第三十一話 竜と少女
短編の内容をそのままっ持ってきている部分も多いので、本日のみ、三回更新です。
2016.7.8 12:00更新二回目。
竜の角が折られる僅かばかり前。
――呼気から銀の魔力が流れ、少女の紡いだ転移魔術陣が発動した。
レッチェアーノのギルド内の酒場。
安酒と男たちの汗が染みついた空間から一転して、彼女は白とも黒ともつかない不思議な空間を飛ぶ。
常ならば、瞬時に目的の座標に到着していた。しかし、今回は奇妙な歪みを感じると同時に、少女の体はあらぬ方向に引き寄せられる。
ルクレツィアの視界がぐるりと回転した。
強い魔力の波に飲まれ、このままではどこをともつかない場所に流されてしまいそう。
背筋の震えを叱咤するように、奥歯をぐっとかみしめれば、体中の筋肉がぎちりと音を立てて引き絞られる。
何とか新たに繋ぎなおした座標の出口へ齧りつく様にして、転移空間を抜け出す。
すると、ルクレツィアの視界が白み、遅れて耳鳴りがした。
光が収まってからまず感じたのは、乾いた土の香り。
次いで真白な細かい粒子が視界を覆いつくし、舞い上がった砂や塵が肺腑に入り込んで咳き込む。
彼女は何かが爆発したのだろうと判断し、ふらつき崩れ落ちそうな両膝を両手で押さえた。
顔を上げたルクレツィアの瞳に映るのは、光り輝く金色の、何かだ。
「なんて……きれい……」
白くぼやけた視界の中にあっても、はっきりと視認できた金色の塊は、ルクレツィアの背丈と同じくらい大きい。
目も眩むほどの輝きであるのに、不思議な透明感を持ったそれは、やけに滑らかにぬるりと動いた。
「いっ――てえぇぇッ!!」
大地を揺るがす咆哮に、ルクレツィアは吹き飛ばされ、空高く舞い上がる。
紺碧の空の下には灰色の大きな山があった。
大きな赤い生物が、山を囲むように寝そべっていたようだが、今は山を崩さんばかりの勢いでのたくっている。
少女の見る風景から察するに、彼女は相当高く吹き飛ばされたようだ。
そのまま落下しては命の危険があるので、ルクレツィアはとっさに陣を紡ぐ。
すると下から風を吹き上げ、少女の落下速度が緩やかなものとなった。
近づくにつれ、色彩でしか認識できなかったそれが、はっきりと姿を現す。
陽光を受け、ゆらめくの炎のようなそれは、体を構成する鱗の一つであった。一枚一枚が燃え盛っているかのように、強い魔力を放っている。
液体を思わせる滑らかな蜂蜜色の球体は、瞳。
一振りで山を崩せそうなほどの大きな爪。その爪が地面を抉るのを見て、ルクレツィアの全身に鳥肌が立った。
天を貫かんばかりの大きな金色の角は、何故か片方が折れている。
もしかしたら、さっきの爆発で折れてしまったのかもしれない。
彼女はそう思った。
折れた角は地面に横たわっており、少女には黄金の川のように見えた。
――竜だ。
そう口にしたつもりだったが、ルクレツィアの口からは震える吐息が漏れるのみ。
色彩を一言で表せば赤色としか言いようがないが、その個体は、燦然と輝く太陽を連想させる炎竜だった。
美しいと恐ろしいが同時に成立する言葉なのだと、彼女は生まれて初めて実感した。
風をまといつつ、中空からゆっくりと降りてくるルクレツィアへ、炎竜が長い首を擡げて叫ぶ。
「おいてめぇ! どこの竜だ!? 出合い頭に角をブッ飛ばしやがって。竜の風上にもおけねえ! 人の姿なんて捨ててかかってこいよッ!! 」
捨てるも何も、ルクレツィアは人以外の何物でもなかった。そして、今後、人であることをやめる予定もない。
完全に頭に血が上っているらしく、炎竜は空を焦がさんとばかりに、真紅の炎で赤く染め上げた。
地上から吹き上げてくる小さな太陽とも思える熱源は、触れるものを焼き尽くし、後には影ひとつ残らないだろう。
ルクレツィアは迫りくる炎を逸らすために、ありったけの魔力を放出した。
刹那。
たくさんの護り石が連鎖的に割れるような音がして、大きな銀の柱が辺り一帯を包み込む。
「え、あ。オイ、馬鹿やめろッ!! 」
戸惑いから焦りに転じる声が、遠くで聞こえたような気がする。
けれど、その声よりも、ルクレツィアは銀光に満ちた視界の中で乱舞する、黄金に目を奪われた。
光を乱反射しながら時に爆ぜ、宙をうねるそれは、ルクレツィアの体を通り抜けたかと思うと見えなくなる。
残されたのは真白な砂の山。一部にきらりとしたもの――月の護り石だろうか――が陽光を反射するのがみえるくらいで、あとは何もない。
