、市場になっているらしく、色とりどりの果実が甘い芳香を漂わせていた。

 人間の社会を学ぶ中で、カルロがとりわけ好んだのは食文化の研究である。

 元々、食物を摂取する必要がないカルロは、多種多様な食材を加工して食す人の文化に興味を持ったのだ。

 今では茶会だけでなく、ルクレツィアの屋敷で晩餐をともにすることもあるほど。

 肉の焼ける香ばしい臭いに惹かれて、屋台へふらふらと歩み寄る青年を追いかけ、少女も小走りになる。


「待ってください、カルロッ! お金を払わないと!」


「あ? 文句を言うヤツは俺が焼き払ってやるから安心しろって」


 呼び止められるも、カルロが気にした様子はない。彼はひらりと手を振って、串焼きの肉を豪快に頬張った。

 とたん、甘辛いタレと少しかための肉が、カルロの口の中で混ざり合う。焼きたての肉が放つ熱。それをものともせず、カルロはほくほくとした湯気を上げながら口を開閉している。


「それでどうして安心できるのですか!?」


「嬢ちゃん、まいどありッ」


 少女から代金を受け取ると、串焼きを売っていた壮年の男性は、威勢のいい声で二人を見送った。

 初めての買い物が、食い逃げしようとした竜の串焼きの支払いだなんて。

 腰元の革帯に付属した小型かばんの中の、金貨、銀貨、銅貨を眺めながら、ルクレツィアは何とも言えない気持ちになった。


「ルーシー。はぐれるなよ」


 串焼きをあっという間に食してしまい、木串を手の中で燃やすと、青年は少女に手を差し出す。

 差し出された手の意味が分からずに、ルクレツィアがカルロを見上げると、彼は首をかしげた。


「ん? どうした。小さな人間は、はぐれないように、こうして手をつないで歩くんだろう?」


 カルロは真面目に人間のことを学んでいるようだ。


「えっ、いいえ……わたくしは……」


 思わず後ずさる少女など意に介さず、青年はさっと手を取ると、少女を引きずるようにぐんぐん足を進める。

 少し骨ばった暖かくて大きな手に引かれ、賑やかな港町を練り歩く。

 がっしりとした広い背中はときおり少女を振り返り、尋ねるのだ。


「さっきから黙り込んでるな。楽しくないのか? 俺はすげえ楽しい!」


 からりとした笑顔がまぶしくて、ルクレツィアは左右に視線を揺らすと、さっと目を逸らす。


「なんだよ。具合でも悪いのか?」


 抱きかかえようと伸ばしてくるカルロの手を慌てて避けて、少女は身構えた。

 少々挙動不審な態度をとってしまったことを恥じて、ルクレツィアの頬が朱に染まる。

 当たり前のように庇護しようとするカルロへ、どう対応して良いか分からない。

 公爵家の護衛の者たちはいつも一定の距離を保ち、常に立場をわきまえていた。

 イレーネ達は庇護者と言うよりは、共に戦う仲間だ。

 近しい距離で、こうも自然と手を伸ばされるのは初めてのこと。

 例え角の件があろうとも、カルロの好意や気遣いが嬉しくて、なんだか気恥ずかしい。


「だ、大丈夫です。わたくしもそれなりに鍛えておりますので」


 今の彼女には精いっぱいの言葉で、礼と遠慮を告げると、カルロは気にした風もなく、あっさりと頷いた。

 そうして、興奮気味の少女を宥めるように、その頭を撫でた。


「そっか。わかった。けど、無理はするな」


 ――わ、わたくしには婚約者がいるというのに、これは許されるのかしらッ!?