大きな魔力の爆発を感じるも、少女に怪我などはなかった。
寧ろ清々しい気持ちになるほど体が軽く、これまでにないくらい魔力が充実している。
疑問に思いつつルクレツィアが、白い砂を足裏で擦るようにしてどかすと茶色い地面が見えた。
見慣れた地面の色にほっとして顔を上げると、そこには一人の青年が立っていた。
無造作に流した短い髪は、紅くゆらめく炎ような燐光を放っている。
眼光鋭い切れ長の瞳は糖蜜色、ルクレツィアの数倍はありそうな体躯の青年はどこかで見かけたような色合いをしている。
青年が身にまとう、簡素な意匠の上質な旅装束は、ルクレツィアの着ているものとよく似ていた。
良く似た品物であっても、着ている人間が違うだけで全く印象が異なるものだと彼女は妙に感心した。
「この一帯で月の魔力をぶっ放すとか正気じゃないぜ!」
開口一番、ルクレツィアに苦情を叩きつけると、青年は眉をひそめた。
「なーに呆けた顔してんだよ。こんだけ魔石集めてる場所でぶっ放せば、誘爆して暴走するのは当然だろ。派手に自滅するのは良いけどよぉ、人を巻き込むんじゃね……って、おま、それ! それは俺のっ角じゃねえかああぁぁぁ――ッ!?」
これでもかと言うほど瞳を見開いて、自分の頭を指さす男に戸惑いつつも、ルクレツィアは恐る恐る頭に手を伸ばす。
……さらりとしたいつもの髪の感触に、違和感を感じることはない。
ルクレツィアは安堵した。偵察は失敗に終わり、山もこのありさまだ、おまけに角まで生やして帰ったら父に合わせる顔がない。
ふうと息を一つ吐くとさらりと髪が揺れ、視界に見慣れぬ金色の何かが映る。
何気なく手に取ると、どうやらそれは自分の髪の毛のようだった。
いつもの銀光のかわりに、華やかな黄金の燐光を放っている。
――あら、わたくしの髪は銀色ではなかったでしょうか。そういえば、あの竜の角は美しい黄金色でした。そう、この髪の色の様な……。
しばし硬直するルクレツィアに、赤髪の男が詰め寄る。
「おい、あんた。人の角ぶんどって、いったいどういうつもりなんだよ! 出現と同時に角折りからの、道連れ自爆、挙句の果てに竜角強奪……って俺が一体何したってんだよ!? 」
額に青筋を浮かべ、憤懣やるかたないといった様子の男。
彼はしばらく吼えるように叫んでいたが、ふと、何かに気づいたように動きを止めた。
「月の魔力は強いが、俺以外の竜角の気配がねえな……。そもそも竜が月の魔力なんか持つはずないし。あれ、お前、もしかしてもしかすると……いや、信じたくないんだけどー……人間、じゃね? 」
顔立ちは整っているのに、どこか残念な半笑いで問うてくる青年。その言葉にルクレツィアが頷く。
「はい。わたくしは人間です。正体不明の生き物が山を占拠して月の護石が取れなくなったので、調査して欲しいとのことでこちらに参りました」
「あ、ああ。そう……ん? んんん? それなら俺の角折る必要なかったんじゃ」
今まで出会った魔術師や魔力を帯びた獣たちが、ちっぽけなものに思えるほどの強大な魔力の持ち主。
ちらりと視線をよこす青年と目が合うと、少女の膝は震え、掌がじっとりと汗ばんだ。
「すみません。不幸な事故でした」
自称竜であるらしい青年が次の言葉を発する前に、ルクレツィアは素早く謝罪の言葉を口にした。
相手の言葉を遮るのは礼儀に反する。しかし、このままでは、いつまでたっても話が進まないだろう。
そう判断して、ルクレツィアは慎重に言葉を紡いでいく。
「せめてもの償いとして、あなたの角をお返ししたいのですが……」
自分より強大な存在の怒りをかうのは恐ろしい。
けれど、恐れて受け身になっていては、状況が悪化する可能性がある。
心を強く持とうと握りしめ、しかし隠しきれない恐怖に震える少女の拳。
彼女は少しでも真摯な態度で臨もうと、ぐっと顔を上げた。
「どのようにしたらよろしいでしょうか」
視線ばかりはそらすまいと青年の顔をじっと見つめ、ルクレツィアは彼の返事を待った。
「……えっ!? 返してくれんの? 竜角つったら竜の魔力の塊、持ってるだけで人類最強になれんだぜ!?」
――人類最強。
伝説の竜の力を得たことが知れれば、多くの人間がわたくしの力を求め、あるいは恐れることになるのであろう。
もちろん良い事ばかりではないだろう。しかし、わたくしはもう無価値を嘆き、ただ泣くばかりの人間ではなくなるのだ!