 近しい距離でのふれあいに、ルクレツィアの頭の中は大混乱となったが、それもやがておさまった。

 カルロは人懐こくて、距離が近いだけで、特別な意図はまずないのだろう。

 ……ならば、一人慌てるわたくしの方がおかしいのでしょう。

 自身を納得させ、カルロとの距離に慣れてくるころには、ルクレツィアも街の散策へと興味を向け始める。

 それから、二人は屋台巡って出来立ての軽食や新鮮な果実水を楽しんだ。

 腹ごなしに海沿いの道を歩いていると、潮騒の音に混じって、奇声が上がる。


「オオオォォォォ――ッ!」


 腹の底から響くような重低音。

 異様な気配にルクレツィアが振り返るとそこには、砂色の髪を逆立てた、熊のような大男がいた。

 手にした大剣を振り上げ、地を蹴って迫りくる男。体格に反して、獣じみた俊敏さであった。


「なッ」


 反射的に陣を紡ごうとした時、少女の視界が遮られる。

 同時に、鈍く、重たいものがぶつかりあう音がして、彼女が前方を覗き込むと、砂色の髪の大男が空高く舞い上がってゆくのが見えた。

 空中で三回転半の美しい回転を見せた後、全身をしたたかに地面へと打ち付けた男はピクリとも動かない。


「あっ……やべ……」


 ルクレツィアを庇った背の持ち主はカルロだった。

 呟かれた不穏な言葉に、少女は自分よりもずっと背が高くて、そして暖かい手の持ち主を見上げる。

 視線を受けた青年は安心しろ、とでもいうように小さく笑いかけた。

 そうして、カルロの放つ魔力が一瞬揺らいだ後、男が目を覚ます。


「軽く殴っただけなのに、うっかり殺しちまった」


「カルロ!?」


「安心しろ。ちゃんとこっちに引き戻してやったから」


 死に片足を突っ込んでいた男をこっそり魔力で蘇らせたカルロは、失敗をごまかすようにへらりと笑ってみせた。

 地面時ひっくり返ったままの男は頭を数度振ると、カッと目を見開いた。


「やはり貴様が竜殺しかッ」


 蘇った反動により、震える手。その手でなんとか体を起こしながら、砂色の髪の男がカルロに吼える。


「噂にたがわぬ強さ、見事だったぞ。やはり、我が目に狂いはなかった!」


 大剣を杖代わりにして立ち上がる男。

 堂々たる声とは裏腹に、生まれたての小鹿のように震える足が、何とも残念な空気を(かも)している。


「しかし、うわさに聞いていたのとは少し違うようだな。小山を思わせる大きな体と、隆々たる筋肉。そして、闘牛のように雄々しい、黄金の角を生やした人物だと聞いていたのだが……」


 『竜殺し』との単語に、ルクレツィアの体が、ぴくりと反応した。

 しかし、男の言葉から、とんでもない噂が流れていると知って、その震えは動揺から怒りに変わる。

 この男、失礼にもほどがある! 辛うじて黄金、というところはかすっているようにも思えなくもないが、角ですって……!?

 ――それは、どう考えても人間じゃあないでしょうッ!

 男の頭の中は一体どうなっているのだろうか。脳みそまで筋肉になっているのではないだろうか。


「それにしても、角って……」


 呟くも、後に言葉が出てこないほどの衝撃であった。

 本人とは全くかけ離れた噂に少女は憤りを隠せない。


「角を生やした人間なんて、いるのか?」


 憤懣(ふんまん)やるかたない少女を青年がきょとんとした表情で見下ろす。


「いいえ。聞いたことがありません」


「だよなあ」


 即座に否定するルクレツィアに頷いて、カルロも男に返事を返す。


「あ。俺、竜殺しじゃねーから」


 ていうか、竜だし。彼の顔にはそう書いてあるかのようだった。


「な、なんだと……ッ!? では一体、竜殺しはどこにいるというのだ!」


 青年の返答に失望したらしい男は、そのままがっくりと地面に倒れ、悔しげに(うめ)いていた。


「さあな」


 短く言って、少女の手を引く青年に、男の声が追いすがる。


「まて。まだ話は終わってないぞッ」


「あー。あんた邪魔になってるみたいだし、まずはそこ、どいた方が良いんじゃね?」


 カルロが振り返ると、男の足元は相変わらずの小鹿状態で、声だけ勇ましいのが何ともちぐはぐな有様である。

 周囲の通行人たちは、彼の周りを迂回して通らねばならず、迷惑そうにしていた。


「なあ、ルーシー。面倒だからコイツ燃やしていい?」


「ダメです」


「なるべく周りはそのまま残すけど」


「ダメです。街を救いに来たのに、焼き払ってどうするんですか」


「ああ。そういや、そうだったな。んじゃ、俺ら忙しいから、また今度な」


 『竜殺し』を探す男。気にはなるが、二人には大事な仕事が待っている。

 全身から面倒な気配を放っている男にかかわってもいられないのだ。


「ま、まて! そこの二人組! またぬかッ! 我が祖国のため、我はなんとしても、竜殺しを探さねばならんのだ! ってちょっ、こら、聞いているのか! きさまらァ――ッ!」