ルクレツィアの心拍数が急上昇し、興奮に潤んだ瞳孔が開く。
偶然とはいえ、神代の力の一片を手にした奇跡に、少女の体全体が脈打つように震えた――が、そこはぐっとこらえた。
確かに彼女は力を欲しているが、他者から奪ってまで得ようとは思わない。
そのような卑劣な手段を用いることはルクレツィアの、ガブリーニ公爵令嬢としての誇りが許さなかった。
やけに感情豊かな青年の様子に戸惑いつつもルクレツィアがしっかりと頷くと、彼は満面の笑みでこういった。
「じゃあちょっと全身を燃やしてみていい? あんたの了解を得て、俺の炎で焼けばくっついている角の魔力が解けて戻ってくると思うし」
「お断りいたします。流石に命までお渡しすることはできません」
間髪入れずに断るルクレツィアに青年はふむ、と唸る。
断られることを想定していなかったらしい。
この青年、見た目は人間であるというのに、どうにも言動が珍妙である。
人は、燃やせば死ぬに決まっているだろう。
そんな当たり前の事すら、分かっていないようだった。
「じゃあ、髪だけ綺麗に焼くってのは」
ひらめいた! とばかりに会心の笑みを浮かべる青年に、今度はルクレツィアが吼える!
「なっ……わ、わたくしに、ハゲになれとおっしゃるのですかっ!? 髪はレッチェアーノの女の命です。全ての髪を失っては人前に出ることがかなわず、わたくし、父に合わせる顔がありません! どうか! どうかご慈悲があるのならば、自然と抜け落ちるのを待ってくださりませっ!! 」
顔を真っ赤にして口から炎を吐かんばかりの勢いで迫る、ルクレツィア。
彼女の勢いをものともせず、青年は気怠そうに首裏を撫でた。
「えー。俺、キラキラしたものを集めるのは好きだけどさ、人間の抜け毛をちまちま集めんのは流石に面倒臭えんだけど。なぁ俺はアンタを丸焼きにすることもできるんだぜ、髪くらい諦めろよ」
指先からちろちろと赤い炎を出して、脅しつける青年。彼に負けまいとルクレツィアはつんと顎を逸らした。
「手間と角、どちらが大事なのでしょうか。魔力は持ち主の在り方に引きずられることをご存じでしょう。わたくしを丸焼きにすればわたくしの魔力ごとあなたの角も消滅するのでは? 角が惜しければわたくしの言うことをお聞き入れ下さいまし」
「あー……わかったよ! 背に腹は代えられねえし。そんじゃ角の魔力が残っている間は、あんたの抜け毛はすべからく俺のもの。いいな?」
「結構です。ただし、金色の髪の抜け毛だけですわよ」
「んじゃ、契約成立な。角が戻るまであんたの姿―――つまり、こんなちっせぇ人間体に捕らわれるわけだから、なんとも面倒な話だよなあ」
まだ虫の方が空を飛べる分楽しめるだなんのと、ぶつぶつ愚痴こぼす青年。
彼は不意に顔を上げると、ルクレツィアの両肩をガッシリとつかんだ。
「あ。そうだった! ……絶対、俺の角持ったまま死ぬなよ。理解してるみてぇだけど、たぶん、あんたが死ぬとあんたの魔力ごと俺の片角も消滅するから」
「ええ、そうですわね。気を付けます」
「いや、本当にわかってる? やっぱあれだな。人間って脆弱らしいし、死なないように見張っている必要があるかもしれない」
もし万が一死んだとしても、魔力が散る前に炎で焼けるように、そばで待機しておくべきじゃないだろうか。
そう考える青年だったが、「見張る」との言葉にルクレツィアは眉根を寄せた。
「四六時中見張られては苦痛です。人間には気鬱の病でなくなるものもおりますのよ」
「落ち込むだけで死に至るとは、何とも難儀な生き物だな。わかった。そんじゃ、生命の危機が迫っているとき以外は、お前に気づかれないように離れて見張ることにする」
「……どうあっても見張るつもりですのね。まぁ大事な預かり物があるうちは致し方ありませんわね。ああ、そうでした。遅くなりましたが、わたくしはルーシー。あなたの事は何とお呼びすればよろしいですか」
「カルロだ。赤竜カルロ」
「赤竜……燃え盛る炎の様な竜でしたから、てっきり炎竜とでも呼ぶのかと思ってました」
「いんや。竜はそんなしゃれた呼び方しねーし。だから、ふつうにカルロでいいぜ」
肩をすくめてさらりと名前で呼ぶように言うと、カルロはルクレツィアの顔をじっと見て、こう言った。
「角とられた時には心底頭にきて、それどころじゃなかったけど、あんた俺の角の色が良く似合うな。待つのは得意だし、俺は綺麗なものが好きだから、これはこれで楽しめそうだ」
先刻までの不機嫌な表情はどこへやら。
まるで新しい宝物を見つけた少年のようである。
無邪気な笑顔を見せるカルロにつられて、彼女も微笑んだのだった。
「ではカルロ、仕事を済ませたらお茶に付き合ってくださいな。貴方には聞きたいことが沢山ありますのよ」
「おちゃ?」
「わたくしは竜という生き物についてよく知りません。まずは互いことをよく知るためにも、一緒に温かい飲み物と軽食をつまみながら談笑いたしましょう」
「ふーん。まぁ俺飲み食いする必要ねーから、みとくわ」
「あら、私に一人でお茶しろとおっしゃいますの?」
「ああ」
「……一人で飲むお茶は味気ないものですわ。それなりのものをご用意いたしますので、どうかご一緒なさって。一人よりも二人の方が、ずっと楽しいのですから」
誇らしげに胸を張り、太陽に照らされて煌めく黄金色の髪。
その髪に負けず劣らず輝く笑顔に、今度はカルロがつられて微笑んだ。
「そうだな。まあ、そういうのも、悪くねえかもな」
その時だった。
「おおおぉぉぉいッ!! ルーシーッ!!」
視線を交わしあう二人の空気。それをぶち壊すほどの大声が周囲に響く。
ルクレツィアの名を呼びながら、エルモ達がやってきたのだ。
怪物との交戦もやむおえないと決意したような重装備で、辺りを警戒しつつ、彼らは急ぎ少女に駆けよってくる。
「おう。嬢ちゃん、無事だったか! この山の怪物は竜らしいぜ。こいつァワシらにゃちと荷が勝ちすぎてる。いったん退却だ」
ずんぐりと太い節くれだった指で、短く刈り込んだ髪の毛を撫でながらエルモがいうと、ジャンがそれを手で制した。
「いや待て。先ほど山から光の柱が上ってましたが、ルーシー嬢、何か見ていませんか?」
起こった出来事を何と説明してよいのやら。口をつぐむルクレツィアの横から、カルロがしれっと会話に参加する。
「あー。竜だったら、そこのルーシーが退治したぜ。角をへし折られ、魔力で山ごと吹っ飛ばされて、真っ赤な竜は泣きながらしっぽを巻いて逃げてったよ」
ひょいと肩をすくめるカルロに全員が注目し、いぶかしげな視線を向ける。
年若い少女と、どう見ても成人しているであろう大柄な青年の組み合わせは、実に不自然だった。
青年は少女とよく似た衣服、砂埃にまみれた深い青色の服を纏っている。
服以外の共通点が見当たらない二人。
事情を知らないものが見れば、世を知らぬ少女をかどわかそうとする、誘拐犯に見えなくもない。
「……あんたは?」
イレーネが違和感の原因を探る様に男へ視線をやるも、カルロは飄々とした態度で続けた。
「ただの目撃者だよ。いやー、凄まじかったなあ。竜の命ともいえる片角。それを吹っ飛ばす人間なんて、俺は初めて見たぜ」
調子に乗ってしゃべるカルロ。彼の足を踵で踏んで睨み付けると、ルクレツィアはため息交じりに頷いた。
「大分大げさに話していますけれど、まぁそんなところですわね。……髪の色が変わったのも事情がありますが、今はそっとしておいてくださいませ」
「ふん。まァ、いいさ。この地より竜が去ったのなら、仕事は終いだ。今はそれ以上、追及しないでおいてやるさね」
イレーネが青年と少女を見やって、小さく笑みを浮かべる。
長年魔物を狩ってきた彼女の本能が、何かに引っかかっているようではあった。
しかし、確信に至らない以上、追及する気はないようだ。
「ええ。そうしてくださいな」
人形めいた美貌の公爵令嬢は、優美な動作で持ち物から扇子を取り出し、口元を覆い隠した。
これ以上はしゃべりたくないという意思表示だった。
この時彼女は13歳。
――史上に類を見ないほど、幼く、淑やかな討竜者の言葉に異を唱えることができるものは、この場にいなかった。