 後ろで男が何事かを叫んでいたが、二人は気にすることなく、領主の館へ向かうことにしたのだった。


「さて、そろそろこれの出番ですわね」


 領主の館が近づくと、ルクレツィアは背にある小さな荷物袋から、銀色の仮面を取り出した。

 そして、それをおもむろにつけると、感触を確かめるように頬のあたりを指ではじく。


「カルロ、依頼内容は覚えていますか?」


 少し籠った少女の声に、カルロが応じる。


「おう。この町の港に現れる海蛇の巨大種を討伐するんだろ。で、ルーシーは知り合いがいるから、ばれないように俺が会話する……だったか?」


「ええ、よろしくお願いしますね」


「ん。まあ、任せろって」


 そうして二人は領主の館まで歩くと、門の前で衛兵に声をかけた。


「王都の冒険者ギルドより、依頼を受けたルーシーとカルロだ」


「冒険者だって? 人手不足とは聞いていたが、こりゃまた随分と若いのが来たなァ」


 まだ年若い青年と少女に組み合わせに驚きつつも、門番が門を開ける。

 門番に礼を言って、屋敷の入り口まで歩くと、黒い礼服に身を包んだ壮年の男性が二人を出迎えた。


「ルーシーさまとカルロさまですな。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」


 型通りの丁寧な礼をすると、屋敷の扉を開けて男性が二人を案内する。

 重厚な黒い扉の先には、赤いじゅうたんが敷き詰めてあり、飾られた絵画や美術品も華やかなものだった。

 流石は侯爵家といったところか。

 王都ではやや華美と取られそうなおもむきでがあるが、この街の雰囲気には良く似合っている。

 きょろきょろとあたりを見回しながら進む、カルロ。

 ルクレツィアはその後ろに隠れるようにして彼らの後に続いた。


「こちらでございます」


 男性が開いた扉の先には、ルクレツィアの予想通りの人物が、長椅子に腰かけて二人を待っていた。


「随分と遅かったのね」


 高く結いあげられ、大振りの貴石で飾られた薔薇色の髪。勝気で蠱惑的な瞳。大きく襟元が開いた真紅のドレスが実によく似合う少女。

 十二歳の夜会でルクレツィアが出会った少女――ブレガ侯爵令嬢、パメラであった。

 パメラは、ふん、と鼻を鳴らして、二人を一瞥(いちべつ)すると扇で口元を隠す。


「わたくしは、冒険者ギルドの腕利きをよこすように頼んだのです。だというのに、入って数日の無名の男と、子供をよこされるとは……それに、この香り……」


 不快を示すように、パメラの眉根が寄る。きっと口元も歪んでいることだろう。


「古参の腕利きはみんな出払っているらしい。海蛇の巨大種――要は魔獣の討伐だろ? 俺ら二人で十分だ」


「まだまともな実績もない新人が、大口をたたきますのね。そこの、無礼な金髪は、人形か何かですの? 仮にもA級冒険者でありながら、無名の新人に任せきりとは、嘆かわしい」


 やや芝居がかった動作でパメラが扇を仰ぐ。

 あからさまな侮辱と敵意に、カルロの魔力がゆらりと揺れる。

 不快を焼き払おうと、燃え上がる魔力を押さえるように、ルクレツィアは彼の手を掴んだ。

 これ以上ルクレツィアが沈黙を続ければ、話はさらにこじれるだろう。


「お嬢さまが私どもに依頼したのは、おしゃべりではなく、怪物の討伐ではないでしょうか?」


「あら、おまえ、口がきけましたの。小憎たらしい口ですが、だんまりよりはマシですわね」


「私たちはこちらに挨拶に寄っただけです。これ以上は、言葉よりも行動で示した方が速いでしょう」


 なぐり合うかのような言葉の応酬。

 貴族らしい難癖の付け方に、これは長くなりそうだと察し少女は、この無益なやりとりを終わらせるため、会話を打ち切る。

 パメラが次の言葉を投げかける前に、背を向けようとしたルクレツィアは、外から聞こえてくる悲鳴に足を止めた。

 窓から外を伺うと、海の向こうからやってくる、巨大な生物の影が見える。

 目を凝らすと、それは巨大な体をくねらせながら水面を滑るように泳ぐ、海蛇――いや、この大きさなら海竜と言ってもいいだろう――だった。

 巨大種というだけあって、水面に出ている部分だけでも上陸を許せば、街が半壊しかねない大きさだ。


「――あれをみても、戦うといえますか?」


 ぱちんと扇を閉じて、パメラが海岸を見る。

 細めた瞳は挑むようでもあり、二人を嘲るようでもあった。

 むろん、二人にとってそれは、答えるまでもない質問である。

 仮面の中でルクレツィアの唇が弧を(えが)いた。


「そこで見ていてください。それが私たちの答えです」


 言うが早いか、銀光が煌めき、転移魔術陣が紡がれた。

 光の中に揺らぐ二人の背を追いかけるように、パメラも光に飛び込む。

 絶妙なタイミングで乱入してきたパメラに驚きつつも、ルクレツィアはとっさに陣を拡張し、三人を海沿いまで転移させた。

 少し暗めの赤を基調とした絢爛な雰囲気漂う室内から、潮の香りが漂う海沿いへ。

 景色が切り替えに合わせて、海蛇の巨大種――海竜の接近を知らされた民たちの逃げ惑う音が聞こえ始める。


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